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平成26年度 日本ALS協会近畿ブロック 総会&交流会
平成26年6月14日(土曜日) 13時?16時
グランキューブ大阪(大阪国際会議場)
司会 柴田真理子
総会
議長 堀田幹子(遺族) 西村隆(患者)
1.平成25年度活動報告
2.平成25年度決算(案)
3.平成26年度活動方針(案)
4.平成26年度予算(案)
5.平成26年度役員(案)
→いずれも承認された。(内容は会報の後ろのページに掲載)
講演
「ALS患者の在宅療法を支える
看護と介護の連携 現状と課題」
西田美紀さん(立命館大学大学院先端総合学術研究科)
![]() はじめまして。よろしくお願いいたします。(拍手)。
こじんまりとした会だと思っていたので、会場に入って広くてびっくりしました。緊張してうまくお話できるかどうか分からないですけど、ご来場いただいてる皆さんのほうが私よりもいろんな経験をされている先輩でいらっしゃるので、交流会のときにまたお話を聞かせていただけたらと思います。
まず自己紹介ですが、職業は看護師をしています。今は難病デイケアで看護師をしたり、医療的ケアが必要な方の介護を担っている事業所の相談業務とか、ALSヘルパーの育成に向けて、重度訪問介護従事者養成研修や、2年前からヘルパーさんの喀痰吸引が制度化されたので、「三号研修」(在宅サービス対象「特定の者に対する研修」)や、重度訪問介護と三号研修が統合された「統合課程プログラム」の、医療的ケアの講義を担当させていただいたり、他にもちょこちょこ非常勤の仕事をしながら、立命館大学大学院の先端総合学術研究科でALSの在宅療養について勉強させていただいています。
京都では1?2か月に1回 医療的ケアの研修
今日は「ALS患者の在宅療養を支える 看護と介護の連携 現状と課題」というテーマですが、まず京都府の医療的ケアの会議に参加させていただいているので、その現状をお伝えさせていただきます。
三号研修と統合課程の登録研修機関は平成26年現在7か所あります。これは多分他府県よりも多いのではないかと思います。重度心身障害児・者の医療的ケアを活動的にされている担当者のご尽力で行政との連携も図れていて、1〜2ヶ月に1回ぐらいの割合で京都府では介護職員の医療的ケアの研修がされています。会議報告では、三号研修の基本研修は、講義の修了者数は1年で505名だったんですが、実地研修の未修了者が238名でした。
505名の受講生のうち「利用者あり」の方が395名で、すぐ訪問する利用者がいない人が110名だったので、現状が定かでなく、実地研修の未修了者について現場でヒアリングしてきましょうということで、私が関わっているところで聞いてみました。アンケート調査までは至らなかったんですが、介護職員さんからの意見は、医療的ケアの法制化によってたん吸引等は実施しやすくなったということでした。
患者さんが主体となって研修も展開していけるように
医療的ケアの法制化の前は、一定の条件下での容認という現状把握が統一されてなくて、「ヘルパーのたん吸引は違法だからしてはダメ」「たん吸引はよくても胃ろうは違法」と、看護師さんに言われてたようですが、医療的ケアの法制化によってヘルパーがしてもよい行為という認識が統一され、その壁がなくなったということでした。
逆に、法制化によって研修がなかなか進まず実地しにくいという人もいました。研修が進まない要因については、訪問看護師とヘルパーの訪問時間の調整に時間がかかる、訪問看護師の評価が厳しい、身体介護の習得に時間がかかる医ケアの実地研修が終了しないという方もいらっしゃいました。
病院からの在宅移行の医療的ケアには少し変化があったのではないかと思っています。以前よりも、在宅用の医療的ケアマニュアルを丁寧に作成して下さっている病院が増えてきました。ただ、ケアマニュアルには個別性がないので、例えば入院中や退院前のケア会議などで、具体的にどういう物を準備して使っていくのか、吸引カテーテルはどういう消毒方法で、どれくらいの頻度で交換していくのかなど、個別性が配慮されている形であれば、と思います。
