2002年1月その1
あけましておめでとうございます。 投稿者:ととら  投稿日: 1月 1日(火)01時02分16秒

年末のごあいさつ、ちょっと間に合わなかったので、
新年のごあいさつとともに・・・・・。

去年の今頃は、どこへ行っても泣いてばかりのリクをかかえて、
こっちが泣きそうになっていましたが、この掲示板に出会って、
ほんとうに前向きにがんばってこれたような気がします。

本当にみなさまのおかげだと、心より感謝してます。

まだまだこれから大変なことはあるだろうけれど、
一歩一歩、階段をあがるように、リクとがんばっていきたいなぁって
思います。

今年1年も、みなさまにとって、すばらしい1年になりますように。
そして、今年もどうぞよろしくお願いします。


あけまして 投稿者: あっきー  投稿日: 1月 1日(火)01時26分32秒

おめでとうございます。
こちらのお正月はこれでもう3回目になるんですねぇ。
息子の事では相変わらず悩むとここに書き込んでしまう私です。
今年もどうか宜しくお願いします。


新年 投稿者:rishou  投稿日: 1月 1日(火)02時11分13秒

あけまして おめでとうございます
よいお年を3 で 思わず 名前を探してしまいました  あったー! ありがとう
本年も お仲間にくわえてくださいませ・・・by 理尚


あけましておめでとうございます 投稿者:象屋敷  投稿日: 1月 1日(火)03時09分26秒

今年もよろしくお願いします。


恒例 今年の目標 投稿者:  投稿日: 1月 1日(火)11時28分32秒



初めからもう一度!
   だけど、更に一歩前へ!!
      
          
             < サブ目標  長生きをする!
               一緒に頑張りましょうねぇ。
               しぇんぱい、sa〇〇様、〇い〇様。


ままはっち 投稿者:謹賀新年  投稿日: 1月 1日(火)12時43分55秒

明けましておめでとうございます。
書き込みもあまりしないのに、お名前ありがとうございます。

近況です。
今年の春からハッチは5年生になります。
昨年末、いろいろあって本人に告知(アスペ・高機能自閉症)をしました。
これから、本人の自覚と共に親が一緒に歩む「療育第2章」となります。
とても大切な時期を迎えたのだと、身も引き締まる思いです。
また皆様のお知恵をお借りすることも多くなると思います。
よろしくお願いいたします。


謹賀新年 投稿者:ままはっち  投稿日: 1月 1日(火)12時46分19秒

↓ 題名と投稿者が反対でした・・・
2002年最初の大ボケ・・・

      今年も思いやられる・・・


2002年 投稿者:るり  投稿日: 1月 1日(火)14時14分24秒

明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いいたします。

今年は息子も年長さんです。
ここを訪れたときは、3歳になったばかりでした。
皆さんに励まされながら、なんとかここまでやって参りました。
ありがとう。

今年の近い目標として、
声の大きい息子に、場面に合わせてカードを使って音の強弱を教えていこうと思います。
息子の大きい声は私の神経を消耗させてくれるので。(笑)

今年も皆様にとって、良い年でありますように♪




あけましておめでとうございます 投稿者:腐乱検死体  投稿日: 1月 1日(火)21時01分28秒

旧年中は、時折望外のことでお騒がせして申し訳ありませんでした。
今年はなるべくお騒がせしないようにしたいと考えております。
皆様、お手柔らかに。


謹賀新年です♪ 投稿者:こーき  投稿日: 1月 1日(火)21時32分57秒

今年も、息子さん共々よろしくお願いします!


あけましておめでとうございます 投稿者:カンガー  投稿日: 1月 2日(水)17時53分35秒

今年も皆様よろしくお願いいたします。


迎春♪ 投稿者:マー君のママ  投稿日: 1月 2日(水)21時51分01秒

今年もよろしくお願い致します。
最近はもっぱらロム組ですが、ここのお話しもいろいろ参考にさせて頂いています。
今年は悲しい話がないように、平和な日本、世界になるように・・・


みなさま、 投稿者:かずりん  投稿日: 1月 2日(水)23時33分48秒

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
31日から主人の田舎のほうへ遊びに行っていたので、ごあいさつが遅くなってしまいました。

去年はしょう君が小学校に入学し、なんとかここまで大きなトラブルもなく過ごしてくれました。
9月からスイミングとボーイスカウトを始めたのですが、どちらも小人数のグループなので指示が入りやすく、言われていることが理解できることでしょう君の自信にもつながっているようです。

じゅん君も、1月からスイミングにデビュー、そして4月からは小学生です。
小学校生活や、しょう君との関係などなどどうなることか・・・といった感じで、不安でもあり楽しみでもあります。

