2000年8月その1
るりさんへ 投稿者:まりん  投稿日: 8月 1日(火)00時00分10秒

銀英伝のコミックスは徳間書店からでてます。
Chara(キャラ)コミックスですよー(^0^)


まりんさんへ 投稿者:るり  投稿日: 8月 1日(火)00時17分38秒

ありがとうございます♪

貸し本屋さんでとりあえず探してみます。(きっと沢山出ているんでしょうねぇ)

私はこれから、今日借りてきた手塚治虫さんの『陽だまりの樹』をちょこっと読んでから寝ます。

では


ピーッて鳴る椅子 投稿者:ケロ  投稿日: 8月 1日(火)02時53分47秒

>イスが「ピッ」となったとたん、イスに座ったまま、石になってました。(硬直状態)

うちの長男がそうでした。
硬直というより、ピーッて鳴った途端立ち上がって泣きだし、2度と近寄りませんでした。
セロテープはりました、やっぱり。
サンダルの方は、音の鳴る部分を引っこ抜きました。

そんな彼も音の鳴る原理を知ってからは、怖がらなくなりました。
『思いも寄らぬ事』が恐怖だったんですね、きっと。

http://www.alpha-net.ne.jp/users2/mcss5884


落ち込んでます。 投稿者:まりりん  投稿日: 8月 1日(火)13時57分55秒

久しぶりにここに来ました。なんか漫画のことで盛り上がっているみたいですね。
実は私はアニメが大好きで、「銀河英雄列伝」の藤川さんにはヤマトの脚本の頃から、尊敬いたしております。声優さんも富山敬さんなどヤマトのメンバーがいっぱい出演されてますよね。
(ああ、もっと話したいけどおたく度がバレるのでやめときます)

実は小1の息子のことで落ち込んでます。
LDの彼は、ご多分に漏れず学童でしっかりいじめられてきました。
クラスにも友達は一人もいません。女子からもからかわれる有様です。
ずっと学童のいじめに対しては、指導員や相手方の親、教育委員会にまで抗議してきましたが、解決の糸口は見つけられず、逆にみんなから騒ぎすぎだと揶揄されはじめました。
私も息子も限界です。学童はやめることにしました。
中でも、同じ学童に通わせている方の一人がひどいことばかり言うので参ってしまいました。
彼女の娘さんは心臓病と知的障害があります。はじめは学童で同じ加配を受けている物同士と言うこともあって、親しく話してきましたが、最近になって「息子さん、どう見ても私たちからは普通に見えるけど、いったいなにをして欲しいの?」とか「LDなんだったら、一人一人に懇切丁寧にどんなふうに困る子なのか話さないと誰も理解できるわけないでしょ。あなたの説明不足でいじめはなくならないのよ」とか「努力が足りないのよ。私はこれまでどんなに苦労したかわかる?」等
LDは、障害児といっても公的な援助も療育期間もほとんどないというのに、こんな事を言われては、私の今までしてきた事って全て無駄なことだと言われたような物です。
挙げ句の果てに「うちの子が見た目にもわかる障害児だからわかりやすいって言うの?そういう考えでどんなに私たちが傷ついているかわかっているの?」とまで言われてしまいました。
誰もそんなことを言ったことはないというのに・・・
皆さんに質問です。重度の障害児をお持ちのご家族の方たちにとって、私どものようなLD位で悩んだりする事は、贅沢な悩みとしか見えないのでしょうか?
ちなみに、その子供さんに対しては、私も息子も近所と言うことと、同じ小1なので、入学時からいろんな意味で協力を要請されたときには、できるだけの事をしてきたつもりなのですが、今後はへんに関わらない方がいいのでしょうか。


多分ですけど・・ 投稿者:ひいろ  投稿日: 8月 1日(火)15時32分56秒

まりりんさんの、そんな事を言ってしまったその人も、きっと本心ではないと思います。
重度の子をもつと、やはりとても辛い時があります。
多分、そんな気分の不安定な時にまりりんさんと話していて
「発散のはけ口」にされてしまったのではないかと思います。

私自身はちょっと変わった人間なので(他人様の子供と比べない)
「自閉症」の子供が我が家に生まれた事を、ごく自然に受け止めてしまったのですが
そんな人は、はっきりいってそうはいないと思います。
みんなよその子と比べてしまうでしょう。
そして、絶対に「普通」には育たないと認識すると、絶望するお母さんと
そして一生懸命どうにかしたいと思うお母さんと、2手に分かれるのではないかと思います。

後者のタイプのお母さんは「自分は一生懸命やった」という自負があるから
全く療育に熱心ではないお母さんを「なんで?」と思ってしまうんです。
特に、自分の子より軽度であれはなおさらそう思ってしまう・・

実は私も限りなくこのタイプに近いのです。
でもね、人には家庭の事情があったり教育方針があったりして
療育をする事ができない人ってたっくさんいるんですよ。
それを「もっと一生懸命やれ」っていうのは、人の人生に土足で踏み入れてるのと
同じだと思っているのです。だから私は、聞かれた事しか言わないように気をつけています。

まりりんさんのそのお知り合いも、もしかしたら謝ってくるかもしれませんよ。
もしその気がないようならば、やはり距離をおいたほうがいいでしょうね。
「軽度」という事で妬んでいるのであれば、何を言ってもダメでしょうしね。


まりりんさんへ。 投稿者:のあ  投稿日: 8月 1日(火)19時25分25秒

まりりんさん、こんにちわ。
うちの息子もLDではないか(診断はまだ)と思っています。
小学校2年生ですのでちょっと、おにいさんですけど、うちも6月に学童を辞めました。
(本年度は籍があり、お休みと言う事にはなっていますが)
うちもちょっといじめられていたので本人が行きたくないと言い出したことと、
今は親と一緒にすごす時間をとったほうがよいと判断したためです。

お仕事していらっしゃるのでしょう?
お子さんはおうちでひとりですごしておられるのですか?
お子さんのためにご決断された事とは思いますが、人事ながら心配してしまいました。

うちのところの学童でもいじめなどがあり、学童の先生は学校の先生に説明会を開いたり、
いろいろ苦労しておられる様子でした。
学童に行っている子供たちは、両親が働いているためか、甘えられなかったり、我慢してしまったり、いろいろ不安定な子供も多いのだと、学童の先生は言っておられました。
うちの学童の先生は、その辺をもっとゆるくしてあげたいと常に考えておられる先生なのですが、周りの大人たち(私たち親の事ですね、あと先生とか)にも、もっとわかってあげて欲しいといつも言っておられます。
いじめちゃう子供たちもほんとは何か手を差し伸べて欲しい状況なのではないか、などとも思います。
まりりんさんのところでも大変な様子ですね、LDであるかどうかというのと、いじめられることは別の問題とも思いますし、いじめに関しては一般の人でも気になる問題だと思います。
他の親御さんで、共感してくれる人がいるかもしれませんよ。
関係者に1人でも理解してくれる人がいてくれたら、だいぶ違うでしょうに。

