連載第10回
愛猫「たま」
姫路市 大多和清子
「たま」との出会い
 2001年9月の初めの頃でした。
 毎週金曜日は、私の家の近所でコープの共同購入の日でした。
 注文した商品をカゴに入れていると、左の方から視線を感じました。ふと見ると、小さいからだの大きい目をしたねこが塀の上から、じっと私を見ていたのです。(まぁーかわいいねこだわ)。きっと、どこかの家で飼われていると思いました。
 共同購入もお開きになり、家に帰り商品を片付け、東側の庭に洗濯物を干してあるので取り込もうとしていたら、「ニャー」とさっきのねこがいたのです。
 びっくりしたのは言うまでもありませんが、このねこはなぜ私の家が分かったのか不思議でした。塀をつたって先回りしていたのかも知れません。ねこという動物は人を見ると、好きか嫌いかを直感出来るのです。
 ねこ好きの人にはすり寄ってきますが、嫌いな人には寄っていきません。

 その日から、粗大ゴミの日まで束ねて置いてあったダンボールの上で過ごすようになったねこでした。
 朝・晩、洗濯を干したり取り込むとき、いつも「ニャー」と鳴いていました。2、3日たったある日のことでした。夫も仕事が休みで家にいました。8月に北海道土産で買ってきた鮭とばをちぎってあげたところ、硬いであろうそれを一生懸命食べていました。
 それからは、ねこがこの家の子になれると思ったようで、何度も家の中に入ろうとしました。かわいそうでしたが、その都度、「ごめんね」と外に出しました。日ごと痩せて細くなっていく姿は見るに耐えがたい思いでした。

私を家の子にしてください
 数日後、私は決心しました。夕方、仕事から帰ってまだねこがいたら飼おうと……。
 ガラス戸を開けると、いました。大きな目で私を見上げて「ニャー」と鳴いたのです。その鳴き声は「私を家の子にしてください」と言っているように聞こえました。
 長男がタイミングよく帰宅したので、車で近くの動物病院へ連れて行きました。検査を受けたところ、虫などを食べて生きてきたと伝えられました。
 「まだ、1歳になっていないですよね?」と尋ねたところ、「こんなに痩せて小さいけれど、1歳は過ぎています」と言われました。何だかショックと哀れみを感じ、より一層うちの子として育てようと決意を新たにしました。
 動物病院をあとに、近くにあるペットショップ「アミーゴ」へ……。このショップはペットと一緒に来店可能なので、ねこを抱いて買物ができました。とりあえず必要な物、エサ、お皿、水入れ、トイレ、トイレの砂、ベッドなどを買い、急いで帰りました。

 家に帰り、お皿などを洗い、エサと水を与えると、あっと言う間に完食し、水をおいしそうに飲んでいました。よほどひもじい思いをしていたことを目のあたりにし、もっと早くそうしていればよかったのにと今更ながらに思いました。
 すでにトイレにねこ砂を入れて用意ができていたところに、ねこが食事をすませトイレにやって来て、躊躇することなく入って用を足したのでした。それには驚きました。
 食事はキッチンの床の上にお皿を置いていました。トイレはリビングの外にあり、ねこがその存在さえ知らなかったはずです。友人にねこを飼っている人がいましたが、トイレの躾が思うようにいかず、床の上にしたりと大変だったと聞いたことがありました。
 トイレの躾ができているねこは、きっとどこかで飼われていたに違いないと思いました。

命名「たま」
 夫が帰宅してねこがいるのと、今までなかったトイレなどを見て、「飼うことにしたのか?」と半ばあきらめ気味に聞いたのです。病院に連れて行ったことなどを話し、うちで飼うことが決まりました。
 夫が「俺が名前を付けてあげよう。ねこはたま、犬はポチと決まっている。だから『たま』だ」と即、決まりました。私は内心、このねこは女の子なのでキティちゃんと付けたかったのです。のちに友人の京子さんの男の子のねこにキティちゃんと名付け、写メを送られたのを思い出しました。
 こうして2001年9月12日、「大多和たま」になりました。
 「たま」が家族の一員になった次の日、夫と「たま」と3人で「アミーゴ」へ「たま」のものを買いに行きました。首輪は鈴と迷子札が付いているピンクの可愛いのにしました。おもちゃのねこじゃらしやトイレもスペアでもう1つ買いました。(トイレはこまめに砂を捨て、きれいに洗い、お日さまにあてます)。ベッドも、もう1つ2階用に……。
 「たま」の物を買うのにこれほどワクワクするのは、まるで子どもたちのおもちゃや服を買うのに似ています。
 ちなみに、この写真はネットで買った服(?)です。あひるさんのコスチュームは嫌がらずに着けさせてくれました。夫と私は大喜びで「たまちゃん、かわいい!」と楽しんでいました。
しかし、「たま」にとっては迷惑だったに違いありません。飼い主の自己満足に「たま」は呆れていたと思います。その後、再び「たま」にあひるさんのコスチュームを着せることはありませんでした。
     
