2000年5月その4
ちょっと舌足らずでしたね 投稿者:とら  投稿日:05月16日(火)17時14分44秒

私が書いていたことは「言葉の遅れている子供」あるいは、
「基本的な言語スキルの身に付いていない子供」(例えば2〜4歳くらい)
という前提でしたが、ちょっと書きそびれていました。
(自閉入っている・いないと言う表現が良くなかったですね。)
こくっぱの母さんの言われている「ソーシャル・スキル」と言語取得は
確かに全く別物であると私も思います。
特にハカセ君のように言語取得に問題が無かったような典型的なアスぺ型の場合には、
そのように思います。それでも、自然に言語取得ができない子供から見れば
スタートラインと言う意味では Advantageをもらっていると思います。


追加 投稿者:とら  投稿日:05月16日(火)17時36分54秒

ちょっとしつこくてごめんなさい。
言語が習得できればソーシャルスキルが伸びると誤解されたようなら訂正させていただきます。
各段階に応じた言語が習得できないと「自然に吸収・成長するための機会」すらが
失われやすいという意味です。
私も言葉というものは体全体の発達に大きく関わりが有り、ソーシャルスキルなどとも
複雑に絡み合っていると思います。でも言語と言うのはしょせん人間が、あとから
作り出したものです。本能的・生理的なものとは異なるはずです。
すなわち、方法論によって取得可能なものであると思っています。


のあさんへ 投稿者:くるりくら  投稿日:05月16日(火)17時47分25秒

今日はへこまないように パンパンに空気(?)いや
呪文を吸い込んで学校に送ってきました。
月曜日は 現実に引き戻される日らしくて ぺっしゃんこにへこんでしまうようです。

のあさんのところも 男の先生なんですかあ。
男の先生って おおらかと言うかなんと言うか ちょっとしたいたずらも
(うるさ方からみればたいそうなことでも) 「発達してきている証拠じゃあないですか」
って片付けられてしまうんですよねえ。

ぐらのこと 先生にどう話したら良いのか 私悩みました。
でも はっきりと ぐらがどういうハンデを持っているか 話した方が
良いかなあと思って 家庭訪問の時に話してみたのですが・・・。
これが 話が弾まないこと 弾まないこと・・・。
今年の担任の様子を見てみると 話し合いになると待ちの姿勢って言うか
先生の方から質問がなかなか出てこないので 文章のほうが 入りやすいのかなあと
思って 私の気持ちとか考えとかを手紙にまとめて読んでもらうことにしました。
「自閉症」についてとか かなり率直に書いてみたのですが 今は 先生の
反応を待っているというところです。
細かいところについては その都度話をしていかなくてはならない感じです。
(でも 何も返ってこないようなきがするぞ〜 頭での理解はできても
行動がついていっていないきがする。)

と言う感じですが・・・。
のあさん できれば その た・く・ら・みってやつ
私にもおしえてくださいよ〜。
お知恵を拝借したい くるりくらでした。


言葉の話せる子とそうじゃない子 投稿者:るり  投稿日:05月16日(火)18時51分17秒

うちの息子は幼稚園でも、やっぱり言葉の遅れの差は歴然としています。
でも、家族といるときはもう少しお話しているようにも思えますが、それは、親だと彼の言って
いることが伝わり易く、通じるので、話を続け易いのでしょうね。

まわりに高機能自閉症のお子さんがいないのでわかりませんが、アスペルガ−タイプの子は、
暗記力だけで、言葉を習得するのでしょうか?あるいは、パターン化された会話とかで?

うちの息子も幼稚園に入れてから、少しまた、言葉が増えました。
「今日、○○した」の、「今日」って言葉を使ったときは、夫婦で小躍りしたものですが、
こんなこと、言葉の遅れを持つ子じゃなかったら、気にも留めなかったんだろうなぁ。

私は息子を見ると、昔、NHK教育テレビに出ていた、『のっぽさん』を思うのですよ。
身体デカいしね・・・

「言葉を使わないで答えられる検査は出来る」、息子について、そう発達検査で言われましたが、
彼の心模様は、いま、どんな風なのか、知りたいような知りたくないような・・・
「幼稚園はしんどいな」なんて、わかってしまったら、へこんじゃいますわ。
担任の先生にようやく愛着を示しだし、近頃ははりきっている様にも見えますが、さて。

(へこむて言葉、いい表現ですよね。気に入りました!)


最優先されるべき物は・・・ 投稿者:M@夢見る管理人  投稿日:05月16日(火)19時29分55秒

>ここは割とフリーオペランド法を好むお母さん方が多いようですが(Mさんも!?)

いやいや、
某M氏はフリーオペラントどころか、そもそも行動療法そのものの何たるかも
知らない輩です。
                 < あ、ばらしてしまった・・。

ただ 
"言語の発達の筋道" を考えた場合、
”象徴機能の育ち”が不可欠だという認識はあるので、
ABAの、
アイコンタクト・動作模倣・マッチング・口形模倣・エコー・命名・・
という一連の指導方法は、言語発達、指導の為のエキスを抽出した合理的な指
導法だなあという思いは持っているのですよ。

だから、
子どもの状態像に合わせて、必要な部分をつまみ食いさせてもらっているとい
うのが実態かな (^^ゞ。

勿論、
兎にも角にも
”音声言語の獲得が最優先”
という至上命令があれば、そんな悠長なことは言っておられないという認識も
持ってはいます。


で、
ここからが甘いと大いに批判も受けるMの夢物語の部分ですが・・。
私の心の奥底には、
「でも・・、音声言語の獲得って本当に最優先されるべき物なのかな。」
という思いがあるのです。

立場上、
聴覚障害、吃音、或いは器質性の改善困難な構音障害等の子に出会う場面もあ
るわけだけど、知的障害や自閉性障害の子も含めて、
「どうして一方的にその子だけが努力を強いられなくてはならないのか。」
って所にいきついてしまうんですよね。

音声言語が苦手なら、ジェスチャーでも、コミュニケーションカードでも、手
話でも、何でも駆使すれば良いのではないのか。
正しい言葉や発音で流暢にお話する事よりも、
象徴機能を育てながら、
その子の楽な方法で、まずは、要求や思いを相手に伝える、相手と通じ合う。
そちらの方からのアプローチの
方を最優先するべきではないのか。

