74.「『まだ3冊全部かってない人‐の役にたたなきゃダメ、解るかい!?フェア』開催 補足 三冊本の副読本をぜひ皆様、お読み下さい 前編(2009年9月4日)



『真理先生』(青林工藝舎)

『映像夜間中学講義録 イエスタディ・ネヴァー・ノウズ』(K&Bパブリシャーズ)

『特殊まんが-前衛の-道』(東京キララ社)

三冊連続単行本出版を経てますますワザワザ、

まんがのど真ん中をライク・ア・ローリングストーンする根本敬の

90年代からゼロ年代までを橋渡しする「横断歩道」



 <根本敬の90年代からゼロ年代、そして今回の同時書き下ろし三冊本までを橋渡しする「横断歩道」としての本文章>

 根本さんは今年2009年に入り、三ヶ月連続で書き下ろし単行本を三冊上梓いたしました。
・『真理先生』(青林工藝舎)
・『映像夜間中学講義録 イエスタディ・ネヴァー・ノウズ』(K&Bパブリシャーズ)
・『特殊まんが-前衛の-道』(東京キララ社)
の三冊です。
 この三冊についてお話する前に、おそらく多くの皆さんがこんな疑問をお持ちではないでしょうか。

「なぜ、今年になって急に三冊も出したのか。そもそも、この10年間、根本敬は一体何をやっていたのか。ずっと沈黙していたのではないか」。

 この疑問に対して、根本さんは『映像夜間中学講義録 イエスタディ・ネヴァー・ノウズ』(以下、『講義録』)で、明快に答えています。最終結論と言って良いものでしょう。
 が、根本さんが幼少期からずっと継続してきた創作活動・人生そのものをトータルかつ繊細に俯瞰することで気づかされる、厖大な背景が十分ではないまま、同書の該当個所の説明文のみを読まれた場合、そこに配置されている個々の言葉の配列を眺め、その字面の刺激的な印象の方に目がとらわれるあまり、根本さんがおっしゃりたいことを、一種の謎めいた神秘体験や禅問答とか、皮肉まじりの知的な言葉の戯れ、と受け止められないだろうか。
 もちろん、そうした捉え方も興味深いのですが、今回のこの文章では、この三冊本の本文ではあまり言及されていない、この10年間の根本さんの活動とその時々の姿を適宜補足することで、根本さんが各メディアで活躍された90年代半ばから、ゼロ年代も終わろうとする現在、今このタイミングで世に出た三冊本までを橋渡しする、一種の「横断歩道」を、愚直なままで提示してみよう。これがこの拙文の役目です。


 <お願い・本人歌唱ではありません>

 ただ、予めご注意願いたいことがあります。根本さんが90年代からゼロ年代にかけて粉骨砕身した、沈黙という音楽で演奏された阿鼻叫喚的試行錯誤は、今回の三冊共通の見えない分母であり、本全体にびっしり付着している、根本さんの血みどろの透明な指紋であり、三冊の本が立つ大地(及びその地層)です。
 その「沈黙」をできる限り、根本さんご本人のご発言を引用する形でご説明しようと努めましたが、肝心の部分での直接のご発言が乏しいため、無理を承知の上、本文執筆者の推測・直観によって、その部分をカバーする形で構成させていただきました。
 根本さん御自身の目を通していただき、公式ホームページ掲載の許可をいただいておりますが、根本さんのお考えとは違う部分も当然あることをご念頭に置いてお読み下さるようにお願いします。


