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 岸和田市の堀田幹子さんが、昨年11月、泉南府民センターで開かれた「難病事業に係る地域関係機関研修会」(主催・大阪府岸和田保健所)で、ALSの夫・敬也さんの介護について話をされました。さまざまな思いを静かな口調におさめて、ていねいに語られた講演記録です。

楽しかった思い出を糧に、がんばっています
岸和田市 堀田幹子

 本日はお忙しい中、お集まり下さいましてありがとうございます。岸和田市在住の堀田幹子と申します。拙い発表ではありますが、よろしくお願いいたします。

 まず、自己紹介をさせていただきます。私はこの11月に66歳になりました。昭和16年生まれです。身長は160センチありまして、この年代にしては大柄だと思います。学生時代はバレー部で、結婚・出産後もママさんバレーのチームに所属していました。バレーボールは54歳まで続けていました。50歳からは、主人と共にゴルフを趣味にして、100を切るゴルフを目指していましたが、いつもうまくいくとは限りません。ちなみにベストスコアは96でした。

私の定年を待っていたかのように

 主人は、61歳になる直前の200110月、私が60歳定年になるのを待っていたかのようなタイミングで、ALSを発症し、気管切開して人工呼吸器を装着するまで1年4か月でした。

 進行の度合いは個人個人異なると聞いていましたが、主人の場合はずいぶん早かったようで、後に大勢のALS患者さんにお会いする機会(日本ALS協会近畿ブロックの総会や交流会)があり、その違いに驚かされました。

 発症した翌年には、手足の機能低下の進行に少し遅れて、嚥下障害、構音障害、呼吸障害の順で進行し、1年4か月で気管切開に至りました。大阪府立病院(現・急性期医療センター)で気切の手術をしてもらい、1か月の入院生活の後、主たる介護者の私に、24時間の指導、すなわちベッドサイドに簡易ベッドを置いて泊り込んで受ける介護についての指導と、大阪府立病院の医療チームの皆さん、この後在宅医療でお世話になる出水クリニックの医療チームの皆さんとのカンファレンスを経て、無事2003年3月退院致しました。
先輩患者さんに学ぶ
 いよいよ本格的な在宅介護の始まりです。もちろん、それまでも在宅で介護しておりました。嚥下の状態が悪くなってきたときは、ミキサー食を作り食事介助をし、ベッドサイドからシャワー用車椅子に移乗して入浴してもらっていました(入浴はシャワー浴のみ)。また、構音障害がひどくなってきて他人に言葉が伝わらなくなってきたときは、通訳もしておりました。しかし、いま申し上げましたことはすべて気管切開をするまでのことで、いま思えば、遠い、遠い昔の出来事のようです。

 出水医師(先生)、ケアマネージャー、看護師さんたちの指導の下に、いよいよ介護人生活がスタート致しました。まず岸和田市にお住まいの先輩患者さんのお宅に、早い機会に連れて行ってもらい、病室となっている部屋を見学させていただきました。奥様がALS患者で、ご主人が介護されておりました。すっかり慣れた様子で、いろいろ教えて下さったのですが、これと言ってポイントを絞って見せてもらったのではなく、短時間ということもあって、きょろきょろとするばかりでした。それでも心に残ったことは、後でずいぶん参考にさせていただきました。

自分の腰は自分で守ろう

 その中でも、強烈に印象に残ったことがありました。それはベッド周りをぐるりと動き回れるようにされていたことと、ベッドの高さが思っていたより高かったことでした。また、まだ4月頃だったと思うのですが、奥様はずいぶん暑そうにしておられたと記憶しております。

 早速、家に帰って窓際からベッドを離し、足元も、頭元も、通れるように真似てみたところ、とても動きやすくなりました。ただ主人は暑がりですので、ベッドは一番低い所に居させてあげようと、1年間その状態で吸引や、その他の世話を続けていたので、やはり腰にきました。このままでは腰を傷めるのはわかって

