ハワース@
Haworth
この荒れた丘陵地帯の寒村の売り物は、150年前1847年にエミリ・ブロンテが書いた「嵐が丘」の舞台であり、牧師だったブロンテ一家が住んでいた場所だということだけだ。
この一帯はブロンテに因んでブロンテ・カウンティと名づけられている。
当時は英国ですら女の子に学校教育は不要とされた時代だった。アフガンのタリバンのこと言えない。裕福な家庭では家庭教師を雇って女の子を教育した。
それでも牧師のパトリック・ブロンテ(1777〜 1861)エミリーと姉のシャーロットを聖職者の者の娘の学校へ1年間やった。
シャーロットはまた別の学校で教師の資格をとり妹たちの師となった。
シャーロット、エミリ、アンの3人は家で詩や物語を作ったり、お芝居をして遊んだと言う。
ブロンテ一家も歩いたであろう石畳のメインストリート
教会の地下にあるブロンテ家の納骨室↑
のプレート。
エミリは30歳、「ジェーン・エァ」を書いた姉のシャーロットは39歳で亡くなっている。
潅木の生える荒れ野の中の牧師館で、閉じ籠ってひっそり思索に耽っていたエミリーがあの暗い屈折した主人公ヒースクリフを生み出した。作家の生い立ちと生育環境は作品に投影されることが分かる。
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