 <『神様の愛い奴』以降、「前人未踏の苦悩」「無限の高いハードル」を孤立無援で抱えていた根本敬の90年代-ゼロ年代>

 1997年8月20日、神軍平等兵・奥崎謙三先生が出所した直後から、異様なハイテンションとエネルギーの暴風雨の中、映画『神様の愛い奴』の撮影が開始されました。根本さんは監督としてこの作品に全精力を注ぎ込みましたが、残念ながら根本敬監督の同作品は今も「幻」となったままです。
 この経緯については、根本さんは今まで沈黙してまいりました。
 もちろん、当時の関係者の方々にはそれぞれのお考えやご言い分があるでしょうが、それはそれとして、なぜ根本さんが頑なに沈黙しているのか、その心中は身近にいる者にもわかりかねたと思います。素晴らしい作品を発表できない無念以上の重い問題や悩みを一人で抱えている。周囲の方々にはおそらくはそう見えて、安易な励ましの声など、とてもじゃないがかけられない。そんな重苦しい10年だったと思います。それに表すのにふさわしい形容を強いて付けるならば、「前人未踏の苦悩」「無限の高いハードル」かもしれません。
 「仕事らしい仕事は、アップリンクで映像夜間中学を毎月一回やるだけ」、そんな主旨の呟きを『講義録』で書かれていますが、この間に発表された著作、『電氣菩薩』『心機一転!土工』『夜間中学』『命名(千摺と書いてたろうと読む)』を読むと、その影はやはり見え隠れします。
 『電氣菩薩』は濃密な内容、過剰ながら緊張感ある文体、行間から滲み出るメッセージなど、根本作品における重要な分岐点となる作品ですが、現在は奥崎先生が登場するまでの上巻が出版されたのみです。
 『心機一転!土工』では「特殊漫画家にとっての虚構(漫画)と現実(因果者探求)の垣根は完全にブチ壊され、ひとつになった至高体験である」と注目すべき記述があるものの、それ以上の言及はありません。
 『夜間中学』は、「朝の昼の夜の因果者達の、下らなさ、馬鹿らしさ、奇想、妄念が次々と魑魅魍魎と化し、俺の足下を掬おうと這いつくばっている」今の自分の思考を一度、別のモードに切り替えるために、自らの足元を確認するが如く、丁寧に文章を綴られたことが、逆に当時の心理状態を物語ります。
 『命名』は根本さんが「発表するたびに、漫画家としての評判を落とした」と振り返る、『アックス』に当時連載していた『黒寿司十八番』を、もがき苦しむ最中の2004年に、発展的・前衛的にマンガ史上最大の大幅加筆・修正・訂正・差し替えを駆使し、その間空気中のあらゆる邪念を封印して、「最終漫画思考」への彼岸に遂に到達した作品です。
 また、映像夜間中学はこの間、毎月一回のペースでアップリンクさんで開校されてきました。今年でまる9年になりますが、開校第一回目(2000年10月20日)、満場のお客さんの拍手に迎えられて、登壇した根本学長の第一声は「ありがとう」でした。「当時、自信喪失気味だったから、この言葉が自然に出た」と根本さんは振り返っています。


 <既に存在しているホシが新たに成長(ハッテンバ)して、再びビックバンしたての赤ちゃんとなった現在の根本敬>

 ここで少し話変わります。
 根本さんはかつて、著書『因果鉄道の旅』でこんなことをおっしゃっています。本質的に人の数だけ、否、一人で複数の世界を持つ人もいますから、とにかく地球の総人口以上の、無数の世界(宇宙)がこの地球上には混在してあり、その宇宙は一つ一つ異なるものです。その中で一人一人は他人の宇宙と関係や影響を受けつつも、基本的にはその当人を中心にした宇宙の中で、各々固有の宇宙法則や因果律にしたがって、人生を過ごして参ります。
 また、それぞれの人は固有の性質を持っています。その性質が時空に働きかけると、運命を呼び、運命がまた性質に次なる影響を与えるのですが、その循環活動を「ホシ」と呼びます。ホシには磁力の強弱があり、例えば因業凶悪な内田氏のホシの周囲にいた、食堂のおばさんのような薄幸なホシが「飛んで火にいる夏の虫」状態で取り憑かれることも実際に起こり得ます(詳細は『因果鉄道の旅』を参照のこと)。
 そうしたことを前提にした上で、同書で根本さんは読者の皆さんに、無数の他人の宇宙(ホシ)と連関しながらも、一人一人が自分固有の宇宙に生きていることをまず自覚するよう提案しました。そのことを根本さんは、「本当の事いう。己のホシを知らなきゃダメ。お宝はそこにある」という言葉でさりげなく述べられています。
 上記の説明を更に進めるならば、ある人が持つ「ホシ」のエネルギーが急激にパワーアップし、この世に誕生した以来、二度目の誕生=ビックバンを遂げたならばどうなるか。その過程で自分の内面及び、他の人たちとの関係において、大きくバランスを崩し、自らの生態系の危機を招くと思われます。自分の中の温暖化、ジャングル密林化、砂漠化、氷点下以下の氷の世界、地震雷火事親父など、様々な天変地異を経て、しかるべき時間の経過を経てはじめて、パワーアップしたホシの生態系として落ち着くと思われます。
 それは、既に存在していたホシが新たに「成長(ハッテンバ)」し、二度目のビックバンとなること。その時、そのホシはかつてのホシと連続性は持つものの、いわゆる(パチンコ屋に代表される)「新装開店」して、生まれたての赤ちゃんのようなホシといえるでしょう。
 ちょうど同じことがこの間の根本さんに起こっていたのだと思います。
 当人は大いに悩んでいるが、周囲の者には何をどんな風に悩んでいるのかわからない。というのは、当人も自分が何を悩んでいるのか、ギリギリのところではつかみ切れていなかった。しかし、とにかく、それこそ「前人未踏」「無限」の問題を抱えて、自分の人生体験・思考・感情・日常生活・創作活動すべてを総動員して、全身全霊でもがき苦しんだ。
 そのために『講義録』に記述している通り、かつての第一線を離れることを余儀なくされて、皆様の目に触れる機会も少なくなり、とにかくひたすら20〜30センチ程の地下に潜み、「見えない敵、あるいは自分の因果や運命と呼ぶべき何か」と格闘していた根本さん。これが「沈黙の10年」の姿に近いと推測します。


