2000年9月その5
あれあれ、リンコさん 投稿者:M  投稿日: 9月 7日(木)21時48分54秒

>「解り合えないままでも協力できる態勢」が整っていると、誰でも何とかなっちゃうので、そ>の方がてっとり早く最低限の結果が出せるんじゃないかと。
 
 取り敢えずはって事?
 手っ取り早くかぁ・・・。 


あのあのあの 投稿者:るり  投稿日: 9月 7日(木)21時58分24秒

最近、うちの息子のことばかり書いてて申し訳ないんですけど・・・

今日、幼稚園にお迎えに行ったら同じクラスのお母さんが話しかけてきました。
お嬢さんが今月誕生日で、下の子といっしょにお誕生会に出席したらしいのですが、
「今日、ふーくんの隣の席だったんですけど、この子(赤ちゃん)ために、自分の使っていない
スプーンを私に『はい、どうぞ』と貸してくれたんですよ。びっくりしました。とても優しい
お子さんなんですね。」と私に報告してくださいました。

普段、何かの時に会話をすることはあっても特別親しい間柄のお母さんではありません。
ふーとはもっと関わりはないでしょうし。

同じクラスのお母さん方から見れば、ふーはどう関わって良いのかわからないタイプだと思います。
それがふーの方から関わってきて、おまけに大人を感動させるようなことをしたのだから
そりゃ、びっくりしたと思います。

別に自閉症の人でなくても、普段、無口で、気のきいた言葉が言えない人もいますよね。
でも、私が落ち込んでいるときに、たまたま掛けて下さった言葉がとても貴重に感じて、ますます
心に染み入るということもありました。

あまりにもお話上手の人の言葉の方が、私は警戒します。
受け取る側がどう感じるかにもよると思います。


ん〜と。 投稿者:megumi  投稿日: 9月 7日(木)22時06分53秒

>ある種の子どもたちは、「語学学校に通うオトナの外国人」のような発想で
>言葉を学ぶタイプ

前にも書いたんですが、まさに少年はこのタイプです。
だから、話し始めた頃は、気持ちをこめて話すのではなかった。
中1の基礎英会話と同じで、「とってつけた」ようでした。

「こう言われたら、こう答える」、「こういう場面ではこう言う」という
構文を自分のものにして、単語を入れ替えて使いこなして……
でも、「話す」ことで精一杯で抑揚や表情まではなかなか。

『プロンプト』は知ってましたけど、以前から『イントラバーバル』はどういうことか
イマイチわからなくて、機会があったら教えてもらいたいと思ってたのですよ〜。ホントよぉ。
でも、実際は、やってたみたい。(^-^;  私「おしっこは」→少年「トイレ」って。。。。

場面を総合的に見ることが苦手だから
>見せるやらせる方式
は、なによりに有効だと思うんですよ。お父さんと私との会話は「見本」として、
意識して見せました。
最後に並ばせるというのは、遊びとしてもおもしろいね〜。>ぴっぴさん
マンツーマンで遊べるようになってからは、人形を使って「挨拶」を見せたりもしました。

少年は言葉がない時代から「おきまり」が好きでした。
自分が滑り台を滑ったら、お母さんが「上手〜」と拍手する、
拍手をし忘れると、クレーンで拍手を要求していました。

挨拶って「こういわれたらこう返す」、「この場面ではこう言う」という
おきまりだから、彼には、他の会話よりは、わかりやすかったと思う。
>「パパ、プーさんが蜂蜜なめてる」
というような、言葉によって人の注意をひき自分の興味を伝える発語は
ず〜〜〜っと、なかったです。すくなくとも入学式の頃にはそんなことは
言いませんでしたね。

違和感があるのなら、大ちゃんと大ママの関係には「パターン」は
あわないのかもしれません。壁を感じたときにはそこは後回しにして
いけそうなことから手をつける方が精神衛生にはいいみたい。

…………あ〜、ちょっとテンション高すぎ。自重します。


るりさん 投稿者:こくっぱの母  投稿日: 9月 7日(木)22時36分26秒

修学旅行・・・じゃなくて、修行に行かなくていいって。(わかる人にはわかる)

>あまりにもお話上手の人の言葉の方が、私は警戒します。
>受け取る側がどう感じるかにもよると思います。

私もそうです。
話しにくそうに、一生懸命話してくれる人が好き。(個人的趣味)


あのさ、 投稿者:ケロ  投稿日: 9月 8日(金)02時10分20秒

『プロンプト』と『イントラバーバル』(舌噛みそう・・)って、大抵の母親は自然とやっているような気がしません?
この掲示板最古参(らしい)私、ずーっと以前に『黒子』に徹すればいいのかな〜と書き込みした記憶があるんですけど、愛用のカタカナ辞典に『プロンプター』って載っていて、「舞台の陰で演技中の俳優にせりふを教える役目、またはその人」と書いてありました。
まんざら外れてもいなくて、ちょっと嬉しい気分♪


>でも、実際は、やってたみたい。(^-^;

megumiさんもこうおっしゃっているし、母親ってもっと自信持っていいと思う。
少なくともここに来られるお母さん達は、間違いないと思う。
(別に父親は違うとは言ってませんよ〜。たまたま、母親の方が圧倒的に多いから・・・)
あとは子供に歩み寄る気持ちを忘れずに・・・ですね。

自閉症ご本人さん達は、語り部だと思うのです。子供の気持ちの代弁者でもあるし。
子供にとっては辛い事かもしれないけど、ある程度非自閉社会に適応できれば「生きやすいのではないか」と私も思います。でも、本当は不本意なんだよって事を知っていて療育するのと、知らずに詰め込みするのとでは、全然違いますよね。
うちは自閉ではないですけど、『言葉を獲得する前の子供』って、自閉・非自閉にかかわらず、共通点があるものだなぁ〜と常々感じています。(医学的・専門的な事はわかりません。なんとなくそう思っているだけです)
だから、私も、語り部さんたちのお話は大いに参考にさせてもらっています。