夫の敬也さんを介護する幹子さん

いたのですが、それでも自分なりに予防しつつ、やっていたわけです。ベッドを一番低い位置で介護をするのは、1年くらいで止めました。本人が少しでも涼しいかなと思って、やっていましたが、発汗するのはベッドの高さに無関係であることが徐々にわかり、かつ、たとえ自分が腰を傷めるようなことがあっても、介護は継続しなければならず、自分の腰は自分で守ろうと割り切りました。

  実は今年になって、ささいなことと思っていた介助方法の変更によって、腰を傷めてしまいました。昨年、訪問リハのPTの先生の交代があり、安静時のベッド上の仰臥位(仰向け)の姿勢は両下肢を大きく広げた状態が良い、ということになりました。

遠くにある1本の足の重さ

 私がベッドにもたれたり手をついたりして、体重を支持して介助することを、主人は嫌がります。というのも、少しでも体位が変わると気管につながっているカニューレに刺激が伝わり、痰や唾液が多くなってしまうという理由からです。パソコン入力のしやすい姿勢にして、次に「足を大きく広げた仰臥位」を作り、更に両上下肢と頭部を置き直すために、私が膝を曲げずに手と体を大きく伸ばして作業をしていたら、1週間で腰を傷めてしまいました。

 一日に何度もベッドの上げ下ろしをし、その都度手足を置き直すものですから、また、遠くにある足をちょっと持ち上げるくらいと甘く考え、このような結果に

なってしまいました。腰を傷めてから、遠くにある一本の足の重さを痛感させられました。新しい治療に移行するときは、介護者に扱い方の指導も同時にしていただけたら助かると思います。腰を傷めるまでそんなことも知らなかった自分も情けなかったです。

 幸いにしていまは治っておりますが、吸引など、上体を前傾させて両上肢を動かす動作をするときは必ずコルセットを付け、膝を曲げて腰への負荷を減らすようにして予防しなければいけないと思っています。

吸引の回数が多い

 現在、気管切開してから約4年たとうとしています。2003年3月に退院して、第一に困ったのは、吸引の回数の多さです。1日に何回かを数えたら、1516回。もっと多い日もありました。いま、吸引したのに、またすぐ取ってほしいと言われ、家事をするにもまとまったことができず、吸引、吸引……と追われ続けました。退院時に指導を受けた通り吸引していたのですが、取り方が甘く、全くすっきりしない状態で終わっていたのではないかと思います。せっかく自発呼吸も残っているのに、ていねいに痰を吸引せず、時間を気にして、10秒とか15秒と短く、しかも気管の奥にカテーテルを入れるのが怖いので、入り口付近でぐるぐる回しているだけだったのではないかと思うのです。

 こういう調子なものですから、夜間就寝してからも長く眠ってくれませんでした。眠前の薬(ロヒプノール、アレジオン、レンドルミン、デパス)を注入して、毎日の手足のマッサージ(3040分)を行い、吸引で使用する水の補充や、気管の吸引用のカテーテルを入れておく消毒液の交換等々、私自身の入浴をすませたら、いつも午前1時や2時になってしまいます。

慢性的な睡眠不足

 いざ寝ようと思うと、主人の夜間第1回目のベル(コール)で起こされます。起こされるというより、まだ一睡もしていないのです。以後、1時間、長くて2時間おきにベルが鳴り、吸引していました。
私の睡眠と覚醒のサイクルと必ずしも一致しない主人のベルに無理に起こされ、半分寝ぼけ状態で吸引することも多々ありました。吸引の1回あたりの所要時間は30分に及ぶこともあるので、慢性的な睡眠不足になりました。

 だからといって、日中は人の出入りが多く、昼寝もできず、もうくたくたでした。起きられなくて、ベルを鳴らされ続け、この時期8キロほどやせました。

そのままキープできれば良かったのですが、十分回復してしまいました。

いまは夜中の吸引は1~2回になっています。

       吸引順序

 1.口からの吸引(14Fr)