 <新しいチャンレジのための、自分の因果子宮への回帰。過去の自分のゴミや死体から自分らしさという栄養を吸収すること、因果子宮内部で自分の無意識を再確認すること、自分らしさのありとあらゆる可能性を点検することの厖大な修練により、今の自分を縛り付ける重力を振り切って、これ以上ない、ニュートラルな宇宙空間から、「自分がこうなりたいと思う自分」の描線をペン入れすること>

 人は迷った時に過去を振り返ったり、原点となった場所を訪れるといいます。「犯人も事件現場に必ず現れる」というのもそのひとつでしょうが、人間にとってのすべての存在と時間は今この瞬間、一刹那を過ぎるとすべて過去へと消え去っていきます。
 過ぎ去った、その時々瞬間ごとの自分および自分の経験したすべてが吹き溜まっているところ、それが自分墓場あるいは自分ゴミの夢の島ならば、その場所は同時に自分がホシとしてこの世に出現する前に「胎内」として居た、因果子宮かもしれません(これは、自分を生んでくれた母親の実際の子宮とは異なることは言うもありません)。
 もし自分が新しく生まれ変わること、それも今までの生き方をギブアップ変更するのではなく、自らのオリジナリティを最大現尊重しつつ、未知の状況に対応するだけの準備を整え、ますますパワーアップするためには、すなわち新しいポジティブなチャレンジのためには、その根本的な足固めとして、これ以上遡れない原点である子宮の中に再び突入するのが一番の方法なのかもしれません。
 ここでご注意いただきたいことは、「子宮に戻る」といっても、それは引きこもりとか、現実放棄とか、厭世思想といったものではないことです。一方で日常的な社会活動をふまえつつ、他方では想像力・創造力を駆使して、因果子宮内に自分を没入し続けることは、新しいチャレンジのための、過酷この上ない修行であり、トレーニングなのでした。
 因果子宮内に浮遊する、過去の自分のゴミや死体から養分をたっぷり吸い取り、因果子宮内に響く音とか、光の加減、各種の運動、息づかいを体感すること。この養分は純粋度の高い、自分らしさを栄養として摂取することであり、この音や光や運動や息づかいは、自分らしい感性や無意識をもう一度確認することでしょう。
 また、人間の赤ちゃんは受精して、姿が形成される時、魚や鳥みたいな姿をする一時期があります。これは魚類から両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類、人間という系統進化を、子宮の中の赤ちゃんが個体進化という形で反復しているからだそうですが、同じように、因果子宮内で、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類、人間それぞれの自分を再体験することで、アフリカ象からミトコンドリア、ピラミッドから駅前で配っているティッシュまで、無数の自分があり、逆に言えばどんな些細なものの中にも、自分が在る可能性を再確認することでしょう。
 更に因果子宮内に残存する、卵子と受精することなく放置された無数の精子たち、すなわち、自分の歴史の中で「そうで在っても良かったはずなのに、実現しなかった選択肢」に向き合い、改めて検証し、未だ精子と結合しないままで佇む卵子たち、すなわち「在庫品としてストックされている、活用可能な可能性」を点検し、今後ありうる精子と卵子の結合、すなわち「新たに出現しても良い、説得力のある自らのあり方」をシミュレーションすることでしょう。
 この因果子宮内に蓄積された「過去」は、矛盾した言い方ですが、「その可能性を自分自身、十分に生かし切れていない」という意味で、自分の生きた時間でありながら、自分にとっては最も身近な大きな謎であり、自分の内側ではなくて、むしろ自分の外側に不気味に広がる大宇宙の暗闇です。川西杏先生の名曲「マンコチンコ教」に、「宇宙は女の子宮、星はすべて卵子」という歌詞があることにご留意ください。
 根本さんの10年間は、日常生活と共存共栄しながら、自分の因果子宮内で過去の自分の死体やゴミから栄養を吸収し、断片と化した瞬間ごとの自分、過去に体験した様々なエピソードや日常体験、なぜか気になっていた疑問宿題、網膜や鼓膜や脳裏に焼き付いている、どうでもいい風景や言葉や音楽や臭いの欠片、四捨五入すればゴミに近い蒐集物にどっぷりと埋まりながら、「あれは何だったんだろうか」と思いを馳せる、因果子宮回帰の日々でした。
 上記の作業を自らにひたすら課すことによって、ロケットエンジンを全開にして、地球の重力に逆らい、大気圏を突破して大宇宙へと飛行するスペースシャトルのように、自分の「過去」(生き方から経験、見聞した記憶その他すべて)をロケットエンジンの燃料にして、今の自分を縛り付ける重力(日常生活のしがらみから、些細なコンプレックスや単なる気のせい、その他すべて)に対して逆噴射し、半径四次元メートルの大気圏を突破し、これ以上ないほど、ニュートラルな地平である宇宙空間から、自分という星(ホシ)を眺めた時、一体どう見えるのか。その視点から「自分はこうなりたいと思う自分」にふさわしい描線をペン入れすること。
 (根本さんの今回の三冊本のうちの一冊の書名でもある「イエスタディ・ネヴァー・ノウズ」とは、こうした問題意識と自己修練と「自分づくり(自分探しでは無い)」総体を指すのかもしれません)