音声言語に関して言えば、
辛い努力を強いるのではなく、
本人の必要性に端を発した自発的な形での楽しい努力のできる時期を待てない
かなと。
何と言っても音声言語は便利で豊かな表現力のある言語。
その魅力的な言語の獲得のためには、少々の困難は乗り越えられるでしょう?
コミュニケーションを取りたいという目的意識さえ育っていればね。

一つ気になるのは、
狼に育てられた少年の例で言われる言語獲得の臨界期仮説。
「全ての場合について臨界期を過ぎたら言語習得能力が消滅するわけではない」
という結論に到達しつつあるとも聞いたのだけど、そこの所だけはちょっと不
安材料ではあるのだけど。

音声言語獲得を道に例えるなら、
たとえそれが厳しい山道でも、そこが最短距離だという理由で選ぶ人はいるだ
ろうし、その意味においてはその人にとってそれが最良の道なのだと思う。

でも、生活者としての親すべてがその道を選ぶ(OR 選べる)訳ではないよね。

険しい山道をカロ○ーメイトやビタミン剤等の効率の良いものを口にしながら
歩き続ける人もいる。
でも、サンドイッチやおにぎりをぱくつきながら野原で寝ころんだり、お花を
摘んだり・・。誰かさんたちのように (;^_^A 前のめりに走って転けたり、
時には近道も覗いて見たり、ため息ついたり、呪文をとなえたり・・。
私なら、そんな道の方が結局は無理なく最後まで歩き続けられそうだなあ。
               
               < あ、水筒には、ワインも入れてっと!!
                       \(。。;)☆\(ーー;)


Advantage? 投稿者:M@夢見る管理人  投稿日:05月16日(火)19時48分37秒

>それでも、自然に言語取得ができない子供から見れば
>スタートラインと言う意味では Advantageをもらっていると思います。

 一概にそうとも言えないかも。
 なまじ、ことばも話せて普通に見えるから・・・辛い。
 いっそのこと言葉がしゃべればない方が良かったとまで書いていた人いましたよね、
 ここでも(*^^*)。 


予想はしていたけれど、、、 投稿者:satomi  投稿日:05月16日(火)20時41分30秒

行って来ました、県療育訓練センター小児科、、、始めに看護婦さんからいろいろ質問
があってそのあと先生の診察、、、
ふぅ〜とため息、まぁ予想はしていましたが、、、
優しいいい先生でした。質問にもはっきりと答えてくれて、、、でもね、わたしは半分
「どうせまたはっきりと言ってはくれないんだろう」とタカをくくっていました。「〇
歳まで待ちましょうとか言われるのかなぁ」とか、、、
だけどはっきりと「自閉症の条件に当てはまります」と言われました。
更に、一番気になっていた恐れていた質問「知能的な問題はどうですか?」という質問
にも「知能障害もあります」とはっきり、、、
予想はしていたけれど、だけど「そうだったらちゃんと受け入れるんだ」って思ってい
たけれど、、、先生には「だいたい予想はしていたし今後のことを教えてください」と
は言ったもののお話ししながら涙が出て来て困ってしまいました。

センターにも自閉症児向けの保育園とかがあるんですが遠いのでなかなかマメに通うこ
とができそうにありません。(月2回程度なら大丈夫だけどやっぱ近い方がいい)
そこで先生に近くにある週2回くらい行けるという保育園を紹介していただきました。
そこにはとてもいい言葉の先生もいるそうです。こどもは一歳九ヶ月と小さいのですが
かまわないとのことです。
懸命に訓練しようという気はありませんが、先生は「表現する方法が分からないのだ」
と言ってました。
そういった方法をこどもが見付けやすくなるならば、そういった機会を作ってやるのが
こどものためかなぁ、、、と、、、

だけど、今のわたしの課題はこどもに障害があることを心から受け入れること、、、の
ようです。
こどもが小さいもので実質的に困っていることってあまりなくて、まだ実感として分か
ってないんじゃないかしら?と思うんです、、、


ことばってやつは・・・。 投稿者:くるりくら  投稿日:05月16日(火)22時54分36秒

くるりくらです。

「ことば」ってやつはほんと難しいですよねえ。
人と人が理解したいのに ほんとの気持ちはなかなか伝わらない・・・。
確かに方法論として取得可能なものなのかもしれないけれど
それだけでは 何かが足りないのではないのかなあと思います。
「ことば」は教えれば覚えることはできるでしょう。
でも 大切なのは「ことば」の向こうにある 「こころ」ではないのかなあと
このごろ 切に思います。
「ことば」は教えることができるけれど ひとの「こころ」は教えて解るものでは
ないような気がするからです。
いくら 物の名前をたくさん知っていても 一方的に並べたてているだけでは
「ことば」は ただの文字の音声だけという気がします。
たった一言の言葉でも 何かを伝えようという気持ちがそこにあることで
生きた「ことば」になるように思います。
そこから 初めて気持ちがつながるように思います。
その「相手に自分の何かを伝えたい」「相手のことをわかりたい」と言う
気持ちを育てつつ言語を教えていかなくては 片手落ちになってしまうのでは
と思いました。
互いにわかりあいたいという ある意味人間の本能的なことがあって
そのために 「ことば」が生まれたという気がします。

だからといって 言語指導をまったく無視しているわけじゃあありません。
でも 子供の全体的な成長があってこそ 言語指導もいきてくるものと
考えています。 「ことば」の数を増やすことよりも 子供のそのときの
気持ちを汲んで適切なことばを示してあげることが大切かなあと思うのです。

こくっぱくんのお母さんが書かれているように 「たとえ言葉数が少なくても
相手の気持ちに沿った会話ができるほうが 生きていくには便利」 このことを
ぐらが学校に入ってから私も感じています。
(ぐらは それどころじゃないくらい言葉数が少ないですけどね・・・)


だじゃれ 投稿者:ゆきりん  投稿日:05月16日(火)23時29分59秒

先日参観があり、だじゃれを言う場面がありました。
もちろん、だじゃれなんて・・・って感じで観ていました。
まず、だじゃれって何かわからない、聞いても何故おもしろいのかわからない、
おもしろいものと、そうでないものの違いがわからない等
まあいいか〜 その後家でそれとなく参観の時友達が発表しいたのを参考に自分で考え
出しているようです。

