| 公的介護保障制度がスタート | |
| 私たちの時は何の制度もなくて家族だけでやっていたのですが、とりあえず介護保険制度ができました。介護という現物支給で自己負担が1割発生する。その次に03年に始まった支援費制度、これは税金で賄われて、対象は障害者です。量もサービスも選べて応能負担です。介護保険と支援費制度はもともと性格の違う制度ですが、ALSの場合は両方使えるようになります。介護保険で足りる人もいますが、足りないと思う人は住まいの自治体と交渉して支援費による上乗せができます。 | |
| 私も初めに支給してもらった時間数では全然足りないということを市役所にガンガン言ってきまして、かなり増額をしていただきました。その積み上げには知恵と気合と勇気がいります。当事者のエンパワメントがないとできない部分なんですね。これは代理ができない。たとえばよく制度のことを知っている人がいて「私が代わりに行って交渉してあげる」と言っても絶対だめで、当事者が行って居座ってガンガン言うとか、泣くとか、いろいろワザをしないと積み上げることができない部分なんです。日本人はもともとつつましい国民性があるので、なかなかここまで出来ない人もいます。 | |
| みずから基準該当事業者になった | |
| 勝ち取っても、事業所を通してヘルパーさんを派遣してもらうとなると、また問題が発生するので、みずから「基準該当事業者」になろうと思いました。「基準該当」は
・法人格が要らない ・常勤に関する条件の緩和がある ・設備運営の基準も緩いです。支援費以前の「全身性障害者派遣制度」によって資格を持たず有償ボランティア的に来てくれていた介助人さんも、「みなしヘルパー」として働らいてもらえる、介護保険のヘルパー2級という資格はいらないわけです。急に法人なんて無理だし、基準該当というのは個人商店みたいなもので、お店屋さんを開くと思えばできるだろうと思ったんですね。それで区役所に問い合わせたら、これぐらいの書類を書けばいいよと言われました。 私は長年ずっと専業主婦をやってきてましたので、書類を書くというのはかなりクラクラしたんですが、1枚1枚、書いては見せ書いては見せ、かなり区役所の担当者にお世話になりつつ、あきれ返られながら手取り足取り教えてもらいました。橋本みさおさんのさくら会の方が先に事業化したので、書類を見せてもらって写せるところは全部写して、ようやく「ケアサポートモモ」を立ち上げました。 そしたら、ALSの患者さんを受けてくれる事業者は全然ない、吸引が引っかかっていたわけです、吸引をやってくれるところがないからうちにというわけですよ。事業化した途端に地元のケアマネさんがどっと来ました。「ALS患者がいっぱいで、路頭に迷うように困ってるんです、川口さん何とかしてください」と言うんで、「じゃ、話聞くだけよ」と行っちゃったら最後、手を握って「がんばろうね !!」と言っている私がいて‥‥。 |
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| 進化する介護 ヘルパー養成 | |
| そうこうするうちに、ヘルパーの養成をしないといけないので、橋本みさおさんのさくら会に研修事業部をくっつけました。「進化する介護 日常生活支援従業者養成講座」の第1回を平成15年9月に練馬区役所の地下で大々的に行いました。これも東京都の研修指定を受けて事業を立ち上げたわけです。その話が出る前に、すでに橋本さんは練馬区役所の地下を2日間連続で借りていたんです。指定が下りるも何も、書類を書く前に日にちが決まっていて、大変な思いをして書類を書いて何とか間に合わせることができたんです。次の年の1月、2月には中野区役所で第2回目をやりました。 | |
| 母の病室の隣がリビングルームになっていますが、リビングルームに10人集まったらこんな感じで、真ん中に座ってらっしゃる方が小長谷百絵さんという東京女子医大の老年学の看護学部の助教授です。 同じ中野区の住人で、私のアドバイザーみたいなこともしてくださってますし、ALSの患者さんのところに学生を紹介して置いてくるようなことをボランティア的にしてくださってます。 |
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| この方に医療と看護の部分は話していただいて、制度のところは、ひたすら私がしゃべり、3時間ぐらいあっという間に経つという感じです。寺子屋ふうに研修をやって、講義に2日間かけて9時間、後の11時間は患者さんのお宅に行って実習という形でやりつつそのまま介護に入るという形で、日常生活支援のヘルパーの資格を取れるようになっています。 | |
| 島田家の介護時間の推移 |
| 島田家における介護時間の推移です。気管切開前は、家族介護は1日15時間、私はロンドンにいたのでゼロで、父と妹でやっていました。家族以外は母の友人が9時間でした。 |
| 気管切開直後の半年は、家族以外の人の介護は、医療的ケアが引っかかってすべて解散状態。皆さん吸引ができないということで、ごめんね、とパーッといなくなってしまいました。私がちょうど帰国してきたので、父と妹と私の3人でやりました。 |
| 7か月目に一番最初のヘルパーさんをつかまえてきて、その人と一緒に私は2人がかりで母の介護をしてたんですけども、全身性障害者介護人派遣制度という東京都の事業を使って、4年目から8年目、だんだん他人介護の分量が増えつつあるところです。私の介護は9時間から6時間に減った。父はずっと4時間です。最終的には現在、24時間とは言えませんが21時間ぐらいヘルパーさんにお願いしています。ほとんど介護はヘルパーさんがやってくださっていて、私は居るだけみたいな感じになっています。父と妹は同居なので、早朝とか夜中、ヘルパーさんが泊まれない日は、妹と父が介護をしています。 |
| 気管切開前、吸引とか文字盤がないときは、父が母のベッドについていたわけですけど、気管切開後、父がまず文字盤が上手にできないのと、母以上に落ち込んでしまって介護が全くだめになってしまいました。はじめ、私たちは父が中心になって介護を担ってくれると思っていたから、何か話が違うじゃないかとちょっともめたんです。父が精神的に弱いのはわかったから、朝早く起きれるでしょうと、早朝だけにして後はやらなくていいことにしました。妹は主にずっと夜勤、お日様が出てる時は妹は寝ているわけです。夜になると起きだしてきて介護をやってました。ずっと続いてましたが、最近ようやく夜中もヘルパーさんがやってくれるようになりましたので、妹も完全に解放された状態になっています。 |
| 私は気管切開後、父からバトンタッチされまして、私が中心になって、明け方2時間ぐらいは父が起きてきた間に仮眠をとり、それ以外はずうーっとやりながらヘルパーさんに教えて少しずつバトンタッチをして、少しずつ介護時間が減って現在はほとんどない状態になりました。 |