 <「自称神様の傀儡」から「糸のないギターを弾いてみせる秘技」を教示されて、その代償として請求された「10年かけて貯めた1円」の借金返済に総てを費やした根本敬の10年間(1997-2007)、という「過去」を、自分にふさわしい「過去」として認め、生きることで得られる、強烈な生命力>

 そんな毎日が10年ほど過ぎたあたりから、先の見えない明日に向かって奮闘するうちに、まるで「時間ですから、そろそろ終わらせてください」とテレビ番組収録中にADさんからカンペを見せられたが如く、根本さんを中心とする半径4次元メートル内で、勝敗無き勝負に「負けたように勝ち」、そして「忘れるように覚える」もの、または答えやヒント、今後のとるべき方向が次々と勝手に明確になっていきます。
 そして、運命の日である1997年8月20日に、神様の傀儡から計り知れないほど巨大な教示を受けてから10年目の前日である2007年8月19日、川西杏先生から幻の名盤解放同盟のお三方に、ファックスが突如送信。
 「俺と20年以上つき合って散々食い物にし、金儲けしやがって、このイカサマ詐欺師のゴロツキ野郎どもめ」という、10メートル以上に渡る大河ドラマファックスに目を通し、「川西先生を利用してかすめ取る?それはいかほどの大金だろうか?」と考えているうちに、この10年間、否、生まれた時から今日、否、前世も含めた厖大な過去から今この瞬間までの、無数の点と点が、オセロゲームの盤上にたったひとつの手を打っただけで、真っ黒な盤が一瞬にして真っ白に変化するようなメタモルフォーゼ(生成変化)に似た、納得と爽快と歓喜と元気が根本さんの身体と頭脳とソウルを貫きました。