みなさんの書き込みを読ませていただき「ことば」の奥深さってものを痛感させられました。


はじめまして 投稿者:DORI☆  投稿日:05月17日(水)01時24分50秒

リンクの件でその節はお世話になりました。
ありがとうございました。

こちらは初めての方ばかりです。
小学4年生でアスペルガー症候群と診断された長男が居ります。
よろしくお願いします。
今日はご挨拶まで。

http://www.geocities.co.jp/SweetHome/8087/


あ、Mさん見っけー 投稿者:ウルトラの母  投稿日:05月17日(水)01時31分25秒

>私の心の奥底には、
>「でも・・、音声言語の獲得って本当に最優先されるべき物なのかな。」
>という思いがあるのです。

聾学校に通っている立場から言わせてもらうと、「ない」と言いたいです。
表情で、ジェスチャー(手話や指文字)で、自分の気持ちを伝えてくる子たちの何と
愛らしい事か。
相手と通じ合う喜びを知っているからこそ、言葉の教え込みにも耐えて行けるのを見ていると
せめて母親くらいは我が子を丸ごと受け止めてあげたいと思うのです。
普通ならばもっと音声言語を獲得できているはずの聴力を持っているはずなのに、未だに
2才レベルの言語発達であるウルトラですが、言葉の増える勢いが増したのは、「他人と通じ
合えると便利だな、楽しいな」という気持ちになってからでした。

>一つ気になるのは、
>狼に育てられた少年の例で言われる言語獲得の臨界期仮説。
>「全ての場合について臨界期を過ぎたら言語習得能力が消滅するわけではない」
>という結論に到達しつつあるとも聞いたのだけど、そこの所だけはちょっと不
>安材料ではあるのだけど。

そう言えばこの話は聾学校の先生もおっしゃってました。
カマラとアマラの狼少女のお話。小学生の頃にそのお話を読んだ時には感じなかった事を
今、複雑な思いで感じています。
人に育てられないと人間には育たない・・・・。先生はそのような事をおっしゃって、
だからこそ今(幼児期)が大切なのだと。
それを考えるとその子に最適なアプローチは必要だと思います。ただ、それを母親が完璧に
やるのは難しいと思う。
家庭でやる場合は、やはり父親向きだと思うのです。何故そう思うかと言うと、多くの父親は
「育児」と「仕事」を同じレベルで比較できる人が多いじゃないですか。(悪い意味ではあり
ません、あしからず)
ということは、仕事と同様に冷静に打ち込めるんじゃないでしょうか。
でも母親って本能で育児をしてますからね。ちょっとお父さんとは感覚が違うような・・・。
子供自身にも、母親相手では甘えが入ってしまいますし。
だから、お父さんが積極的に参加されているご家庭は素晴らしいと思うし、参加して欲しいと
思います。(我が家?・・・聞かないで・・・)


言語能力の獲得について 投稿者:腐乱検死体  投稿日:05月17日(水)06時55分55秒

私は、本人の「言語獲得能力が標準程度以上ある」と見受けられる
場合は、積極的に言語の獲得に努めるべきだと考えます。

ウチの場合も言語に関しては他の子に比べて一年程度遅かったのですが、
認知が進んでいたので、積極的に言語の訓練をさせました。

その結果、日増しに言語が増えて行き、
躾も言葉でできるようになりました。
と同時に、かんしゃくも大幅に減り
(言葉で要求できるようになったため)、
他の子へ危害を加えることもなくなりました。

何より、他の園児や保育士さんとコミュニケーションが
とれるようになった事が、本人にとって良かったと考えます。

ただし、無理強いではなく、本人が楽しく感じる
アプローチが不可欠です。


母は強し! 投稿者:ふゆまやー  投稿日:05月17日(水)09時07分14秒

 
NHKのこども番組を中心に、新番組の企画、脚本、作詞、
キャラクターデザイン、CG、演出などマルチに展開されて
いる「星みつる」さんの言葉です。 

「どんなに優れた教育ソフトでも母親を超えることはできない!! 」
と断言されています。
(教材ソフトの方で紹介しているビデオの制作を担当されている方
です。
長年幼児教育に携わってきた方の実感だと思います。
母親の力ももっと信じてもいいと思います。

言語獲得の件ですが、私はその子自身の能力に応じた
アプローチが必要だと思います。
伸びる可能性を持っている子もそのままにしてくのは
残念な事だと思いますが・・・・。
私は療育機関を一年通園していましたが、ウチの子に応じた
アプローチがなかった結果、無駄に終わってしまいました。
私自身が積極的にアプローチしなければ、ここまで伸びなかった
と確信しております。




親も子も 投稿者:megumi  投稿日:05月17日(水)09時33分29秒

あの〜。前のめりで転んだのは、私です。(^_^;)

>本人の「言語獲得能力が標準程度以上ある」と見受けられる
かどうか、の見極めって、すごく難しいでしょう。

「ある」と思う方は易しいけれど、「ない」と思いきるのは難しい。

そういう意味でも、
>子どもの状態像に合わせて、必要な部分をつまみ食い
という柔軟性が一番なのだろうと思うようになりました。

子どもだけの問題ではなく、「親や指導者のタイプ」だって様々です。
にぎやかにエネルギーを発しながら子どもを巻き込んでいくタイプ。
静かに優しく子どもを取り巻く状況全体をしっかり把握してから、自分の動きを考えるタイプ。
客観的、理性的に、着実に前進していきたいタイプ。

親や指導者も人間だから、感情的になったり疲れたりもします。

だから、私は、子どもだけでなく親や指導者も、あるスタイルに縛られて
「〜ねばならない」とは、思わないのです。

ただ、自分自身、
現実の「子どもの状態」「自分の状態」「子どもと自分との関係」「子どもを取り巻く状況」
などを、観察する目をとぎすますことは必要だと思っています。
全てはそこから始まるのだから。

日常生活は大方、音声言語によるコミュニケーションでまわっているから
音声言語をコミュニケーションに使える方が便利なことは確かです。

けれども
>コミュニケーションを取りたいという目的意識
が、「言葉を喋る」と言うことに執着するあまり逆に損なわれてしまう場合もある
と言うことは肝に銘じています。