支離滅裂だろうが、なんだろうが、気にせず書き込みして頂きたいと思います。
小さな後輩たちのために。

>療育って教えるのではなく「子供自身が周りから知識を吸収したり、学習したり、応用
>できるようになる為の手助け」のように思います。

これが、『丁寧な子育て』なんですよね〜。
リンコさんが言わてたように、根っこの部分を育てるってことですよね。




http://www.alpha-net.ne.jp/users2/mcss5884/


そうだそうだ! 投稿者:ケロ  投稿日: 9月 8日(金)02時11分29秒

>でも、それを、「いつもいつもやる必要はない!」

私はフォークが歯に当たる感触が嫌いなので、苦手。
(フォークを前歯で噛むと何とも言えず背中がゾクゾクします)

どうしてもって時は使うけど、ファミレスはちゃんとお箸が用意されていて嬉しい。
ステーキを箸で食べてもいいんだから、ソウメンをフォークで食べるのはいけないって事はないもんね〜。


「理解」と「態勢」 投稿者:リンコ  投稿日: 9月 8日(金)03時06分13秒

期待する相手が違う。

じっくり深くつき合う、身近な人、大切な人に求めるのは「理解」。
世間一般、社会全体に求めるのは、「解り合えないままでも協力できる態勢」。


しばらく、 投稿者:リンコ  投稿日: 9月 8日(金)03時07分02秒

忙しいのでネット休みます。書き込みは当分できません。


うちの掲示板に 投稿者:朝倉玲  投稿日: 9月 8日(金)05時54分36秒

リタリンに関する「お願い」を書き込みました。
お二方の書き込みに対するレスとして書いたものですが、
他にもリタリンに関心をお持ちの方がいらっしゃるかもしれません。
(いや、きっといらっしゃるに違いない・・・)
ですので、そういう方々には、ぜひ読んでおいていただきたいと思います。
どうか、よろしくお願いします。m(_ _)m

☆掲示板URL ↓

http://www.sets.ne.jp/cgi-bin/asakura/vikkibbs.cgi?


プロンプト&イントラ・・・ 投稿者:ぴっぴ  投稿日: 9月 8日(金)10時04分38秒

>『プロンプト』と『イントラバーバル』(舌噛みそう・・)って、大抵の母親は自然とやっているような気がしません?

昨日は、なるほどネエ・・・とひたすら感心しきって過ごしていたのですが、よくよく考えると
私も少しはやっていましたねえ。
特に今はやっているかもしれない。それでうまく導けることが多くなったから。
私「制服来たら?」→娘「カバンの準備」ってなもんでしょうか・・?

でもでも、もっと前はできなかっんですよ、うちは。
相互の挨拶の混乱を教える段階でのプロンプトは、多分やってもできなかったと思うの。
だって、’小声で言われる’ということの意味がまず解らなかったのね。(問題外でしょ?)
もっと大きくなってからですが、しりとりで、ポロンが答えに詰まったとき、
上の子が耳元でコソッと「コアラ」なんて教えるわけです。
そうすると、ちゃ〜んと小声でそのまま答えてましたね。
挨拶の時に小声で促したら・・・、きっとそのまま発していたと思う。

そうそう、もっと大きくなってずいぶん会話が成り立ち、こちらがきいたことには
だいたいは答えられるかなと思っていた頃、
外からズボンを濡らしてかえってきたことがありました。
私「どうしてズボンぬれちゃったの?」
娘「・・・・・・」
私「どうしてズボン濡れちゃったか、怒らないから言ってごらん。」
娘「おこらないから」

もう、笑うしかないですよね〜。
私が当〜然わかっていると、もうあったりまえに考えている事を、
読みとれない可能性をも考慮しないとならないんだなあ、とつくづく思った瞬間でした。

プロンプトとイントラ・・・・バーバルですよね。
それでもそれが難しい段階って、それぞれにきっとあると思います。だから、
>壁を感じたときにはそこは後回しにして
いけそうなことから手をつける方が精神衛生にはいいみたい。>megumiさん
私もそう思います。
自分の子ではどうやったらいいのか、子供の状態との知恵比べかもしれませんね。
ここで、皆さんにあーだこーだとご意見を聞きながらそれをやっていけたら、
案外楽しむことも出来るかもしれませんね。
確かに、これはもう異文化だと思うことでしょうか・・・!!


社会性??? 投稿者:大ママ  投稿日: 9月 8日(金)10時35分48秒

リンコさんも、フリーラジカルさんも、自分の気持ちをしっかり書かれている
これは社会性があると思いますが・・・
お2人くらい、うちの子も自分の気持ちを話せてたら、苦しくないだろうなと思います
心にもない言葉って、言わなければならない事もありますよね

それから、とらさん、ままはっちさん、megumiさん、みなさんありがとうございました
昨日も、少し言葉の勉強をしたんですが、ねー聞いてる?と子供を見たら、座ったまま
寝ていました・・・主人に言わせると、よっぽど退屈だったんじゃないか・・・と
私は、すべりだい→拍手というのが、パターンになってしまうと、何回かはやると
お母さん、拍手したくないと張り合ってきました(いくらおお泣きされても)
私がパターンについていけないんです
性格的なものでしょうか・・・


ケロさん、ぴっぴさんの言う通り 投稿者:とら  投稿日: 9月 8日(金)11時11分02秒

プロンプトにせよ、イントラバーバルにせよほとんど皆さんがやっていることばかりです。ラジオ体操をさせていれば、あの中にはリトミック的な要素も入っていますし、粘土遊びや水遊びをさせていれば、はい感覚統合ですよね。学者さんが単に命名しているだけですので、それほど構えることはないと思います。ちなみにプロンプトは小さい声で言うだけがプロンプトでは有りません。大きい声で言おうが、紙に字を書いてちらっと見せたりなんて言うのもプロンプトで、こんなのも実に有効だと思います。

>自分の子ではどうやったらいいのか、子供の状態との知恵比べかもしれませんね。
>ここで、皆さんにあーだこーだとご意見を聞きながらそれをやっていけたら、
>案外楽しむことも出来るかもしれませんね。

そうそう、知恵比べ。これって大正解だと思います。
つぼにはまると、結構うまくいくことがあります。療育って実行が大事なのは言うまでも有りませんが「子供の観察」と「方法を考える」というのも実行に負けないくらい大事な要素だと思います。


