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忘れな草をあなたに(7)
いかにもどかしく 不安であったか 容易に想像できる
加藤豊子(遺族)
2008年(平成20年)のお正月も過ぎました。前年9月、腰の圧迫骨折から回復して刀根山病院を退院して以来、在宅療養を続けていました。4月から新しく豊中市内に開設された拓海会神経内科クリニックから訪問診療が始まりました。主治医の先生は変わりありません。室内用の車椅子で自由にトイレへ食卓へと動ける生活を送っていました。しかし症状の進行はどうすることもできず、いろいろな介護用機器を利用するようになっていました。
くるっと90度 昇降機(回転昇降椅子)
室内では自走式の車椅子、外に出るときには介助用の車椅子を使っていましたが、玄関の上がりかまちの段差が障害になり始めました。訪問看護師さん、ケアマネージャーさんに相談して電動式の昇降機をレンタルすることにしました。上下に動き180度回転する椅子のようなものです。玄関の土間に、上がりかまちに接するように置き、まず玄関ホールで室内用車椅子から昇降機に水平移動で乗り移ります。リモコンスイッチでくるっと90度回転させ、下へ降ろし、玄関の土間に置いた外用の車椅子に水平移動するというもので、多少の手助けは必要ですが夫は気に入っていました。乗り物好きな男の子が遊園地で楽しんでいるような気さえしました。でも実際に利用できたのは半年にも満たない期間でした。椅子にすわっていられる時間がだんだん短くなっていったのです。
車いすの座面との差をなくす 補高便座
あるときトイレで少し長い時間すわっていて立ち上がれなくなり、私が呼ばれ助け起こして何とか車椅子にすわらせた、ということが起きました。その後も朝起きたばかりでまだ力があるとき、あるいは小用で短い時間すわっていただけのときはいいのですが、自力で立ち上がれない場合が増えてきました。
トイレの便座の面が車椅子の座面より少し低いので、その差をなくす補高便座というものがあることを教えてもらい、サンプルを試した結果、5pと3pのうち3pのを使うことにしました。その他はね上げ式便座というものもあり、それも上に上げるタイプ、上に上げながら前に押し出すタイプの2種類あり、前に押し出すタイプはいいようにも思えるが、体の動きがついていけないと前へ滑り落ちる感じがして怖いと思うとのことでした。いずれ将来使うことになるかもしれないと言われましたが、使うことはありませんでした。だんだんトイレで立ち上がるより何より自力でトイレに行くこと自体が困難になり、人の助けが必要になってきたのです。
あっけないほど 胃瘻の造設
訪問診療の主治医の先生から、それまでは何となくまだ先のことと思っていた胃瘻についてのお話が出ました。食べられなくなってから考えるのではなく、呼吸状態によって決める。肺の働きはだいぶ弱っているが、口まわりの筋肉の動きはそれほど悪くない。だからまだちょっと早いかなという気もする。もしかしたらつけても使わない期間が長いかもしれない、というような説明をDVDを見ながら聞きました。
刀根山病院では胃瘻造設手術はできないので、いったん刀根山に入院し、隣の市にある巽病院へ転院。そこで手術を受け、刀根山に戻って、胃瘻の使い方などの指導を受け、練習するとなります。
刀根山病院に6月18日入院。さまざまな検査を済ませ、28日巽病院の一般外来を受診、胃瘻造設手術について説明を受けました。30日再度巽病院に行き、胃カメラの検査。そのまま入院となり、手術は7月2日午後1:00〜1:30と決まりました。いったん刀根山は退院の手続きをしました。
手術の当日、1:05頃ストレッチャーで内視鏡検査をした同じ部屋へ。外で待ち、1:20頃には済んで部屋の中へ呼ばれました。特に問題はなく順調、出血も多くない、ちょうどみぞおちのあたりピョロロ〜ンと延びている管の先にふたがついていて、これを開けてここに入れると説明されました。そのあとくるくるっと丸めて結んでおしまい。あっけないほどの幕切れで、ビーチボールの空気を入れる穴を思い浮かべていました。
翌3日病院を訪ねました。昨日はいつも飲んでいる薬(刀根山から持参)を夕食後、寝る前の2回、水に溶かして胃瘻から入れてもらったとか。何か入ってくる感じがしたのか尋ねましたが、全く何も感じなかったと答えました。手術時の麻酔が切れて痛みが出てきて、前夜寝る前に痛み止めの坐薬を、この日の朝もう一度もらってすっかり痛みはなくなり、まだ口からは水も飲めず、点滴がずっと続いている状態でした。
翌々日午後3:30頃病院着。点滴をずっと休みなく続けていました。朝からつけていた点滴液が4時頃なくなり、新しい袋に取りかえに来た看護師さんが、これが点滴の最後、今日からブドウ糖液の注入をすると言われ、まもなく点滴のようなスタンドに袋をぶら下げて胃瘻の口につないで注入が始まり、明日からは栄養剤の注入も始まると言われました。
