2010年 総 会 講 演
    「こころ」をどう支えていくか

公立八鹿病院脳神経内科部長

              近 藤 清 彦 先 生
 
           
音楽療法で先駆的な取り組みをされている公立八鹿病院の近藤清彦先生が、音楽療法の持つ力、可能性について、情熱的に語ってくださいました。

 皆さま、こんにちは。公立八鹿病院の近藤といいます。近畿ブロックの総会には、平成5年に「ALSチームケアに取り組む」というテーマで講演させていただいてから、できるだけ総会には出席させていただいていました。昨年の総会は中止になったので、久しぶりにお会いする方もあるかと思います。

 今日は「音楽療法を楽しもう」というテーマですので、最近取り組んでいる音楽療法についてのお話をさせていただきます。

 ところで、最近、ALSに関する話題が多くなってきています。何といってもまず、川口有美子さんの書かれた『逝かない身体』が「大宅壮一ノンフィクション賞」を受賞されたということで、ALSについて社会的関心も高まりました。その選考委員の柳田邦男先生、脳死の問題などの権威者であり、日本の医療に関するオピニオンリーダー的な方が今、ALSのことを深く理解しようとしてくださっていることは本当にありがたいことだと思います。

 さらに徳田虎雄さんという、徳洲会病院をつくられた理事長さんが今、ALSで療養されていますが、鳩山首相が在任中、その徳田先生に、徳之島に米軍基地を移したいということで相談に行かれました。徳田先生は文字盤を使われていましたが、そういうALSの患者さんに首相が相談に行かれたということは、ALSであっても人間性や考え方は全く衰えないということですね。徳之島に基地が移せるか移せないかはその方にかかっているというほどのことで、非常にうれしく思ったことでもありました。

 この先はスライドを使わせていただきます。講演の前半は私が少しお話をして、後半は音楽療法を実際に皆さんに体験していただこうということで、大勢の音楽療法士さんに来ていただいています。楽しみにしてください。

 私は兵庫県の北のほうにある八鹿病院で、主に北部を担当しています。ALSはご承知のように運動神経の病気で、四肢マヒはありますけれども、意識とか知能は正常に保たれます。アメリカではルー・ゲーリック病とも言われています。

 日本では今や患者さんの数は8000人。1998年にテレビの「徹子の部屋」という番組に叶内さんという患者さんが初めて登場されましたが、そのときナレーションで「日本には4000人の患者さんがいる」と言っていました。それが12年経って今や8000人。ちょうど倍になっているわけですね。その8000人のうちの約30%2000人余の方が人工呼吸器を着けて療養されていて、そのうちの約半数、1000人ぐらいの方が在宅療養されているといわれています。

 現在、呼吸不全になった段階で人工呼吸器を選ぶ人がどのくらいいるかという正式なデータはないのですが、おそらく15%から17%100人のうち15人から17人が人工呼吸器を選んでいます。それ以外の方は断念しているのではないか。それにはいろんな問題があって、入院するところがない、在宅支援体制が乏しい、介護負担の問題等があるわけですね。これらの問題ももちろんどんどん解決していかなきゃいけないわけですけれども、もう一方で人工呼吸器を装着したあとのQOL、生活の質をどう保って、どう上げていくかということも非常に大きな問題なわけですね。

 そのような過程を経て八鹿病院では、ALSの患者さんをケアするには、いろんな職種、そして大勢のスタッフが協力しなければ難しいということがわかってきました。その結果、八鹿病院では、かなりの数の職種のチームができました。おそらく日本で最初にこういったチームができた病院だろうと思います。また在宅療養をしている方をサポートするために、こういった職種やいろんな機関が合同でサポートするという体制も平成2年、20年前に兵庫県の北部では大体できるようになってきています。

9割の患者さんが呼吸器装着を希望

気管切開後の

表情の変化

私自身、八鹿病院に来てちょうど20年になりますが、最初に人工呼吸器を着けた方の療養をサポートしたのが、その少し前の1986年でした。もう24年前になります。この24年間、どういった体制が良いかということをずっと考えてやってきました。