ちょっとしたトラブルに逆上して、少年の言語表現能力を越える説明を要求し
「……もう、僕、喋りたくない……(さめざめと泣く)」と言わせてしまった
あほな母は大反省しているのです。。。。。(x_x)


火種を捲いた? 投稿者:とら  投稿日:05月17日(水)11時33分39秒

ちょっと掲示板を騒がせてしまいましたかね? 
意見を皆さんに押し付けるつもりも無いですし、お子さんの様子や親の都合も
千差万別ということもわかります。
言葉を最優先とは全く考えませんが、例えばテストで解けない問題が有った時に
そこにスタックせずに他の問題を解いたりすることだってありますよね。
話したいと言う気持ちを起こさせるのは一番大切だと感じています。
でも、逆にそれの喚起に固執していると一生かかっても駄目かもしれません。
健常者だって自分からは話し出さない人はいくらでもいますから。
つまりは、性格も関わってくると思うのです。それは容易には変えられないでしょう。

>「ある」と思う方は易しいけれど、「ない」と思いきるのは難しい。
だから「ある」可能性がちょっとでもある場合にはアプローチしても良いのでは?

療育先進国のUSは州によって系統立った言語訓練や療育指導をかなりの額を補助で
行なっており、実績も上げているという現実を認識してもいいのではないでしょうか。
それをあえて親である私達が必要ないと言ってしまうのはどうかと思います。

>>それでも、自然に言語取得ができない子供から見れば
>>スタートラインと言う意味では Advantageをもらっていると思います。
>一概にそうとも言えないかも。 なまじ、ことばも話せて普通に見えるから・・・辛い。
>いっそのこと言葉がしゃべればない方が良かったとまで書いていた人いましたよね、
>ここでも(*^^*)。 
あえて「スタートラインと言う意味では」と但し書きを付けたつもりですが、
それでも本当に「いっそしゃべれない方がいいのでしょうか?」
私は100人いて2,3人くらいは「しゃべれない方がいい」と言う人がいるかもしれない
と言う話をしているわけでは有りません。そしてその2,3人の人だって
「本当にしゃべれない自分」を経験したことが有るのでしょうか?
人は自分の持っている能力を当然のように思い、そのありがたみを感じません。
でもその能力をそがれてしまったら、そがれた人しかその不便さは分からないのでは ?
その人から言葉を取り去ったら、それだけで普通に見られなくなり
本当に「辛い」思いをしなくなるのでしょうか? 
別のもっともっと辛い事が降りかかってくるのではないでしょうか?

例えば自閉症などの障害などの場合は、「言葉をしゃべれなくなる障害」ではないと
理解しています。認知や理解、コミュニケーションに障害は有っても、
言語取得の潜在能力が全く無いのではないと思います。
ただし、普通の人のように自然に身に付くのではないわけですから、それをアシスト
してあげると言うことが必要になってくるのではないでしょうか?
脚の悪い人には手を貸してあげますよね。
どうして言語取得のきっかっけが掴めない子供に手を差し伸べなくて良いと言う
理論があるのでしょうか?


とらさんへ 投稿者:朝倉玲  投稿日:05月17日(水)13時25分54秒

とらさんのおっしゃりたいこと、よく分かります。
ただ待っていても話し出さない子どもには、積極的なアプローチが必要なはずだ、という意見になりますよね。
(え? あまりにも簡潔にまとめすぎましたか・・・? (・_・A )

私も、この意見には同感です。
同じ言葉の話せない子どもでも、その子によって、状態はいろいろだから、
全部ひっくるめて、ただ「自然な発達による発語を待ちましょう」では
生涯話し出せない子どももいるだろう、と思いますから。

だから、試しに積極的アプローチをしてみるのは、良いことじゃないかな、とも思います。
その反応を見ながら、その後のことを考えればよいだろう、と思うのです。
ただ、無理強いにはならないように、本人の話したい気持ちを伸ばすことも忘れずに、
出来るだけ楽しい雰囲気で・・・・・・
と条件が付いてくるようですけどね。(笑)
けっこう難しいかも・・・??? (^_^;)

思うのですが、
これを、「言葉」ではなく「あいさつ」に置き換えてみると、理解しやすいんじゃないかなぁ。
親は、子どもが小さいうちから「あいさつ」することを教え込みますよね。
朝起きたら「おはよう」、食事をするときには「いただきます」食べ終わったら「ごちそうさま」
道で誰かにあったら「こんにちは」、別れるときには「さようなら」
誰かに親切にしてもらったら「ありがとう」、間違ったことをしてしまったら「ごめんなさい」・・・

それらの「あいさつ」に自然な心など伴うはずもない年齢のうちから、
親は繰り返し繰り返し教え込み続けます。
「朝起きたら、おはようって言うんだよ。何かもらったら、ありがとう、って言おうね・・・」
子どもは、もう、状況による条件反射みたいな感じで
あいさつを言い始めます。
「おはよう」「こんにちは」「ありがとう」・・・
そう言っているうちに、あいさつが相手とのコミュニケーションをスムーズにして、
人間関係を広くしていくことに気がついて、
嬉しい想いをしたり、ほっと安心したり、という体験をして、
そうなってようやく、心の伴った「あいさつ」ができるようになります。
これと同じような効果を期待して、「言葉」も教えていこう、という考え方なのだと
私は捉えているのですが・・・
             ・・・違ってますか?とらさん。(^_^;)

あいさつも言葉も、所詮はコミュニケーションのための道具です。
いくら待っても、自分から話し出そうとしない子には、
まず道具の使い方を教えてあげて、
それを使っているうちに、コミュニケーションがなんたるかを知ってもらおう、という方法だって、
ありだと思うのです。

ただ、
>その人から言葉を取り去ったら、それだけで普通に見られなくなり
>本当に「辛い」思いをしなくなるのでしょうか? 
>別のもっともっと辛い事が降りかかってくるのではないでしょうか?         

