お父さんとヴァージンロードを
歩くのが夢でした
 
 
 
 
 
 
   和中勝三
 
 
 
こんなに長生きできるとは
 ALSを発症したときには、小中学生だった子どもが結婚するまで生きられるとは思わなかったし、また「結婚」という言葉は頭になかった。
 せめて子どもたちが就職するまで、頑張って生きていたいと思っていました。
 その子どもたちが昨年、次男と長女、二人続いて結婚しました。
 一昨年、還暦を迎え、うれしかったです。
 46歳で呼吸器をつけるときは、呼吸器をつけても、こんなに長生きできると思わなかった。
 
昨年6月 初孫誕生
 小学生だった次男が25歳で、いつ結婚してもおかしくない年ですが、突然、この娘と結婚すると言い出し、結婚の準備もできてないのに、住む所も準備ができていない状態で、あわてて住む家を直し、とりあえず住めるようにしました。長女の結婚式の日取りも決まっているし、次男には結婚式は子連れで式をするようにと待たせています。
 私は昨年3月末に熱を出して入院をして、6月17日に退院。6月18日に初孫(次男の子ども)が生まれました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  次男の子ども
   澪愛(れいあ)くん
    平成21年6月18日生まれ
 
 
 
 
 
 私も退院しましたが、抗生剤が切れてくれば、また発熱で、7月初めに再入院する。娘の結婚式が9月13日に控えているのに、もうこのような状態では結婚式までに退院できないと思い、あきらめていました。
 今度いつ退院できるか不安でしたが、運良く8月31日に退院の許可がでたときは、うれしかったです。主治医が早く退院できるよう手を尽くしていただいた結果だと思っています。あと13日間、熱が出ないよう祈るような気持でした。
 
妻に車いすを押してもらい、娘と並んで歩きました
 とうとう結婚式の当日が迎えられ、うれしいのと胸がドキドキする。
 朝6時半に起きて、朝食を注入しながらヘルパーさんが来るまでに注入をすませました。ヘルパーさんが来て、結婚式場に行く用意をして、福祉タクシーで結婚式場へ行きました。
 式場では久しぶりに会う親戚のみんなにお祝いの言葉をいただき、記念写真を撮りました。それが終り、いよいよ結婚式が始まり、妻に車いすを押してもらいながら、娘と並んでヴァージンロードを歩き、花婿が待つところまで感動しながら、行きました。
 披露宴で娘から「お父さんとヴァージンロードを歩くのが私の夢でした」と言われたとき、娘の夢を果せたとうれしくなり、涙が止まりませんでした。
 
わが家は、おめでた続きで、私のつらい5か月間の長い入院生活も忘れてしまいました。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
“きっと” いいことがあります
 46歳でALSの告知を受けたときに、せめて55歳まで生きていたいと泣きました。死ぬのがとても怖い、子どもも小さいし、あと5年でもいい、いまの家族と一緒に生きていたい、と思い呼吸器をつけました。
 
                                 呼吸器をつけて15年
も生きていれば、つらいことが多いですが、そのつらさを忘れさせてくれるようないいことが “きっと” あります。
 いまが一番幸せを感じるときかなと思います。いままで生きてこられ、よかったな〜、と思いました。
 


娘の子ども 悠(はるき)くんと一緒に