休むと言ってたけど 投稿者:リンコ  投稿日: 9月 8日(金)12時43分21秒

これはあんまりなので、説明させてください。

>リンコさんも、フリーラジカルさんも、自分の気持ちをしっかり書かれている
>これは社会性があると思いますが・・・

書けることと話せることは違います。書くことができるからって、話せるとは限らないんです。
音声で話すと、自分の伝えなければならないことは、出ないかもしれないんです。

>お2人くらい、うちの子も自分の気持ちを話せてたら、苦しくないだろうなと思います

私も、文字で書けるくらい自分の気持ちを話せてたら、少しは苦しくないかもと思います。
でも、まだまだ苦しいかもしれないですね。

>心にもない言葉って、言わなければならない事もありますよね

言わなくてはならないからじゃなく、言わなくてもすむことでも、出てしまうんです、音声だと。
もうお腹がいっぱいで食べられなくても、「はい、いただきます」と言ってしまうんです。
筆談だと、そんなことはないのに。
相手に気を使っているからでもなく、喜ばせようと思っているからでもなく、
ただ、本当に、「はい、いただきます」というフレーズがセットであるから、手近だからです。
だから、相手を喜ばせない言葉がでてくることだって、ある程度の確率ではあるわけです。

それはともかく、
ここで書いて許されるようなことでも、会社でしゃべったらどうなります?
この掲示板は、ふだんは人に話せないようなことでも、打ちあけてもいい「安全な場所」でしょ?
私には、安全な場所と、そうでない場所の区別がつかないのです。
ここでの書き込みと同じ調子で、みなさんは、どこへ行ってもしゃべることはないでしょ?
その使い分けが私にはわからないのです。
安全な場所、守られている場所での書き込みだけから「社会性」ってわかるものでしょうか?


それに、 投稿者:リンコ  投稿日: 9月 8日(金)12時57分05秒

私は、耳から聞いたことを、より分けられない。
自分が言われたことと、他人に言われていることとをより分けることもできない。
聞いたことは、全部、自動的に、義務かと思ってしまう。

子どものときは、だから、「指示が通る」と大人には評判が良かったです。
でも、他の子に「ちょうだい」と言われると、断っていいことがわからない。
大事な物でも、悲しいのに、あげてしまう。目の前で壊されるのはわかっているのに。
これは大人になっても変わりませんでした。いろんな人に、何度大金をせびられたことか。
そのたびに、渡してしまう。

社会性って、自分に関係ないこと、自分に責任のないこと、などを、
とりあえず「置いておく」ことも、含まれるんじゃないですか?
いやなことを、断れることも含まれるんじゃないですか?


でも、 投稿者:リンコ  投稿日: 9月 8日(金)13時39分00秒

大ちゃんも、自分の言いたいことを言えるようになるといいですね。
私にはなかなか無理ですが、私もがんばるから。一緒にがんばろうね。

でも、私たちが、自分の本当に心から言いたいことを言うと、「どうやったらやめさせることができるのでしょう?」なんて質問のネタになっちゃうのね。同じ質問をくり返したりとか、看板の文句を口ずさんだりとか、ビデオのセリフをくり返したりとか。

「本当に言いたいこと」で、しかも、「聞いた人が変だと思わないこと」を選ばなきゃいけないわけです。

そして、「自分がしんどいときに身を守る言葉」も、ちゃんと言えると「社会性がない」ことになってしまうかもしれません。「疲れたのでひとりにしてください」なんて、水臭いと言われるでしょう。いちばん、人と応対するエネルギーが枯渇しているときに「しんどいときこそ、助け合わなきゃ」とか「遠慮しないの」とか言われて。生理的に需要そのものが違っていたりするのに。

私が、シャットダウンやパニックを避けるために、回復タイムをとろうとすると、気分を害する人は多いものです。自分が拒絶されたと解釈するようです。


ふむふむ 投稿者:ぴっぴ  投稿日: 9月 8日(金)14時40分05秒

>私は、すべりだい→拍手というのが、パターンになってしまうと、何回かはやると
お母さん、拍手したくないと張り合ってきました(いくらおお泣きされても)
私がパターンについていけないんです
性格的なものでしょうか・・・

せっかくとらさんに賛同いただけたのでもう引っ込もうと思っていたのですが・・
これもまた、よ〜くわかるなあと思い、思わず書いてしまいます。

大ちゃん、パターンで覚えてしまうというのは、得意な方ではありませんか?
でも、それをこちらがやって欲しいことなら作為的にも教えるし(トイレの後は手を洗うとか)
許容範囲だと思うものは容認する(園から帰ったらいつもブロックをやるとか)。
でも、もっとバリエーションを持って欲しいと思うものには、
いつまでもパターンにはまっているのが気に入らないわけですよね。

でも・・・よくよく考えると、子供にはこちらの思惑の区別はつかないわけだから、
このパターンだと誉められるのに、このパターンは抵抗される、と’?’になっているのでは
ないかなあ、とか思ったことがありました。
行動のバリエーションをふやしたい、というのは私も同じ気持ちですが、
いつものこれが好き!っていう子供の気持ちとの折り合いを考えると、
私の方が自分勝手なような気持ちにもなります。
で、どうしましょうか・・・?????


ドッキリ! 投稿者:satomi  投稿日: 9月 8日(金)14時45分41秒

(間違って裏にUPしちゃったぁ〜ダブッてごめんなさぁい)
リンコさんのカキコを読んでちょっぴりドキリ!