退院後に複数の訪問看護ステーションを利用する場合は特に、看護師やステーションによってもやり方が違うので、それぞれの意見が食い違ったまま結局家族任せになり、家族が戸惑っている在宅もあるんです。
看護師の立場から喀痰吸引の指導をしていて感じるのは、委託研修機関が複数あると、看護師に渡してくださる資料や内容も各研修機関によって違うので、書類に目を通す時間や流れの把握に時間がかかるというのはありました。介護事業所によっては、医ケアに関する書類を現場のヘルパーが持参しているので、指導評価以外のことで研修のことを確認されたり、尋ねられることもありました。
それと、以前は現場で内々でやっていたところでも、書類や手続きが入ってきて、介護事業所が資料集めから訪問看護師さんの手配を含めた実地研修の調整まで、いろいろ四苦八苦されているように見受けます。そうした中で、患者さんがサービスを受ける存在として、ケアの主体から遠のいている在宅もあるように感じます。増田さんの在宅は、増田さんが全面的に資料とか看護師さんの手配ともいろいろされていますが、そういう方はほとんどいません。
あと、訪問看護師さんにもよるんですが、なかなか看護師さんが協力してくれない、職種間のヒエラルキー(階層)といいますか、そういう部分で連携や協力体制が図れていない在宅も見受けるのですが、私は、医療的ケアの主体は当事者なので、患者さんが主体となってそこを軸に研修も展開していけるようになれたらいいのにと思っています。
在宅療養における専門性 個別性を熟知したケア
医療的ケアにおける看護と介護ということで、最近看護師さんで専門看護師とか認定看護師が増えてきていますが、在宅療養における専門性というのは、個人的には資格化よりも個別性を熟知したケアをどれだけ備えられているかにかかってくると思います。そういう面では、障害サービスの長時間滞在の重度訪問介護ヘルパーさんの方が生活面や医療的ケアにおいてもその個別性を熟知されていることも多いです。
ただ、普段と異なる状態変化が生じた時は、やはり幅広い医療的知識とか、ALS患者さん以外でも複数の患者さんのケア経験のある看護師さんのほうが、身体的なアセスメントや対応が迅速にできるように思います。
個別性を熟知したケアの基盤は、コミュニケーションが不可欠ですね。訪問看護の時間内で、文字盤を読み取って一つ一つのケアを進めていると、時間内に終わらない現状もあります。ですが、だからといってコミュニケーションは家族とか長時間滞在のヘルパーさんの役割だと捉えて、ケアだけを淡々とこなすのは違うように思います。コミュニケーションは、言語以外でも表情とか目線とか仕草とかケアの姿勢とか、非言語的なコミュニケーションも含んでいて、それがお互いの関係性やケアにも影響してきます。
医療的ケアというのは独立して存在するものではなくて、コミュニケーションを基盤とした身体介護や日常生活の延長線上にあるものなので、医療から福祉職へと知を引き継ぐ一方通行の視点ではなくて、患者さんと介護職の知と経験を双方的に引き継ぐというか、補い合うという視点が重要ではないかと思っています。
医療的ケアの法制化の流れの中で、皆さんもご存じと思いますが、2003年にヘルパーの業としてではないですが、一定の条件下で介護職員の痰吸引が容認されました。その後、「業務じゃないことに私たちは担えない」という介護事業者団体から不安の声が上がったりして、2004年に厚労省が、「業務の中ですることはあり得る」と報告書でまとめましたが、その時に「じゃあ、爪切りは?」「点眼は?」とケアの範囲に混乱が生じたので、2005年に厚労省は、医行為でないものと状態が安定していれば医行為でないものを例示する通知を出しました。
今でも現場では、その時の通知文を基準に、「これはしては駄目、これはいい」と振り分けている方がいらっしゃるんですが、それはあくまでも事例の通知で、私は個々の医療的ケアの基準やどの部分を医療職がどの部分を介護職が担うというのは、患者さんの状態や生活環境とか状況によって異なるので、その時に一つ一つ現場で、本人と多種職とで話し合いながら決めていくしかないのではないかなと思っています。
他人介護24時間の在宅生活を実現