この1年が、我が家・そして皆様方にとって素敵な1年になってくれればと思います。


今年も宜しくお願い致します。 投稿者:  投稿日: 1月 3日(木)23時37分27秒

あけましておめでとうございます。
昨年は、こちらで、色々とアドバイスを頂きありがとうございます。
今年から、娘も小学校。校長先生もまだ、クラスを悩まれていて、(就学前検診も
普通に通ってしまったので、普通でやってみてはどうか....それとも
やっぱり、個別に関われる育成が良いか...育成の先生や校長先生が幼稚園に
足を運びながら、検討中です。)居場所が決まっていませんが、娘にとって一番、
良い場所に席を置くことが出来ればいいなと思っております。

特別に大きな幸せを望んでいるわけではないですが、平凡だけどそんな毎日が幸せ!と
言えるような一年になればいいなぁと思います。

今年も宜しくお願い致します。

遅くなりましたが、カンガーさん。ルーちゃんに楽しいクリスマスが訪れて
本当に良かったですね。

色んな争い事によって、尊い命が奪われることのないように、
特に立場の弱い人々にいわれのない攻撃がなされないように、
誰もが、生まれてきて本当に、良かったと思えるような、そんな一年になりますように。


栞さんへ 投稿者:カンガー  投稿日: 1月 4日(金)10時15分15秒

クリスマスの時は、とても素敵なお話をありがとうございました。
娘も、「ブーツはお外に置くのでもいいんだよ」という言葉で恐怖が和らいだのだと思います。

お嬢さん、今年から小学生なのですね。うちと同じです。
うちの場合は、小学校の校長先生が普通学級でとおっしゃるので、そのように決めました。
情緒障害の通級をどうするか、今検討中です。
1年生で情緒障害の通級に入る例はないそうなので(週に1日通常クラスを抜けるのは、学校生活やクラスに慣れるという意味で良くないと思われている)、検討してもらっています。
もしだめだったら、ことばの教室を希望しようと思っています。
わたしも、娘にとって、一番楽しく学校生活が送れる場所を探してやりたいと思っています。


教えてください 投稿者:満月  投稿日: 1月 4日(金)12時44分07秒

はじめまして。いつもこちらをROMしている、成人アスペ(診断済)の満月です。(それと、あけましておめでとうございます)

早速みなさまに質問なのですが、
学研の「実践障害児教育」の1月号に手記をお寄せになっていらした「コアラさん」をご存じの方はいらっしゃいますでしょうか?

いろいろ発達障害関係の掲示板を巡っているのですが、そういうHNの方はどこにも見当たらないので、どなたかご存じの方はお知らせ頂けるなら幸いです。

どうか宜しくお願い申し上げます。


実家に 投稿者:  投稿日: 1月 4日(金)21時26分44秒

帰っておりました。
あら、お久しぶりのお顔もちらほらと。
初めまして、満月さん。

>学研の「実践障害児教育」の1月号に手記をお寄せになっていらした「コアラさん」をご存じ>の方はいらっしゃいますでしょうか?

コアラさんっていう方の書かれた文、私は、頷く事ばかりでした。
掲示板ではお見かけしないお名前なので、ネットをされていない方なのかもしれないですね。

アスペのご本人の方には、いつも、色々教えて頂いているこの掲示板ですが、
世の中には、まだまだ、大勢のご本人の方がおられるんですよね。

私は、
そのお一人、おひとりが、ご自分の今までの生き難さを世に訴え、
周りが変わっていく事で、次の世代の子どもたちにも良い結果をもたらせられると良いなあ
と、そんな思いでコアラさんという方の文を読ませていただきました。

満月さんも、もし宜しければ、色々お教え下さいね。


当事者の座談会? 投稿者:満月  投稿日: 1月 5日(土)13時26分17秒

Mさん、さっそくレスをありがとうございます。

>コアラさんの文章、頷く事ばかりでした。

私もです。そして、自分の言いたい事をよくことこまで言葉にできるな、と、関心もしていました。
(ただ、文中の「のです」調が、押しつけがましくて目障りでしたが。)

ただ、同じ雑誌の「青年就労者座談会」についてですが、この種の発達障害を持っていると、いくら高機能でも、座談すること自体が難しいのでは?とも思いました。
(見方を変えると、「会話ができる」ぐらいでないと、就労できないということなのかもしれないな)


はじめまして 投稿者:なお  投稿日: 1月 5日(土)20時54分00秒

はじめまして。
なおといいます。養護学校で働いてます。このHPとてもいいなあとおもいます。
子どもたちがとても尊重されていて、いいなあ。
またのぞかせてもらいます。
わたしも、時々京都の方の勉強会に伺ってます。Mさんにもどこかでお会いしてるかも知れませんね。これからもよろしく。