学校の先生とかはわかってくださっているのでしょうか?
この際、味方になってもらえると助かると思うのですが。

他の障害を持つお子さんやその親との付き合いはそんなにないので、なにも言えませんが、
この間、ある自閉症のお子さんを持つお母さんと話をしていて、うっかり
「うちの子、やっと自転車に乗れるようになったのよ〜。」と言ってしまって、すごく後悔しています。
そのお子さんはお話するのも難しい状態だそうで、そのお母さんのお気持ちとしては、
「うちの子は、一生自転車なんて乗れそうもないわ。。。」と思って聞いておられたかと思うと、
ほんとに無神経な事を言ってしまったと思いました。
他にも知らないうちに相手を傷つけてしまっているかもしれない。
ほんとに難しい。。。

あ、まりりんさんがそういった失言をしてしまったかもと言っているわけではないのです。
自分の事を思い出してしまったので。。。

ほんとにいろんな問題があって悩みは尽きないですね。
まりりんさんのご苦労はけっして人事ではないので、ほんとに身につまされます。
よいほうにすすんでいけたらなと、祈ってます。


障害の程度・・・ 投稿者:こくっぱの母  投稿日: 8月 1日(火)23時09分11秒

障害が重いとか、軽いとかで苦労に差があるとは思いません。
同じ障害なら同じ苦労をするとも思いません。
障害が無いから子育てが楽だとも思いません。
こういう事って、比較できないし、してもしょうがないと思っています。

親の性格や環境や、取り巻く人や、社会の福祉政策や・・・いろんな要素があると思います。
もし、車椅子で何不自由なく出かけることができる街づくりができていれば、
車椅子の人の苦労は激減するでしょう。(これで苦労がなくなるとは思いませんが)
同じように、自閉症を正しく理解した人に囲まれ、ふさわしい援助システムがあれば、
その分苦労は減るという訳です。
障害名そのもので、苦労が決まるわけではないと思います。

>まりりんさん
つらいですね。
いじめが当たり前のように存在する今、どうしても弱いものが標的になりがちです。
いじめは、担任や指導員の力量にかなり左右されるのも事実。
また、それぞれの親の関わり方も大きな影響があると思います。
実際に、見てはいませんから具体的なアドバイスはできませんが、
とにかく、まず「我が子を守る」事が大切な気がします。

>LDは、障害児といっても公的な援助も療育期間もほとんどないというのに、こんな事を言われ
>ては、私の今までしてきた事って全て無駄なことだと言われたような物です。

うちには「障害児」としては認めてもらえないアスペの息子がおります。
「公的な援助も療育期間もほとんどない」事が最大の苦労です。
障害の程度にこだわり、そこから抜け出しきっていない人たちと付き合うのは難しいです。





http://homepage1.nifty.com/kokuppa/


人それぞれ違うんだけど・・ 投稿者:るり  投稿日: 8月 2日(水)00時40分33秒

障害の重い軽いとか、障害の種類の違いはそれぞれ違いますよね。
こくっぱの母さんの仰るとおり、たとえ障害がなくっても楽に子育て出来るかといったら、
そうじゃないと思います。

トム・クルーズを見てのとおり、彼がLDだなんてLDの存在を知る人でも言われなきゃ、
わかりません。
うちの療育施設から昨年卒園したお子さんを初めて音楽療法で見たとき、年長さんとはいえ、
落ち着いていて特に何かあるようには思えなかったですもの。

他は知らないんですが、うちの子がその『他』になる可能性はあります。

まだ、年少さんなのであからさまないじめの対象にはなっていませんが、LDの苦労として
あげられるとしたら、その一見『普通』さが仇となるんでしょうね。

でも、何でいじめるんだろう。
裏でも話題に上ったことがありましたが、『違和感』があるってだけでいじめるか?
これは子供の世界だけのお話ではなく、大人の、それも療育施設内でもあることで(うちだけ?)
どこの場所にも変わり者はいますが、たとえば聞かれたことは無視して、自分の話したいことしか
話さないという人が、偶然数人、最近立て続けに入りまして、私なんて答えてくれないと、意地に
なって、同じ質問を繰り返し答えてもらいますが、陰で笑ったり、無視したりなんてことは嫌な
のよ。(私の行動もいじめの1種だったりして・・) 結構、雰囲気悪いんです。特に古株の人。
それに対してあーだこーだ本人に言おうものなら、「うちの子のように重度な子を持ち、長年
療育に通って努力してきた仲間たちでないとわからないから、ほっといて!」なんて逃げる。
焦点をそらして、何でもかんでも『障害』を言い訳に使うのは卑怯だと思っています。
(実際、いるんだよ〜!)

もちろんそうじゃない人も沢山います。地道にこつこつ『声高に』主張しないでやっている人も。
でも、そういう人は人に意見を言わないから、場合によっては「自分のことしか考えない」と
思われるかもしれないけれど、人にからんで発散するよりはいいと思う。こういう人の方が。

>まりりんさん
これは私の個人的な意見ですが、そのお友達に関しては、しばらく距離を置いた方が良いと
思います。彼女の真意が本当のところわからないけど、まりりんさんを発散するための対象として
見ているか、「つい、うっかり言い過ぎてしまったために反省している」状態なのか、静観した方が
いいのでは?
もし、前者ならまりりんさんが傷つくだけだし、後者であちらも仲直りしたいと思っているのなら
また助けあえるかもしれないから。

>のあさん
ついうっかり自閉症児のお母さんに自分の子が自転車に乗れたというお話をして後悔したという
ことですけど、うちの園の自閉症のふーと同じ年のお子さんは、三輪車の乗りこなし方も階段の
昇降もパーフェクトです。3歳半になって、やっと三輪車が漕げ、階段を降りるのも足を揃えない
と降りれないうちの子に、そのお母さんは特に気を使いません。(笑)
それぞれ得意とすることと出来ないことに差はありますので、あまり深く考えなくても良いのでは
ないかと思います。
もし、私がそのお母さんだったら、「あらそう」と、特別傷つく事もなく聞き流していただろうと
思いましたので。





いえ。。。 投稿者:のあ  投稿日: 8月 2日(水)02時23分42秒

その人、一瞬かなしそうなかおをなさったので、ね。るりさん。
やっぱり悪いことしちゃったなと思ったわけです。

そのお母さんはとても気さくないい人で、私はとても好きなのですが、普段は明るいその人の顔が一瞬曇ったのはとてもインパクトが強かった。。。
そのお子さんとうちの子は直接つながりがあるわけでもなく、知らなかったといえばそれまでなのですが、やっぱりその時のかなしそうな顔が忘れられなかったりするので、私としては気をつけたいなと思っています。
なんてことはない、私が勝手に思っているだけなんですけどね。。。


ありがとうございます。 投稿者:まりりん  投稿日: 8月 2日(水)07時24分22秒

いろんなご意見をいただき、本当にありがとう。
もっと、批判的な意見が多いかもしれないと、覚悟してカキコしたので、皆さんの励ましはとてもうれしかったです。

>ひいろさん

はけ口ですか・・・
そんな対象に私たちがされていたなんて事は、一度も考えたことがなかったです。
相手の彼女は、こどもの出身保育園がとても充実していて、なおかつ保護者も教育関係者がとても多い園です。そこの園出身のこどもが非常に多い学童でして、彼女は同じ園出身のお母さんで、福祉教育者の方々から、いろんなアドバイスを受けられるそうです。
私から見ると、周辺の環境がうらやましいほど充実しているように思えるのですが。
今から思えば、へんに私に近寄ってくるなって思ってたんです。いいカモだったのかな?