正論ではある、と思いますが、
本当に、なまじ言葉に不自由しないがために苦しい想いをしている人には、
ちょっと酷な言い方じゃないかな、とも思いました。
例えば、生まれつき歩き方が不自由で、そのことを他人からからかわれたり、笑われたりして
辛い思いをしている人に、
「それでも、事故で両足無くして歩けない人よりは、歩けるだけ幸せなんだよ」とは
私は言いたくないです。
そう思ったって、当人の心の辛さは減らないはずだから。
その人の辛さは、本当にその人自身になってみなくては、分からないと思います・・・。

もちろん、能力的には、話せないよりは話せるほうが良いだろう、と思うので
とらさんが本当に言いたかったことは、分かっているつもりですけどね・・・。(^^)

http://village.infoweb.ne.jp/~asakura/


けいママ改め 投稿者:とん平まま  投稿日:05月17日(水)13時39分28秒

うちの息子は、吉本興業系の顔とキャラですが、ある日
「個性派俳優の道もあるよね?」とだんなに問うたら
「左とん平か?」と言われました。いやぁ、似てるの(^0^)
だから、とん平ままに改名しました。

 皆さんのお話を聞いて「ことば」って難しいな・・って痛感。
今、5月末の1歳半検診にそなえて、とん平に絵本指さしをしこんでます。
でも、成果なし。
平面から対象をきりとってないみたいです。
だから、「わんわんよ」とかもママの声がする・・とだけなんでしょう。
まぁ、立体でも成果はないけど。

朝倉さんのおっしゃっていた

>それらの「あいさつ」に自然な心など伴うはずもない年齢のうちから、
>親は繰り返し繰り返し教え込み続けます。

私も同意見で、実践しています。
条件反射から、意味を理解するというのは、先のことでしょうけどね。

例えば「お風呂はいる?」とか
お風呂のドアあけて、ママが服脱いで「お風呂はいろ?」だと
理解してる〜??って感じですが、(けけけ笑いでよってくるので)
状況や視覚との総合情報でないと、まだまだの様です。
といっても、お風呂の件だけですけど。

私は、専門的なことは不勉強でなにもわからないのですけど。
「ことば」がモノと結びつくってすごいことですよねぇ。
姫川亜弓もヘレンケラーで感電してたし(すいません・・マニアックで)


療育と指導 投稿者:とら  投稿日:05月17日(水)14時26分31秒

玲さんには感謝しないといけないですね(毎度かも)。
うっとうしく理屈っぽく押し付けがましい親父の意見をこうも端的に
受け入れやすく翻訳していただけて...

話せることが Advantage」とか「 言葉を取り去ったら辛くない」云々の件は
本当は、あまり本意ではないんです。最初の話題を書き込む際に躊躇したんですが。
悩みを持つ人に第三者がこういった表現をすることほど無意味なことはないですよね。
だから私もそういった相談を受けた人に対して言ったわけでは無いというのは、
おわかりかと思います。ただ逆に、もし何らかの辛い事が有って「言葉なんて話せなければ
よかった」と思う人がいたらそれは、その人自身が自分で「そう考えることは、話せない人の
気持ちを理解していないのに適切ではなかった」と気付いて欲しいと思います。
持っている能力を否定する所には何も生まれません。自分の持っている能力を伸ばしたり
潜在能力を高めて、その辛い事を乗り切るのが良いと思うからです。
あまりに正論過ぎて嫌う人もいるでしょうね。
でも、皆さんも普段の生活や子育ては無意識にそういった肯定的な姿勢で向っていますよね。 

そして、にゃんこママさんやウルトラの母さんがおっしゃられるように
父親の方がより向いているかもという事はあるかもしれません。
母親という存在が子供にとってどんなに安心できる場所
であるかは自分も「母さんっ子」であったので理解しています。
父親は単に腹を痛めていないと言う事実だけでなく一緒に24H生活していないからこそ
客観的に見れるのかもしれません。
あるいは、仕事などをしているとどうしても合理的なものの考え方をする習慣が付くので
さめた見方をするのかもしれません。
ただ不思議なもので大抵、父親か母親かどちらかだったりしますが、熱心派は。
以前にも書き込みましたが、うちの場合は家内が「子育てが最優先され、
どちらかというと療育をないがしろにする」という傾向が有るので
ここで、皆さんにあたっちゃっているのかも知れませんね...失礼。
私がせっせと作った絵カードや買ってきた絵カードなども積んであるだけのものが
有りますし、行動療法のセミナーなども二人で参加できるのに、「自分はいいから
行ってくれば」というモードだし、指導を頂く機会が有っても「ちょっと風邪気味だから」
といって平気でキャンセルしようとするし。
どなたかが言っていた「療育のパートナーくみましょう」なんていうのも冗談ではなく、
夫婦でなるべくベクトルの方向は同じ方が良いと感じています。

愚痴になってしまってすみません。私の不機嫌の要因かもしれませんね。
もうひとつあるのが、例えば今2歳なら3歳になれば幼稚園が始まりますし
今5歳なら6歳には小学校に上がるでしょう。環境が変わると親も子も
その環境に慣れるだけで一仕事です。子供が幼稚園にあがって思うのは、家内も
お弁当の支度をしたり、幼稚園の連絡係や父兄会に参加したり時間が取られがちです。
思わぬ風邪をもらってきたりして体調を壊すことも多くなります。
小学校に上がれば日々の勉強だけで子供は手いっぱいで、とても療育を十分にする時間・
余裕はないと思います。いたずらに先送りにすることはさけるべきだとおもいます。
USで、早期療育で幼稚園までに療育をある程度終わらせるという所以も
そんな所にも有るように思います。


最近の・・・ 投稿者:ぴっぴ  投稿日:05月17日(水)15時40分32秒

すごい議論の展開には、とても勉強になりました。
全体的にやっぱり私はとらさんと結構似てる!
(夫婦のベクトルが合わなくて不機嫌になるってとこも・・・ネ!)