ウチのヒロ、「指示の通る(今のところ簡単な指示ですが)いい子」です。
でも観察していると、例えば歯磨きをする時、、、
ハブラシを見せて「ヒロ、きれいきれいだよ」と言うと半分泣きそうになりながらわたしの股のところに寝っ転がって手を左右に広げます(わたしが足で押さえるから)
いろいろな面でそういったことがよくあります。
やりたくないんだけど、そう言われたらしなければいけないという義務感、、、まで感じているかどうかは分からないのですが、そうせざるを得ない、、、みたいな感じ。
ちゃんと出来ると「いい子だねぇ」と言って誉めてあげるんだけど、あまりムリが続くと「いい子っていうのはしたくなくてもする子、ガマンする子」って公式がヒロの中に出来てしまうのは、、、ヤバイのかなぁ。。。
こっちは「楽でいいわぁ〜」と思っていても、こどもにムリをさせているとしたら、、、

ん〜、でもわたしは小さいころからわりとダメなことはダメってはっきり区別して来たんですよね。
「外で、あるいは大きくなってからして欲しくないことは小さいころからいけないことだと教えておいた方がお互いにいい。こどもも始めからダメだと思っていればそう苦痛にも感じないだろう。こちらも余計に叱らなくてすむ、、、大きくなったんだからと言って今まで許していたことをダメだと言われてもこどもも戸惑うだろう」ってのがわたしの持論(というほどスゴイものじゃない。)
まぁ、その辺の応用が利くようになればまた違うのでしょうけれど、、、
最初から教えるのと途中から修正するのとどっちが楽かと言えば最初から、、、単に怠け者なだけです(爆)(((((^^;
わたしって白黒はっきりさせたい人かも。。。結構いい加減なヤツなんですがねぇ(笑)

http://homepage2.nifty.com/hirohaha/indx.html


パターンを崩す? 投稿者:とら  投稿日: 9月 8日(金)17時54分48秒

>このパターンだと誉められるのに、このパターンは抵抗される、と’?’になっているのでは
>ないかなあ、とか思ったことがありました。

難しいです。こちらが教える場合にパターンで覚えさせることは良いとして、意図していないパターンに本人(子供)がはまっている場合にどうするかと言うことですよね。
これはもうペンギンさんにご登場願うしかないかな?

私の意見では子供が小さいうちは、気付いた早い段階でパターンを崩してあげるのが良いように思います。
ABA方式ならば、単にはまったパターンを止めさせたり親が止めるだけでなく、止めることを強化すると言うことになると思います。よく我慢できたね...はいご褒美、ということでしょう。
もしくは別の方法で強化してあげるのも良いかもしれません。
具体的には大ママさんの滑り台の例で言えば、「すべる→拍手する」というパターンにはまってしまった場合に拍手を要求されたら他の方法で喜ばせてあげます。高い高いでも、ビスケットを上げるのでも良いと思います。もちろん、より本人が好むものであれば効果もあるでしょう。
うまく拍手をしないで済んだら、今後は新しいパターンに本人がはまらない程度にパターンを変えて崩してあげると言った感じでしょうか。


あの〜、 投稿者:ペンギン  投稿日: 9月 8日(金)21時27分08秒

別に私でなくても良いと思うのですが…。

こういう場合、物事に取り組ませる最初のとっかかりではどうしても大袈裟な気を引く反応をしないといけませんが、いつもいつもそれではタイヘンなので、だんだんに軽い反応に置き換えて自然な形にハメていくのは順当な成り行きです。
それから、いつもいつも「他人は自分の思い通りになるわけではない」ということも、意図的に教えていかなければいけないことのひとつです。

でも、人に誉められるような行動・プラスの強化子を与えられたものを学習できるというのは、実は単に「行動障害がない」だけだと解釈した方が良いと思います。というのは、連邦市民は異文化として地上での立ち居振る舞いを覚えていくしかないので、「世の中」全部パターンや規則の組み合わせで対処していくことになるからです。
例えば、私は「人が会えば、そこにいない第三者のことを話題にしている」のを見て、「人に会ったら、必ず誰かの噂話をしなければいけない」と思っていました。それから、「ねえねえ、知ってる?」というような話し始めの決り文句も覚えました。いつも他人の行状が気になって仕方ない地球人にとっては、自然な「感情」から起きることなのでしょうけれど、そういう動機がなくても上辺だけ真似することでやりくりしてしまうのです。でも、何の為にそういうことを話すのか解かっていないと、浮いてしまったりヒンシュクを買って逆に怒らせてしまったりという結果になって当然ですよね。(うまくヒットすると、お笑いタレント的な存在になることも事実です。←実は、私はこれでした。)
だから、一見「人の働きかけに応じることの出来る・良い子」だけれど、本当に解かってやっているのかどうか絶えずチェックする必要というのはあると思います。そして、形だけ当たっているのではないか?・へんなパターンにハマっていないかどうか?って常に疑ってかかる必要というのもあります。


魔法のランプのようですね 投稿者:とら  投稿日: 9月 8日(金)21時52分09秒

ペンギンさん、
ホントにありがとう。この手の質問で最も適切な答えを導き出せるのはペンギンさんしかいないと思っていました。精神的・肉体的に書込みされるのが辛いことも多々有ると伺います。そんな中でお名前を出させていただいて無神経だったかもしれません、ごめんなさい。でも自分を含む多くの親が容易に答えを見つけられないテーマの一つだったように感じたものですから...


だから、 投稿者:ペンギン  投稿日: 9月 8日(金)21時55分55秒

>やりたくないんだけど、そう言われたらしなければいけないという義務感、、、まで感じているかどうかは分からないのですが、そうせざるを得ない、、、みたいな感じ。

義務感と言うより、連邦市民は何であれ「そうするものだ」として学習する民族だということを念頭において欲しいです。
でも、「名前よばれたら、返事を書かなくちゃいけない」は、半分義務感かな?←あっ、別に、シブシブ出てきたわけではありませんよ!

それから、ここのホームページに私のことを「本人&親&指導者」と紹介してくれていたのを見て一時の混乱が収拾したことを、この場を借りて報告します。実は、自分で何がなんだか分からなくなっていた時に、さりげなく「&」で結んであったのを見て自分でこのパターンにハマってしまいました。
でも、そのことをくどくど説明してあったら、きっと反発していたでしょう。やっぱり、どういうパターンにハマルかを選択するのはこちら側だということを解かっていないと、うまく事が運んで行かないということもお忘れなく!