次に、京都府の重度訪問介護サービスの現状をお話ししておきたいと思います。京都は2007年にALSの独居の方が他人介護24時間の在宅生活を実現させました。二人介護も含めて月861時間の支給でした。そこに至るまでは、患者さんや支援者、大学機関とかALS協会の関係者も含めて、いろんな方々の制度の充実に向けた協力というか、運動的なものがあったそうです。
そういう背景があった翌年2008年、同じくALSの独居者の24時間他人介護が可能になりまして、現在は、家族介護でも24時間給付がされるところが、私の知ってる限りでは4名いらっしゃいます。最大900時間台を出されて、増田さんは、その時間で講義をしたり障害者団体の会議に参加したり、同じ病気の患者さんのところに訪問したりという社会活動と、お祭りに行ったり余暇を楽しまれています。ただ、皆が皆これだけの時間数をとれているかというとそうではなくて、重訪は行政と交渉して自分に必要な時間数を獲得していかなければなりません。なので、同じ生活環境なのに、制度を知らなかったり、受け身でいると200時間ぐらいしか支給がなくて、もう一人の方は600時間、900時間とか、差があります。京都府と他府県でもそういう制度の差はありますが。
それで、恵まれた課題だと思うのですが、そういうふうに京都で制度を使えるようにはなってきたんですが、重訪のサービスを提供する事業所が少なかったり、ヘルパーさんが足りなりない、続かないという課題が出てきました。
身体の微調整 予測できない介護
そこで、昨年、ALSヘルパーさんの身体介護の困難性について、面接調査をしてみました。まず、ALSの介護は、ほかの方の介護に比べて、クッションとかスイッチとか電動ベッドとかも含めて、さまざまな補助具と組み合わせた身体の微調整が多く、コミュニケーションが難しくなるという特徴が上がってきました。また、進行の過程で、身体機能を失、身体の微調整も増し、ヘルパーからは介護が予測できないことが多くなり、介護関係も不安定になるという共通点がありました。それと、生活環境による相違点や、ALS身体の違いも明らかになりました。
ALSの身体の微調整と予測できない介護についてですが、単に指示が細かいだけでなく、同じようにしても○だったり×だったり、その時々で細かさや要求も異なるので、日々の介護の積み重ねから、足はこの時はこの位置がいいんだなというイメージがつかず、介護が予測できず試行錯誤していると、患者さんからイライラされ、ヘルパーも焦ったり動揺して、その様子を見て患者さんが不安になったり。そういう時間の繰り返しからケア関係がギクシャクして、ヘルパーさんが辞めていったり、患者さんから介護を断わったり、ということがあります。
硬直系と脱力系
あるヘルパーさんが、ALSの身体を硬直系と脱力系という言葉で分類していました。硬直系の身体は脱力系よりも痛みが強く痙攣もあって、微調整をした後もすぐ姿勢が崩れる。脱力系も微調整はあるけど、身体がダランとしていて痛みがあまりなく、姿勢も崩れないと言われていました。
生活環境の違いという面では、家族が同居されている場合は、患者さんとヘルパーが険悪な雰囲気になっても、家族が間に入り、場を和ましたり調整してくれるので激しいコンフリクト(対立)にまで至らないということでしたが、独居者は調整役がいたとしても常にその場にはいないので、お互いギリギリまで我慢し、激しいコンフリクトが生じるか、その手前で辞めてるか。
独居者の場合は特に生活を維持するために複数のヘルパーさんが必要になりますが、複数いると生活の中で情報が錯綜したり、ケアの行き違いや食い違いが生じて、言った言わないとか、介護上のトラブルも多くなったり。ただ、一時期は戦場のような在宅でも、安定してくる時期というのがあるように思いました。患者さんも周りも「慣れた」とおっしゃるんですが、それが折り合いなのか、身体的に安定する時期なのかはよく分からないですが、ずっと何年も何年も戦場のような生活が続くというわけでもない、というのはありました。