 (前ページの)この写真は7年前にもご覧いただきましたが、患者さんのご理解のもとにもう一度ご紹介させていただきます。呼吸器を着ける3カ月前、ちょっとだるそうな雰囲気ですね。2週間前にはもうほんとにつらそうで、鼻マスクもなかなか合わなかった方ですが、気管切開をして人工呼吸器を着けた1カ月後にはほんとに生き生きした顔になられているということからも、酸素不足によって倦怠感やしんどさがあるということがはっきりとわかります。このあたりのことは、近畿ブロックの会報の44号(*総会講演『ALSとともに〜17年間の在宅人工呼吸療法の経験からわかったこと』絶版)にも写真を載せさせていただいています。
右は、2007年8月11日の神戸新聞に掲載された記事です。

一般には先ほども言いましたように15%から20%ぐらいしか人工呼吸器を着けられていませんが、八鹿病院ではいろんな支援体制があって、呼吸器を着けて在宅療養もできるし、入院もできるという条件を整えたら、9割の方が装着を希望しました。多分日本で一番呼吸器を着ける率が高い地域になっていると思います。

 これまでやってきた中で考えたことは、ALSの患者さんの療養をサポートするために必要なことは、やはり病気の知識です。ALSの知識については、教科書にはあまり詳しいことは書いてないのです。というより、人工呼吸器を着けるまでのことしか、今までの医学書には書いてなかった。人工呼吸器を着けたあとにどういうことが起こるかということは、経験を積み重ねて、今どんどんと知識が広まってきているわけです。経過が長くなると、滲出性中耳炎、耳に水がたまって中耳炎が起こりやすいとか、現場では当たり前になっていることを、大学の先生方はあまりご存じではない。

 ところで、一つには、ケアの技術や看護の技術などはまだまだいろいろな工夫がなされているところですが、意思伝達装置に関してはこの20年間にものすごく進歩しました。スイッチのこと、意思疎通のこと、機械的なことは、どんどん進んでいます。

 今、BMI=ブレイン・マシン・インターフェイスという機械、画面を見つめただけで文字が入力される装置が開発されています。7月1日に八鹿病院の患者さんで実際に試してみるという予定になっています。

 二番目には、在宅支援体制について。訪問の体制やレスパイト、また緊急入院できる体制、さらには病気の変化だけではなく、たとえば6年前に兵庫県の北部で大きな水害がありました。そういった災害のときの対策も大事だと思いました。
いのちをどう支えていくか

これまではこの二つをやっていけばいいかと思っていましたが、最近になって「心をどう支えていくか」ということが大切ではないかと思うようになりました。このあたりが音楽療法の発想にもつながるわけです。

 何年か前に鎌田實先生のお話をうかがいました。鎌田先生は、今までの医療は「命を救う医療」だったが、これからは「命を支える医療」が大事じゃないかと言われました。温かで心の痛みを癒してくれて、そして、たとえ病気が治らなくても感謝される医療というものがあるのではないかと。先生は医療者に対して言っているわけですが、私は、「命を支える」という言葉を非常に印象深く感じたのを覚えています。

 そして、命ということを考えるようになりましたが、そんな折、柏木哲夫先生が、命には漢字で書く「命」と、ひらがなで書く「いのち」があるということを話されているのを耳にしました。漢字で書く「命」には限りがある。病気が悪くなって、血圧が測れなくなって、そして最後に心電図がとまって死亡を確認する。そういう客観的にみられるものが、いわゆる漢字で書く「命」だと。ひらがなで書く「いのち」は、そういうものとは違って、たとえば親が亡くなってもどこかで見守っていてくれている。あの『千の風になって』という歌のように、風になったり、星になったり、鳥になったりして自分を見守っていてくれる。そのような存在として感じられるようなものを「いのち」と表現する。また柏木先生は、水原弘の『君こそわが命』という歌があるでしょうとおっしゃって、そういう自分にとって本当に大切なもの、それが人であったり、ものであったり、スポーツであったりさまざまですが、そういう自分にとってこれが「いのち」といえるものがある。「いのち」は、その人が本当に大切にしている、これがあるから生きていけるという、生きる意味のようなもの、そういうものを指すときに使うのだとおっしゃっています。