>のあさん

お子さんも学童をやめられたそうですが、お仕事は今どうしてらっしゃるのでしょうか?
また、お子さんはこの夏休みをどうすごされていますか?
私は、家計の面から、どうしても仕事を辞めるのは無理な状態です。

>こくっぱの母さん

最大の苦労のこと。同感です。
でも、相手には伝わりませんでした。
私も、障害の程度や有無で苦労があるかどうかは関係ないと思います。
人それぞれいろんな苦労があるのだから、ということを話すと、じゃあその内容をみんなに説明しない限り、理解してもらえるわけがないと相手の彼女は言いきりました。(若くて元気なお母さんです)私はそれ以上彼女と話す元気がなくなりました。一言だけ最後に「いろいろ言ってくれるけど、あなたのその話がどれだけ弱り切っている私たちをさらに傷つけているか、考えたことがあるのですか?」といって電話を切りました。

>るりさん

今現在、彼女から謝ってきてはいません。
たぶん、謝る気はさらさらないと思います。自分のやり方に絶対の自信がある人のようだから。
「普通」に見えるのが仇になるという話。彼女から「息子さんって普通じゃない」といわれた際、「普通に見えるから誤解されやすいの」と私が言った一言が気に入らなかったと、先日の電話でまくし立てていました。言葉って難しいですね。私はあまり考えず、一般論として言ったつもりであって、彼女の子供さんと比較していったのではなかったのですが、結果としては彼女の一番ふれて欲しくない話題になってしまったようです。もう、重度の障害者のご家庭とは一線を引いておつきあいしていこうと思います。

今日からしばらく私の実家に、息子を預けることになりました。
体調も崩しているし、ゆっくりさせてあげようと言うことで行かせました。
学童に入れずに働いているお母さんがいらっしゃったら、どうされているか聞かせてもらえないでしょうか?


ちょっと… 投稿者:ゆう  投稿日: 8月 2日(水)08時43分00秒

学校の先生方、学童の先生方との関係も難しいですが…、何より親同志の関係程むずかしいものはない様に思います。
実は家も1年生の時、4〜5回行っただけで学童をやめました。原因は学童の先生方が信じられなかったからです。(指導方法など…)
去年5年生の時、学校の先生方と少々トラブリました。でもこの時1番辛かったのは実は親同志ももめ始めた事です。一緒にがんばろうね!と言っていた相手に「私を巻き込まないで…!あなたはそれで何がしたいの…!」とまで言われ…どん底でした。
そしてその事を古い友達に相談しました。そしたら、どうして私とその子が仲良くしているのかわからなかった。性格が全然違う。もうあまり近寄らない方がいいよ。と、アドバイスしてくれました。
それからは、気の合う相手とのみ親しく付き合う様にしました。そうしないと自分自身が壊れてしまいそうになるからです。この世界に足を入れて10年ですが、その間にいろんな親に会ってきました。それぞれみんな個性的で…子供に負けないくらい!(笑)…。でもけんかしたってしかたがないので…、それなりに気をつけながら気の合う相手を捜してやっています。
相手の事を思いやる事も大切ですが…、自分を大切にしないと自分が倒れてしまってはそれこそ大変なので…、慎重に親同志の友達関係は築いていかないと大変だと思いますよ。(その事で実際今悩んでいる方を数人知っています。)

1年生ではまだ相手の方も揺れている時期だと思います。そのうちにきっと本当の助けになってくれる友達ができると…思いますよ!ネットもあるしネ!

のあさん〜元気ですか〜家の前担任は今2年生を受け持っていますよ…その中にADHDを疑われる子がいて…本当に一生懸命やってらっしゃいますよ…(障害児学級在籍してないのに)!家の学校にのあさん連れてきたいくらいですよ…ホント。


>障害が重いとか、軽いとかで苦労に差があるとは思いません。 投稿者:M  投稿日: 8月 2日(水)09時44分16秒

 うん、苦労は感じるもの、主観的なものだからかな、きっと。

 本当は物凄い労苦だろうに、それを傍目には全く感じさせないで飄々と子育てをしている人っ
 ているよね。
 そういう人から、その奥義を学びたいね。
        
 多分、その人は、
 羨んだり、妬んだり、嘆いたりすることが、結局は自分自身のパワーにもマイナス効果を
 もたらしてしまう事を良く知っておられるんだと思う。 
 
 そして、多分、
 その人は、そのマイナス方向に使うエネルギーを節約?して、プラスの方向に使っているの
 だろうね。日々の労苦の中からも、喜びや楽しみを見つけ、発見をし、工夫をする人。
 
 そういう人の存在って、自然に周囲の空気を変えていたりもするのよね。 
 
 勿論、誰もがそんなに強くはない。
 でも、誰もがそんなに弱くもない。
   
   < と、いつもながらの意味不明のことばを残して、
     お気楽管理人は4日ほど行方をくらまします。
     あ、昨日「構造化」の勉強をして来ました。その話しは又、帰ってからね。


障害の程度 投稿者:とら  投稿日: 8月 2日(水)11時39分47秒

批判的な書込みで申し訳ないのですが、「障害が重いとか、軽いとかで苦労に差があるとは思わない。」 云々の意見には賛成できません。この手の意見を言う人は大抵障害の軽い人でないでしょうか。軽くなくても前向きに考えられる人でこそ言える台詞です。ここの掲示板でROMしている方でも、障害の重いお子さんをお持ちの方はいると思います。そういった方が声を大にして「障害が軽い人には重い人の気持ちがわからない!」と素直にここで言えるでしょうか? 障害の軽い Aさんと重い Bさんとでは環境も性格も生活も異なれば、一概には軽い Aさんの方が楽だとか幸せだとは思いません。でも、障害の軽いお子さんをお持ちの方は、もっと障害が重かったら良かったと心から思いますか? 逆に障害の重いお子さんをお持ちの方は、少しでも軽かったらと思う事は当然の事です。軽い人は重い人と、重い人は軽い人と入れ替わりたい、入れ替わっても良いと思えるかどうかで、答えは出ていると思います。障害の軽い人で、そういった考えをもたれる方は、障害の無い人の「障害が無くたって苦労は多いのよ」というセリフをすんなり心から受け入れられるのでしょうか? 他人と比較する事は意味の無い事ですが、絶対的にその人達が抱えているハンディというものを認識して苦労を理解してあげない事には、結局は無理解の側と何ら変わりが無いように思います。


