| ◎ アンケート回答 ご紹介 8 | ||
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「ご意見を自由にお書きください」に答えて |
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| 8、3人のお手紙 | ||
| お手紙も、紹介させてくださいね | ||
| 私らしく、一番私にとって楽なのです 「ご無沙汰しています。会報読んでいつも感動しています。つくづく大変な病気だと実感すると同時に、普通に動けるって本当に有り難いです。 主人の状態は同じです。じっと見つめてはくれますが具体的な要求はわかりません。これで主人は楽なのかわかりません。でも私はいてくれるだけでいい、私の自己満足でしかないかもしれないけど。ただ時間的にも肉体的にも以前に比べすごく楽になったのが主人に申し訳ないような気がする。かといっても何かできることをしたらいいのに、ただ同じことしているだけの自分がいやになる時もあります。 去年は義母の介護、子供たちと協力してできたのが良かったです。今年3月実母が脳出血で倒れ、この11月には私が引き取って暮らしたいと思っています。 これが一番私にとって楽なのです。家事を適当にして、主人の介護をして、今度は実母に少しでも接することができたら私らしいのかなと思っています。今まで側に義母がいてくれて助けられたし、今度は実母がいてくれることで気持ち的に救われると思うのです。1人でずっと主人のことだけを看るのはやはりしんどい部分があるので、他のことをすることにより主人のこと充分にできないことの言い訳にしているのかもしれない。いつも自分をよく見せて正当化する調子のいい人間ですが、それがあったから16年これたのかなと、またまた正当化しています。こんなふうにずるく(?)調子よくないと続けられないよと言ってあげたい(笑) でも患者さんにとっては何が一番いいのか正直今もわかりません。やはり患者さんの気持ちは大切にしてその意にそってあげたい。それができないのが悲しいけど、でもそれをするのは本当は大変なことだと、それも充分にわかっています。どうしたらいいのか本当にわかりません。」 |
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水害のため入院しました 「23号台風で20時間程停電しました。町の方よりの発電機で一晩は何とか過ごせましたが、安心のために入院させてもらいました。病院から救急車まですべてヘルパーさんが連絡をとって下さってうれしかったです。ところで20日の夜、いつも訪問して下さるYさんというヘルパーさんが水害のため娘さんと共に亡くなられました。悲しいことが起きてしまいました。介護センターもそのためパニック状態のようなことで、電気さえつけば主人も退院させるべく考えていたのですが、対応できるまで待ってほしいとのことでした。 が、今、センターより電話があり、Y病院の方から連絡があり、部屋の関係でMさんを退院させても良いか?とのことらしかったので、ヘルパーさんは「今月中(今週中)は困るので来月の2日頃ならと返事をしたから11月2日に退院してもらいます」と連絡がありました。昨日病院に行って、いつになったらヘルパーさんが受け入れて下さるのかわからないのでよろしくお願いします、と言って帰ってきたところでしたが…。 国道426号線は決壊のため但東町より出石へは迂回して行かなければなりませんし、25日から高校生のみの運行が始まりました。でも今朝の有線放送で朝2便の学生のバスに一般も乗ってよろしいとの連絡が入りました。出石から八鹿までは早くに開通していましたから昨日の病院行きも出石までタクシーを頼んで往復したようなことです。でも明日からは遠回りしながらもバスで行けますからヤレヤレと思っています。 2、3日の入院のつもりが長くなりました。台風で豊岡、出石、但東とものすごい自然の力のすさまじさをはじめて見せつけられました。新潟の地震もひどいことですし、恐ろしいことばかり起きるようで案じられます。でも主人も無事過ごさせて頂きましたこと、またまた大勢の方々に助けてもらいました。感謝感謝の連続です。 6月に入院した時は、私が五十肩で手が動かなくなり、痛みも激しかったんですが、お陰様で4、5日で随分楽になりましたので退院させました。1ヶ月ぐらいは入院するように先生は計画をたてて下さっていましたが、入院して2、3日した頃見に行ったら主人の表情がとても悪く笑顔を失ってしまいそうでした。全く笑ってくれませんでしたので、これは家に連れて帰らなければならないと無理を承知で10日ほどで退院させてもらったんです。帰ってからは今までの主人の良い表情になってくれました。今回はわりと穏やかにしていますのでうれしいです。」 |
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後から来る方に ガ・ン・バ ♡と 長~い、振り返れば短~い、道のりだった、感慨深い今日この頃です。 夫は内科的にはとても良く、元気なのですが、目が悪くなり、文字盤もYES、NO、ぐらいしか判らなくなってしまいました。今は腰痛もあり、車椅子も1時間ぐらいしか乗れません。先生はじめ皆さんとの恒例のお出かけも幾度となくお誘いいただくのですが、一切応じる事なく、外出は見合わせている所です。他には何かしてあげられる事はないか、ただ今試案中です。 私は娘(看護師)が帰って来てくれて、少し時間も取れるようになったので、保健師さん(県)に頼まれて、ALSの方達の自宅を訪問したり、看護師さんや看護学校の生徒さんにお話を聞いて頂いたりと、ほんの少しですがボランティアのような事をやっています。失敗談はいくらでもありますので、後から来られる方々のために、お役に立てればと思い始めました。鳥取県は田舎でまだまだ遅れていて、それに少し閉鎖的なので、苦しんでいる方がおられます。ガンバレ、ガンバレ!! とは言えないので、ちょこっとだけ、“ガ・ン・バ ♡”と言ってあげたいです。近況報告まで。」 (Aさんは38歳で発病。3年後気切。1991年3月、5か月の入院生活の後、本人の強い希望で在宅療養に踏み切る。介護保険も訪問看護もない時代で、退院当初は、S病院の3人の看護師さんがボランティアチームを組んで助けてくれました。) |
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