柏木先生のおっしゃる「いのち」については、病院ではこれまであまり意識していなかった面がありますが、やはり患者さんが非常に大切にしているものとか、こととか、そういう「いのち」に相当するものを大切にしていかないといけないということを強く感じました。

 また、日野原重明先生が、以前から、「医療には科学とアートが必要だ」と言われています。科学は命を守っていくために、どこがどんなふうに悪くなっているかを客観的に診て薬を使う。ですからその人の性格がどうこうということはあまり関係ないのですね。同じ病名に対しては同じような治療がなされます。一人ひとり違うということはあまりありません。一方、アートといわれるものは、わかりにくい言葉ですが、患者さんに感性のあるタッチであるとか豊かな心で接して、その人全体を個別的にみて癒しのケアを行なっていく。そして慈しんだり温かい心で共感するということで、一方が「命」の延長をはかるのに対して、「いのち」の質を高めていこうということなのですね。ですから、この「アート」という言葉はなかなか日本語にはならないのですが、どうも先ほどの「いのち」を大切にしていこうという、そちらをサポートする働きではないかと思っています。
医療の中に音楽療法を根づかせよう

なぜ日野原先生のお話をしたかといいますと、日野原先生は、もう30年も40年も前から、日本の医療の中に音楽療法を根づかせよう、導入しようと最初に考えられた方なのです。そして20年ほど前にご自分で音楽療法の研究会を立ち上げられて、音楽療法の研究会に少し流派があったものですから、2000年にそれを一つにまとめて日本音楽療法学会をつくられて、今その理事長になられています。その日本音楽療法学会の会員は今は何と6000人もおられて、そこできちんと研修を受けて音楽療法の認定を受けた方が、日本で確か2000人ぐらいおられると思います。今日あとで演奏していただく方も、皆さんそういう教育を受けられた音楽療法士さんなんです。

音楽療法士はまだ国家資格にはなっていません。また医療保険の制度にもなっていないので、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、そして音楽療法士というふうに、医療職になってもらえればいいなと思っています。

 この4月に犬山市で講演会がありまして、日野原先生と私が一緒に講演をさせていただきました。2年ほど前にも奈良でありましたが、私がALSの話ばかりするものですから、日野原先生はこの2年間でALSに大変関心をもってくださるようになりました。川口さんの著書などで柳田邦男さんがALSに関心をもってくださっていますし、一方音楽療法の分野では、日野原先生がALSの音楽療法に非常に注目してくださっています。日野原先生は今98歳、数えで100歳ですが、1時間の講演を立ってされます。そして講演の最後には必ず「みんなで歌いましょう」とおっしゃって、指揮をされるのですね。日野原先生は音楽療法士にとっては神様のような存在の方で、日本の音楽療法をどういう方向にもっていこうかということで、精力的に活動されておられます。来年の8月にはまた一緒に札幌で講演会をしましょうという約束をしております。