点滴から栄養剤へ 口から食べてもいいと先生
手術4日目。私か娘が胃瘻に注入するところを見て覚えてほしいとの連絡があり、娘が先に着いて注射器で薬を注入するところを見ました。午後2:30頃私が着いた時は前日もう最後だと聞いていた点滴をまだしていました。私の聞き違いか思い違いか、あるいはまた必要になったのかわかりませんが、昨夜の夜中、この日の朝8時とふた袋続けていたそうです。
その後看護師さんが栄養剤の袋を持ってきて胃瘻に繋ぐところを見せてもらい、点滴の液がまだ残っている袋をはずし、本当にもう点滴は終了、腕に刺していた針を抜きました。栄養剤はこの日ふた袋目、注入後、食後の薬を約50tのお湯に溶かし注射器で入れ、そのあとお湯を50tずつ2回入れて終わりました。口から水は飲めるようになっていましたので吸い飲みに入れて少しずつ何回か飲
ませました。
手術5日目夕方病院へ。栄養剤は朝昼夕にひと袋ずつ、ひとつ400t400kcal。 昼のときは少し時間がかかり過ぎて、2時間もベッドを起こしてすわっているとそれだけでしんどくなってしまうと言いました。
手術6日目。転院の日が翌々日、9日午前11時までに刀根山病院にと決まりました。栄養剤は400kcalずつ3回。先生は口から食べてもいいと言われましたが夫は何となく不安がっているようでした。ベッドから起こして車椅子にすわらせてみました。胃瘻の手術後すわるのは初めて。長く寝たきりでいるとますます起きられなくなるので早く起こす方がいいと思いました。
手術7日目。胃瘻のあたりが痛むと先生に診てもらい、椅子にすわっていたのがいけなかったのかと尋ね、そんなことはないと言われました。
胃瘻の取り扱い トラブル対処法の勉強会
手術8日目。7月9日刀根山病院に戻る、入院の日は不安と緊張状態でしたが、少し和らいだ表情をしていました。刀根山ではこの日は栄養剤の注入、翌日はきざみ食が出され、ほとんど食べられ、薬は胃瘻から注入でした。
その後血液検査で炎症反応が出て抗生剤を点滴で入れたり、口から取るのはテルミール(液体の栄養補助食品)だけだったり、炎症反応が消えてまた食べる練習をしたり、徐々に体調も戻りました。
看護師さんによる胃瘻の取り扱い、トラブル対処法についての勉強会が4日間行われました。ベッドを30度から60度起こし、栄養剤注入後も最低30分は起こしておく、ボトルに栄養剤を入れ、チューブを胃瘻のチューブに接続、チャンバー(液が落ちるのを見るところ)を見ながらクレンメ(速度を調節するところ)を動かし、栄養剤の入るスピードを加減する等々、基本的な扱い方を覚えました。
胃瘻のふたを開けるときは左手の指でチューブを折り曲げる。そのままふたを取ると、腹圧で胃の中から液があふれ出してくる場合があるとの注意もありました。薬をお湯に溶かし注射器で注入するのもやってみて、看護師さんから合格が出ました。
刀根山の先生、拓海会の主治医の先生に保健師さん、ケアマネジャーさん、訪問看護師さん、訪問理学療法士さんに刀根山の看護師さんもそろって退院後の生活についてカンファレンスが開かれ、退院は8月13日と決まりました。6月18日に入院して以来合計57日間の入院生活、思ったより長引きました。
家に帰ると、食事は入院前と同じく、小さくきざむ、ほぐすなどして家族とほとんど同じものが食べられました。胃瘻は薬の注入だけ。チューブが汚れたら、ぬるま湯または酢水(酢1:水10)を通すときれいになりました。
看護師さん、理学療法士さん、ヘルパーさんたちの訪問スケジュールも入院前と同じ、私は胃瘻の取り扱いの用事が増えただけでした。
膝を曲げて腰を落とす 移乗の練習
ベッドから車椅子へ、車椅子からトイレへ、またその逆への移乗を私が介助するについて、理学療法士さん訪問看護師さんが、私が腰を痛めない方法をいろいろ指導して下さいました。腰を曲げず、膝を曲げて腰を落とす、おすもうさんのように等々、実演をまじえて教えていただきました。私と娘は互いに患者役、介護者役を交代しながら教わったように練習しました。患者役になって全身の力を抜いてだらっと椅子に腰かけ、介護者役がその両脇に手を入れ抱き上げ、トイレにあるいはベッドに見立てた椅子に移乗させます。そのとき全身の力を抜いて相手にすべてをゆだねるということがいかに難しいか、思い知らされました。抱き上げられるとつい無意識に、反射的に自分の足に力が入って立ってしまうのです。介護役の方はすぐにそれとわかります。
「あっ、いま、自分で立ってるでしょ」「ごめんごめん、つい立ってしまう」
それ故に抱き上げられても足に力の入らなかった夫がいかにもどかしく、頼りなく、また不安でもあったか容易に想像できます。
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