不思議に思うこと 投稿者:るり  投稿日: 8月 2日(水)15時52分01秒

私はうちの療育施設に来て感じたのは、障害の重い軽いということを比較する話は聞くのですが
健常児と比較して、「いいわねぇ」なんて話は聞かないのです。
他にも子供を持っている人でもね。

うちの子も療育施設では軽い方の部類に入ると思います。
重いと思われる子のおしっこの世話も行きがかり上したこともあります。
ここで、こんなことを書くと、どこからかご批判が来るかもしれませんが、手伝ってもらって
当たり前だと思っている方たちもいらっしゃいます。
「ありがとう」なんて言葉、期待してやっているわけではないんですけど、私がもし幼稚園で他の
お母さんに息子のことで助けてもらったら、お礼は言うと思う。

軽い子の母たちが、けっこうあれこれ動いてて、重い子のお母さんたちの一部は、「私は、ここに
生き抜きに来ているんだもん」なんて笑いながら言ってて、世間話している。

私の母も後天的に障害を持ちましたが(あ、うちの父もだっけ)、もともと障害があったわけでは
ない人たちがそうなった場合はもっと厳しいですよ。
私は10代のときから、人に頭を下げることも少なくありませんでした。
結婚に対しても不安はありましたが、だからといって20代で結婚して幸せそうにやっている友人
を羨むということはなかったです。そういう頭の隙間は趣味に向けていましたので。
どんなに丁寧にお話しても、わかってくれない人もたくさんいました。
でも、しょうがないとも思いました。

息子といっしょにいるのとどちらが大変かという比較をするとしましょう。
種類が違うから難しいんですけど、親の場合、それまで送ってきた人生によって人格が固まって
いる上に病人だという甘え、そして私に対して自分の支配下に置こうとする考えがあったので、
大変でしたが、息子には親としての愛情も責任感がありますので、将来、彼に起こるかもしれない
ことを考えると、不安はいっぱいです。

私たちが亡くなったあと、何の配慮もなく、1人で生きていかなきゃならないかもしれないから。
自分の老後よりも、息子の老後の方が心配です。
障害が軽いゆえの悩みと笑えます?


同じ障害の軽い人は、 投稿者:リンコ  投稿日: 8月 2日(水)18時45分56秒

「どこかにいると想像するだけで耐えられない」いう趣旨のことを言われたことがあります。でも、健常者は平気なのだと。あるいは、種類の違う障害の人や、病気の人、被災者などは、重くても軽くても関係なく平気だとのことでした。

種類の同じ障害で軽度だと、比較できる根拠があるからではないでしょうか。

私の友人の一人は、非常に言語能力と知的能力の高い自閉症ですが、知能が高いというだけで自閉そのものは重度だし、他に複数の重複障害も難病も抱えています。それでもやはり、「ぜいたくな軽度」として扱われます。

結局のところ私たちは、生まれてきてしまっただけで誰かを苦しめる存在なのだろうと思っています。


難しいのは 投稿者:リンコ  投稿日: 8月 2日(水)19時35分35秒

誰にも迷惑をかけずに生きることができない、ってことです。

軽度に生まれてしまった以上、それだけで重度の方のご家族を苦しめる存在なので、そのお詫びに何か役に立てればとは思っても、その行為自体が、また別の誰かの迷惑になってしまうのです。

「こういうことが難しい」「こういうときに辛い」「こうしてもらったら楽」という説明は、言語能力がないとできないので、知能や言語が正常の人がやらないとしかたないわけですが、その説明している姿そのもの、説明できてしまう人がいるという事実が、ご家族の方を苦しめてしまうわけですから。


ちょっと過激かもしれない 投稿者:こくっぱの母  投稿日: 8月 2日(水)19時47分52秒

>「障害が軽い人には重い人の気持ちがわからない!」

そんなことをいってもしょうがないでしょう。
「障害が重い人には軽い人の気持ちがわからない!」
という言い方だってできてしまう。

>でも、障害の軽いお子さんをお持ちの方は、もっと障害が重かったら
>良かったと心から思いますか?
>逆に障害の重いお子さんをお持ちの方は、少しでも軽かったらと思う事は
>当然の事です。
>軽い人は重い人と、重い人は軽い人と入れ替わりたい、
>入れ替わっても良いと思えるかどうかで、答えは出ていると思います。

「健常児だったら」と思うことはあっても、障害児同士で入れ替わりたいなんて
思うんでしょうか?
なんだか、この例えは悲しすぎる。
私自身は、我が子を誰かと入れ替わって欲しいなんて思ったことはありません。
入れ替わった時点で、我が子じゃなくなるじゃないですか。

http://homepage1.nifty.com/kokuppa/


ついでに 投稿者:こくっぱの母  投稿日: 8月 2日(水)19時48分42秒

実際には、
「こくっぱ君はいいわね。しっかりしてて」
なんてお褒め?いただくことも、
「障害があるなんて思えないけど」
と慰めて?いただくこともあります。
でも、そんなこといわれても、なんの足しにもなりゃしない。
何しろ、「外見ではわからない障害」持ちですから。
障害が重いか、軽いかの判断は、そう簡単にできるものではないです。

こくっぱは幸い療育施設に通えることになり、母の苦労は激減しました。
しかし、こくっぱより「障害が軽く」て入園できなかった子はたくさんいます。
そうしたお母さんたちは、
「もっと障害が重かったら行き先があったのに、中途半端で情けない」
と嘆かれていました。

いろんな障害児やその家族と付き合ううちに、「障害が重くて・・・」とか
「障害が軽いから・・・」などという事は話題にすべきではないと思うように
なりました。
そんなこと言い合っても、後味が悪いだけだから。
それぞれ、当事者になってみないとわからない事ばかりですから。

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入れ替わりたいかどうか 投稿者:リンコ  投稿日: 8月 2日(水)20時20分59秒

私は、自分より障害の重い方とも入れ替わりたいとは思いませんが、自分より障害の軽い方と入れ替わりたいとも思わないし、健常の方とも入れ替わりたいと思いません。

障害の無い人の「障害が無くたって苦労は多いのよ」というセリフについては、統計的にも論理的にも事実だと思うだけで、受け入れられるとか受け入れられないとかいう次元の感覚ではありません。私だって、隣接他府県で震災を見ただけで、自分は何の被害も受けなかったのですから。


ずれちゃった? 投稿者:るり  投稿日: 8月 2日(水)21時17分02秒

どうも私の書きこみは長いだけで、焦点がずれているような気がする。

もともとは、まりりんさんの書きこみから始まったことですが、内容どおりに受け取るとして(失礼!)、
私がそのような事を言われたら、めちゃくちゃ腹立つと思います。

軽度の子って、場合によっては障害者の世界からも健常者の世界からも、肘鉄くらって行き場が
ないことってあるような気がします。

最近、同じ療育施設の人からメールをもらったのですが、ある自閉症のお母さんに対する批判が
毎回書きこんであって、とても不愉快でした。
私がそのお母さんを擁護する立場を取ると、もう、来る来る、それに対する反論のメール!

