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「僕が残せることは? 僕が残したいことは?」 (3) |
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南紀白浜でカウントダウン 「3、2、1、0」 「明けましておめでとう」 2010年が始まった。妻と長女、半分寝かけている長男、そして、すっかり寝てしまった末娘の寝顔に、それぞれ新年の挨拶をした。毎年恒例の場面であったが、今年は少し違った。家でもなく、神戸でもなく、現在いる場所は和歌山県南紀白浜であった。 12月31日の朝に神戸を出発し、昼食を黒潮市場で食べて、マグロの解体ショーを見て、「おーめっちゃでかい!!」。末娘の身長を超える1メートル30〜40センチのマグロを大人二人で豪快に解体する様子を、子どもたちは、「わー」と感嘆の声をあげ、目を丸くして見ていた。 3時過ぎに旅館に着いて、近くの千畳敷海岸を見に行ったが、台風並みの暴風が吹き、一人で歩けず、妻に腕組みしてもらい何とか歩けた。子どもがジャンプすると、な!
なんと30〜40センチ後ろに吹き飛ばされるほどで、子どもたちは、何度もジャンプして楽しんでいた。 しかし、この暴風のせいで、露天風呂は入れないし、カウントダウンの花火も中止になってしまい、最悪の2009年の締めくくり&2010年の始まりになった。唯一夕食のバイキングが、マグロの握りや海鮮焼きからアイスなどのデザートまで、豊富でおいしかったのが救いであった。でも、自分でお皿を持ち、歩きながら好きなものを好きな量入れることができず、妻や子どもたちに入れてもらった。バイキングの楽しみが半減であったが、子どもたちの喜ぶ姿を見て、何とか気持ちが救われた。いや、楽しいんだと自分に言い聞かせた。 |
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翌朝の朝食後、白浜アドベンチャーワールドに行った。入口で車椅子を借り、押して歩いていたら、妻に「もう乗り、歩くより早いから」と言われた。 帰りのバスの都合であまりゆっくりできないため、一生懸命早歩きをしているのだが、5歳の娘よりも歩くのが遅かった。仕方なく車椅子に乗った。少し恥ずかしく抵抗があったが、子どもたちのためと思った。また、知っている人に会うことのない遠い地のため、腰も軽かった。 |
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初体験の思い出 まあ、人によるが、車椅子に初めて乗るときは、家の周りより、知っている人のいないところで乗る方が抵抗なく乗ることができる気がする。また家の近くでは、知っている人が寄って来て、心配半分、興味半分で話かけられるのを、どこまで話すか悩みながら答える煩わしさもなかった。正直世間の目がこわく、子どもたちがいじめられないか心配であった。 今回車椅子に乗って、歩けるありがたみを初めて知った、車椅子はどこへ行くのもかなり遠回りで、たった2段の階段が何十メートルもの壁に感じた。でも車椅子に乗れば、まだまだ外出できると感じた。 双子のパンダの子ども、白クマの赤ちゃんを見て、アシカ、ペンギン、イルカと写真を撮り、体を触った。イルカの体は、ゴムの浮き輪みたいであった。ペンギンの手?翼?は、とても硬くてびっくり!
息子は、ラクダにも乗った。園内を足早に一周したが、まだまだ見てないところや、ゆっくり見たいところがあった。ほんまに、初体験のことが多く、いい思い出になった。 |
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父のような調理師になりたい 3月になり、末娘の幼稚園の卒園式があった。このころは、歩くのもしんどく、10メートル歩いて1呼吸おく感じで、幼稚園まで1苦労であった。何とか無事?式も終わったが、ビデオの調子が悪く、撮影出来なかった。いつもながらついてない感じだ。しかし、これでひと仕事終わったな~という安堵感と、6年後の小学校の卒業式には、見に行けないのかな?という寂しさがあった。でも、幼稚園の卒園式まで無事に見られたと思うほうがいいのだろうか?という部分もあるが、娘の顔を見ていると正直まだまだ末娘の成長を見たいのが本音である。 約1週間後、今度は、長女の小学校の卒業式であった。式が始まり、卒業証書の授与のとき、卒業生が一人一人将来の夢を発表して、証書を受け取るのであった。長女は、「父のような、明るく楽しい調理師になりたいです」と発表した。 僕は証書を受け取る娘の顔をあふれてくる涙で、ぼやけて見ることができなかった。調理師になりたいのは知っていたが、まさか自分みたいな調理師になりたいとは思っていなかったので、驚きとうれしさで涙が止まらなかった。正直僕自身、有名な店やホテルで何年も仕事した訳ではなく、あまり自慢できる職歴ではなかったし、病気の体になっていたので、「こんな父親を目標にするなんてありえない」という気持ちがあり、よけいに驚きとうれしさがあった。 |
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娘ふたりの入学式 4月に入り桜の花が満開になり、すっかり暖かくなり、娘二人の入学式があった。午前は小学校で、午後からは中学校の入学式という結構慌ただしい一日であった。末娘は、仲のいい友達と同じクラスになり、喜んでいた。三人の子どもの中で一番人見知りが強く、甘えんぼうなので、これで少し安心した。長女の入学式は、体育館であったので参加したが、その後の話は3階の教室で、しかも一番遠い校舎だったので参加しなかった。 正直、中学校の入学式に参加するかどうかも悩んだ、なぜなら末娘の中学校の入学式に参加できる自信がなかったからだ。僕自身、子ども三人とも同じようにしたかった。小学校の卒業式は、子どもが嫌がらないかぎり参加するが、中学校になると父親があまり参加していないので、「まあ別にいいかな?」と思った。これからどんどん、長女にしてあげられたことが末娘にできないと思うと、とても悔しくて、申し訳ない気持ちでいっぱいであった。 「なぜ? もう少し年がいってから発病しなかったのだろうか?
なぜ?」。そんなことを考えたらきりがなかった。でも今できることを末娘に、いや家族やみんなにしてあげたい。小さかった娘二人の門出にさらなる勇気をもらい、頑張っていきたいと思った。 |
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