 「あの時、自分は神様の傀儡である奥崎先生から、安藤昇の名曲『黒犬』で安藤さんが『弦のないギターを弾いてくれ、小僧』と凄むけれども、『弾きたいけれども弾けない。でも何とかしなければいけない』という極限状況で糸のないギターを弾いてみせる秘技を伝授されたんだ。その借金として、天久聖一さんから教えてもらった、『コロコロコミック』内『バカデミー』に投稿してきた小学生男子の、ヤラれたあ〜という発想である『10年かけて貯めた一円』という、想像を超えた大金が記された請求書が送られてきて、自分はこの10年間、その借金返済のためにひたすら苦闘してきたのだ。返済期日の10年目の前日で、その返済が何とか間に合った。これからは元を取り返そう。さしずめ還暦までには一円と47銭ぐらいは稼ごう」。


 <糸のないギターを弾く秘術ー因果者が持つ生命力の秘密を鷲掴みにした根本敬>

 上記のような、個々バラバラの出来事が、見えない力に吸い寄せられて、ひとつの大河ドラマになった「過去」を、自分の「過去」として「選択」し、その流れに乗って漂流し、今後生きることを、一点の曇りもなく得心し、満願した根本さんは、この達成感・充実感・祝福感に加速されて、今回の三冊連続単行本出版につながったことは、もう御理解いただけると思います。
 「神様の傀儡」は直接的には奥崎先生ですが、広く言えば根本さんに影響を与えてきたすべての因果者(及び様々な作品、事件、場面その他含む)であり、「10年かけて貯めた1円」はお金という現実感そのものの存在を介して、量のリアリティ(例:1円より1億円の方が上)だけではなく、異質のリアルへのリアリティに開眼することです。
 では、「糸のないギターを弾くこと」とは何か。これは単にひとつのものではなく、いろいろな知恵や真理も兼ね備えた複合的なものだと思いますが、ここでは敢えて単純化して、「因果者が持つ生命力」のみを指摘しておきます。
 10年の「沈黙」を経た今、皆さんもご存じである、根本さんが紹介し続けてきた、いわゆる因果者と呼ぶ他、形容のしようがない、不思議な魅力と存在感と生命力の持ち主が、個々の個性を超えて、共通して兼ね備えている、魔法のような力能の秘密を、根本さんはその両手に鷲掴みにしたのではないでしょうか。「糸のないギターを弾く」、これにはいろいろな可能性を秘めたものですが、そのひとつが、因果者が持つ「妖怪の力」を身につけることではないでしょうか。
 因果者、それはすなわち天才と常識を使い分け、正統と異端を兼ね備え、高尚と低俗を共有し、広い意味での芸術活動と日常活動を両立させて、オリジナリティあふれる自分らしさを持ち、自分を生かす環境を自ら作り出す知恵と技術と心配りを会得し、困難に直面して、打ちのめされて、地面に這いつくばっても、いつまでも顔をうつむかず、歯を食いしばり、両目をしっかりと開いて、自分の足で再び立ち上がり、自分らしい方法でそれを乗り越えて、それを契機にしてむしろますますパワーアップし、自分を中心にした半径四次元メートルの因果宇宙をどんどん拡張し、周りの人たちを引き寄せる磁場のような魅力が光り輝く、そんな人生を堂々と生きることです。
 因果者(これには根本さんが発掘して、いろいろな本で紹介した、世間的にはマイナーな方々はもちろん、ビートルズやローリングストーンズやザ・フーやマイルス・デイビスをはじめ、もう既に世界的有名人の因果者も含まれます)に魅了されて、その作品や人物像にとことん肉薄し、当人以上に詳しい「当人博士」となり、自他非分離の境地に達した時、奥崎先生の一件をきっかけに、今まで接してきた因果者オールスターズの薬効成分と猛毒を、内側に沈殿していたものも含めて、同時に一気に過剰摂取し、オーバードーズで半死半生になった根本さんが10年の歳月を経て、あの世から輪廻転生して黄泉還り(甦り)を遂げた。その時、生まれたばかりの赤ちゃんの根本敬(でも年齢は50歳)の右手には糸のないギターを持ち、左手には10年かけて貯めた1円が握りしめられていた。ダライ・ラマならば、そんな法話をするかもしれません。