社会で 投稿者:大ママ  投稿日: 9月 8日(金)23時30分20秒

いくら気持ちが書けても、言えなきゃ通用しない・・・
また、自分の気持ちをストレートに言ってもいい人と、言ってはいけない人選ばなくてはいけない、言い方も・・・それを、私達は自然にやっていたんだと気づかされました
リンコさん、忙しいのに貴重な時間を使わせてごめんなさい
でも、おせいじでもなんでもなく、こんなに自分を分析し、気持ちを書けるなんてすごいなと
私も正直に書いただけなんです
そして、リンコさんの文章を読んで、私もなにかトラブッタときは手紙やメールで書かないと
自分の気持ちを伝えられない人だった・・・
言葉で(口)伝えようとすると、涙が出てきたり、本当は不安でしかたがないのに、頑張りますと
言ってしまったり、やりたくないと思っているのに、やりますなんて言ってしまったり
本当は悲しいのに、大丈夫と言ってしまったり・・・する
言わなくていい事まで言っていまう
強がっているのか?パターンで口から出ているのか?わかりません

リンコさんの投稿が、私と重なった事があったので
それも自分で書いときながら・・・ビックリしています

やっぱり、私はお二人のように上手に自分の気持ちが書けないです!!!
自分で自分がよくわかっていなくて、なんだか作り物のような自分だからかな?
よくわからない投稿でMさんにもごめんなさい

リンコさんのお話よくわかりました、仕事のじゃまするような事書いてごめんなさい・・・


気付いた? 投稿者:ケロ  投稿日: 9月 8日(金)23時31分45秒

上のクマさん、いつの間にか秋バージョン♪

しかも、クマさんの下のコメントが・・・笑えます。

http://www.alpha-net.ne.jp/users2/mcss5884/


義務? 投稿者:大ママ  投稿日: 9月 8日(金)23時42分07秒

うちの子は、この夏にとっても指示が通るようになったり、言う事を聞いてくれるようになったと
とっても喜んでいましたが、例えば「自転車にのってブレーキの練習したら?」言うと、素直に
自転車に行ったり・・・いままでは、私がそんな事言っても、無視状態でブランコに乗っていたのに。
なんだか、あまりに素直だなと思っていたんですが・・・

言われた通りにしなくてはと、やはり義務と思っているんでしょうか?
ヤダと言っても言いという事を教えてきたつもりですが・・・

ぴっぴさん
ありがとうございます


なんだかすきかってに書きすぎていますね・・・反省します


大ママさんへ 投稿者:朝倉玲  投稿日: 9月 8日(金)23時43分55秒

>言葉で(口)伝えようとすると、涙が出てきたり、本当は不安でしかたがないのに、頑張りますと
>言ってしまったり、やりたくないと思っているのに、やりますなんて言ってしまったり
>本当は悲しいのに、大丈夫と言ってしまったり・・・する
>言わなくていい事まで言っていまう

それって、私も同じです。
そして、そんなふうに強がっている(パターンを口にしている)時って、
自分を自分じゃないように感じますよね。
そう言っている自分の中に、
まるで、プラスチックで固められてしまったような、もう一人の自分の存在を感じることがあります。
そういう時って、実は、ものすごく辛い。
でも、辛いことに自分で気がついていないことも多い。
で、後から、体に出る・・・神経性胃炎とか十二指腸潰瘍とか鬱とか・・・(^_^;)

http://village.infoweb.ne.jp/~asakura/


う〜ん 投稿者:M  投稿日: 9月 8日(金)23時44分16秒

「本人&親&指導者」と紹介したこと  → 混乱
「&」で結んであったこと       →そうせざるを得ないと自動的に義務のように思う
 
 と言う状態になったと理解したら良いのかな。
 で、その後、自力で混乱を収拾したと言う事なのかなぁ。

 そんな事があったなんて思いもしなかったですよぅ。
 言ってもらって良かった。
 ほんと、自分の行動や発言が自分の知らない所で他人に対してなんらかの混乱なり苦痛なりを
 与えているなんて事はやっぱり気持ち良いものではないものね。

 同じ文化圏でもありうることではあるけれど、自分に置き換える事で、ある程度はその混乱な
 り痛みなりも実感はできるわけね。
 異文化の中では、予想ができないばかりか、その痛みも実感はできないから、やっぱり説明を
 してもらう事が唯一と言って良いぐらいの手がかりになってしまうのよね。

 以前も同じような事を書いたのだけど、それでも聞かないとわからないから聞くしかないんで
 すよ、わたし達も。でも、できるだけ直接質問と感じられないように書き方は工夫しますね。
 黙っていたのでは、いつまでもわからないままだものね。
 まずければ、「それはこうだった」「あれは迷惑だった。」とか、どんどん注文をつけてね。
 
 多数で正統とされてきた文化と、少数で異端とされてきた文化のぶつかりあい!!
 さあて、どこで折り合いがつけられますか!!


眠れない 投稿者:こくっぱの母  投稿日: 9月 9日(土)00時40分29秒

ことばと発達と○○の掲示板(*^^*)

「○○」に何が入るのか・・・?
考えていると目がさえて・・・。

うそで〜す。

http://homepage1.nifty.com/kokuppa/


ごめんなさい。 投稿者:ペンギン  投稿日: 9月 9日(土)19時04分59秒

「本人&親&指導者」と書いてあったので混乱したのではなく、混乱を収拾できて感謝しているというようなことを言いたかったのです。
私は本人として聞かれれば本人として答えるし、指導者として聞かれれば指導者として答える。でも、親として聞かれた時には、「親」の心情が解からないので答えることが出来ない。
まず、親として答えるのは出来ないから、これはあっさり諦めました。で、本人と指導者という相反する両者をとっかえひっかえするのはいいんですが、人格の統制が取れなくなってパンクしてしまうことがあるのです。こういう相談を受けていると、いつもいつも「今は本人の立場」「ここからは指導者の立場」といった境界線が明確になっていないので…。
それで、わけがわからなくなっていた時に「本人&親&指導者」と「&」で結んであったのを見て、「な〜んだ、もともと全部だったんだ」と納得できたのです。

>自分の行動や発言が自分の知らない所で他人に対してなんらかの混乱なり苦痛なりを与えているなんて事はやっぱり気持ち良いものではないものね。

ところが、私のすることはたいていコレです。とんでもないところで混乱して、とんでもないことでそれが解決したりなんてこと、ザラです。
こうやって、勝手に情報を読み違えて大騒ぎして、すっごーく遠回りして元のところに戻ることを繰り返しているような気がします。まっ、寄生生物の悲哀ってヤツですかね。


いやいや、ペンギンさん、 投稿者:M  投稿日: 9月10日(日)11時09分24秒

こちらこそ・・です。
私の読解力の確かさ(・・? が、またまた露見してしまったみたい。
          < ここまで、読み間違える人も珍しい? 
    