日野原重明先生と。

2010429日犬山市で。

次に音楽療法についてちょっと堅苦しいことを言いますが、これは日野原先生の日本音楽療法学会についての定義です。

 「音楽療法」という言葉からイメージすることが、皆さん人によって違いますが、何らかの目的をもって、計画的、意図的に、音楽を使ってやっていこうというようなことを音楽療法といっています。今病院では院内コンサートとか、よそのオーケストラや合唱団が来て、ロビーコンサートなどといったことをやっています。これらも音楽を医療に使っているということですが、どちらかというと健康に役立てる営みという広い意味での音楽療法になります。それに対して、音楽療法についての教育を受けた専門家が、特定の人に対して、計画的にやっていくという狭い意味での音楽療法があります。ある先生は、音楽療法を広い意味と狭い意味とに分けておられます。だれでも歌を歌ったり、カラオケに行ったりBGMをかけたりという、そういった音楽の利用の仕方があって、これはもう特別に資格がなくてもだれでもできます。一方、教育を受けた音楽療法士さんが、病院や福祉施設などで、病をもっている人に対して、計画をもって、それがよかったかどうかも評価しながらやっていこうというのが、本来の狭い意味の音楽療法です。ですから、同じ音楽を演奏しても、専門家のやられるのはやはりちょっと違うわけですね。以上が音楽療法士の歴史です。
病棟や病室での音楽療法

音楽療法は、聴く音楽療法が一般的で、これを受動的と言いますが、病気によっては自分が歌ったり演奏したりという能動的なやり方もあって、聴くのと患者さん本人がやる、この両方が音楽療法ということになります。

 それと一番大事な、今までどんな分野で音楽療法が行なわれてきたかということですが、日本での一つの流派は、精神科の統合失調症の患者さんに対して、作業療法として音楽を用いるという、これも結構歴史があります。そういう精神科のほうで発達してきている音楽療法。それから知的障害、発達障害の子どもさんに対して音楽で発達を促すという、そういう障害児施設で行なわれている音楽療法、これも結構歴史があると思います。それからもう一つ最近になって、高齢者や認知症の患者さんの施設、老人ホームであるとかデイサービス、デイケアなどで行なわれている音楽療法があります。多くの音楽療法士さんはこの三つの分野で参加されている方が多いのではないかと思います。

 他の分野もいくつかありますが、私が専門としている神経難病の患者さんへの音楽療法はなかなか確立されてなかったわけです。神経難病の中で、たとえばパーキンソン病の場合のように、いわゆるリハビリ的にからだに働きかける音楽療法もあります。リズムをジャンジャンジャンとやることで足の出がよくなっていくという、そういったリハビリの補助としての音楽療法もあるわけですが、もう一つは、パーキンソン病で気持ちが沈むといったような場合に、精神面、心に働きかける音楽療法もあります。このようにリハビリ的なものと、心を癒すという精神面に働きかけるものとの二つの面があると思います。

 今から20年前の1990年、私が長野の病院からふるさとの八鹿病院に帰って来た年ですが、八鹿病院では、入院患者さんに生活の潤いや心のケア、癒しを与えられればということで、コーラス部をつくって院内コンサートを始めたようなことがありました。広い意味での音楽活動ということになるかと思います。今でも年に2回、ロビーでコンサートをやったりしています。

 そういう中で、2000年に音楽療法士さん、音楽大学を卒業された方が採用されました。現在お二人おられて、病棟や病室での音楽療法が始まっています。療養病棟で長期に入院されている患者さんには集団での音楽療法を、神経内科の病棟での音楽療法も週に1回行なわれています。またリハビリ病棟で、たとえば失語症の患者さんに、メロディに合わせて言葉を出しやすくするといった言語訓練に音楽療法士さんが関わったり、ALSの患者さんのベッドサイドで患者さんのリクエストに応えて音楽療法士さんが演奏する、ということもやっています。また病院のロビーでは毎日、音楽療法士さんが交替で、朝の9時ごろと11時ごろにBGMを生でピアノ演奏しています。
訪問音楽療法の取り組み

音楽療法を10年近くやってきまして、これまで10数名の患者さんのご自宅に、看護師さんと私、それから音楽療法士さんが訪問して演奏するということをやってまいりました。吸引指導を受けに来てくれたヘルパーさんが一緒に参加してくださったこともあります。