ようするにもともと持って生まれた人間性ね。

そういう人たちがのさばっているから、いま、うちの療育施設は雰囲気悪い。
先生たちも甘やかしているし。ワガママ言ったもんが勝ちってこと?
こつこつやっているお母さんたちが、やる気をなくしています。


訂正 投稿者:るり  投稿日: 8月 2日(水)21時22分04秒

「ある自閉症のお母さん」は「ある自閉症児のお母さん」の誤りです。


そうかー 投稿者:リンコ  投稿日: 8月 2日(水)21時59分36秒

「苦労に差がない」じゃなくて、「苦労は比べることができない」ということじゃないのでしょうか?

親御さんの感じる主観的なしんどさというのは、子どもさんの状態だけで決まるわけではないので。

親御さん自身が、鬱病だったり、ADHDだったり、周囲の理解が得られなかったり、借金や老人の介護など、子どもさん以外のことで心配ごとがあったり、そういった諸条件によって、ストレス耐性はいくらでも変わります。

とらさんのおっしゃる、入れ替わりたいかどうかというのは、子どもさんの症状の重さだけを入れ替えたいかどうかという意味なのかもしれません。でも、自分自身の健康状態から夫婦仲から老親の状態から近所との仲から経済状態から健常の子どものいじめ問題から、全部ひっくるめて他人と入れ替わりたいというのとは、また別のことだと思うのです。




うーん・・・(−−) 投稿者:まりん  投稿日: 8月 2日(水)23時24分36秒

↓のカキコミ達はいろんな思いが表れていますね。
読んでいて、せつなく、苦しい感じがしました。(人事ではないので)
家の美海は、いまのところ、幼稚園を楽しんでくれているので、安心してますが、
来年の今ごろは児相と小学校をウロウロしてると思います。
現在の美海は、るりさんのカキコにある、軽度(身体、知能共)であり、
「中途半端」な存在になっています。(私はグレイゾーンとよんでいます。
白黒はっきりしないから)
はじめ、身体が重度だったので、リハビリや療育教室に行ってましたが、
軽度になってからは、月一回の音楽療法のみになりました。
療育をうけるまででもなく、幼稚園では、手がかかる・・・。
学校では普通学級なのか、そうじゃないのか、たぶんどちらからも
煙たがられそう・・・(−−;)
幼稚園の先生や親や園児は親切で理解があるのでよかったのですが、
小学校もそうだとはいいきれないし・・・。
悩みはつきません。


いろいろ 投稿者:satomi  投稿日: 8月 2日(水)23時58分27秒

う〜ん、わたしはまだ療育施設にまだそんなに密接に関わっていないもので諸処(イジメとか親同士のゴタゴタなど)の問題に直面したことがありません。
だからこの話題には入っていけないかなぁと思ったのですが、、、わたしなりの考えをカキコしていたら。。。
50行くらいカキコしたとこでパソコンに「このプログラムは不正な処理を行ったので強制終了されます」と叱られて、カキコは時空の彼方に消えてしまいました。。。
カキコした内容も「ここまで書いていいのかなぁ、、、」と迷いつつ書いていたもので、、、止めなさいってパソコンが教えてくれたのね。

だけど、とにかく比較すること自体とても空しいことだなぁと思います、、、
わたしも正直なところはこどもが「普通」だったらとは思います。ヒロがヒロじゃなかったらとは決して思わないけれど、できれば「普通に産んであげたかった」とは思います。(誰かと変わって欲しいとは思ったことないなぁ、、、)
軽いとか重いに関わらず、こどもへの想いはどんな親だって同じ(こどもに幸せになって欲しいと願うこと)だし、そのために悩んだり苦しんだりしている姿を軽いだ重いだ「それくらいで」と比較したり非難することは誰にもできない、、、みなそれぞれに一生懸命なのだから。

ヒロは今のところ、どの程度の障害なのか予想が付きません。一度ははっきりと自閉症と診断され知能障害も軽くはないと言われたものの、認知面で思った以上の結果が出たことで診断は撤回というか保留となり前の見えない状態になってしまいました。
実際のところは親のわたしが見ていてもはっきりとした自閉症状があるので、我が子は自閉症なのだろうと認識しています。
療育施設(ことばの教室)に通うようになって他の障害を持ったこどもさんたちを知る機会ができたことによって、今まで自覚できなかった我が子の障害を目の当たりにするようになりました。これはとても辛いことです。
自分と同じくらいの子が「あーあー」と言いながら指さししているのを見ては心が痛み、みんなが座って大人しく先生の歌やお話しにちゃんと合わせられている時に我が子だけウロウロと教室内を徘徊したり、自分勝手なことをしている姿を見ては心を痛め、、、
「その程度のことで」と思うかもしれません、、、だけと、我が子に起こるそんな些細(ホントは些細じゃないけど)なことに親は破れんばかりに心痛めるのが当たり前だと思うし、それを「その程度のことで」と非難することは決してできない、、、と思います。
ヒロは身体的な問題がないだけそういう問題がある子よりは幸運だったかもしれません。苦労も少ないかもしれません、、、だけど、、、
うまく言えないなぁ、何がどう言いたいんだっけぇ。
とにかくどの親御さんも自分のこどもに幸せになって欲しいと願っている気持ちは同じだし、そのためにみんな頑張ってるんだもの。
だけど、、、そうね、頑張りすぎて疲れきっていると、そういった周りが見えなくなることもあるかもしれない。「自分ばかり大変」で疲れて疲れて「何で〜」って心で叫んでいる、、、そんな人の気持ちも忘れないでいたいとは思うけれど、、、わたし自身もそんなに人間できていないから、、、
はぁ、、、実際に最近のヒロを見ていて、、、「軽くはないかもなぁ」なんて思ったりして。。。
まだ2歳だけど、、、これからのことなんて分からないけど、、、
ことばの遅れに関しても身近で「遅いねぇ」なんて平気で言ってくる人もいたり(他人)、、、この世はなかなか辛いものねぇ。
こんなこと言うと非難ごーごーかもしれないけど、、、園で身体的な障害はあってもことばが出ているこどもさんを見ると「いいなぁ」とか思ってしまいます、、、変わりたいとかの問題じゃなくてね。