座談会ができること、 投稿者:リンコ  投稿日: 1月 5日(土)21時05分12秒

私はたぶん読むこと自体耐えられないと思うので買わなかったから、読んでいないのですが、

どうか許してあげてください。座談会ができることを。そして、就労できることも。

座談会ができることも、就労できることも、診断がついていることも、彼らの非ではないのですから。

それから、コアラさんって、絶対に私ではないです。信じてください(って、読んでいないので、間違えられるようなことを書いているかどうかは知りませんが)。


座談会と言うより 投稿者:  投稿日: 1月 5日(土)21時18分50秒

>ただ、同じ雑誌の「青年就労者座談会」についてですが、この種の発達障害を持っていると、
>いくら高機能でも、座談すること自体が難しいのでは?とも思いました。

座談会となっていたけど、実質はS先生との一問一答よね。
S先生の発言には、ほとんどと言ってよいほど見事に「?」マークがついていましたね。
相手が答えやすいような話しかけの仕方、そして相手があっさりと”一答”で返して来た時の
次へのつなぎ方等、”流石!”とただただ感心して読んだ若輩者のわたくしでございます。
                                       A^^;

でね、
19歳から21歳という年齢と、S先生が「ちゃん、くん」で呼んでおられることから考えて、
あの方たちは、小さい頃に診断を受けて、親御さんや周囲の理解や対応も良く、いわゆる療育
もきちんと受けてきた方たちなのかなと。

だとしたら、
今の療育では、個別指導だけではなく、グループ指導にも力を入れておられると思うし、
それに、
自閉と言っても色々で、もともと人とかかわる事自体が嫌いな子ばかりとも限らないし、
そういう事なら、
このような形の座談会も可能な子は多いのではないかなと思うけど?


>(見方を変えると、「会話ができる」ぐらいでないと、就労できないということなのかもしれ
>ないな)

就労についてはね、以前、テンプル・グランディンさんが、こんな仕事が向いていますという
例をあげられたのを見た事があります。
随分、沢山の種類をあげられていたと思う。
職種自体は、はほとんど覚えていないけど、 < おい
会話ができるか否かではなく、苦手な事のフォローが可能な体制、得意な事を活かせる体制と
いうのがポイントかなと、その時には理解したのだけど、どうかな?


あら 投稿者:  投稿日: 1月 5日(土)21時32分56秒

なおさん、こんにちは。
メールを頂いたなおさんですよね。メールにもほとんど返事も書かない不精者の管理人ですが
宜しければ、ここで一緒に勉強をしましょうね。
私にとっては、ここは教室の子たちへの指導を考える学習室なんですよ。


座談会などについて 投稿者:満月  投稿日: 1月 5日(土)23時00分53秒

お2人さんへのレスを一緒に書きます。

>私はたぶん読むこと自体耐えられないと思うので買わなかったから、読んでいないのですが、

私も、読むのが耐えられない箇所はいっぱい、あったなあ。
(失礼だけど、8月号のリンコさんのお書きになられたものも、同じ理由で私は読むのが辛かったなあ)

>どうか許してあげてください。座談会ができることを。そして、就労できることも。
>座談会ができることも、就労できることも、診断がついていることも、彼らの非ではないのですから。

いかにも彼等の非ではないです。
適切な療育を受けたから、ということなのだと思います。つまり:

>19歳から21歳という年齢と、S先生が「ちゃん、くん」で呼んでおられることから考えて、
>あの方たちは、小さい頃に診断を受けて、親御さんや周囲の理解や対応も良く、いわゆる療育もきちんと受けてきた方たちなのかなと。
>だとしたら、今の療育では、個別指導だけではなく、グループ指導にも力を入れておられると思うし、
>それに、自閉と言っても色々で、もともと人とかかわる事自体が嫌いな子ばかりとも限らないし、
>そういう事なら、このような形の座談会も可能な子は多いのではないかなと思うけど?

人と関わる事との好き嫌いと、人と関わる能力とは、まったく別のものです。
私は人とは関わりたかったのですが、会話がすこぶる下手なので、せめて文章は書けるようにと必死に努力しました。
だけど、文章力が上達すると、会話能力も同程度あるものなのだと周囲に思われてしまうようなのね。

その点、講演をこなせるという点に於いては、
ドナにせよテンプルにせよ、ほとんどスーパーマン?です。
もちろん、それには、死ぬような努力が陰にあったんだと、私などは思っています。

>就労についてはね、以前、テンプル・グランディンさんが、こんな仕事が向いていますという例をあげられたのを見た事があります。
>随分、沢山の種類をあげられていたと思う。
>職種自体は、はほとんど覚えていないけど、 < おい

そうそう、視覚認知能力を生かせる仕事ね。

>会話ができるか否かではなく、苦手な事のフォローが可能な体制、得意な事を活かせる体制というのがポイントかなと、その時には理解したのだけど、どうかな?