<因果者の生命力に学ぼう〜ゼロ年代が抱える総ての悩みについて、特殊まんが家として、「これが答えだ!」>

 こうして因果者の妖怪力を身につけて、新たにビックバンした根本さんが、この10年間、皆様にいろいろな意味で音信不通かつ説明不足であることを謹んでお詫びし、近況報告も兼ねて出版したのが、今回の三冊本です。
 これらの本はそれぞれの個性を持ち、役割分担をされていますが、共通していることは(これはおそらくは根本さんの一貫したスタンスでしょうが)、「皆さんの役に立ちたい」ということです。
 社会状況を鑑みれば、90年代からゼロ年代へと時代は変わり、ますます生きにくい世の中になっております。
 100年に一度の大不況の中、派遣切り、ワーキングプア、引きこもり、自殺、ドラック等々の社会的事件ばかりに世間の目は注目しますが、たとえ世の中に注目されなくても、皆さんのごくささやかな日常生活の営み、生きることそれ自体も、暗い影と必死に闘っているとご推察申し上げます。
 そうした状況を生きる皆さんに、特殊まんが家として一番役立つことは何か。
 それは様々な作品を発表することを通じて、根本さん自身が命がけで体得した、因果者が持つ生命力や知恵を、それが併せ持つ猛毒で皆さん自身やその生活をメチャクチャにすることなく、極力安全な形で、皆さん一人一人が会得できるよう心がけることはではないか。
 例えるならば、武道の達人が荒行の末に達した究極の秘技を、もったいぶらず、ケチケチせず、なるべく多くの人に会得できるように工夫して、体系化しよう。その基本となる学習練習方法も確立しよう。この秘技修得にあたり、誰でも一度や二度は通る、非常に危険な落とし穴にも予め警告しておこう。この基本をしっかりとふまえることで、各人の個性にあわせた、その人らしい発展が可能なような工夫も組み込んでいこう。
 因果者が持つ圧倒的な生命力、人生をエンジョイする前向きさ、自分らしさへのこだわり、他人への奥深い優しさ、人や世の中に役立つ独創的な貢献等々、といったものに、皆さんが気づき、自分らしい形で身につけて、強力であるが故のリスクも理解した上でうまく調整し、自分の人生で生かしていけば素晴らしい。
 ゼロ年代が抱える総ての悩みについて、特殊まんが家として、「これが答えだ!」と叫びたい。それが今回の三冊本に通底する、根本さんの皆様への感謝を込めたメッセージだと推察します。
 もちろん、そこには強烈な毒があります。この毒の恐ろしさを一番身をもって体験されたのもまた、根本さんであることは、もうお分かりいただけると思います。


 <「見える敵」だけではなく、「見えない敵」に対する勝敗を超えた戦い、自分との辻褄あわせへの誘い〜三冊本読破へのご推薦>

 ゼロ年代を生きる皆さんは、おそらくは「見える敵」と「見えない敵」の両方と戦っているとご推察申し上げます。
 お金とか、雇用や社会保障とか、人間関係や家族関係といった現実的な、目に見える悩み、お金や数字や人に換算できる悩みは、いわば「見える敵」との戦いです。
 ただ、同時にこんな不安をどこかで感じていないでしょうか。

・「何をやっても元気が出ない。自分がしたいことがない。本当の自分もわからない」
・「周りに本当の友達がいない。ネットを通じて大勢の人間関係はあるが、なぜか寂しい」
・「他人の目やメディア(ケイタイやネットなど各種メディア含む)に映った自分の姿が気になる。自分のことを秘かに格好悪いと感じていて、自信がない」
・「マスコミで取り上げられている新商品やブランド品やオシャレアイテムや流行りの音楽やトレンドスポットを、自分の身につけたり、通っていたりすると自分が輝くように感じる。でも、それが時代遅れになったり、身につけていない時、自分がどこか悲しい」
・「『自分もこうなりたい、ああなりたい』という理想の人物とか、憧れとか、夢みたいなものはある一方、『どうせ自分なんかには無理だ』と、自分にガッカリしてしまう」
・「ショッピングしたり、ボランティアをしたり、エコロジーしたり、ブログやったり、流行りのものをいろいろと敏感にやっているけれども、心の中にぽっかり穴が空いて、それを埋める術がないことへの不安を感じる」 等々