 
      「たま」の居場所
 「たま」は、昼間はひとりでお留守番をしています。夫が会社に出勤するときは「たま」が玄関まで見送りに行きます。最後に私が出かけるときも、きちんとお座りして見送ってくれます。
 「たま」が我が家に来た頃は多分、ソファーかフローリングの上が居場所だったのでしょう。
 テレビのCMでもやっていますが、ねこはその時々で居場所を変えます。 
 秋には東の部屋の出窓にいたり、冬は日がな一日、寝室のベッドの上に。春には、少しの陽だまりを求めて居場所を探します。

6時のメロディ
 「たま」の食事の時間は、朝6時と夕方6時の2回です。
    リビングの出窓にある置時計が1時間ごとにメロディを奏でます。例えば、朝 の8時は「エリーゼのために」を…。しかし、夜の8時には違う曲が流れます。
         
 「たま」がきてしばらくした頃のことです。
 朝、私が5時頃に起きて1階に降りようとすると、「たま」は真っ先にドドーッと駆け下りるのです。そして、リビングのソファーでくつろいでいます。6時のメロディが鳴ると「たま」は私の所に来て、「ニャーニャー」と鳴くのです。「もう6時ね。ご飯あげるね」と1回のキャットフードを器に入れると、すぐ完食してソファーに戻り、顔を洗います。キッチンで朝食の用意と4つのお弁当作りで悪戦苦闘しているところには「たま」は来ません。

 夕方、私が帰って、玄関に入らず花の水やりをしていると、リビングのソファーに乗り、レースのカーテンを少し開け、「ニャーニャー(早く帰って)」と鳴き、それは、玄関に入るまで続きます。中に入ると大喜びで駆け寄ってきます。それで安心したかのようですが、私の後をまるで金魚のフンのようについてきます。しかし、夕食の用意にキッチンに行くと、「たま」はソファーの上でくつろいでいます。
 やがて、6時のメロディが鳴ると「たま」は私のところにやってきて「ニャーニャー(晩ご飯の時間だよ)」と鳴くのです。
 6時のメロディはずっと「たま」の頭にインプットされていたのです。
 
 そんなとき、置時計の電池が切れたのです。さあ大変! 夫が電池を変えたとき、メロディが1時間遅くなっていました。今まで6時になっていたメロディが7時に鳴ります。
 当然メロディが覚えていたのと違ってきます。さて「たま」はどのような反応をするのか、興味津々でした。
 数日間は、6時になっても以前のように「ニャーニャー」と鳴くことはありませんでした。「たま、ご飯よ」とキャットフードをあげると、キョトンとしています。(おかしいなぁ。まだあのメロディが鳴ってないのに……。でも、お腹がすいたし食べちゃおう!)

 ある日の夕方のことでした。いつものように置時計が6時のメロディを奏でています。すると「たま」はソファーから飛んできて「ニャーニャー」と鳴いて私の足元で(早く! ご飯の時間よ)とせがむのです。びっくりしました。わずかな間に新しいメロディを覚えていたのでした。
 それから「たま」はそのメロディを忘れることはありませんでした。

ALS発病
 「たま」との楽しい日々が2年過ぎた頃です。私の体調に変化が起きました。
会報62号の投稿文に詳しく書いてあります。

 その頃、構音障害を発症して、休みの日は病院めぐりをしていましたが、病名は、なかなかつかなかったのです。やがて、右足を引きずるようになりました。最初に受診した病院に再度、診てもらったところ、前回と同じく異常がなかったのです。そして、ある神経内科を紹介してくれました。
 神経内科を受診すると、検査入院が必要だと言われました。そしてALSと告知されました。その後、退職して自宅療養をするようになりました。
「たま」のつぶやき
「たま」はずっとお母さんが家にいるので嬉しく、もう寂しくありませんでした。冬だったのでお母さんは2階のこたつのある部屋で読書をするのが日課でした。「たま」はお母さんよりさきにダッシュでこたつに潜っていました。
「たま」は春が来るのを心待ちにしていました。でもお外には出られません。たまに玄関のドアが開いた隙間や東側のはきだしの窓が開いたときなど、素早く飛び出し、冒険に出ます。お母さんは「たま」をキャットフードで家の中へ誘いますが、フェイントをかけ楽しんでから帰ります。(30分ほどで帰ります。少し、臆病な「たま」なのです)
夏になると、お母さんは東側のお父さん手作りのデッキで読書をしていました。でも「たま」は家の中でお外に行けないので、涼しいフローリングの上でごろんとしていました。
お父さんとお母さんは、秋の終わりに和歌山のすさみへ1泊2日の旅行に行きました。帰ってから下のお兄ちゃん家族に楽しかったことを話していました。(会報62号参照)
その翌日は月に一度の診察日でした。お母さんは朝食の味噌汁に咽ていました。「たま」は少し心配になりました。
お母さんはその日からずっと家に帰ってきませんでした。
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