仮に勉学や仕事ができても、結局は人間関係で躓いてしまうから、それにはやはり、まず「コミュニケーション能力」「協調性」ありきなのかな?と思っています。
(お国柄の違いもあると思うから、テンプルさんの意見をウ飲みにはできないと思いけど)

>それから、コアラさんって、絶対に私ではないです。信じてください(って、読んでいないので、間違えられるようなことを書いているかどうかは知りませんが)。

信じていますよ。


(無題) 投稿者:リンコ  投稿日: 1月 5日(土)23時08分42秒

ありがとう。


あけましておめでとうございます 投稿者:のあ  投稿日: 1月 6日(日)01時06分43秒

今年もよろしくお願いいたします。

ずいぶんとご無沙汰してしまっていますのに、「よいお年を3」に名前があったのを見つけてうれしいです!
Mさん、みなさまにとって素敵な一年になりますようにお祈りいたしております。


うん、 投稿者:M  投稿日: 1月 6日(日)09時44分49秒

>人と関わる事との好き嫌いと、人と関わる能力とは、まったく別のものです。

そうね。

>私は人とは関わりたかったのですが、会話がすこぶる下手なので、せめて文章は
>書けるようにと必死に努力しました。
>だけど、文章力が上達すると、会話能力も同程度あるものなのだと周囲に思われて
>しまうようなのね。


うん、リンコさんからも、以前、同じようなことを聞かせてもらった。
”にんげんゆうゆう”に出演した時も、
苦手な音声言語ではなく、得意な方の文字言語を駆使してお話してくれたよね。

私は、
文字でも絵でも視覚シンボルでも、伝える事自体に労力を使わずに済む方法、
つまり伝えたい内容に神経を集中できるコミュニケーション手段を使う事が、
より確かな”コミュニケーション”になるのかなとずっと考えてきた人間なので、
その意味わかります。


>仮に勉学や仕事ができても、結局は人間関係で躓いてしまうから、それにはやはり、
>まず「コミュニケーション能力」「協調性」ありきなのかな?と思っています。

コミュニケーション能力を、
何らかの手段で自分の思いを伝えることのできる能力と言い換えても良いかな?
だったら、必要ね。
そして、
そのコミュニケーション手段を自然に受け入れてくれる環境も必要。

協調性はどうかな?
許容範囲(これは譲れないが、それなら譲っても良いという世の常識や決まり)や、
その交渉のスキルを学ぶ事、
そして、
それらを行使できる環境っていうのが大事なのかも。
もし、許容範囲を超えても自分を押さえ人に合わせるのが協調性です
なんて言われたら、
多分、地球人の私でも破綻するだろうと思う。


おっと、訂正 投稿者:M  投稿日: 1月 6日(日)11時24分19秒

許容範囲の説明が少し変でした・・。
 言いたかったのは、
 これは譲れないが、それなら譲っても良いという自分の許容範囲と
 世の常識や決まりとの
 折り合いの事。

つまり、

「世の常識や決まりと自分の許容範囲の折り合いをつけ、
 範囲を超えるものについては交渉をするスキルを学ぶ事、
 そして、
 それらを行使できる環境が用意されるっていう事が大事なのかも。」


コミュニケーション。 投稿者:満月  投稿日: 1月 6日(日)12時13分02秒

>私は,文字でも絵でも視覚シンボルでも、伝える事自体に労力を使わずに済む方法、つまり伝えたい無いように神経を集中できるコミュニケーション手段を使う事が、より確かな”コミュニケーション”になるのかなとずっと考えてきた人間なので、その意味わかります。

そう思います。
そういう意味では、自閉の人がテレビに出演して“喋ったり”する、というのは、世の中に誤解を招くかも。「ああ、普通に喋ってるじゃないか」とか思われたりして。
本人は、文字通り必死の思いで“喋ってる”のだとしても。(可愛相)

>コミュニケーション能力を、何らかの手段で自分の思いを伝えることのできる能力と言い換えても良いかな?
>だったら、必要ね。そして、
>そのコミュニケーション手段を自然に受け入れてくれる環境も必要。

日常会話は駄目でも、例えばこうした掲示板がある。(機械に強ければ)自分でHPを作ってもいい。
あるいは、書いたものを載せてくれるような機関紙がもっと普及すればいいと思う。
あるいは、(受け入れられるかどうかは別にして、)新聞や雑誌に投稿するなんてのもそう。
あるいは、エッセイや短編の公募だとか、
極端な話、本を書く、とか。(まあ、この最後のは、出版社が受け入れてくれれば、の話ですが。)
自分から捜し出すなら、(そして、自分から開拓していくなら、)世の中にも、そうした環境がたくさんあるような気がします。

