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筋萎縮性側索硬化症の病因解明に突破口 1of4
東京大学医学部附属病院神経内科   助教授  郭 伸  (かく しん)
 東京大学大学院 医学系研究科 神経内科学の郭 伸 助教授、河原 行郎 大学院生らの研究グループは、神経難病である筋萎縮性側索硬化症(ALS)[#1]の病因につながる神経細胞死のメカニズムを世界に先駆けて解明しました。
 ALSは、19世紀後半にフランスの神経学者シャルコーらにより報告されて以来、多くの研究者による病態解明の努力にもかかわらず病因が未だ解明されていない、運動ニューロンが変性脱落していく神経難病です。本研究において、ALS脊髄運動ニューロンでは、グルタミン酸受容体のサブタイプでRNA編集[#4]が不十分にしか行われていないことが初めて明らかになりました。RNA編集が不十分だとニューロンは死んでしまい、神経細胞の生存にとってきわめて重要な反応です。正常ニューロンは勿論、ALSの運動ニューロン以外のニューロンや、ALS以外の神経疾患で変性しているニューロンでもRNA編集は正常であることから、グルタミン酸受容体のRNA編集の欠陥はALSで運動ニューロンだけが変性していく原因に密接に関連したものであると考えられます。この欠陥を正常化するための治療戦略を組むことで、ALSを治癒に導く治療法の開発が期待できます。この発見は、従来全く糸口さえつかめなかったALSの病因に迫るものであると共に、家族性(遺伝性)ALSではなく、ALSの大多数を占める孤発性(非遺伝性)ALSを対象とした点にも特徴があります。

 本研究成果は、英国の学術雑誌Nature 2月26日号[i]に掲載されます。なお、本研究は、文部科学省科学研究費、厚生労働省科学研究費補助金、米国ALS協会Research Grant、公益信託「生命の彩」ALS研究助成基金より研究助成を受けています。

[背景]
 筋萎縮性側索硬化症  ALS[#1]は、英国の天文物理学者ホーキング博士や米国大リーガーのルー・ゲーリック選手が罹患した疾患としても知られており、運動ニューロンの細胞死に特徴づけられ、19世紀後半にフランスの神経学者シャルコーらにより疾患概念として提唱されて以来130年余が経過した現在でも、ニューロン死のメカニズムについては全く分かっていません。家族性ALSの2疾患では遺伝子異常が同定されていますが(ALS1におけるSOD1遺伝子, ALS2におけるALS2遺伝子)、なぜ運動ニューロンが死ぬのかというメカニズムは依然として謎です。遺伝性の明らかでない、孤発性ALSについては様々な病因仮説が立てられていますが、最も有力なものは興奮性神経細胞死[#2](図1)仮説です。しかし、これまで確固たる科学的根拠は得られませんでした。
 興奮性神経細胞死に主役を演ずるのは、グルタミン酸受容体であり、中でもAMPA受容体[#3]と呼ばれるサブタイプです。AMPA受容体を持続的に刺激すると、遅発性の神経細胞死(緩徐な細胞死)がおこり、これには、AMPA受容体を通るカルシウムイオン(Ca2+)の増加が引き金になることが分かっています。したがって、AMPA受容体にCa2+をより多く通すような変化が起これば神経細胞死を引き起こしやすくなるわけです。AMPA受容体のCa2+の透過性を規定するのはGluR2サブユニットであり、GluR2をサブユニットに含むAMPA受容体はCa2+透過性が低いが、GluR2を含まないAMPA受容体は高いCa2+透過性を持ちます(図2)。ただし、このGluR2は、RNA編集[#4]を受けて初めてCa2+透過性を規定することができ、未編集のGluR2を含んでいてもそのAMPA受容体のCa2+透過性は高いままです(図2中)。しかも、GluR2のノックアウトマウスは致死性でないのに、GluR2のRNA編集を人工的に阻止した変異マウスは生後20日にけいれんが止まらず死んでしまうので、RNA編集に欠陥があることは神経細胞にとり生存を危うくする異常なのです。
 運動ニューロンはAMPA受容体が関与した興奮性神経細胞死のメカニズムに脆弱であることが知られています。従って、ALSのような運動ニューロンが変性する神経疾患で、AMPA受容体を介した興奮性神経細胞死を引き起こす、GluR2のメッセンジャーRNA(mRNA)に編集異常が起こっているかどうかは、病因との関連で明らかにすべき課題でありました。

[研究手法]
 私どもは、GluR2の量的な減少がALSの脊髄運動ニューロンでは生じていないこと、組織レベルではGluR2のRNA編集がALS脊髄前角(運動ニューロンが局在する部位)で低下していることをすでに報告しております(本論文の引用文献4, 5)。したがって、ニューロン死との関連を調べるには、個々のニューロンでGluR2 mRNAの編集が正常に行われているかどうかを調べることが必要になります。そのために、
1. 単一のニューロン組織を採取するために、教室で作成したエキシマレーザー光を用いたミクロディセクターを使用しました(図3a)。
2. 得られた微小な単一ニューロン組織から、逆転写ポリメラーゼ鎖反応(RT-PCR)法により、GluR2 mRNA由来のcDNAを増幅するシステムを確立しました(図3b)。
3. GluR2 mRNA の編集率を算出するために、RT-PCR産物を、編集部位を認識する制限酵素で切断し、電気泳動のパターンから切断断片を定量しました(図3c)。
この手法により初めて単一ニューロン組織におけるGluR2 mRNAの編集率を算出することができるようになったのです。この変化が、ALSの脊髄運動ニューロンだけで起こっている異常なのかどうかを考察するために、正常ニューロンでの検討のみならず、ALS以外の神経疾患脳の変性したニューロン、ALSの脊髄運動ニューロン以外のニューロンとして小脳プルキンエ細胞での検討を加えました。

[研究成果]

実験の結果、以下のことが分かりました(図4)。

1. 5例のALSの脊髄運動ニューロン(総数78)で調べたところ、GluR2 Q/R 部位RNA編集率はニューロンにより0%から100%までばらついていました(平均38.1%-75.3%)。これに対し、5例の正常対照脊髄運動ニューロン(総数76)では全例で100%でした。2. 小脳プルキンエ細胞は、ALS、脊髄小脳変性症、正常対照とも、ほぼ100%でした(平均98.8%?99.9%)。 すなわち、ALSの脊髄運動ニューロンでは、未編集のGluR2 mRNAが発現していること、編集率は細胞により異なり、低下しているものと低下していないものとがほぼ半数ずつ混在していることが分かりました。遺伝子導入マウスによる検討では、未編集GluR2 mRNAが20-30%に達すると緩徐な脊髄運動ニューロン死が起こるといいます。したがって、ここで得られた結果は、脊髄運動ニューロンの神経細胞死を引き起こすに十分な分子変化であると考えられます。 ALSの小脳ではRNA編集が正常に行われていた結果は、ALSの全てのニューロンにRNA編集の欠陥があるわけではないことを示しています。また、脊髄小脳変性症でRNA編集率が落ちていなかったことは、死にかけているニューロンでもRNA編集が正常に行われていることを示しており、この分子変化がALS以外の原因で細胞死に陥っているニューロンには必ずしも生じていないものであることを意味します。実際、様々な細胞死を引き起こす実験条件によってもGluR2 mRNAの編集率は100%に保たれることが動物実験で報告されています。

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