あ〜ぁ、、、いつの間にかグチモードになってるや、、、ここまで!
結局的はずれなことしかカキコできなかった気も。。。。。。。。はぁ、寝ます、、、



http://homepage2.nifty.com/hirohaha/indx.html


軽度か重度か? 投稿者:ひいろ  投稿日: 8月 3日(木)09時52分39秒

>軽い子の母たちが、けっこうあれこれ動いてて、重い子のお母さんたちの一部は、
>「私は、ここに生き抜きに来ているんだもん」なんて笑いながら言ってて、世間話している。

いるいる〜、このタイプ。センターに行ったら子供は全部先生にまかせっきりで、
ずっーとお母さん同士で話しこんでいる人・・
でもコレはうちの場合は、重度軽度関係なかったなぁ。人間性の問題だったような気がする・・
私?もちろん無視して子供たちと遊んでました。だって、そっちのほうが楽だったんだも〜ん。

ドラは手帳の判定は3度です。でも、絶対2度だと私は思っています。
ケンカする事もできますけど、時間がもったいないので私はやめました。
2度はお金ももらえるし、いろいろと特典が多い。でも3度はほとんどありません。
だからうちも、できる事なら2度が欲しかったのですが、
でも3度と言われて、ちょっと嬉しかったのも事実です。

で、本当はどっちが良かったのか考えたんだけど・・どっちでも良かったんですよね、結局。
他人様がどんな査定をしようが、ドラはうちのたったひとりの王子様だから。

それに障害の程度なんて、人によって感じかた違いますよ。
お話しはするけど、人の目を見る事が出来ず、いつもひとりでいる子と、
お話しはできないけど、人の目を見れてお友達と遊べる子、どっちがより重度なんでしょうか?
私は、この質問自体がナンセンスだと思います。


いつもながら 投稿者:とら  投稿日: 8月 3日(木)10時58分41秒

私は発言が極端で、きつい(?)ので誤解を生んでいるかもしれません。繰り返しになるかもしれませんが、人の人生は入れ替える事が出来ませんし、人と比較するの無意味だと思います。私が入れ替わるといったのは、純粋に「障害の程度」だけです。確かに「障害の軽い人には重い人の気持ちがわからない」という言葉には「重い人には軽い人の気持ちが分からない」という単純な裏返しが有ると思います。でも本当にそう言って済ませられる問題でしょうか? たとえば障害の軽い子供には誤解が付きまとい、就学や就職においても苦痛や苦労が耐えない事でしょう。しかしもっと重い人には、そこまでたどりつけない人もいるはずです。就職できなくて自立できなかったら、それを「就職先で苦労が無いからかえって幸せ」だと言えるのでしょうか?敷居を下げた生活や人生というのはそれだけを見れば敷居をあげた場合より苦痛が無いので楽かもしれません。でも自らが望んだわけでもないのに、いわゆるハンディがそこにある場合、見た目の苦労だけでなく精神的な苦労や苦痛や犠牲にしている尊厳がそこにはあると思います。私は障害の軽い人が「重い人には軽い人の気持ちがわからない」というセリフは言ってはいけないたぐいのものだと思っています。
障害の重い人で障害にあぐらをかいていると思われてしまう人がいたとしたら、それは単に性格の問題かもしれません。でも、個人的に付き合っていけるかどうかは別として、軽い人より生きにくくてより多くのストレスを感じているのだからこそそういった姿が有るのかもしれません。周りに理解を求めて欲しいと思っている我々がどうして、そういった人達を弁護してあげるくらいの気持ちになれないのかと思ってしまいます。軽い子の親はやはりあれこれ動ける余力が有ると思います。ネットをする余裕だって有るでしょう。でも重い場合には本当にそんなゆとりが無い人だっているであろうし、見えない所でより多くの苦労があると思います。


だけど、 投稿者:リンコ  投稿日: 8月 3日(木)11時17分37秒

罪滅ぼしだけのために一生を費やすことはできないんです。私だって生きて行かなくてはいけない。

私の知り合いで、「震災に遭わなかったこと」に罪悪感を抱いて、自殺した人がいます。気持ちはわかるけど、彼が死んだって、震災で亡くなったかたが一人分、生き返るわけじゃないと思うんですよ。

私も、生まれてしまったことが申し訳ないとか、ときどき思うんだけど、そういうときは毎回、「私が死んだって、重度の方がひとりぶん軽度になるわけじゃないんだぞ」と自分に言い聞かせることにしてるんです。

でね、「重い人には軽い人の気持ちがわからない」というセリフは、当人に面と向かって言ってはいけないとは思うけど、「そんなに軽いのに療育なんて必要ないでしょう」とか「そんなに軽いのに、何の問題があるの?」というのも、やっぱり一度や二度ならしかたないけれど、あんまり習慣的に言い続けてはいけないことじゃないかなと思うんです。


んー・・・ 投稿者:朝倉玲  投稿日: 8月 3日(木)11時21分13秒

今回の「重度の子を持つ気持ちは、軽度の子の親には分からない」と言うセリフは、
とても哀しいですね。
同じ障害児の親同士として、なにか協力していけるんじゃないか、と思っているのに、
その目の前でシャッターを閉じられてしまったみたいで。

もちろん、重度の子を育てていくことは、
物理的面から考えても、生活面から考えても、ずっとずっと大変なはずです。
私だって、ショウが話せるようになる前と今を比べれば、話せなかった昔の方が、はるかに大変でした。
だから、そう言う意味で重度の親をいたわる、と言うことは、あっても良いかもしれません。
毎日、介護に近い子育てでくたくたになっていたら、
たまに誰かに子どもを面倒見てもらって自分は一息ついたって、
それはかまわないと思うのです。
そうして、リフレッシュして、家庭でまた元気に子育てが出来るようになるのならば、
それだって、立派な療育の一環でしょうから。
そのあたりは配慮してしかるべきことじゃないかな、と思います。

でも、他のたくさんの方たちも言っているように、
障害が軽ければ軽いなりに、それ故に苦労することが、本当にたくさんあります。
目に見て分からない障害に対して、世間の人たちが、行政が、なんと無理解なことか!
だから、やっぱり私も、
障害の程度が苦労の差にはならない、という意見に賛成です。

それぞれがそれぞれに苦労を抱えている。
それは誰も代わることは出来ないし、
もしも、代わることが出来たとしたら、
きっと代わった立場でまたそれぞれの苦労を始めるのでしょうから。

だから、大事なのは、障害の程度や苦労の程度を比べることではなく、
お互いに、我が子のためにがんばっているよね、と認め合うことじゃないかな、
なんて思うのですが・・・。

http://village.infoweb.ne.jp/~asakura/


つまりね、 投稿者:リンコ  投稿日: 8月 3日(木)11時31分18秒

重度の子の親御さんをいたわるとか、手伝うとか、そういうのはいいと思うのだけれど、習慣的に八つ当たりの対象になり続けてあげる、という形での協力までは必要なの? って思ってしまうのです。

あるいは、同じ会を運営する中で、子どもが軽度という一点『だけ』を規準に、軽度の子の親がたくさん負担するのが当然、という習慣が固まってしまうと、病弱な親、老親の介護を抱えている親、母子家庭の親が参加できなくなってしまうでしょう?


