最初のページです
* 心象スケッチ22                   奈良市  杉本孝子さん        
突然のご主人の入院。日ごろ厳しい食事制限が必要なご主人の入院に、タカちゃんは、「いまこそおいしいものを食べるチャンス」と人を笑わせながら、何を食べても砂をかむ思い。まさに大ピンチに直面です。
闘病歴27年はじめての独居 
昨年の11月23日に夫は塀からバランスを崩し落下して、両足の踵を骨折してしまった。両足の膝下までギブス状態。入院は私のこともあって決めかねていたようだが、家での療養は無理があり、2日後には入院することになってしまった。と同時に、夫と二人暮らしの私はたちま独居生活となったのである。

 闘病歴は長いが、ひとり暮らしを経験したことのない私にとって、突然やってきた独居生活は青天の霹靂。家族が入院となると、健康な者でも混乱して、てんやわんやとなる。予想外の事態に遭遇し、当然のごとく平然といくものではない。私にとっては今日、今夜から、すぐに必要とするケアがこの先数ヶ月は毎日続く。この急場をいかにして乗り切るか、凌ぐかであった。
入院中したらベッド生活になる

私は「一緒に入院するか?」などと眼中にも無いことを言われたが、全介助の手のかかる患者がもし入院すれば必然的にベッド生活となる。自由もない。寝たきりになるかも? 体の状態が今より悪くなるのは火を見るよりも明らかだ。自分の家なら平気の平左衛門で許されることでも、病院では危険を伴うことは許されない。在宅でいるほうが医療費にも貢献している。「私は入院は絶対嫌だ、死んでも嫌だ」と入院拒否。「死んだら、病院から出されるわね」なんて誰かが冗談を言って笑ったりもしたけれど、あくまでも在宅でと周りの理解を求めたのだった。

 今、携わってくれているヘルパーさんは10人程度だが、ほとんどの方はそれぞれ家庭を持ち、主婦でありながらのヘルパー業務である。日頃は主に夫がしてくれていた早朝や夜間、深夜のケアと休日の土曜日や日曜日を皆さんに無理を願わなければならず、さりとて全く初めての方は戦力にならない。ある程度慣れないとお互いに難儀である。

まめな主夫への依存度は高かった
 また私のケアだけでなく、まめな夫がしてくれていた家の中の細々とした雑事は多くて、ゴミ出しから買い物等々、1から10まですべてのことを頼まなければならない。私も主婦であり凡そのことは把握しているが、1日のうち、12時間分は夫が引き受けてくれていた家事の量はかなりである。

 私は昼間独居であるけれど、いざと言う時、慌てなければいけないのだから、家族への依存度は高いのだろう。決して低くないことを自覚する。
 前から感じていることだが、こんな状態でよいのだろうかと疑問に思う。一時、食事もどこに入ったのか夜も眠れたのかどうかわからないほどであった。
3日先のことはわからない 
 夫のケガから3日ぐらいは夜の介護体制ができないため、すでに独立して家庭を持つ息子に頼み、急遽、ヘルパーさんや近くに住む身内と日頃お世話になっているヘルパー登録の事業所の支援、協力を得て、1日24時間のケアスケジュールを考え、週間スケジュールへと計画した。先ずは1ヶ月の予定を記録する表を作り(表作成は以前に勉強したエクセルが役に立った)、必要な時間帯に入ってくれる方を尋ね、ボランティアさんや皆さん方の都合を聞きながら、自前の予定表に各自、名前と時間を書き込んでもらった。
 「先のことなどわからない」と言った具合で、はじめは模索しながら、二、三日の予定を立て、1週間の予定を調整するのがやっとであった。
 幸いにも、平日の昼間の体制はできていたため、何はともあれ助かった。1からの24時間体制作りは困難を極めるだろう。
人任せは性に合わない

 人材確保も大変だが、更なる問題はサービスにかかる費用である。介護保険や支援費制度の現状枠では問題にならないほど不足している。ケアマネジャーのアドバイスもあり、夫は入院する当日、息子に付き添われ、市役所に支援費の支給量アップの変更を掛け合ってくれた。(窓口に両足ギブスの車椅子姿で出向いた)

 家族にだけ全面的に任せるのは私の性に合わない。「私、本人が言わなきゃダメだ」と市の支援費担当者に電話で必要な時間を詳細に説明し、要求する。普段は家族が居るからとか、みんな平等?にとかよくわからない理由でなかなか大幅には増やしてもらえずにいる。少々不安な気持ちであったが、市の返事を待った。

 私の言語は「ムニュムニュおばけ?」とユニークなニックネームの名付け親は親戚の4歳児。市の担当者にどこまで通じたのか、いささか不明だが‥‥。

 その約1週間後に市から封書で通知があった。待ちに待った回答は身体介護100時間増し。特例として認められたのかもしれないが、それは夜勤の方を頼める時間数ではない。貧しい家計?で遣り繰り身上。こんな時こそ「明るくいかなきゃ貧乏神がよけいに居着くわ」と暗くはならないで極力明るく。元より楽観的であろうか? そのほうが「物事はうまくいくだろうね」と開き直りも手伝って‥‥。
尊厳死問題より先に、生きていける対策を

しかし、時間数の不足は未解決。その分身内にかかる負担。無理を頼める身内が遠ければどうなることか。ようするに家族介護となる現状を私は憂いでしまうのである。

 このような今回の事態にも困ることのないように、先頃問われている尊厳死問題云々の前に、生きていくための対策をもっと考えて欲しいものである。

 一緒に闘ってくれる皆さんのお陰でようやくある程度の見通しも立ち、休日はやはり今も変則で解消できないでいるが、曇り空が少しずつ青い空へと変わっていくようにケア体制は徐々に整っている。

 そして、夫の入院生活は2ヶ月余で幕を下ろし、退院できたのである。体重のかかる踵ゆえ、まだしばらくは私のケアも無理なようであるが。

 昨年の秋から1月、2月、3月と過ぎ去る月日を振り返る。緊急ケア体制は今も続いている。春を目の前にして‥‥。
ページトップ