>協調性はどうかな?
>許容範囲(これは譲れないが、それなら譲っても良いという世の常識や決まり)や、
>その交渉のスキルを学ぶ事、

交渉は苦手だな。たいがい、負けてる。もっぱら、相手のいいなり。(笑)

>そして、それらを行使できる環境っていうのが大事なのかも。

そういうのってあるかなー。今のところ、百パーセントこちらから歩み寄らなければならないでしょ。

>もし、許容範囲を越えても自分を押さえ人に合わせるのが協調性です
>なんて言われたら、
>多分、地球人の私でも破綻するだろうと思う。

それは私の能力を遥かに越えた事なので、
最初からそういう事は「しない」ように心掛けております。


話し言葉と書き言葉 投稿者:リンコ  投稿日: 1月 6日(日)18時21分41秒

私にとっての「表現」は、必ずしも常に書き言葉が楽、あるいは効率的とは限らないようです。

これはごく最近、ここ数年気づいたことなのですが。

という以前に、「話し言葉か書き言葉か」という分けかた自体が、私の状態を表す上ではどうも単純すぎるらしいことに気がつきました。

一つは、話し言葉であれ書き言葉であれ、「一方的に垂れ流す」か、「相手の表現したこともすくい上げる必要がある」かによって、どうも大きな違いがあるみたいです。

それと、「常日ごろ思っていること」「既によく考えてあること」を伝えるのと、「現在進行形の思いつきをとりあえず出してしまう」のと、それによっても差があるようです。

また、「私のこと」なのか、学問、科学、技術、ビジネス、趣味のように、「外部のこと」なのかによっても大きな差があります。

私にとっては、話し言葉は、外側にあって一応完結しているものという感じが強く、「自分」をそこに関わらせることの方が難しいんです。何度かお話ししている、「食べたいのはスパゲティだが、『お子様ランチを注文』『サンドイッチを注文』を流暢にやってしまう」が、これですね。あるいは、お腹がいっぱいであること、お酒がもうこれ以上飲めないこと、病院に行きたいこと、などを表現するのもこれにあたります。

でも、ビジネスや科学、技術、趣味、状況の分析、などに関しては、この障害はあまり問題になりません。自分を表現するのに話し言葉を使うのは私は苦手ですが、話し言葉そのものを扱うことは全然苦手ではないからです。だから、たとえば翻訳技術に関する講演だとか(翻訳自体まだ未熟なんで現実には内容的に無理ですが)、出版業界の情勢に関する講演だとか(これも出版業界のこと何も知らないんでこれまた現実的には無理ですが)、そういうのなら、私もけっこうできちゃうんじゃないかと思います。あるいは、スタートレックの魅力を語れ、なんてのはできるかもしれませんね。

私の場合、話し言葉だから難しいという以上に、相手と自分の区別が難しいというのがある気がします。

書きことばの場合、掲示板にしても原稿にしてもメールにしても、家で自分のパソコンで書きます。それも大きい。

話し言葉の場合、相手が話し言葉で話しかけてきて、それに対して自分も話し言葉で返すとなると、相手と自分の区別がつけにくくなって、相手の世界に「行ったきり」になりそうな感じがするのです。「にんげんゆうゆう」のときは、相手に話し言葉で話してもらい、こちらが書き言葉で返しましたが、それによって、相手の話し言葉をいったん自分の領域へ持ち帰って自分の返答は自分の世界で構成する余裕ができたと思うのです。書き言葉の方が、自分と結びつけやすい、自分を関わらせやすいから。


話し言葉の方が楽な場合は、 投稿者:リンコ  投稿日: 1月 6日(日)18時37分53秒

で、逆に話し言葉の方が楽な場合もあるらしいことに気づきました。

それは、書き言葉だと丁寧に構成するから、そのコストがかなり大きいことから来ています。書き言葉の方が「自分を関わらせるのが簡単」「相手にとり込まれずに自分を見失わないのが簡単」というだけであって、書くこと自体が必ずしも楽とはいえないわけです。

そこまで丁寧に構成する必要のない場面、あるいは内容であれば、書くこと自体のコストが惜しいわけですね。また、自分を関わらせる必要のない内容や、自分を見失う心配のないくらい自分との関係を既に考え終えている内容であれば、書くこと自体のコストをかける必要がないかもしれない。

話す方が楽なのは、細部を整える必要のない内容で、しかも、相手が聞き上手であるか、相手がその話題で私と何度も話し合った経験が基盤にあったり、私と共通の予備知識があって、経験の蓄積を利用できる場合(「ツーといえばカー」とか、そういう状態)。

たとえば、仕事の上で、次の企画なんかについて、漠然と「こんなイメージの」とか、そういう話をするときなんかは、メール書くより電話してしまいます(私が電話の使い方がものすごく苦手であることをご存じの方は驚かれると思いますが)。ブレーンストーミング的な会話ですね。それは、思いつきの鮮度が命だから、ていねいに言葉にしている時間が惜しいから。忘れてしまうのが惜しいし。