本来なら、 投稿者:リンコ  投稿日: 8月 3日(木)12時03分28秒

行政側に要望しなければならないこと、公費で(健常者の)職員を増員してもらわないといけないことが、−−つまり、健常者社会に向けるべき点が、軽度の子の親や、軽度の本人に向けられてしまっている という構図なんだろうと思います。

本来は健常者社会に向けるべきところを、軽度の子の親に向けてしまうというのは、「近くにいて、目につくから」ではないでしょうか。

この手の構図というのはどこにでもあって、英語圏の某メーリングリストでも、軽度の人たちが重度の子の親たちに叩かれて、リストを離れるということがありました(重度の子の親でも、その雰囲気に耐えかねて脱会した人もいました)。でも、そうやって軽度の人が逃げ出すことによって、人数がまとまらなくなったわけで、その結果たとえば下院議員に働きかけようとかマスコミにキャンペーンを張ろうとかいうことになると、動員人数が減るという形で現れるわけです。それはそれで、結果的に、得にはならないと思うんですよ。


はけ口 投稿者:るり  投稿日: 8月 3日(木)12時37分21秒

べつに障害を持って生まれなくても、人生思い通りに行くかといったらそうではないと思います。
ただ、選択の幅は広いってことだけで。
そもそも、重度のお子さんよりも軽度のお子さんのほうがいろんなことを経験できる可能性が
あるっていうことも、「いいわねぇ」の言葉に含まれているんだと思います。

私のいう重度とは、反応もなく身体的にも自分で自由に動かすことが出来ないお子さんたちの事を
指していまして、他の人の介助が必要です。
その中のお母さんの口癖は「自分で歩けるだけマシじゃない」、「自閉症の子でさえお勉強っぽい
個別指導を受けられるのにうちの子にはチャンスさえ与えられない」。
気持ちがじりじりして言いたくなる気持ちもわかりますが、だからといってそれを私たちに吐き捨てるように言われても、何と答えてあげれば良いのでしょうか?
前に他のお母さんが「走りまわるのを追いかけたり、隣の家に勝手に上がり込んだりするのも、
歩けるからこそで、それはそれで大変なんだから」と仰いましたが、それ以降も度々口にされる
ということは、こちら側に対する理解をすることもなかったんだと思います。

うちの市では、私のいうところの重度のお子さんのほうが保育所の受入先はいいのです。
軽度であれ自閉症のお子さんは難しい。あってもトラブルは多いようだし。
療育施設の先生たちは、自閉のお子さんが保育園に入ることにとても慎重。
最近になって療育施設の先生に、「ふーちゃんは年少さんから入るにはまだ早いと思っていたけど
ここまで成長するとは思わなかった」と言ってもらえました。あぁ、だから私が入れると決めた後
でも、協力してくださらなかったんだなと思いました。(・・・)

言っておきますけれど、重度のお子さんを保育園に預けて働いている方たちもいますし、療育の場
でもちゃんと面倒みる人が殆どです。そういう方たちにはお手伝いするチャンスがないくらい。
自閉の子の親は、自分の子から目を離さないようにしていて、そのついでに他の子のことも目に
入ってしまう様です。だから古株のそういうお母さんたちには、私も「ふーちゃんに歯磨きさせて
おいたからね」なんて面倒かけることもあったりして・・・・(笑)

結構、要領よく立ちまわっているくせに八つ当たりはしっかりとしてくれる人たちと懇意になろう
とは思いません。お子さん自身を理解するのとそのお母さんを理解するのは別物だと思うんで。


社会性 投稿者:るり  投稿日: 8月 3日(木)13時07分08秒

養護学校の見学に行ったときのことですが、案内してくださった先生が仰るのは自立していくのに
重要なのは『社会性』だということを強調していらっしゃいました。だからこの学校では数の計算
字の読み書きなど基本的なお勉強の他は、将来、自立するための力を根っこを育てることが、
1番の目標だそうです。

あと、どこかの重度のお子さんが多い療育施設のビデオを皆で見たことがあるんですが、
そこのお医者さんが、「彼は社会性に問題はなかったから良かったですよ」なんてお話
されているのを見ていた、隣り合わせに座っていた自閉の子のお母さんたちをふと見ると、
「あら、まぁ」といって苦笑いしているの。


るりさんへ 投稿者:こくっぱの母  投稿日: 8月 3日(木)16時02分14秒

>「彼は社会性に問題はなかったから良かったですよ」なんてお話
>されているのを見ていた、隣り合わせに座っていた自閉の子のお母さんたちをふと見ると、
>「あら、まぁ」といって苦笑いしているの。

自閉症の場合、そもそもの知的水準との組み合わせで、それこそ、いろんなタイプがあるんですけど、「知的能力と安定した就労が反対の相関を示す」そうです。
つまり、自閉症に限っていえば、障害の軽い子ほど離職率が高い、働けない。
この辺が「社会性に問題がある」と言うことなんだと思います。

ま、だからといって、今からハカセの将来を悲観する気はありませんが。

http://homepage1.nifty.com/kokuppa/


もう一つ悲しいのは、 投稿者:リンコ  投稿日: 8月 3日(木)21時25分05秒

重度の子の親でもなく、軽度の子の親でもない人(おそらくご本人も健常者)たちの中に、軽度の本人(主に本人)を黙らせたいときに、重度の子(人)を引き合いに出す人がいることです。

結局のところ、重度の方の存在が、健常者によって、口実として利用されているわけですね。


?? 投稿者:リンコ  投稿日: 8月 4日(金)01時53分10秒

「なりきりセット」って、組み立てる物なんですか?

何が入っているのだろう


なりきりセットは 投稿者:るり  投稿日: 8月 4日(金)08時53分18秒

テレビマガジンの付録です。
私はもともと付録を組み立てるのが苦手で、息子はいつも作って欲しがるのですが、面倒くさがって
ごまかしていました。でも、今回は気が向いたので作ってあげました。

今回のは、仮面ライダーの上半身の装具一式といった感じで、マスク、ボディ、腕輪、変身ベルト
おまけに槍みたいな物までありました。

平板な紙から立体的なものが出来あがります。
これを企画する仕事の人がいるはずなんですが、尊敬してます。


今更ですが・・・ 投稿者:ぴっぴ  投稿日: 8月 4日(金)14時41分42秒

今回の話題はすごく考えさせられました。

>同じ障害児の親同士として、なにか協力していけるんじゃないか、と思っているのに、
>その目の前でシャッターを閉じられてしまったみたいで。
私も何度かそう言う経験をしました。
療育でうちよりも多分重度の子供さん達とも一緒になりました。
お母さん方の明るく前向きなその姿の強さを学びたいと思いました。
といっても、あれこれ自分の子供のことを説明する人もなく(ここが一種独特
な雰囲気にならざるを得ないところなのだと思う・・・)
私はとりあえず参加してみただけの状態でいました。
「なぜここに来るのか?」とあるお母さんに聞かれ(その子は6歳ぐらいで身体的には
ともかく、知的には、表情とか、かなり重度そうだった)、正直にまだ診断はないことを話したら、
「・・・うちはね、事故でこうなったから原因ははっきりしているの!」
ときつく言われ、すご〜〜〜〜くへこみました。
なんだか、突然突っかかってこられた様な気がしました。
そのこと事態にも驚きましたし、何より、そのことをわざわざ突きつけられたことが
とてもショックでした。一番意地の悪いことをわざわざ言いに来るその神経が信じられ
ませんでした。