ところで、
>いつもいつも「今は本人の立場」「ここからは指導者の立場」といった境界線が
>明確になっていないので…。

指導者としての私としてはね、今1番知りたいのは「本人の立場」ね。
出版物やWeb上で少しずつ「ご本人」の発言、立場を知るにつれ、今までの私達
の思い込みや、ご都合主義を反省させられる事ばかりなのね。まあ、それはここの
掲示板を訪れるお母さん方も、同じなのかもとは思うのですがね。
お母さん方の場合、お子さんに合う情報を納得の上、選択し、即、行動に移されて
いると思う。

でも、指導者の立場は、そうはいかない。
複数の子の事を想定して、あの子の場合は・・、この子の場合は・・と、あれこれ
情報を照らし合わせて、指導の場で活用する。ここまでは、なんとかできるんです
よ。

と同時に、親御さんにも、その情報を伝えなければならない・・。ここは、どう考
えてもMの力の限界(指導者一般ではなくMのね)を超えているなと。
           
で、この頃は、教室のお母さん方を直接ここに誘う作戦で乗りきろうと、腹をくく
りましたけどね。  <ねぇ、mamimamaさ〜〜ん、先日の話はそういうことですよ。


あ、話しが逸れた。すみません。
「今は本人の立場」「ここからは指導者の立場」との境界線の話しね。

「本人の立場」を知っている事は、指導者としてはこの上もない武器であるのは確
か。
その本人の主張を最大限活かす方法を考えながらも、
「でも、世の中、そうとばかりは言っていられないのよ。」
と、妥協策も考え、折り合いのつけ方も教えていくのが指導者ね。
本人の立場から考えれば、ある意味で指導者は ”無理解者”でもあるわけねぇ。

あ、今ふと思ったけど、
親の願いは、「本人が楽に生きる」事だとすると、
楽に生きる為の折り合いの方法を指導してくれる指導者は、
親の立場から考えれば、ある意味で ”理解者”でもあるわけね。

境界線なんて、つけようがないね、これでは。

でも、一つ言えるのは、
ご自身が混乱したというその思いとは裏腹に、Web上のペンギンさんの発言は、
その境界線を意識させない切り口で、ハッと気付かされる事ばかりですよ。
ほんと、インターネットは有り難いです。

私自身は、教室では、ドラマの繭子タイプのキャラの子と接する事が多いのだけど、
本当は、最と社会に受け入れられ難いタイプの子の方が、事態は深刻なのだと思い
至り、その辺の事を考えていかなければと思っている所なんですよ。
そういうタイプの子、情緒障害を疑われて、心理相談に行っている事が多いのでは
ないのかな、今。


ははは・・・ 投稿者:M  投稿日: 9月10日(日)11時15分34秒

今、自分の文を読み返して見ての感想、。
起承転結どころか、起承転々、いや起転転々?

これ、ペンギンさんへのRESというよりMのつぶやきですね。
そう思って読みながしてね〜〜。


上のくま、 投稿者:リンコ  投稿日: 9月10日(日)15時43分02秒

発達検査の先生(試験官)に見える。


リンコさん 投稿者:大ママ  投稿日: 9月10日(日)16時30分01秒

前に書き忘れましたが、大ちゃんへの励ましの言葉ありがとうございます!
リンコさんの文章、印刷してとっておきます
将来、大ちゃんが漢字もしっかり読めるようになった時の為に・・・
過去分もいくつか印刷してファイルしています
大ちゃんがもう少し大きくなった時、頭の整理に役に立つはずと思って・・・


ところで…。 投稿者:ペンギン  投稿日: 9月10日(日)19時05分13秒

Mさんって、いわゆる「ことばの教室」の先生なんですよね。確かに、「ことばの教室」に通級している「自閉症」児って、PDD−NOS(特定不能の広汎性発達障害)の子どもが多いような気がします。
何故かと言うと、カナータイプの子どもだと通級より特殊学級に行く確率が高い。アスペタイプで社会性の障害が重い子だと特殊学級に行かざるを得ないけれど、そうでなければ言葉の遅れはあまりないから「ことばの教室」に通級する必要も無い。そういう子どもって、普通学級に在籍し続けているのに「社会に受け入れられ難いタイプの子」だったり「社会に入っていけない子」だったりしているのだと思います。
多動があったり反社会的ともとれるような奇異な発言をしたり人を拒否するような態度をするわけでもなく、「言葉の遅れ」や「みんなと一緒にいたいのにいられないこと」や「知覚過敏」や「不安神経症やパニック発作」が障害になっている子ども(つまり、繭子さんタイプですね)の方が、社会的に受け入れ易いのでドラマのモデルにはふさわしいのでしょうね。でも、それとは全く違う、外見上「普通」の「憎たらしい子ども」が、さりげなくいろんなドラマに登場するようになって欲しいと思っています。←100年早い! 夢のまた夢?