それと、多種職連携といった面で、私は独居者の調整役として約6年ほど、そこで初めてALS患者さんの在宅療養に携わるようになって、家族介護のALS患者さんにも関わるようになったんですが、ALS患者さんって複数の制度を使っていくから在宅で関わる人の数が多いですね。独居の方も50人ぐらいいらっしゃったと思うんです。三つの訪問看護ステーションが入られて、二つ三つの介護事業所が入られて。訪問看護師でもプライマリーナースがずっと入るわけではないので、一つの訪問看護ステーションでも3名4名が出入りします。訪問入浴や福祉用具の方やマッサージやリハビリやすごく多くて。きっとご家族とか患者さんは、それだけで結構疲れるんじゃないでしょうか。
関わる人の多さから情報共有の課題もありましたが、現場での意見やケアの方向性もそれぞれ違いがあります。例えば、医療職は、転倒とか誤嚥とか呼吸機能が低下したときに、リスクの回避を重視して、進行や病の先をみたケアの提供をしがちで、患者さんや家族やヘルパーさんは、目の前の困りごとに対してのケアニーズを抱えていらっしゃるので、その視点のズレはあるように思いました。
介護職員の方でも、介護保険のヘルパーさんと障害福祉のヘルパーさんとでは、介護の捉え方もすごく違うんだなあと、訪問看護師さんの間でもケアに対する方針みたいなものも違っていて、そういう中で、「まだ」「もう」といった言動が飛びかって、ケアの行き違いや食い違いが生じることがありました。
僕は僕 他の人とは一緒にしないで
それと、ある方から私は「僕は僕、他の人とは一緒にしないで、見ないで」ということを言われたことがありました。職務上私たちは対象者の心身のニーズに対応するために、自分の物差しを用いて理解しようとするのですが、その他者理解のための物差しには、知覚とか感情とか認知とか知識や個々の経験という複数の要因が関連しながら、相手を捉えていて、その自分に気づいてないことが多いように思います。援助者の枠組みや一つの方向性、特定の理論からの評価、見方によって、患者さんをできる、できないと二極化していることもあり、できない人を生み出す危険性もあることを自覚させられた経験があります。
病いの先をみてうっかり言ってしまうこともあるようですが、患者さんやご家族にとっては、そこまで考えらなれないときや状況もあるので、心の中で先を見ながら今をどう関わるかというか、病いの先というよりも生活の先を見通せる形で、今ここでという瞬間に患者さんが安心できるケアが提供できるよう、職種間のつながりが必要なのではと思っています。
ALS患者の在宅療養を支えるには、まずは、生活していくために必要な制度的保障が、地域差がまだまだありますので、その充実に向けての活動は必要だと思っています。そして、その制度を使っていくにあたって、ALSの看護や介護についての理解や質の向上、複数の制度化の人たちとの連携など、そういう制度的、質的課題に向けて、周りだけでなく患者さん自身も、一緒に取り組んでいけたらと思っています。
同じ大変さには留まらない 進んでいく力がある
水町:ありがとうございました。今お話しいただきましたように、ALSの介護の基本はコミュニケーションで、クッションとかいろんな物品を使って調整をするのがすごく大変で、その中で混乱も行き違いもいろいろあるというようなお話を聞くと、患者さんもご家族も、今ここにおられるヘルパーさんや看護師さんたちも、「あぁ、本当に大変な介護だな」と共感されてると思うんです。
それで、西田さんがお世話されていた独居の方で、亡くなられた方いらっしゃいましたね。その患者さんの精神的な変遷みたいなものをご紹介いただけないでしょうか。人工呼吸器をつけられましたね。それについての判断の葛藤とか、その辺はありましたか
西田:介護が大変ではあったんですが、その方は進行がすごく速くて、周りもついて行くのに必死で考え込む暇もなかったというか、バタバタしながらでも、生活が明日、明後日とつながっていたので。ある時期の介護が大変で、解決策とか原因が分からなかったとしても、同じ大変さには留まらない、進んでいく力のようなものもALS患者さんの在宅にはありました。
水町:ALSで亡くなったのではないですね。
西田:そうです、癌でお亡くなりになったんです。その方は娘さんが遠方で病気を抱えていらっしゃったので、介護する人がいないということで勤務先のデイケアに来られ、たまたま私が進学した大学院に立岩先生や川口さんがいて、京都でALSの在宅独居の支援に携わった人たちがいることを知ったので、相談しました。