もう一つは、精神科医を相手にあーでもないこーでもないと報告して、自分のしゃべりかけの報告の言葉の断片を使って自分で考えを整頓していく場合ですね。これも、話し言葉の方がうまく行くみたいです。

私の場合はADHD的な要素もかなり重なっているから、衝動性との折り合いをつけないといけないし、物忘れとの競争だったりもしますから。

書き言葉だと、構成が目で見渡しやすくて自分で混乱しにくいのですが、とにかく断片を吐き出していくことの方が大事な場合(つまり、構造はどうでもいいから、細部が大事な場合)は、構成を見渡しやすいことがかえって足をひっぱります。構成を見渡している時間に、細部を忘れていくので、メモの意味をなさないのです。

用事のメモ、買う物のメモなどは、夫に口で言って書き取らせる方がうまく行きます。でも、聞き取る力はないらしく、逆はできません。私の場合、「話せるけど聞けない」というところかも。


う〜む、 投稿者:M  投稿日: 1月 6日(日)20時48分40秒

音声言語そのものが苦になる場合と、

音声言語か文字言語かにかかわらず、
相手を意識せず 常套句的な表現をするのには    苦は少ないけど、
相手を意識し  社会的機能を担う表現をするのには 苦が多い
場合があると言う事?
これって、カナー自閉かアスペかには関係なく個人的な違い?


だとしたら、後者の子ども達には
言語機能にある
(1)道具的機能
    要求(物、援助、許可) 注意の喚起 情報収集的な質問 主張
(2)社会的機能
    自発的かかわり(あいさつ、質問、社交辞令的な叙述)
    他者からのかかわりへの応答(応答、返答、社会的連鎖、終りのあいさつ)
(3)個人的機能
    感情表現、命名、復唱、余興
                         (by browder)

のそれぞれに応じて使い分けるように指導したら良いのかも。
(1)や(3)の場面を中心にパターンで慣れさせ、
(2)の場面は、SST、ロールプレーイングで、音声言語以外の補助的手段を活用
 することも教えて行く。
                 < う〜ん、こんなんで良いのか。
                   今年も迷走しそう。。。


たぶんね、 投稿者:リンコ  投稿日: 1月 6日(日)21時25分56秒

言語以前の、あるいは、言語以外の困難が、言語を通して透けてあらわれるんだと思うんですよ。

感覚や運動の問題、自他の切り分けの問題(「自分」ができているかどうか)、注意の保持や切り替えや調節の力、ふたつ以上の作業を両立させる力、さまざまな記憶の力、時間感覚、退屈に耐える力、覚醒度、不安レベルなどなど。

私の場合には、まず、感覚の問題がありますよね。感覚っていったって、視覚、聴覚みたいに外界の情報を測る感覚と、内臓感覚や空腹感、尿意、バランス感覚、吐き気などなど、内側からの情報を測る感覚とに分けられるでしょう。この分け方でいくと、私の場合は、「内側からの情報を測る感覚/外側からの情報を測る感覚」の値がすごくすごく小さい。分子が小さいのか分母がでかいのかあるいは両方なのか、合併しているADHDのために退屈に対する耐性が低くて外界の情報の方が目新しくて引きずられるのか、とにかくこの比が小さい。

自閉っ子でも我が強くて頑として要求を通す子っていますけど、私はその逆でした。すぐ納得する子だった。聞き分けが良いからというより、自分のニーズを測る感覚が鈍いから、不満そのものが生じないんです。

この状態だと、けっこう幸福度は高いんですよ。その意味では、自尊心とか自負心とか愛着形成とかにはプラスかもしれません。でも、自他の区別を学ぶって点では、すごいハンディになります。(ここではとりあえず関係ないですが、健康や衛生を保つための身辺自立にもハンディになると思います。ADHDが重なってると、こだわりを使って作業として確立させちゃうって手が使えませんから、身辺自立面でのハンディは2倍になると思います)

さて、自他の区別がついてない、あるいは、満足度が高くて要求したいこと自体を思いつかない間に、言語の習得だけが先走ってなされるとどうなるか。ここがたぶん、私がアスペルガータイプだったことから来てる部分だと思うんですが、言語が外界で独立して完結しちゃって、自分が積み残されるわけです。

また、ADHDが重なってると、退屈への耐性が低いですから、オモチャとして外界の人間、外界の人間の発する言語を求めることにもなります。

さて、自閉スペクトル一般にいえる特徴として、ふたつ以上の情報を同時に処理するのが苦手だったり、注意の対象を切り替えるのが遅かったりってことがあるそうですが、「言語が外界で完結してしまっている」「退屈対策として、他者の言語を求める」の上に「切り替えが遅い」が重なると、「相手の言葉を聞いたら、相手の領域に行きっぱなしで、自分の領域に帰ってこられない」ってことになるんだと思うのです。



