| 追悼 和歌山市 大川 達さん(近畿ブロック顧問、元会長) |
| 去る2010年7月10日、逝去されました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 |
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大川 達(おおかわ・たつし)さん 1939年生まれ。 1987年にALSを発症。 1992年 人工呼吸器が医療保険の対象にならない時に、人工呼吸器を装着して生きることを選びました。三重県の遺族が寄贈してくれた在宅用人工呼吸器を使用して自宅に帰り、和歌山県知事に「呼吸器のレンタル制度をつくってください」と要請文を書き、訴え続けました。 障害者用パソコンがまだ開発されてない時代に、近畿ブロックの貸出ワープロ「漢字Pワード」を練習して、最初に3人の息子さんたちに書き送ったメッセージ――。 「病気にもいろいろあるが、これほど最悪の病はあるまい。向こう側に見えているのは、絶対破れないこの病の壁と知りながら、奇跡を信じて、精根尽きるまで闘う姿をよーく見ておけ」 呼吸器を装着したあとは 「辛い涙はいっこもないけど、うれしい涙が多すぎて困るわ」と書きました。 1993年 教育テレビ「明日の福祉〜人工呼吸器装着者はいま」の番組取材で、入浴の場面を撮影したいという申し出に、 「いまさらプライドなんて考える余裕はなく、患者や家族の苦悩な闘いの訴えを真実のまま伝えるために協力しますので、よろしくお願いします」と回答しました。 真実をそのまま、自らの姿で伝えるという姿勢は徹底していました。加古川の少年院から依頼があった時、大川さんはためらいなく訪問を快諾し、講堂いっぱいに並ぶ少年たちを前にしてメッセージを伝え、吸引やアンビューバッグを少年たちに教え触れさせ、生きること、いのちの価値を、惜しみなく伝えました。 |
| 追悼 杉本孝子さん 「徹底して闘い続け」 |
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長く闘病生活をされておられました大川さんが7月に旅立たれ、数ヶ月が経ちます。大川さんと初めてお会いしたのは16、7年くらい前でしょうか。大阪で開催された近畿ブロックの総会でした。大川さんは呼吸器を着けられて、車椅子をフラットに近くリクライニングにされて座っていらっしゃいました。お話の方法がわからずに戸惑う初対面の私にニッコリ笑って、笑顔の言葉で答えてくれたのが始まりです。その後、和歌山のお家にも何度か遊びに行かせていただき、同じ患者さん宅にも遊びに行き、楽しい一時を過ごし、息子さんや奥さんと共に地方の交流会などにもご一緒でした。数えきれない何ものにも代えられない思い出を残してくださっております。面倒見のよい大川さんは奥さんにその都度、依頼されて、それにすばやく口文字で応対される献身的な奥さんがいらして、二人三脚に失礼ながら感心しました。また、人生の大先輩の大川さんにはひとりの人間としての生き方までも教えていただいたと思います。こころより感謝です。 大川さんが残されました「生き様」という言葉そのままに、徹底してALSと闘い続けてこられ、大川さん!長い間、お疲れさまでした。 そして、ありがとうございました。 |
| 追悼 増田英明さん 「お手本に」 |
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大川さん お疲れさまでした。 私は信じております。どれほど多くの仲間が勇気づけられ励まされたことか。 大川さん あなたの信念 「病気にもいろいろあるが、これほど最悪の病はあるまい。向こう側に見えているのは、絶対破れないこの病の壁と知りながら、奇跡を信じて、精根尽きるまで闘う姿をよーく見ておけ」――23年頑張りましたね、これからはゆっくりして下さい。 私達も大川さんの生き様をお手本に頑張っていきます。どうか鎮魂されることを。合掌。 |
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