それで、私が一番混乱するのは、親御さん達が「普通化するための療育方法の知識」を求めている場合と、「奇異な行動を受け容れるために本人の気持ちを知りたい」と思っている場合という相反する二つの方向があって、何人もの親御さんが集まると同時に同じ場所で交じり合ってしまうことがよくあるからです。
でも、もともとのお子さんのタイプの違いもあるし親御さんの考え方の違いもあるので、どっちも間違いではないし、いろんな答えがあって正解なのです。メールのように一対一なら別に問題にはならないのだけれど、たくさんの人が同時に質問してくる「親の集まり」だと、ごちゃごちゃになってわけがわからなくなってしまうのです。


それから…。 投稿者:ペンギン  投稿日: 9月10日(日)19時35分45秒

ドラマを作った方の意図としては、「全体として自閉症の印象が良くなって、認知度が上がってくれれば良い」のかもしれないけれど、「社会に受け容れやすいタイプをモデルとして呈示されてしまうと、そこから外れてしまった人は逆に立場が苦しくなってしまう」ということに気づいていないのが残念です。


そうねぇ、 投稿者:  投稿日: 9月10日(日)20時45分04秒

>確かに、「ことばの教室」に通級している「自閉症」児って、PDD−NOS(特定不能の広
>汎性発達障害)の子どもが多いような気がします。

うちの地域は診断を受けた子は少ないのだけど、確かにその傾向はあるようには思いますね。

>アスペタイプで社会性の障害が重い子だと特殊学級に行かざるを得ないけれど、そうでなけれ
>ば言葉の遅れはあまりないから「ことばの教室」に通級する必要も無い。

ふふふ、
ことばの知識はあっても、それを場に合わせて使えない子(語用に課題がある子)は、「ことば
の教室」の対象と考えているんですよ。
で、その「語用の課題」を解釈すれば、社会性や対人に課題のある子も含まれるわけね。 

>普通学級に在籍し続けているのに「社会に受け入れられ難いタイプの子」だったり「社会に入
>っていけない子」だったりしているのだと思います。

そうそう、繭子タイプの子は、
「社会に入っていきにくい子」ではあっても、「社会に受け入れられ易いタイプの子」よね。
あんないじらしい子ではなくて、もっともっと、こ憎たらしいタイプの子(^^ゞが、多分、通常
の学級にはいっぱいいるはずだと、そんな気がしている訳ね。

 
>でも、それとは全く違う、外見上「普通」の「憎たらしい子ども」が、さりげなくいろんなド
>ラマに登場するようになって欲しいと思っています。←100年早い! 夢のまた夢?

>、「社会に受け容れやすいタイプをモデルとして呈示されてしまうと、そこから外れてしまっ
>た人は逆に立場が苦しくなってしまう」

いや、ドラマの作り手は意識していなくとも、実際はそうではなかったのかなというタイプの子
は既に出てきていたかも。
通常の学級に、それとは知られずに、ただの「我が侭な、憎たらし、躾のなってない子」と思わ
れながら在籍しているのと同じ意味合いでね。
それを「全体として自閉症の認知」とつなげていく事が課題かもしれない。
でも、環境要因や情緒の障害と判別していくのが難しそう・・。

>親御さん達が「普通化するための療育方法の知識」を求めている場合と、「奇異な行動を受け
>容れるために本人の気持ちを知りたい」と思っている場合という相反する二つの方向があって、
>何人もの親御さんが集まると同時に同じ場所で交じり合ってしまうことがよくあるからです。

ここの掲示板は圧倒的に後者のタイプの親御さんが多いと思うのだけど、
ペンギンさんの言われるように「どっちも間違いではない」よね。
基本的に親は、「本人(子ども)が生き易い」ようにって事を願うものだと思うから。
それが、前者のタイプの親御さんには「普通であること」って事なのよね、きっと。

ただ、私としてはその「普通」の巾をもっともっと広げるられないかなという事は思うなぁ。
連邦市民の文化に限らず、異文化を受け入れる下地がもっともっと広がればなぁって・・ネ。


「けやき」10月例会 カニングハム・久子 先生 講演会 投稿者:けやき管理人  投稿日: 9月10日(日)20時59分21秒

「けやき」10月例会 カニングハム・久子 先生 講演会

演 題 : 「成人したLD,ADHD児たち」

LD教育の「先進国」である米国で、LD,ADHDと診断され、特殊教育
のサービスを受けてきた子どもたちの予後についてお話をしていただく予定
です。また、高校・大学レベルでの教育支援、社会に出てからの支援などに
ついてもふれていただく予定です。

日 時 : 2000年10月14日(土) 14:00〜16:30 (受付 13:30〜)

会 場 : 東京いきいきらいふ推進センター 講習室
     セントラルプラザ6階 新宿区神楽河岸 1-1
     JR総武線・地下鉄有楽町線/東西線「飯田橋駅」下車すぐ
     [地 図] http://www.ikiiki-joho.metro.tokyo.jp/map.htm

●「けやき」会員以外の方の参加申し込みは、下記要領でお願いします。

参加者氏名・住所・連絡先(電話番号)・所属を明記のうえE-mailで。
なお、「件名(Subject)」は、「講演会申込み」としてください。
定員になり次第締め切りとなります。資料代1,000円(当日納入)

 申し込み先 E-mail: keyaki@box.club.ne.jp

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カニングハム・久子 先生 経歴ご紹介

同志社女子大学卒業後、ニューヨーク州立ハンター大学にて修士号(特殊教
育)取得。

1972〜1996年 ニューヨーク医科大学教官を経て、ニューヨーク州ウェスト
       チェスター郡立医療センター視聴覚臨床センター教育プログ
       ラム主任。

1982年〜現在 「SPEAC ニューヨーク臨床教育父母の会」主宰。日米教育関
       連機関の教育コンサルタント。 

1974年 全米精神遅滞研究協会第10地域最優秀臨床教育賞受賞。

1990年 日本顕彰会より国際的貢献の分野で受賞。

1992年 United to Serve America よりアメリカ社会への貢献が認められダ
    イアモンド賞受賞。

1992年 日米教育交流の促進に尽力したことにより外務大臣賞受賞。

− 著 書 −
「そして挑戦の日々」 日本放送協会出版会 1984
「海外子女教育事情」 新潮選書 1988
「変貌する家族」:「異文化の中の家族」 第6巻 岩波書店 1992
「ニューヨーク障害児教育事情」学習研究社 1992