私も、障害の軽い人が「重い人には軽い人の気持ちがわからない」という
セリフは言ってはいけないたぐいのものだと思います。
でも黙っていても、まりりんさんやリンコさんのように突然ふりかっかってくるものが時にはあるような気がします。
互いに互いのことは詳しくはわからないのだから、私自身は、比べないようにするしかないのだろうと思います。あとは、互いの相性なのでは?と思います。

今から思えば、あのお母さんにとっては逆に、そのことが何よりも心のよりどころでもあるのだろう・・・ということもわかるような気がします。


私の頭の中には 投稿者:とら  投稿日: 8月 4日(金)20時48分56秒

あるお二方がありました。一人は療育センターで知り合った方で重度のお子さんをお持ちです。もうおひと方は、ここではない掲示板で「何人かの高機能のお子さんを持つ親から集中的に攻撃されていた低機能のお子さんを持たれた方」のことです。(ご存知の方、あるいは掲示板をその時見られた方もおられると思います。)そして私自身が感じた事は、やはり障害の重い方は(特に知的障害を伴った場合には)並々ならぬ苦労があるということ。そして(リンコさんもご自身が妬みの対象になったと言われていましたが)自分より障害の軽い人に対してほんの少しの「うらやましさ」「妬み」...に近い感情があるようだと感じたこと。でもそれらはある意味では当然のことだと思います。健常な者の何気ない発言が人を傷付けるのと同様に軽度の方の何気ない言葉や、場合によっては「我が子の成長を単に喜ぶ発言すらが、思う通りに成長を遂げないお子さんの親御さんを傷つけたり、プレッシャーを与えたりする」事があると感じたものです。そして障害が重ければそれだけある意味で開き直れる部分もあるということ。その開き直りは時として第三者を不快にする事も有るかもしれません。それでもその開き直りですらその人が望んでなったはずではないと思うのです。逆の立場であったときに自分だったら軽度の方を妬む気持ちなど持たないと誰もが言えるのでしょうか? 健常者の親よりは近いのだから、ほんの少しでもそういった方達を受けとめてあげられるように自分自身なりたいと思っています。


私はね、 投稿者:リンコ  投稿日: 8月 4日(金)22時00分42秒

「一時的にならともかく、それが固定された関係になってしまうのは、ちょっと・・・」といった内容のことを書きました(自分の書き込みとは言え、探すのも読み返すのも耐えられないので)。

つまり、一つのグループなり団体の中で、カースト制度として固定されてしまうようなことになると、長期的にはどちらのプラスにもならないと思うのです。つまり、「一部の人は何を言っても良くて、残りの人は何も言ってはいけない」という関係が固定するのは。そんなの、団体として健全じゃありません。

「自分が大変」というのと「自分より楽な人を叩いても良い」というのは、別のことです。「気持ちは認めるけど、行為(発言)は認めない」というのは、あってもよいと思います。

そして。

どんな人にだって、いつかは、「八つ当たりをしなくてすむ日」が来る可能性はあると思うのです。たとえ内心では折り合いがつかなくても、少なくとも「自分が辛いからといって人を叩くのはやめておこう」と思える段階にたどり着ける潜在力はあるはずです。実際には、いろんな条件も重なっていることだし、それはどうかわからないけれど、でも未来のことは、誰にもわかりませんから、可能性を信じるのは自由でしょう?

それなのに、「大変な条件を背負っている人は、何をやっても(言っても)、しかたがない」という発想は、その人たちの潜在力を見くびることになるし、見下していることにならないでしょうか? それに、「辛いからといって、人を叩くことで溜飲を下げている状態」というのは、ご本人にとっても不本意な状態だと思うのです。そんな場所に、相手を固定する気になんて、私にはなれない。「一時的な状態だろう」という前提で聞かないと、失礼だと思うのです。

それに、そう思わないと、自分が自殺衝動と闘えない。生き延びられない。

そんなわけで、私は、重度の子どもさんをお持ちの親御さん(本物)に、きついお言葉をかけられたときは、二つを自分に言い聞かせています。

一つは、「気持ちは認めるけれど、その発言を私に向けるという行為は認めない」こと。まあ、具体的行動としては、「逃げる」ということですね。「軽度に生まれてしまったお詫びに、せめて八つ当たりされ続けてあげなくては」と思ってしまっては、自分が生きられないから。

もう一つは、「この方にとって、この状態は一時的なものであると勝手に仮定する(そうであるように祈る)」というものです。そうでないと、相手を見下してしまうことになるから。裏返しの優越感みたいになるのは、いやなのです。

さて、私の中にはもう一つ、「ぎりぎり認める発言」「認められない発言」の規準もあります。どなたかのご参考になるかもしれませんので、紹介しておきます。

「私は・・・」あるいは「うちの子は・・・」で始まる発言は、とりあえずぎりぎりセーフ。いくら自分が聞くのが辛くても。「うちの子はそんなこと、とてもとても夢のようだわ」とか、「うちの子には、話さえできないのに」とか、「私は、あなたを見ているだけでうらやましくて」とか。この範囲に収まっている限りは、個人的には辛くても、内心「ひどいなあ」と思うだけ。一応、正式に「×」ではない。

私の中で、「これは×」になるのは、「あなたは」で始まる発言です。「あなたは、○○だってできるくせに、まだ不服なんですか」とか、「(あなたは)普通に学校にだって行けたのに、診断を受ける必要などないでしょう」とか、「あなた方のような人たちばかりだと思われると困るので、(あなたの)ウェブサイトを閉鎖してください」とか。親御さんどうしの会話だとしたら、私の規準だと「これだけいろいろできるのに、(あなたのお子さんには)療育なんて必要ないでしょう」とか「(あなたは)何しにこんな所に連れてくるの?」とか「(あなたの子どもさんは)ここで何してるの?」とか。

この規準で行くと、「軽度の子の親には、重度の子の親の気持ちなんてわからない」というのも、「重度の子の親には、軽度の子の親の気持ちなんてわからない」というのも、両方×です。どちらも、「あなたがたは」で始まっているから。でも、「軽度は軽度で、それなりに別の苦労があるんですよ」とか、「目に見えない障害には、また特有の問題がつきまとうんですよね」とかいうのはOK、ということになります。

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