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会話、コミュニケーションの方法

 次に会話、コミュニケーションの方法についてお話します。

 先ほどから主人とのやりとりが、いろいろと出てきていますが、気管切開をしてからの会話は、すべて口文字盤です。普通、構音障害や運動性失語の方は透明の下敷きを利用した50音の文字盤に視線を送り、介助者が一文字ずつ読み取り言葉を綴っていきます。これをされているALS患者さんは大勢いらっしゃいます。しかし主人の場合、私が口頭で聞いていきます。

 例えば「む」という音を綴る場合、まず「前半?」、「後半?」と聞き、まばたきで返事をもらいます。
前半なら「あ、か、さ、た、な」、
後半なら「は、ま、
や、ら、わ、を、ん」を言い、
(「む」なので主人は「後半」の所でまばたきをします。)
次に「は、ま、や、ら、わ、を、ん」を言うと、主人が「ま」行でまばたきします。最後に「ま、み、む、め、も」を言うと、3つ目の「む」の所でまば
たきします。
このように1文字を確定するのに3段階必要になります。

寛容と忍耐が必要

 まばたきする動作が本人の思い通りのタイミングでできていたときは良かったのですが、病状の進行と共に閉眼がうまくできなくなっていきました。その次の合図は、開いている目を更に大きく見開く=眉を上げる、というものに変わりました。また、タイミングが合わなかったときは、「NO」の意味で、眼球が横に動きます。最近では肯定・否定の合図共に私やケアのスタッフが読み取ることが難しくなってきています。

 私の気持ちに余裕があって、ゆっくりと、同じ質問の繰り返しにもいら立つことなく、言葉を読み取れればよいのですが、この作業はかなり寛容と忍耐のいる仕事で、お互いに思うようにいかないのが現状です。

 これは余談ですが主人とけんかしているときは、「あほ」とか「ばか」とか「こんちきしょう」とか、私自身の口で言わされています。本当に情けないやら、腹が立つやらで、その場を立ち去ることにしています。

パソコンのこと(意思伝達装置、日立の伝の心)

 気管切開をして約1年後より始めました。最初は出水クリニックでお手持ちのパソコンを1~2か月お借りして練習を始めましたが、「これならすぐできる」と思ったのか、自分のを手配させました。すぐに長文の自伝を書き、後に日本ALS協会・近畿ブロックの会報46号に9頁にわたって掲載されました。

 インターネットにも接続して、KAMONというメーリングリストのメンバーに加えていただきました。KAMONとは、「関西ALSメンバーおいでネット」の頭文字を連ねたもので、ALS患者が自ら情報交換したり、趣味の話や四季折々の話題、外出されたときの楽しい話をどんどん送信して下さいます。毎日パソコンを開け、新着メールを見るのが主人も私も楽しみになっていきました。

 パソコンをやっているときは熱中するので、吸引の回数も減るし、私の方も大助かりです。ただALSは進行性の病気であるため、主人がパソコンを操作するセンサースイッチの問題は悩みの種なのです。現在は光ファイバー・センサーを眉の上の筋肉に貼り付け、パソコンを操作しています。パソコンを始めて3年ほどたちますが、センサースイッチは3~4回変わっています。

 主人は主治医の出水先生に意志伝達装置は在宅医療に入るのではないか。病気の進行に対応した装置を探してもらえないかとメールで直訴しましたが、守備範囲ではないと言われたときは、正直主人は怒っていたと思います。私は思うのですが、在宅医療に携わる医師は多忙でしょうし、専門とされているところとはかなり離れている分野なので、医師だけにこの問題の解決を依頼するのは到底無理ではないでしょうか。

 しかし主人にとっては違うのです。責任を負うべきは主治医であってほしいと強く願っているのではないでしょうか。

 私も主人が無理難題を言っているのは承知してはいるのですが、1点、理解できるのは、これまでセンサースイッチなどの装置面やパソコンの情報を提供してくださっているのは、パソコンを熟知している久住さんとおっしゃる方で、この方はご自身もALS患者で、まだ症状が軽いので、移動介助の方と2人でフットワーク良く自宅まで来てくださって、スイッチを調整したりして下さっているわけです。主人は「自分の病状が進行して、現在のスイッチがいつ使えなくなるのか」という不安と、「一患者である久住さんに、いつスイッチを提供してもらえなくなるか」という二つの大きな不安を抱えているので、無理なメールを送り続けるのだと思います。

外出のこと

 2005年2月、福祉車両仕様のトヨタ・アルファードを購入し、週2回の外出が始まりました。支援費で移動介助2名、90時間の許可が出ました。90時間の内訳は、月に9回外出し、毎回介助者2名が必要で、1回の所要時間は5時間、というものです。役所も訪問面接に来て、重度ではあるが、外出したいという本人の気持ちに理解を示し、認めてくれました。

 以後、寒い日も暑い日もよく出かけました。もちろん現在も出かけています。年が明ければ3年目になりますが、中止したのは2、3回です。私が体調不良でも中止にはならず、しぶしぶ出かけたこともありました。外出先はすべて主人が決め、近場のSATY、泉南のイオン、トンボ池公園、岸和田市中央公園、堺市のハーベストの丘などで、買い物をしたり、コーヒーを飲んだり、時間内にスケジュールを納めるのに苦労します。

出発準備が大変

 ひと月の終わりには、時間が足りなくなって家の近くの喫茶店へ行くだけになることもあります。外出は気分転換になり、楽しみにしているのですが、出発準備に1時間以上かかるので大変です。通常、移動介助の皆さん、看護師さんには午前10時集合と決めていて、それまでに私は家事をすませ、身支度を整えて待つようにしているのですが、出発に至るまでには、排泄が長引いたり、車椅子での座位姿勢、手足の位置や高さ、ヘッドレスト上の頭部の納まり具合の調整が、ミリ単位で必要で、あちこち動かさなくてはいけません。なかなかうまくいかず、今日はこれくらいで行ってよと言ってもまずだめで、皆でできるだけ早く出かけられるよう頑張るだけです。

車いすでの排泄
 もう一つ困っていることがあります。それは出先での排泄です。いまはもう試行錯誤の末、解決しつつあるのですが、最初は失敗の連続でした。もちろん、おむつや尿取りパッドも付けていて漏れることはないのですが、尿取りパッドに出てしまうと短時間で洗い流せればよいのですが、少しでも時間がたてば、もう皮膚が負けてしまい、回復に時間がかかります。そのようなことのないように、尿器を持参して採るのですが、その場合でも、車椅子座位の姿勢で尿器をセットするので、入り口が底より低くこぼれたり、外出先での排泄なのでタオルケットを掛けて隠していると、尿が全部外に出てしまったりしました。

 車椅子座位での排尿は本当に難しく、なかなか良い方法が思いつきませんでした。昨年6月、京セラドーム大阪へ野球観戦に行った際、尿取りパッドへ排泄してもらうようにしていたら、真菌にやられて完治するのに2か月かかりました。以後、外出時は必ず出先で、尿器で排尿する練習をするようになりました。

 まず、座席をフラットに戻し、足を水平まで上げ、背もたれを倒して全体をフラットにします。次に、ズボン・オムツを広げ、股間でごろつかないよう平らにした所へ、尿器を置くようにします。さらに、排尿中に吸引すると出やすくなるようです。
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