デイケアで出会った頃、その方は娘に迷惑はかけられないという理由で事前指示書には人工呼吸器を装着しないとサインしていたんですが、「家族がいないから、諦めていらっしゃるんですか」と尋ねたら、「諦めてるわけじゃない。ALSに限らず、人は生きれるもんやったら誰だって生きたいはずや」というようなことを言われて。それじゃあ、生きれる環境を、私も知らなかったんですけど、生きている人がいるようなので、一緒に探していきませんかということになりました。
京都駅でチラシを配ってヘルパー募集をした時期もありましたが、そのうちいろんな人が協力してくださるようになって、つながり、つながりで、なんとか24時間他人介護の体制がとれました。生活がスタートした頃は、「同じ病気の人たちのために、後に続く人のために僕は頑張りたい」と意気込んで、講演したりしていましたが、へルパーさんとの生活が結構大変になってきて、多分本人も周りも、想像していたよりも厳しかったというか、それで、気管切開はしていたんですが、呼吸器は着けないと言われた時期もありました。他のALS患者さんもそうだと思うのですが、その背景にいろんな葛藤や思いを抱えていらっしゃるので、そこを見ていかないと、そのまま、ああ、そうですか、というのも違うのではないかと思い、試行錯誤しながら、生活を続けていました。
僕は人工呼吸器をつけて生きていくと決めたのだ
そうしている間に癌になられて、手術はしないと言われていたんですが、間際になって、転移がないならやっぱり手術する、と言われ、呼吸器も着けるんだと。病院の先生は驚きだったみたいです。不自由な身体で癌の手術までされるなんてお気の毒にといった雰囲気や言葉がけがありましたが、術前の血液検査では異常はなく、全身検査でも問題なく、ヘルパーさんに「元気になってまだ戻ってくる」と手術室に向かいましたが、開腹したら他にも転移があったということで、1年後に亡くなられました。
その方の文字盤からの最後の言葉は、「僕は人工呼吸器をつけて生きていくと決めたのだ、大丈夫か」でした。それがすごく印象に残っています。それまで、ヘルパーとの在宅生活が上手くいかないと、本人の覚悟が足りないから、支える側も覚悟がないからそうなるみたいなことを、言われたりしたんですが、覚悟って日々の生活の中で熟練していくものというか、差し迫ったときにでしか覚悟できないこともあります。その方は、揺らぎながらも、目指していたことをその人なりに積み重ねてたように思います。いざというときはいつもしっかりと意思表示されていましたし。
ヘルパーたちはコミュニケーションを諦めなかった
そこからはALSの障害というよりも、手術の影響もあって発信が難しくなったんですけれども、コミュニケーションに関してヘルパーさんたちにすごく厳しく言われていた方なので、在宅で鍛えられたヘルパーさんたちは、どんな状態になっても文字盤を持って対面したり、顔色や少しの表情変化も見逃さないので、周りからはテレパシーで話してるのかみたいに思われたり、看護師さんから、「コミュニケーションを先取りして作ってるんじゃないの?」と誤解を受けても、みんな必死で、コミュニケーションをとることを諦めなかった。手放さなかったんです。
厳しかった生活ではあったのですが、だからこそ最後までみんなコミュニケーションをくみ取ろうっていうふうになったのかなと思います。すごく変化というか波はありました。そこで周りが諦めようと思ったらいくらでも諦められるし、その理由はありました。本人の自己決定の尊重ということで、呼吸器のことも独居生活も、危険なタイミングというのは、怖いですけどありました。でもいろいろありながらも毎日を繋げていって、最後は家で、これまで関わってきたヘルパー、訪問看護師、先生、本当に大勢に人たちに囲まれて、逝きました。独居でしたが。
水町:京都って、その方の前には、甲谷さんという男性ALS患者さんが、テレビでも独居生活が紹介され方ですが、甲谷さんもご家族がいたけれども独居になられましたね。
その甲谷さんの前の時代は、そんな昔の話じゃないですが、京都の市民感情というと、お宅を訪問をすると、「どなたが来たん?」とご近所の人が聞きにくる、かなり閉鎖的な部分もあって、だから患者会も訪問を控えるようにといわれたり、そういう風土もあったと思うんです。それが、独居になると訪問サービスがなければ生きていけないので、甲谷さんと今の例に出していただいた患者さん、それから増田秀明さんが出てこられて、京都の地図は塗り変ったような気がしますね。
