「僕が残せることは? 僕が残したいことは?」  (4) 

        ギリギリまで頑張る姿を子どもたちに

             後 則孝(うしろ・のりたか) 神戸市

休職を勧められる 
 「え! それはつまり辞めろということですか!」
 桜の木もピンクの花からすっかりと青々とした葉っぱに入れ代わった4月下旬に、職場の上司に呼ばれて調理室から事務所に行くと、さらに上役が二人いた。
 上役の話は「1月から、君の補助としてパートをいれているが、これは異常である。
少し考えてくれないか?」という内容であった。幸いにも僕が勤めている保育所には休職制度があるため、辞めろとは言わないが、休職を勧められた形だ。しかし、このALS は少し休んだら治るでも良くなるわけでもないので、事実上僕にとっては、休職=辞職であった。いずれは、休職するつもりでいた。
しかし、人から言われるとかなりショックであった。

 2000 年から保育所に働きだし、丸10 年がたった。以前働いていた病院と違い、作った料理を「これ、めっちゃおいしい」と最高の笑顔や、「これ、まずい」と顔をクシャクシャにする子どもたちの素直で厳しい採点に、「ありがとう」や「身体にいいから頑張って食べてなー」と笑顔や苦笑いの返答をする日々に、料理を作る喜びと楽しさとやりがいを感じていたので、保育所の仕事はとても大好きで、できれば定年近くまで続けたいと思っていた。
 しかし、この日から具体的にいつ辞めるか?とカレンダーを見る日々が続いた。それから約3週間が過ぎたある日、仕事を終えて帰ろうと、出入り口の門扉の鍵(約160 センチの高さにある)を開けようと手を上げたら、そのまま後ろに倒れて後頭部を強打してしまった。このとき、どうやら脳震とうを起こしたらしく、その後の保育士さんたちが介抱してくれたことや迎えに来た父の車に乗って約20 分かかる自宅までの道のりの記憶が夢のようにあいまいで、意識もうろう状態で、倒れる前後の記憶は今でも思い出せない。
 いったん自宅に戻り、妻を乗せて、子どもたちは妻のお母さんに見てもらい、中央市民病院に行った。このあたりからから意識がしっかりしてきた。
MR を撮ったが異常もなく、自宅に帰ることができた。
次の日は土曜日で休みだったのでゆっくりすることができた。
 それから数日後に上役がきた。てっきりこの出来事で来たのかと思ったが話に出ず、前回の休職の答えを求められた。今回は自分の中では答えが決まっていた。
「休職します。まだ、有給があるし、都合もあるので、いつから休むかは決めていないですが」と言うと、上役たちは安堵の顔を浮かべた。
上役たちは変に働いて怪我をされて労災になるよりかは、休んでもらった方がいいという感じであった。

ケーキでお別れ会
 しかし、それでもよかった。なぜなら今、僕の補助であるパートさんがそのまま働くことができるようになったからだ。
本来は調理師免許を持つアルバイトになるのだが、補助のパートさんは免許を持ってなかったので、解雇になるのだが、慣れているし、人柄もよく、他の調理師さんも気に入っていたので、上役にお願いすると了承をもらった。いままで相方に、いろいろとご迷惑をかけていたので、これで少し恩返しができたかな?
 それから約1 か月後の2010 年6 月18 日(金)。
最悪の雨の日、偶然にもALS 協会近畿ブロックの総会に初めて参加する前の日、僕の約16 年という短い勤労生活が幕を閉じた。
最後のこの日、相方の調理師さんが「これぐらいさせて」と調理師の人数分の3個のケーキを買ってきてくれた。
定年退職とかならお別れ会とかあるのだが、休職のため何もなかったので、相方が気を利かした感じだ。
 僕自身、堅いあいさつやしんみりしたことなどは苦手なので、何もない方がよかったので、相方にもいつものように「お疲れさま!でお別れしましょう」と言っていたので、ビックリした。ケーキはいつも以上においしかった。
いっぱいご迷惑をかけた僕に「まだまだ休まず仕事したら? カバーするし」と言って、最後まで邪魔者扱いしないで僕の応援をしてくれた相方二人に心から感謝である。
本当に二人のおかげで、ギリギリまで仕事ができた。正直身体は疲労の塊であったが、子どもたちにギリギリまで頑張る姿を見せたいのと、たぶん包丁を握ることも仕事をすることも最後になるから、最後の悪あがきをしたかったのと、そして1番の理由は、これから毎日1日中家にいることでストレスを与えてしまう妻に、1日でも多く、いままでと同じ日常生活を過ごして欲しかった。本当に悔いが残らないと言えば嘘になるが、限界までやったという達成感はあった。
 ここまで仕事をさせてくれた相方二人と職場までの送迎をしてくれた父親、そして何も言わずに好きにさせてくれた妻に感謝である。

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