ただ、私はとてもとても不勉強で、専門用語は未だにほっとんど知りません。
そして、子供のことが訳が分からなくて一番苦しいときにネットも知らなかったので、
独自のやり方で言葉を教えてしまいました。
自分から話したいという気持ち・・・・のあたりはすっかり無視して。
で、教え込むほどに覚えるもので、そうか、今まで私がしつこく教えなかったから
この子は自然には覚えなかったのだと思い、この子は教えなければ覚えられない子なのだ、
という感を強くしました。
言葉を獲得してきたら、周りとの関わりが出来ることに本人が気が付いてきて、
それによって楽しさが出てきて、周りからいろんなことを吸収し始めている
という発達過程をたどってきているところです。
一番始めのきっかけがないままにただ待っていただけでここまできたか・・・
はわかりません。
とらさんの言われるように「元々障害は軽かった」「たまたま伸びる時だった」
「もともとの本人の力であっておかあさんのがんばりのせいではない」
などはしっかり専門家にも言われましたし。
ただね、事実を体験してきた私としては、そうは思えないんですよね。
私の場合、方法は間違っていて逆だったかもしれないけれど、
早い時期にある程度のコミュニケーション手段を獲得して人と関わることが出来るようになる
ことは、周りからの刺激を吸収して発達に加速をつけるという意味でとても大切な気がします。

だけど・・・
おかあさんはやっぱり療育者であってはいけないのかもしれません。
この掲示板に出会って自分は間違っていたのではないかと思い、
2,3歩引いてみたら、なんだか子供がどんどん私にべたべたになってきて・・・・
取りこぼしていた一番大切な部分を思わず体験できています。
言葉をしゃべる云々以上に、それで私の願いはひとまずかなったかな
とも思うのですよ。

これから、安らぎの場である母親としての立場と、療育するものとしての立場を
どう両立させていくかを考えていこうと思っているところです。


私はママよ 投稿者:にゃんこママ  投稿日:05月17日(水)16時47分46秒

ぴっぴさんの
>安らぎの場である母親としての立場と、療育するものとしての立場を
>どう両立させていくかを考えていこうと思っているところです。
よーく、わかります。
私も、そこんとこ悩んでるんです。
本当は私は、療育は父親に積極的にやってほしいんですけどね。
前にも言った通り、私のささやかな療育さえ邪魔する(しかも邪魔して
いることに気付いてもいない)という人なんで・・・。
特殊学級の担任の先生も、とっても優しい人で、息子は調子に乗って
ふざけているようだし・・・でも、私があんまり「療育者」になって
しまうと、子供の1番の心のよりどころである「ママ」じゃなくなって
しまうのではないか・・・と。


お父さん 投稿者:るり  投稿日:05月17日(水)17時10分53秒

ずいぶん前からですが、お風呂に入って入るときに10数えてから出る事にしているのですが、
わたしは4を「シ」と、7を「シチ」と数えていたのに、あるとき息子は「ヨン」と「ナナ」と、
数えていました。
夫だな、と思いました。どちらが良いというわけでもないのだけど、どうも、夫が教えた方が、
息子は学習しやすいとは感じていました。

夫が特に、根気強いというわけでもありません。自分は勉強が好きだったけど、人に教えるのは
難しいから向いていないと言っていたし。

たまにしか、お風呂に入らない人との方が、数も澱みなく発音して見せているのを聞いていて、
「なぜだろう?」と不思議に思っていた私でした。


皆さんの意見 投稿者:とら  投稿日:05月17日(水)17時53分28秒

皆さんの意見と自分の考えを振り返ってある程度の結論が導き出せたようです。
誰が療育や言語指導の中心になれば良いか...

答えは「父親」ではなくて「行政(公的機関)」なのです。(Mさんも入る?)
そして何度も書いているようにそれが療育先進国のアメリカの姿で、
多くの成功例を導き出しています。公的機関が直接行なわなくても、セラピストに
かかった費用の半分ほどを補助してくれるような制度も有るわけです。

両親は療育のストレスを吸収してあげるようにたっぷり愛情を注げば良いわけです。
母親だけでなく、父親だって愛情を注いであげたいです。
早くそうなって欲しいものです。

でもそれまでは、父親の努めかもしれません。そしてお母さんはやはり安らぎの
場所であって欲しいですね。

P.S.そうそう、ぴっぴさんでしたね、私の理想のパートナー...(笑)


公的機関! 投稿者:ふゆまやー  投稿日:05月17日(水)21時01分17秒

そうなんですよ。私も家庭療育を考えたきっかけは、実際
公的の療育機関に期待を膨らませて一年通園した結果だった
のです。
公的機関がしっかりしてれば、なんもたくさんの教材買ったり
難しい本を読んで勉強しなくても、と思うのですが・・・。
でも、今の現状ではあてにしていたら時間の無駄使いにしか
思えない。(あくまでウチの地域の療育機関ですが。)

父親の療育参加ですが、我が家では主人が忙しくあてになりません。
父親が積極的にしている所の話を聞くと、羨ましいですが・・・。
でも休日は主人は積極的にアスレチック公園に連れて行って体を
鍛えてくれます。
おかげで、保育園では他の子より運動神経がいいと言われております。
音楽教室でも(保育園の)リズム感が良くて体の動きもいいと言われました。

我が家は出来る範囲で分担制という感じです。


ほんとに言葉は難しいです。 投稿者:こくっぱの母  投稿日:05月17日(水)23時16分39秒

とらさん、ふゆやまーさん。うちは教材では本当の言葉は理解できないんですよ。
そういうヤツもいるのだと言うことを知って欲しくて。
自閉症もいろいろなので、内の場合に限ってかもしれませんが。

ハカセとこくっぱふたりとも「教え込む事」はそう難しくないです。
特にハカセの場合、暗記力はすごいので、丸呑みにして覚えます。
たぶん、カードで単語を教えれば抜群に言葉も覚えます。聴覚より視覚優位
の人なので、それはすごいです。
問題は「応用が利かない」ところにあります。
カードや絵本で単語を覚えても、実物とは結びつかないんです・・・。
たとえば、カードや絵本で「ライオン」を教えても、動物園で本物を見た時
「ライオン」とは認めないんですよ。「ライオンよ」と教えても「これもラ
イオンと言うのか。ライオンにはいろいろあるなあ」といったところでしょ
うか・・・。

結局、できるだけ多くの実物を見せ、体験させることで、やっと人並みに
単語の意味がわかるんですよ。

7才になったハカセは、7年間の自分の体験をひとつずつ拾い出しては確認
しているのではないかと思います。
保育所から小学校に入学した時、「保育所でできていたことが小学校でできる
とは限らない」と言うことを感じました。結局、新しい環境に置かれると、い
ちからやり直しです。形だけ教え込むと応用が利かないので、環境が変わると
どうしていいか、わからなくなるわけです。
きちんとプログラムがあって、そのとおりに進めるところが一生あれば、混乱
しないんでしょうが。