 これは、皆さんそれぞれが無意識のうちに行っている、「見えない敵と戦うこと」です。
 (上記にあげた例をすべて含み込んで、「見えない敵を感じているかい?」と呼びかけた、象徴的な言葉が「さむくないかい?」だと思います。根本さんは「『さむくないかい?』と問いかけられると、実は俺はさむいんだよ」と映像夜間中学講義でもらした上で、ボブ・デュランの有名な歌詞「How does feel it?」に、「さむくないかい?」という根本敬訳をほどこしました。)
 すべての因果者は、「見える敵」はもちろん、「見えない敵」に対して逃げずに、真正面からがっぷり四つに組み合い、悪戦苦闘しています。これはすべての因果者が日々行っている「日常活動」です。
 その勝敗は当人にはわかりません。戦っている最中は今、優勢か劣勢かどうかは、他人の目で暫定的に判断されるだけであり、当人にはわかりません。本当の勝敗は当人が死んだ後に初めて決まるものでしょう。その時は当人はこの世にはいませんから、結局は当人には自分が勝ったか負けたのかは永遠にわかりません。まさに勝敗無き戦いであり、そう考えるならば、当人や他人や高等生物から微生物他すべても含む、「みんな」が納得する、ご当人の辻褄合わせの方が、むしろ「勝敗基準」となるのかもしれません。
 でも、やるんだよ。
 「見える敵」にも、「見えない敵」にも、そうやって戦う因果者の姿に、私たちは感動するのでしょう。
 しかし、私たちは全員、本当は日々、「見えない敵」と戦っているのです。そう思えば、皆さんも全員、「俺だって因果者」です。根本まんがや根本本を読んでいる皆さん自身が、いつの間にか、根本まんがや根本本の登場人物のひとりなのです。
 「自分も因果者である」と納得した時、『因果鉄道の旅』に書かれていた因果法則が、そのまま、ゼロ年代の日常生活を生きる私たちの生き方の指針となることに気づかされます。
 我々一人一人は、他人の宇宙(世界)、あるいは家族や企業や社会や国家という大きな集団世界と関係や影響を受けつつも、基本的にはその当人を中心にした宇宙の中で、各々固有の宇宙法則や因果律にしたがって、人生を過ごして参ります。
 それぞれの人は固有の性質を持っています。その性質が時空に働きかけると、運命を呼び、運命がまた性質に次なる影響を与えるのですが、その循環活動を「ホシ」と呼びます。
 では、自分固有の性質は何か。その性質が時空に働きかけるとはどんなことなのか。そこで呼ばれる運命とは何か。運命が性質に影響を与えて、循環運動する「ホシ」とは何か。そのホシを中心にして、半径四次元メートルに膨張する、自分固有の宇宙とは何か。それ固有の宇宙法則や因果律は何か。それをふまえて、日常生活をどう生きるのか。
 これを卑近な例で言い換えれば、勝新という因果者の大先輩に導かれて、若輩者の因果者である自分も、「見える敵」と「見えない敵」との勝敗無き戦いにおいて、自分らしいマイウェイを歩むことかもしれません。我々は当たり前ですが、勝新本人にはなれません。これは絶対です。しかし、勝新に励まされて、自分の中の勝新的な部分を鍛えて、自分の人生を勝新らしく歩むことは、皆さんの可能性です。それはまったくのバラ色なものではなく、苦難や危険も伴うものです。でも、それ以上の感動や快感があることを、勝新本人が自らの人生をひとつの作品として提示することで、我々に教えてくれました。「勝新らしくなりたい」という憧れからスタートして、自分の人生が思わぬ方向へ転がり落ちる。そこで刻まれた轍(道の跡)が、自分らしさとか、こだわり、人生訓となっていく。
 根本さん自らが歩むことで経験した厖大なケーススタディや観測結果、ノウハウや知恵、体力や気力の整え方、世の中との「援助交際」必勝法などを入念に再編集した今回の三冊本は、「あなたも糸のないギターが弾ける!」というギター教則本であり、「10年1円人生貯蓄術」という財テク本であり、「俺だって因果者」というラジオ深夜便です。
 ドラックよりも気持ちよく、自殺よりもすっきりし、宗教よりも祝福感があり、マネーゲームよりも豊かになり、自分探しよりも本当の自分に会いやすく、エコロジーよりもナチュラルで、バーチャルよりもマジカルなリアリティにあふれる、そんな生き方を、皆さんにご紹介して、役に立ちたい。
 そうした勝敗無き戦いと、自分との辻褄合わせへの誘いが今回、根本さんが三冊本を同時出版した理由(ワケ)であり、ゼロ年代を生きる必然にある皆様方に是非とも、三冊本を読破していただきたいと心からご推薦する理由(ワケ)です。
(後編に続く)