西田:そうですね。私もまだ6年ぐらいしか携わらせてもらってないのですが、この6年で変ったと思います。甲谷さんから杉江さんに繋がって、増田さんにも、そこから他の患者さんの訪問サービス時間も大幅に向上しました。甲谷さんは外出大好きですし、増田さんもずっと部屋にいるのが苦手で、町中を歩かれたりお祭りに行かれたり、人工呼吸器着けたALS患者さんが街で健常者に混じって普通に過ごしてますので、医療関係者もALS患者さんのご家族も、寝たきりになっている患者さんしか見たことのない人たちは特にびっくりされて、こんな生き方もできるんだね、というような雰囲気にはなりました。
水町:そうですよね。やっぱり患者さんが、今日もたくさん呼吸器をつけてお見えいただいてますが、支援者と一緒に外出されるということ自体、社会的な常識を少しずつ変えていくきっかけになるような気がするのです。介護保険がスタートした一時期、車イスの高齢者の方とヘルパーさんをたくさん見かけるようになったと思ったとたん、介護保険で散歩はできない、介護保険は通院だけと厳しく指導されるようになって、高齢者の車いすの外出姿が減ったように見えました。
当事者が自分の受けるサービスを調整していく
ALSの患者さんは、介護保険だけでは生きていけないので介護保険をほぼ使い切ったら障害福祉のサービスを使うということになってます。障害福祉(重度訪問介護)を使って外出してもいいし、呼吸器をつけた方は複数の介護者を同行させてもサービスを保障されています。西田さんの今日のお話の中で、一番ここがポイントと思ったのは、当事者は自分が受けるサービスを調整していく。人任せはだめなんです、ね。
西田:そうですね。受け身で遠慮されてる患者さんもいらっしゃって、制度の利用が増えれば増えるだけ周りにいる人たちは仕事であるし一生懸命関わろうとしてはくださるんです。でもいろんな人がいろんなアドバイスをされてきて情報が錯綜することもあるし、その中で患者さんが、言いたいけれども言えない雰囲気や、「それもいいね、これもいいね、あれもいいね」と、チームの調和もあるからか、自分の意見を発信されなくなってしまう方がいらっしゃいます。そのうち「なんでもいい」と他人任せになることも。複数の制度を使う時は注意しないといけないなと。
患者さんが考えるあとからついていってください
水町:そうですね。私は相談を受けた時は、患者さんが考えてることのあとからついていってくださいというお話をするんです。優秀な人に限って3歩も4歩も先のことを調べて、こういうのがありますよと言ってしまう。それは、患者さんにとってはちょっと怖い話を突きつけられる気持になるかもしれない。手遅れになっても患者さんの後ろからサポートしていただきたいなと思います。さっきもそういうお話がありましたね。
西田:進行の先を見て、無意識な発言から傷つけてしまうことがあるようで、あとで患者さんから「あのとき、こう言われた、ああ言われた」と言われることがあります。何気なく言ってしまうかなり先の病状について、あなたはこうなっていくんだから、こうしておきましょうみたいな話をされても、今はそういう状態でないし、直面したくない状況のときもありますので、どう関わるかですね。
水町:ALS患者さんに関わっていこうとしていただける看護師さんとかヘルパーさん、そのほかいろんなリハビリの方、ケアマネジャーの皆さん、大変な思いをしながら支えていただいていると思うのですが、西田さんも、では最後に、ALSの患者さんを見放さないぞという決意表明をして終わっていただければと思います。
西田:はい、離れようとしたら捕まるんです。ちょっと離れてと思ったら、増田さんから連絡があって、これがある、あれがあると予定を言われ、結局行ってしまうんですけど。これからも患者さんや皆さんに教わりながらも、やっていきたいということで決意表明をさせていただきます。ありがとうございました。(拍手)
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