忘れな草をあなたに(2)
 
      いま、この生命をどう生きるか
 
 
                   加藤豊子(遺族)
 
 
 夫が旅立ってからまもなく2年を迎えようとしています。介護の日々は大変だったといえば大変だったのでしょうが、今となっては記憶の中で浄化されていくようです。苦しかったことが忘却の彼方に消えてしまうわけではありませんが、懐かしい思い出といったら少し違うかな、でもいろんなことがあったなぁという思いです。介護日記を読み返しながら思いつくままに綴ってみます。
 
ALSの告知 一日考えてから
 2006年(平成18年)5月10日から検査入院した馬場記念病院で、本人に病名を告げる前に家族が呼ばれ、私は娘を伴って行きました。
 まだ確定はできないが、かなりの確率で筋萎縮性側索硬化症が疑われる。この病気は、原因もわからない、治療法もない、だんだん筋肉が衰え動けなくなる、将来は人工呼吸器をつけるかどうかの選択をせまられる、食物がのどを通らなくなると胃に穴をあける、等々の説明を受け、本人に告知するかどうか問われました。
 告知しなければ末梢神経の病気ということで通すこともできるが、まだこれから検査をしたり様子を見ていかなければならない。告知せずにいると検査の必要性など理解してもらいにくい。告知することを薦める、とのことでした。亡夫は人一倍恐がりの心配性で、精神科で不安症という病名をもらったことがあるくらいなので、1日考えさせてほしいとお願いしました。
 娘とも相談し、隠し通すことは難しい、隠せばかえって疑心暗鬼になる、左膝関節の手術の失敗のせいだと疑っているのでそれもよくない、やっぱり告知した方がいいとの結論になりました。告知を受けた夫はショックでかなり混乱しているようすでした。不安でいたたまれないと言ったほうがいいでしょうか。
 その後の経過観察のため外来でさらに検査をすることになり、3週間後の6月13日に予約をして5月25日退院しました。
 
「私に任せて!」という自信がなくて
 娘がインターネットで情報を集め、プリントしたものを持ってきましたが、夫は見ようともせず、2か月後に70歳の誕生日を迎える年齢でしたが、「どうせそんなもん見ても同じや、70まで生きられへん……」と落ち込んでいました。私もこの先どんな生活が待っているのか、それがどれほど続くのか見当もつかず、できるだけのことをしようと覚悟を決めるしかありませんでした。ドンと胸をたたいて、カラ元気でもいいから「私に任せて!」と言ってあげればよかったのでしょうが、そんな自信はありませんでした。
 紹介され転院した刀根山病院に入院してからも、「どうせ死ぬんやから……」と全く生きる意欲を失っていました。70歳の誕生日は病院のベッドで迎えました。娘夫婦を交えて4人、お見舞いにいただいたシークワーサーのジュースで誕生日祝いの乾杯をしました。「70まで生きられたじゃないの」と言えば、「次の正月は迎えられへん……」と言いました。刀根山病院で正式にALSの診断を受けました。
 
BiPAPをつける練習
 血中の酸素濃度が夜中2時から3時ごろ、80くらいに下がっていると、BiPAPを薦められました。初めてつけたとき、10分間くらいが限度で、すぐはずして、「こんなもんやってられん」。それでも毎日少しずつ練習し、形状の違う鼻口マスクを2、3試しているうちに慣れてきて、昼間は60分くらい連続してつけることができるようになりました。
 しかし本当に必要なのは夜寝ている間につけることでした。夜明け前の2時ころ、酸素濃度が下がったまま長時間回復しないのを見た看護師さんが起こしにきて、BiPAPを90分つけた、ということもありました。それでも顔のまわりのマスクやパイプがうっとうしく、気になって寝つけない、と安定剤または睡眠薬がほしいと訴え、肺の働きになるべく影響の出ない薬を出してもらえることになりました。
 就寝時にBiPAPをつけることを条件に、安定剤と睡眠薬を処方され、寝る前の薬を飲むタイミング、BiPAPをつけるタイミングをあれこれ試して練習を繰り返し、何とかできるようになってきました。それでも「治るものなら練習することに意味があるが、どうせ治らないのならこんなことしても意味ないと思う」と言っていました。
 
いまだからできること考えてほしい
 今だからできる、まだ今のうちにできること、したいことをしておこうという気にならないのかと私は問い、そんなものはないと答えます。また、死刑の宣告を受けているのと同じだとも言い、人はみないつか何かで死ぬのは同じだ、永遠に生きることなどあり得ないと私が言うと、それはわかってると答えます。だからこそ今生きていることを大切に、今この生命をどう生きるか、どう充実させるかを考えてほしいと思いましたが、無理な注文だったのでしょうか。
 多くのALS患者さん誰しも、最初告知を受けたときは少なからずショックを受け、不安や絶望感にさいなまれたことと思います。それから何とか立ち直って、もちろん一直線にとはいかないでしょうが、行きつ戻りつしながら生きる希望を見出されたのではないでしょうか。
 とにかく退院の条件、就寝時にBiPAPをつけられることを満たして退院の準備へと進みました。
 
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