現在の課題・・・たぶん一生の課題は、抽象的に物事を考える力、あるいはそ
れに替わる力をどうつけていくかでしょうねえ。


ついでに、話せる幸せ? 投稿者:こくっぱの母  投稿日:05月17日(水)23時20分23秒

ハカセはべらべらに話せます。
私もなかなか話せないこくっぱがいるので、話せる幸せは実感してます。
でも、その場にそぐわない会話をする事が多すぎて「口は災いの元」を
ハカセはそのとおりに実行していると言うか・・・。
母としては、複雑なんです。


こくっぱの母さん 投稿者:るり  投稿日:05月17日(水)23時25分22秒

下の書き込み。

わかりやすかった・・・です。


さっき 投稿者:M@怒る管理人  投稿日:05月17日(水)23時39分03秒

ちびくまママさんのHPの掲示板を見てきて、無茶苦茶、怒っているMです。
ひどい話です。

ちびくまママさんのことだから、そうゆう最悪のケースも予想して、多分、
万全の資料を持って日本に帰ってきただろうに、それが全然活かされていない
らしいのです。

アメリカで、あれほど厚い療育を受けていた子が、日本に帰ったら全くのゼロ
なんて、それ、日本の療育の恥だとまで思ってしまう。

○○県の療育、保育関係者様。何か良い情報、知恵はないですか??

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/5079/geobook.html


訂正 投稿者:M@間違いだらけの管理人  投稿日:05月18日(木)00時11分04秒

昨日
>なまじ、ことばも話せて普通に見えるから・・・辛い。
>いっそのこと言葉がしゃべればない方が良かったとまで書いていた人いましたよね。

なんて書きましたが、正確には
>音声となると、考えるより先に、口が「言いやすい音」を言ってしまうみたいです。
>今までもこうやって、意に添わないことも、しないといけない状況に追い込まれてきました。
>発音してしまったものは、自動的に、しないといけない気になるからです。
>自分の意志が伝えられなくても、音声で話せるだけ、ぜいたくなのかもしれません。
>でも、私はときどき、しゃべれなくなりたくなってしまうことがあります。
>しゃべれなかったら、筆談をすることが、許されるような気がするのです

でした。ちょっとニュアンスが違っていましたね。

で、とらさんの書き込まれたそのままの理由で、苦悩されて、その後すぐに
「発言を、削除して」
と、書き込まれていましたね。ご本人には申し訳ないけど、私には、重くて
削除できなかったあの発言の事です。
曖昧な書き方でわかりにくかったですね、ごめんなさい。


るりさんへ、参考までに 投稿者:腐乱検死体  投稿日:05月18日(木)01時11分16秒

>ずいぶん前からですが、お風呂に入って入るときに10数えてから出る事に
>しているのですが、わたしは4を「シ」と、7を「シチ」と数えていたのに、
>あるとき息子は「ヨン」と「ナナ」と、数えていました。

(株)スターシップのビデオ教材「かずいちばん」では、
数を数えるときは「シ」と「シチ」、
何番目と数えるときは「ヨン」と「ナナ」と教えています。


koreha 投稿者:腐乱検死体  投稿日:05月18日(木)01時12分57秒

>たとえば、カードや絵本で「ライオン」を教えても、
>動物園で本物を見た時「ライオン」とは認めないんですよ。
>「ライオンよ」と教えても「これもライオンと言うのか。
>ライオンにはいろいろあるなあ」
>といったところでしょうか・・・。


途中で送信してしまいました 投稿者:腐乱検死体  投稿日:05月18日(木)01時24分46秒

>たとえば、カードや絵本で「ライオン」を教えても、
>動物園で本物を見た時「ライオン」とは認めないんですよ。
>「ライオンよ」と教えても「これもライオンと言うのか。
>ライオンにはいろいろあるなあ」
>といったところでしょうか・・・。

ウチの場合は、動物園が近くにあるので、実物を見せることと
図鑑を見せることを、カードより先にしました。
1〜2歳の頃ですので、理解できたとは思えませんが、
抽象化した絵はすんなり認識できました。

で、ハカセくんの場合ですが、ライオンは動物園にいる方が本物で、
カードに書いてあるものはそれを絵に書いたものと理解させて下さい。
知能は高いと思われるので、それくらいは理解できると思います。


失礼な! 投稿者:腐乱検死体  投稿日:05月18日(木)01時28分45秒

>父親の療育参加ですが、我が家では主人が忙しくあてになりません。
>父親が積極的にしている所の話を聞くと、羨ましいですが・・・。
>でも休日は主人は積極的にアスレチック公園に連れて行って体を鍛えてくれます。

休日は積極的に言葉かけもしてます。
息子と二人で出かけた時は特にそうしてます。


人を育てるって難しい!! 投稿者:なかぶんママ  投稿日:05月18日(木)01時53分18秒

先日からの皆さんの書き込みを読ませて頂いて、言葉を育てること
人を育てることの難しさをつくづく感じています
言葉は人と人の心をつなぐものだけれども、また言葉だけでは心は通じない
うちには長男7歳、長女5歳が(健常児)いますが、そりゃ口も頭もよくまわって
しゃべりまくってますが、ほんの片言しか話さない二女との方が
心が通うってことあります というのも「ママ、・・・」ってほんの一つか二つの単語で
一生懸命話す娘と、その子の顔を見て、耳を傾け何を話そうとしているのか
一生懸命聞いてやる それだけでたくさんの言葉を話さなくても十分に伝わります
よくしゃべるお兄ちゃんたちとの方が、背中を向けたまま顔も見ずに
「ふーん」なんてこともあって これは反省しなきゃと思ってます
ドラ君のおじぎが上手っていうの良くわかります
うちの子も知らない人から話しかけられたら、ニィーって笑ってのりきっています
すると「まあ笑ってくれるの、かわいいわねえ・・・」なんて言ってもらったりして・・・
先日「全身で話してもいい」って言う書き込みありましたよね
本当にそうだと思います 言葉は人と人の心をつなげるものだから、人それぞれ
その人なりの最善のコミュニケーションをとればいいと思うのです
それを前提として
二女の場合 「自然の状態で待つ」というのでは
言語の習得は難しいと思います
それでもこれから生活をしていく上で、はずすことのできないものだと考えていますので
できるだけ楽な方法で習得できるように、アプローチしてやりたいと思っています
もちろん言葉を習得する喜び、心が通じる喜びを感じさせてやりながら・・・
先日から「夫婦間のベクトルの方向は同じ方が良い、主人が療育に協力的でない」という
話題がありましたが 二人そろってというのは難しいかもしれませんね
うちは私の方がすぐに感情的になったり、計画性、継続性がなかったりで
母親失格の方ですが 主人の方は私が落ち込んだり、カッとなっているときなど
なだめたり、あったかく見守ってくれたりほんわかさせてくれます
(こんなところでノロケテどうするねん!!って スミマセン (^o^))
そんなわけで我が家は恥ずかしながら ママ=心のよりどころって感じではありませんが
それでもどちらかが力いっぱい走らせてやったら、もう一方がゆっくり休ませてやる
そんな感じになれれば良いなと思っています
二人共が療育熱心で子どもが息つく暇もないというのでも困りますしね
ただお互い方向だけは同じ方向を向いていないと、子どもがあっちこっちしますから
そこのところだけ注意して・・・
最後に大変遅くなりましたが とらさんレス有難うございました
楽しみながらいろんなアプローチしていきたいなと思っています
又いろいろ教えてください