 2.気管からの吸引(12Fr)

 3.カテーテルを洗浄して2回目の気管 

 4.口

 5.鼻(10Fr 右・左) 

 6.口

 7.カニューレ横 

 8.口

 9.カフ空気点検 

 10. 口          

 在宅療養を始めて半年くらい経過したころでしょうか、主人は「吸引マニュアル」なるものを考えました。もちろん自分専用です。

けたたましいベルの音

 吸引マニュアルですが、「3.の工程を入れたのは、マニュアルを作成したころは1回だけでしたが、すべての工程を終了した時点で、「まだ気管に残っている」と言われ続けたため、それなら続けて念入りに取ろうと決めました。

 余談ですが、滅菌手袋を指先まできっちり付けずに余った状態で口や鼻の吸引をされると、水などが付いていて気持ちが悪いらしく、気管の吸引が終わったら、滅菌手袋をはずすか、きちんとはきこむか、どちらかにしてくれと言います。この10 工程で終了です。最後に必ず目(涙)と鼻の下の清拭が入ります。

 以上を、私及び、訪問看護師と入浴サービスの看護師に徹底させました。特に私には時間を長く、痰の音がしていれば3040秒は呼吸器をはずした状態の気管の吸引を要求し、看護師さんをハラハラさせていました。後に主治医より「吸引している間があまりに長ければ、脳への酸素供給が止まるので危険である」と聞かされました。

 次に困った問題は、寛容な心のカケラもないことです。小さなミスでも許してくれず、「責任をとれ」とか、「死んだら化けて出てやる」とか言いたい放題。ある日、夜中ベルを鳴らされ続けたことがありました。人工呼吸器のアラームが鳴っていたわけでもなく、主人がベルを鳴らしているのです。吸引やその他の介護はやってあるので、私はベルのスイッチを切って朝まで寝ることにしました。

 日々の睡眠不足に加え、けたたましく鳴るベルの音、もう気が変になっていました。日ごろの私の体調を気にしていた娘も「お母さんが判断してベルを切って寝たらいいのよ」と言っていたので、決行しました。翌朝、「虐待や、覚えておけ」とすごい顔で言われました(言うというのは、私が口頭で50音から1文字ずつ拾っていく口文字盤で意思表示することを意味します)。

 私は「覚えておくわ」と返しておきました。いま思うに、意味もなくベルを鳴らし続けることなどあり得ないと思うのですが、そのときは、「主人の真意を根気よく汲み取ってあげられなかった自分は、虐待者呼ばわりされても仕方がないのか」「ギリギリのところまで来ている自分の体はどうやって守れば良いのか」など相当悩みました。余談ですが、このとき主人は患者の会のメーリングリストで「妻に虐待されている」と配信し、私も反論したかったのですが、それもできず、さっぱりわやでした。

 念のため申し添えておきますが、主人ともめるとき、いつもベルを切っているわけではありません。切ってしまうと逆に眠れないからです。後でそっとベルを鳴る状態に戻しておきます。主人は多分怒りながら、あきらめて眠っていたのではないかと思います。2から3時間後、けたたましく、また、起こされます。

 いままで言いましたのは、主人と私の夫婦のやりとりで、主人が何を言おうと、私がどんなに怒鳴ろうと良いのですが、かかわっていただいている看護・介護・家事援助の皆さんに対しても、万遍なく手厳しいのです。気管切開し人工呼吸器を持ち込んだ最初のころ、家事援助のヘルパーさんが掃除機を掛けていて呼吸器のコンセントを抜いてしまったことがありました。電源が内蔵バッテリーに切り替わり大事に至らなかったのですが、上司に謝りに来させました。

 主人にしてみれば、小さなミスは大きなミスにつながる可能性があり、自分が原因を究明し解決しなければ、命がいくつあっても足りない、くらいの気負いがあるのだと思います。

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