表現を整える作業にかかるコスト 投稿者:リンコ  投稿日: 1月 6日(日)21時37分00秒

で、音声言語か文字言語かに関わらず、「一方的な表現であるか、フィードバックが返ってくる表現であるか」という差は大きいですね。フィードバックが返ってくるかどうかというより、フィードバックの頻度かな。あるいは、先方のフィードバックに更にフィードバックすることを期待されているか否かってのも。

こちらの表現が終わらないうちにフィードバックの返ってきてしまう表現形態と、とりあえず言うこと(書くこと)最後まで言ってしまえる、書いてしまえる表現形態とによって、大きな差ができます。

私の場合、たぶん、話し言葉であっても、講演みたいに一方的にしゃべれる形っていうのはかなりハードルが低いと思います。書き言葉であれば、本を書くのと似たような感じ。とりあえず言いたいことは最後まで言ってしまえる。自分の中で、決まり文句の再生に陥りすぎないようにというモニターをしなきゃいけないっていう負担はありますが。

会話のように途中でフィードバックが返ってくると、それに対応しないといけないってんで、注意の切り替えが細か過ぎて負担が大きいのです。

ただ、フィードバックが返ってこないのは、楽である反面、ちゃんと通じているかどうかが最後まで確認できないっていう欠点があります。だから、不安になり出すととことんまで不安。

フィードバックに対応する負担と、通じてるかどうかの不安とを天秤にかけて、ってことですね。

書き言葉を使った表現舞台では、一応最後まで言えてしまうっていうのは講演と共通ですが、誤解の生じにくい表現を選ぼうと思って、けっこう私は凝ってしまいます。だから、疲れます。

相手に通じる言い方になってるかどうかはわからないから、強迫的に、ていねいな書き方になってしまいます。というより、ほとんど、丁寧な書き方しかできない。

そうなると、場合によっては、そこまで凝らなくても通じるかもしれないのに、丁寧な書き方しかできないから、表現そのものを諦めてしまうことがあるわけです。凝るか黙るか、二者択一しかできない。それが書き言葉の欠点です。


話し言葉は苦手だ 投稿者:満月  投稿日: 1月 6日(日)21時47分22秒

やっぱり、自閉症といっても、いろいろなんだなー。
私の場合は、おそらく言葉全般の障害だな。
というのは、単語や記憶そのものを、頭の中の引き出しから持ってくるのに、すこぶる時間が掛かるというか。(そしてそれらを、文章として組み立てるのに、これまた時間が掛かるから。)
だから、即座に発語しなければいけない「話し言葉」の場合だと、障害が出やすい一方、
「書き言葉」の場合だと、時間稼ぎができるから。
関っている障害はどちらも同じ程度なんだけどね。

だから、はっきり言えば、実はこうしたカキコもかなり苦手な方です。
(今は訓練を兼ねてカキコしてるけど。)
私だったら講演だとかTV出演となったら地獄だわー。
無理にこなそうとすると、話がピーマンになるかも。


情報の同時並行処理。 投稿者:満月  投稿日: 1月 6日(日)22時05分54秒

>会話のように途中でフィードバックが返ってくると、それに対応しないといけないってんで、注意の切り替えが細か過ぎて負担が大きいのです。

私の場合で言うと、結局、この「注意の切り替え」がからっかしできないところに、加えて、記憶なりを手繰り出すのに時間が掛かるから、結局、二重(三重?)の理由で、会話となると混乱する。

つまり、
>ふたつ以上の情報を同時に処理するのが苦手だったり、
するわけだ。


あけましておめでとうございます 投稿者:けさよ  投稿日: 1月 6日(日)22時37分57秒

以前、子供の言語について書き込みいたしました。(ずいぶん日が経ちますが・・・(^ー^;A )
このたび、いままでの個人的HPと打って変わって、地元の情報を集めたHPを立ち上げました。
作成にあたり、リンクのページを先に作ってしまい、申し訳ないのですがこちらのHPも勝手にリンクを張らせていただきました。事後報告で申しわけありません。
もしご迷惑でしたら即時削除いたしますので、お手数ですがお知らせください。
どうぞよろしくお願いします。

http://kesayo.tripod.co.jp/m-top.htm


なるほどー、 投稿者:リンコ  投稿日: 1月 7日(月)10時13分29秒

>私の場合は、おそらく言葉全般の障害だな。
>というのは、単語や記憶そのものを、頭の中の引き出しから持ってくるのに、
>すこぶる時間が掛かるというか。

私の場合は、何でもいいなら単語を持ってくるのにはそんなに時間がかかりません。

でも、自分の実感に即した単語、自分の言いたいことと合致した単語を持ってくるのには、時間がかかるというのか、負担がかかります。ものすごい力をふりしぼったら大して時間をかけずに持って来られることもありますし、いくら時間をかけても持って来られないこともあります。