本物のライオンと絵のライオン 投稿者:朝倉玲  投稿日:05月18日(木)09時56分30秒

自閉症というのは、認知や情報処理の段階に障害があるために、
普通ならば自然に認知できるものが、認知できなかったり、誤認したりすることですよね。
しかも、どの認知のどの部分にトラブルを抱えているかは、その子どもによって違うわけで、
ある人はこの方法でうまく行ったけれど、
別に人には、その方法はまるで効果が無く、
また別の人には、かえって弊害が出てしまった、なんてことも起こるわけです。

動物園やサバンナにいるあのライオンと、絵に描いたライオンが同じものと「認知できない」ハカセ君に、
>ライオンは動物園にいる方が本物で、
>カードに書いてあるものはそれを絵に書いたものと理解させて下さい。
>知能は高いと思われるので、それくらいは理解できると思います。
と断定するのは、
ちょっと無茶なんじゃないかな、と感じてしまいます。

私たちじゃ絵カードのライオンを見て、本物のライオンを連想することができるけれど、
冷静に・・・本当に、事実のみを見て客観的に判断したら、
絵カードのライオンが本物のはずなんて無いんですよね。
あれは、ただの紙。そこに、色のインクなどで線を描いたり、彩色したりしただけのもの。
それが本物のように吠えるわけでなし、肉を食べたり、獲物を追いかけたりするわけでなし、
ふさふさのたてがみが生えているのをさわれるわけでもなし・・・
それを「本物と同じもの」と認識するためには、かなり高度な情報処理が脳の中で行われているんですよね。
でも、自閉症の子どもたちには、その処理が難しくて、うまく行かないわけです。
知能が高いからできる、とか、低いから出来ない、などという、単純な問題ではないと思います。

http://village.infoweb.ne.jp/~asakura/


でたな!!掲示板名物 投稿者:ひいろ  投稿日:05月18日(木)09時59分37秒

怒濤の書き込み・・・ぜいぜいぜい・・・

>だから、私は、子どもだけでなく親や指導者も、
>あるスタイルに縛られて「〜ねばならない」とは、思わないのです。
>ただ、自分自身、現実の「子どもの状態」「自分の状態」「子どもと自分との関係」
>「子どもを取り巻く状況」などを、観察する目をとぎすますことは必要だと思っています。
>全てはそこから始まるのだから。

megumiさんの書き込み、いつもながら名文だわ〜。
そうですよね。観察が基本だと私も思います。
でも、とらさんのいうような直接的アプローチも必要な事も事実です。

実は、我が家でも最近ABAのアプローチもはじめています。
ABAは、IEPを作成するところから全てが始まると認識しているのですが・・
そして、IEPは親の教育方針をふまえて、親と療育者が
話し合って作成するものだと思っています。(間違っていたら、誰か訂正してください
日本の場合はだいぶ違うニュアンスの場合もあるらしいので・・)
どんな子供に育てたいかということは、ひとりひとりが違うし、子供自身も違う・・
ひとつとして、同じIEPは存在しないはずですよね。
その点から言えば、全員の意見が全て正しいんだと思います。

ドラの場合は、以前も書き込みをしたと思いますが、
3才の時、1回しゃべりだした事があります。
そして、現在は遅延エコラリアと喃語に戻っています。
私が、ABAをやってみようと思ったのは、ドラは話す力はあるのだろうということ。
また小さい時と違い、自分がうまくコミュニケーションをとれないのがわかっているようで、
それに傷ついているということ。(例えば、おしっこを失敗すると悲しげに泣いたり、
自分の主張がうまく伝わらないと怒るなどです)
そして、何かが足りなくて(弱くて)、発語がでないのだろうということ。
その何かを探るために、ABAを勉強しようと思ったんです。
決して言葉だけを獲得させるためではないです。
うちでは現在、ABAの手法はドラの対人関係を良くするために使っています。
事実、最近私に対する後追いがひどくなったり、要求や主張がわかりやすくなっているようです。
今はそれで十分だと思ってます。

とらさん、うちのドラは「かして」という言葉自体は言えるんですよ。
もちろん遅延エコラリアですが・・そして言葉の意味もわかっているようです。
でも、もちろんお友達の中になんぞ、入れません。言葉だけでは解決できない事もあるんです。
たまごが先かニワトリが先か・・・人によって違うのかも・・・

まあ、本当の問題はやっぱりMさんクラスの先生が数少ないって事でしょうねぇ。
やっぱりそこに落ち着いちゃいますよね。
私が地域の療育センターに「IEPの作成に協力してほしい」といったら「現在勉強中」ですと!
でも、知っているだけましかなって思ってたりして・・・

今度、ドラが通うことになるかもしれない養護学校の見学日があるようです。
ちょっとIEPの知識がどれくらいあるのか、探り入れてこようと思ってます。
東京は全国でもIEPについては一番進んでいるそうです。(ほんとかよ?)
今からプレッシャーかけちゃおっかな?

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