− 翻 訳 −
「我自閉症に生まれて」 テンプル・グランディン 学習研究社 1994
「自閉症の才能開発」 テンプル・グランディン 学習研究社 1997

http://www.ne.jp/asahi/hp/keyaki/


うちの子は? 投稿者:まっちゃん  投稿日: 9月10日(日)23時49分53秒

うちの子は、3歳のころになり、やっと、ママ、パパをなな、ダダというようになり、ママ、パパになったのは、3歳4ヶ月のころでしょうか。自分の名前が言えるようになったのは、3歳8ヶ月くらい。
弟が、1歳にして、ママパパを正確に言い、いろんな言葉をおうむ返しに言えるのが、不思議なくらいで、でもこれが普通なんですよね。
で、その兄のほうは、年少で幼稚園に行くようになり、何も話せないのに大丈夫かしらととても心配していましが、2学期くらいから、何とか会話ができるようになり、うるさいくらいになってきました。
ただ、いま心配なのは、サ行がどうしてもタ行になってしまうことです。単語によっては、サ行の音になっているのもあるのですが、私は、慣れてしまっているので、すぐわかるのですが、まわりの人は、なんていっているかわからないことも多いようで、言葉の教室などにかよわせるべきなのか、もう少し待ってよいものか、なにか手を打たねばならないのか、迷っています。現在5歳2ヶ月なのですが、どんなものでしょうか?どなたかアドバイスをお願いします。


ぴっぴさん、笑ってください。 投稿者:フリーラジカル  投稿日: 9月11日(月)06時02分21秒

>私「どうしてズボン濡れちゃったか、怒らないから言ってごらん。」
>娘「おこらないから」

>もう、笑うしかないですよね〜。

娘さん、間違いなく「怒られてる」って思ってたと思います。ズボンを濡らすのは(どんな理由にしろ)悪いこと、ってのは普通の子供でも単純に図式化しちゃうらしいですよね。
こんなふうに、怒られてる状態に自閉児をおくと、「言葉を受け取るチューニング」が狂っていると思っていいと思います。ヒトの話す言葉には「骨子」があって、そっちの方を読み取らなくてはいけないのに、一部分の「単語」にひきずられてしまうんです。

私も、緊張したり、疲れたり、初対面の人と一緒のときなんかは、言葉を受け取るチューニングがかなり狂っていて、娘さんのような間違いを(随分しなくなったけど)今でもしでかしますよ。よく笑われます。「帰国子女じゃないか?」って。最近したのは:
同僚「あれえ、このFAX、動かなくなっちゃった〜。直してもらえるかなあ〜。」
私「え〜、(私)そんなの直せないよ〜。」
同僚「・・・。」

1.5秒ぐらいで、自分の取り違いに気付き、「ちっ、またやっちゃった〜」って思いましたが。
そのとき、その同僚は時計を見上げながら言ってたから、
「私が」直せるかどうかを訊いてたんじゃなくて、「メンテナンスの人が終業時間までに来てくれて直してくれるか」を訊いてたんですよね。あと、言葉のイントネーションって私には難しすぎます。いくつかのパターンは覚えたけど。


それからとらさん、 投稿者:フリーラジカル  投稿日: 9月11日(月)06時20分16秒

>そして非自閉の世界では「心がこもっている言葉は好印象を持たれやすい」と言うことではないでしょうか。

その「心がこもっている」というのも、相手(多くの場合、非自閉圏の人)が判断するんでしょ?
どんな言葉が「心がこもっている」と判断されるのかは、TVドラマを見たり、実際の人と人とのやり取りを見て「学習」することで補ってきましたよ。でも私は「ドラマに関するBBS」でも書いたように、細かなイントネーションの使い分けって、できないんです。全部、頭の中にある「演技ファイル」から引っ張り出してやってるから、「何か、ヘンだよ〜。ウソ臭いよ〜。」って言われますけど。

「君教」で繭子が父親のリハビリに付き添いながら、「お父さん、頑張って」というシーンで家人は笑い転げましたよ。「あのしゃべり方、おまえにそっくりじゃん。」だって。あのしゃべり方は大根役者みたいなんだって。私には分からない。というか、あの方が本当のことを言っている感じがする。

相手に心を伝えたい、何とか励ましたい、と、心の中では必死で思っているのに、イントネーションがおかしいから、お芝居だと思われたり、ヘンな嫌みだと思われるのは、寂しい限りです。


言葉の遅れの原因にも、 投稿者:フリーラジカル  投稿日: 9月11日(月)06時59分33秒

いろいろあるはずですよね。これはMさんに任せた方がいい分野ですが。
言語学の世界では「範疇化」ということを言いますね。
つまり、人は耳から言語を聞くときに、すべての音を一つ一つ、正確に聞いている訳ではなく、全体の意味から補いながら聞いていて、この補う作業を「範疇化」というのだと。

この「範疇化」という言葉を私が最初に知ったのは中学のときだったと思いますが、そのとき、「あ、私に他の人の言葉の意味が理解できなかったのはこのせいだったんだ!」とびっくりしました。

「じ」と「ひ」の聞き分けができなかったように、感音難聴があったのも原因かも知れない。
(感音難聴というほどのことでもなく、子供は誰でも音を聞き取る能力に歪みがあるんじゃないか、と私は思っていますが。)

例えば、
「きのう、TVでやってたポケモンのことだけど、出てたモンスターの名前、全部知ってる?」
が、
「きのう、TV・・・ポケモン・・・モンスター・・名前、知ってる?」
に聞こえていれば、会話は、ナントカ成立はするような気がします。でも、
「きのう、テレ・・・ポケモン・・・モンス・・・知って・・・」だと、
なんとも分からない。保育園時代、最初の頃は、クラスメートが話しかけてくるのはこんな感じに聞こえていました。
やっと音を拾えるようになっても、(シングルタスク人間のせいか)音を拾うことに熱心になっていると意味をつかめない。
その「意味」も、個々の単語をばらばらに理解していたのでは、「文」という形のメッセージとしては意味を成さない。そもそも「文」というスタイルがあることに私はなかなか気付かなかったから、モノの名前を羅列してました。
個々の単語に有機的なつながりがあって、それが「メッセージ」として私に投げかけられている、というのに気付くまで時間がかかったように思います。
ここで私の言う「意味ダンゴ」の登場です。私に投げかけられる言葉を「意味のカタマリ」として受け止め、それを絵に翻訳することで、相互の関係から「一文のメッセージ」にできて初めて理解できる。
この「絵に翻訳すれば分かる」ということにも、なかなか気づけなかった。
さらに自分の「返答」を絵に翻訳すれば、言いたいことを途中で見失ってしまう「迷子」にならずに言える、ということに気付くのも遅かったんです。私のバヤイ。

ふう〜。

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