 2003年に音楽療法を始めた当時、まったく無表情だった患者さんが、演奏をした途端、顔がパッと明るくなったのがとても印象的で、音楽の力を感じました。歌詞を覚えておられるのですね。そのときの曲は、多分その方が一生懸命働いておられたであろう昭和30年代に流行った曲でしたから、一緒に口を動かしておられましたね。チャンチャカチャンと前奏が一小節始まっただけで、いっぺんに表情が変わるという、音楽というのは、1秒でも2秒でも前奏を聴いただけで、その当時の記憶がパァッとよみがえる作用があるのだということを強く感じました。このように自分が一生懸命働いた頃のことを思い出して、「ああいい人生だったなあ」ということを思ってもらえる、そういう作用もあると思いますね。患者さんだけでなく、ご家族にとっても癒しの時間になっていると思います。患者さんの奥さんが、「1カ月に1回のわが家のコンサートです」と、確か近畿ブロックの会報に書かれておられたのではないでしょうか。

 日野原先生はこのようにおっしゃっておられます。「言葉で会話ができない患者さんとも、音楽で心のコミュニケーションをとることができる」と。確かに、音楽でからだが良くなるというわけではありませんが、思い出が湧き上がってきたり、感動したり、さらに音楽によって人と人とのつながりを深めることができます。特に私の場合、正式な音楽療法士ではありませんから、主治医の立場で、音楽をあいだにはさんで、頑張って生きていこうというメッセージが伝わればいいかなと思っています。

 音楽の力についてはいろんなことが言われています。2002年当時、音楽療法は日本ではまだめずらしかったので、難病の雑誌で紹介されたり、去年の春にも患者さんが会報に掲載されたりしました。

 それで、昨年の秋から、あるところから補助金をいただきまして、訪問音楽療法を始めました。3年ほど前に兵庫県の事業でやったことがありますが、今回は、兵庫、大阪、京都、奈良、和歌山、滋賀というように近畿圏に広げて、現在22人のALSの患者さんに、総勢26人の音楽療法士さんが手分けして訪問していただいております。近畿ブロックの患者さん数名の方にも訪問していただいています。これはぜひ患者さんはもちろん、ご家族の方にも体験していただいて、感想もお聞きしたいし、そして何よりも音楽療法士さんにALSのことを知っていただいて、音楽療法がALSの患者さんにとってどれだけ役に立つか、生きる力を高めていくかとか、よい療養生活ができるというような、そういうことを実証していきたいと思っています。

 日野原先生はよくこのように言われます。「たとえ病気が治らなくても、苦しみを和ませたり、こころをなぐさめることはいつでもできる」と。音楽療法も当然そうであって、非常に大事な役割を果たしていると思っています。

 細かいことは言いませんでしたけれど、インターネットを使える方は、「ALS、近藤」と書いただけでいくつか文献が出てくると思います。またご覧ください。

せっかくオートハープという楽器を持ってきましたので、音楽療法士の加戸さんにキーボードで伴奏していただいて、『あざみの歌』を歌わせていただきます。(拍手)

私は音楽がどれだけ医療に導入できるかと思ってやっているのですが、今日は日本音楽療法学会の認定音楽療法士さんで、西村隆さんを訪問されている片山はるみさん、谷向弘美さん、加戸敬子さんの3人が、実際にどんなふうに音楽療法をされていたのかご紹介いただきます。(拍手)

加戸敬子さん(谷向弘美さん・片山はるみさん)
私たち3人は、近藤先生が立ち上げられた「訪問音楽療法プロジェクト」の一員で、芦屋市の西村隆さんを訪問して初めて音楽療法を行いました。音楽療法と申しましても決まった形があるわけではありません。音楽療法士が10人いれば十通りあると言われています。おまけに、音楽療法を受けられる患者さんを含めて4人だけでしか作り得ないセッションを行うことができました。今日はそのセッションのごく一部を再現させていただこうと思います。(以下割愛いたします)
ご参加いただきました音楽療法士の皆様、ありがとうございました。
橋本明美さん、渡邊孝子さん、辻栄美さん、谷関律子さん、
荒木有可子さん、伊藤見栄さん、山下由利子さん、園井比早子さん
北村英子さん、山田亜希子さん
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