つまり、時間がかかるかどうかよりも、負担がかかるかどうかの方で、内容・テーマごとに差があるようです(負担がかかるために、結果的に時間がかかるってことはありますが)。何でも一様に言えないわけではなく、自分の実感に即したこと、自分の体感に即したこと、自分の見てきたものの報告などが特に見つけにくい。

「アサガオってのも品種がいろいろあるんですよねぇ」
「サザンカって日本原産なんですよねぇ」

は簡単に言えるのですが、

「すみません、お手洗いはどちらでしょうか?」
「いえ、もう十分にいただきましたので、けっこうです」
「申し訳ないけど、もう飲めませんので勘弁してください」
「この後、予定があるので、そろそろおいとましなくてはならないんです」
「あの、できたらお水かお茶の方がありがたいんですが」
「あ、ちょっと肌寒くなってきたので、何か1枚、上に羽織る物を取ってきますね」
「実は、作業の途中で少々トラブルがございまして、予定通りの時間に仕上がりそうにないのです」

といった内容のことを言おうと思うと、とたんに、当てはまる単語を見つけるのにはかなりの労力がかかります。自分の実感と合致しているかどうかを照合しないといけないからかもしれませんが。

まあ、この種のことは、「言おう」と思う前に、感じとること自体難しい。一人で真剣に集中したら感じとれますが、人が近くにいると集中がそがれるので感じとる態勢にまでなかなか入れません。だから、単語を見つける以前に、言うべきことの存在に気がつかないから、言う必要がないともいえますけど。

そんなわけで、私などは言葉全般の障害が非常に軽いといえると思うのですが、会社やお店に勤めるっていうのは無理でした。愛想良く挨拶したりすることもちゃんとできたし、会話も一見続くんですけど。「相手の言ってることを聞き取って理解する」のと、「自分の体を守る」のとができなかったです。


即応できない。 投稿者:満月  投稿日: 1月 7日(月)18時36分34秒

>私の場合は、何でもいいなら単語を持ってくるのにはそんなに時間がかかりません。
>でも、自分の実感に即した単語、自分の言いたいことと合致した単語を持ってくるのには、時間がかかるというのか、負担がかかります。

私の場合だと、例えば、質問されて、すぐ、答えなければならない場合、適当な言葉が見つからない場合、代わりに、近似の言葉で置き換えてしまうという事はよくあります。
たとえば、本当は「TBS系列で自閉症のドラマをやるそうです」を、質問の答えとして言う場合、「TBS」という語が出なくて、とりあえず思い付いた他の局の名を言うとか、「ドラマ」という言葉が思い付かなくて、代わりに、「ニュース」という語で充当するとか。
でも、そんな風に答えた言葉って、結果的に嘘なわけです。だから、無理に喋ろうとしても、結果的に信用をなくするから、できるだけ私は書く事に頼りたい。

>ものすごい力をふりしぼったら大して時間をかけずに持って来られることもありますし、いくら時間をかけても持って来られないこともあります。
>(負担がかかるために、結果的に時間がかかるってことはありますが)。

これなんかは私の場合でも、質問されて、返事に3分要することもあれば、3年経っても、答えが出ないことがあります。特にプライベートな事を質問された場合、この、質問の答えに時間が掛かる傾向は顕著に表れるようです。というのも:

>何でも一様に言えないわけではなく、自分の実感に即したこと、自分の体感に即したこと、自分の見てきたものの報告などが特に見つけにくい。

と言う事なのだと思いますが、私なんかも、例えば、自分の体験した事を文字にするのに、とても時間が掛かるほうです。数日前に体験したことを文字にしろと言われても無理があるかも。頭の方で、見聞きしてきた事柄を理解させるのに、時間がかかるようです。

>「相手の言ってることを聞き取って理解する」のと、「自分の体を守る」のとができなかったです。

私なんかも、「相手の言ってることを聞き取って理解する」のに、とても時間が掛かる。全神経を集中させないと、聞き取れない、意味が理解できないというか。それで読む方が楽ってことはあります。
それでも若い時は、“個々の単語は分かるのだけど、全体の意味がわからない”という事はよくありました。

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もともと私は言語を操るのが苦手なほうで、ここにきて、少し頭が疲れてきましたので(もともと生物学的に脳ミソが脆弱になっているらしい)、しばらくカキコ作業は休ませてください。
リンコさん、Mさん、お話できて、とても楽しかったです。どうもありがとう。

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