123.「追悼 同志村崎百郎のあんまりな死は痛いにも程がある。が、とにかく「生きる」しかありません」(2010年7月24日)

 23日はとにかく暑かった。昼、曙橋の青林工藝舎へ着く。唐揚げ弁当を食べ、TheWhoのCDをセットし、作業を開始。しかしあと1枚と3分の2で百頁完了となりながら、99頁目がなかなか暑さに惚け進まない。
 ようやく99頁が終り、(時計を見るとあと10分程で18時だった、が、その時はまだ練馬で何がどうしてたかまだ知らない)「生きる2010」さぁ「百頁」へ、という時に手塚さんの作った「夕食」を食べて、それから、いよいよ今度こそ終りへ、という時携帯がなり、村崎さんの思いがけようなどどう転んでもない知らせを受けて、放心してると次々かかる電話を受けるうち時間が経ち、慌てて、終電に。
 「さぁ百頁目は‐落ちは決まっているが‐どう締めるか」とにかく思案中に入った最悪の知らせだった。
 ワザワザ、よりにより村崎さんが、悪趣味〜鬼畜ブーム以降それらが「人」としての前提を外れた、川西某の「悪いエロ」「正しいエロ」ではないが、とにかく今や「悪い悪趣味」「悪い《鬼畜》」ばかりになり、村崎さんもそこを危惧し俺もそこ危惧してましたから。そんなわけで、今度の「生きる」の裏テーマは
〈STOP!悪い鬼畜/悪い悪趣味〉
つまり《これが正しい悪趣味》或いは《鬼畜だ!》
 ―ですから、描いた内容は理にかない、このまま内容かえずにいきますが、24日土曜日、曙橋で再度向かう事となった、ラスト百頁のうち〈村崎さんの一件〉前とは、どこかにそういった〈その後〉ならではの、ニュアンスが籠るでしょう。が、どうあれ解る奴は解る、解らない奴は永遠に解らないものがある。そこで所謂でも、やるんだよ!なわけです。今回の「ズボン塚の由来」など、とりわけそうだ。いずれにせよ「悪趣味/鬼畜ブーム」に混ぜられた者達の多くが倒れ(色んな意味でね)、結局、気がつけばこの自分、一番悪趣味ブームとやらに巻き込まれながら、しかもコアな立ち位置にいながら、多分最も金銭的な恩恵を受けなかったと考えて然る俺ひとりが、残った。‥そんな気持ちだ。
 同志村崎百郎のあんまりな死は痛いにも程がある。が、とにかく「生きる」しかありません。
 引き続きよろしくおねがいします。(※余談ながら「よろしく」はなかなか時にかなりの曲者で油断ならん侮れん、ってな事が解らない自称「悪趣味」同「鬼畜」に解らないなりに見せてやらねばならない。
 「生きる2010」、一番読ませたかったマディ上原(同業・まんが家部門)に続き、やはり一番読ませたかった村崎さん(悪趣味ブーム仲間・ライター部門)の二人の重要な批評家であり読者をこの半年の制作期間中に二人も失ってしまった。誤解を招くもの言いだが「生きる2010」なかなかしんどい峠越えとなった‥ (根本敬)

注:本項の見だしタイトルは、根本さんご本人から特に指定はなく、ホームページ管理人が本文中より抜粋して、つけたものです。