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患者さんと一緒に生きて行くこと…

(スライド3 次頁)この方は、私が初めてALSの患者さんとして診させていただくことになった土居喜久子さんです。この方にはいろんなことを教えていただきました。私は奈良医大の出身ですけれども、当時神経内科という教室は奈良医大にはなくて、こういう病気は勉強によって知っていましたが、実際の患者さんを診るというのは初めてでした。まだこの方がご自分の足で歩いておられるときに初めて来られて、それから目の前で悪くなっていかれる状況をずっと診て、呼吸器内科医として対応していきました。その中でいろいろ教えていただいて、その後のいろんな呼吸管理に役立っていると私は感じております。また単に医療というだけではなくて、こういう患者さんたちと一緒に生きていくということはどういうことなのか、ということを考えさせていただきました。

スライド3 土居喜久子さん

『まぶたでつづるALSの日々』

 の著者

今から13年前になりますけれども、初めて病院から出て、家にちょっと帰ってみようという取り組みをいたしました。そのとき地元のテレビ局が取材してくれましたので、まず最初にそれを皆さんにごらんになっていただきたいと思います。(ビデオ)

最初に診たのは土居さんだけだったものですから、時間もあってこの方といっしょに病院の外に出て行くという取り組みをしました。こういう患者さんたちとどういうふうにおつき合いするか、つき合い方といいますか、そういうことを勉強させていただいたわけです。たった30分の帰宅だったのですが、当時は病院から出ること自体が本当に冒険だったという感じがしました。今は皆さんどんどん在宅されていて、何ということはないのですけれども、最初始めるときにはかなり緊張したのを覚えています。 
本田さんから始まった在宅人工呼吸器療養

大分での在宅のキーパーソンは本田昌義さんでありまして(スライド4 次頁)、この方は大分県支部の初代の支部長です。人工呼吸器になったときから家で療養するとおっしゃっていました。わが国は94年あたりからやっと健康保険で在宅人工呼吸器療養ができるという体制でしたから、そのころから家に帰るということを言われました。この方が最初に95年に帰られて、その様子を見て、彼ができるのなら私も帰りたいということでどんどん増えて、現在は二十数名が在宅人工呼吸器療養という状況になっております。たとえば、隣の別府市から家を売り払って大分市に療養のための家を建てられた方もおられます。うちの病院一つですべてまかなえないので、訪問看護ステーションとかヘルパーステーションとか、多くの他の施設の方々がいろいろとかかわってくれて、現在があります。関わってくれている訪問看護ステーションは6〜7カ所あります。いまALS患者さんに対する訪看は2カ所まで訪問できるようになりましたので、まずどこかの訪看が勉強して入っても

スライド4

 大分での在宅の

キーパーソン

本田昌義さん

らって、また次の訪看ステーションの方が勉強して入っていくという形で、市内の全域の患者さんを診ていけるという体制が徐々に形成されてきております。

これは人工呼吸器の患者さんのデイサービスです。毎週必ず迎えに来てくれて、お風呂に入れてくれる、そういう取り組みをやってます。いま約7〜8名の方が週に1回か2回、このようなデイサービスを受けているという現状があります。

気管切開患者の身障施設入所

それからもう一つは、これはある意味では非常にホットなニュースなんですけれども、大分でも初めて気切患者の身障施設での入所がこの5月からやっとできたという状況があります。これをちょっとごらんにいれたいと思います。

気管切開して人工呼吸管理となった患者さん、たとえば一人者だったらどうするのかという問題が昔からあったんですね。この方も離婚されて一人者でした。鼻マスクの段階で身障施設に入ることができたというつながりで、気管切開になったけれども何とか施設にもう一度入れてくれないかということで、数カ月いろいろ話をしたり練習したりして、この5月から入ってもらうことができました。

大分県支部の中では当初ALSの患者さんのグループホームをつくろうという志向性もあったんですけれども、現実的にALS患者さんだけをみていくようなグループホームが経済的に成り立つのかどうかとか、また物理的にできるのかという問題もありまして……。私としては、既存の各身障施設に最低1人はこういう形でみてくれれば解決がつくのじゃないか、ということでいま話をしているところです。一つはこの間の吸引問題ですね、医療職じゃなくても吸引ができるのだと認識していただいたことは大きかったと思っています。
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