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プロフィール ◇戸惑いながらのコミュニケーション支援 私は、2008年からALSの人たちを中心にコミュニケーション支援を行ってきた。そうした経験からもコミュニケーションの方法は多様であることを知っている。それでも、コミュニケーションの問題を抱える生活の場に直面すると、戸惑う。身体がままならず自分の考えを何かの媒体を通さなければ伝えられない人を目の前にすると、その瞬間に何かにのみこまれるように足止めを食らったような感覚に襲われる。それは、その人のその日常をどこか特異なコミュニケーションが織りなされる場として捉え、その人にあったある意味で特異なコミュニケーション方法をうまく考え出そうと気負っているからかもしれない。だから、私は必ずその人にあったコミュニケーション方法があるはずだと思いながらも、ままならない身体を抱えた人の前ではどう振舞っていいものか戸惑いを覚えてしまう。 最初に言っておくと、私はALSや意思伝達が困難な重度の障害を抱えた人たちのコミュニケーションは読み取る側の裁量に任されていると考えている。もちろん、コミュニケーションはそのどちらか一方で成立するものではない。だが、ALSのような自ら意志を伝えることが困難な人たちは、読み取る側――家族や介助者、周囲の人たち――がその人の意思や思いを読み取ることを諦めたときにそのコミュニケーションの可能性が絶たれ、意思疎通ができない状態へと追いやられ、より不自由さが増していくことになる。それゆえに作られてしまう閉鎖的な空間が、ALSの人とその周囲の人たちの間で摩擦を生じさせてしまっていることが多いと感じている。 しかし、そうした人たちを取り巻く日常は迷いや葛藤に満ちていて、その家族や介助者、支援者らもそこに巻き込まれながら、何とかその関係を取り結び、また解きほぐす方法を模索している。その関係を取り結び、解きほぐす過程で、コミュニケーションの問題は立ち現れてくる。私は、外側からその生活の一部分に触れることが、そうした閉鎖的な空間や関係性を解きほぐすための糸口になるのではないか、という思いにも駆られて、非力で不器用ながらもこれまで活動を続けてきた。 ◇スイッチ研のはじまり――Kさんの支援に触れて 先に述べたように、私は2008年からコミュニケーション支援――通称「スイッチ研」として活動を行ってきた。スイッチ研が発足したきっかけとなったのは、Kさんとの出会いだった。Kさんは、京都で一人暮らしをしているALSの男性である。Kさんは2004年にALSと告知されてから、京都市内の病院を転々とする入院生活が三年以上も続いていた。その当時は――今もなお困難だが――たんの吸引などの医療的ケアを必要とするALSの人たちが、家族に頼らずに地域で一人暮らしをすることは、限りなく不可能に近かった。そんな中で、Kさんは周囲の仲間の協力を得ながら、在宅独居生活を実現してきた。 地域生活を開始した当初は、京都でも今以上に重度訪問介護が浸透していなかったため、十分な介護時間が支給されなかった。Kさんにとっても自宅で暮らすことは強い望みではあったのだが、実際に退院して地域生活を始めた彼の生活は、そのほとんどを周囲の仲間のボランタリーな支援に頼らざるを得なかった。たとえそれで生活がなんとか保たれているとしても、彼が安心して暮らせるためにはそれだけでは不十分なことは、誰の目にも明らかだった。たとえば、日課である散歩は、二人でなければ彼をベッドから車いすへ移乗させることができない。そこで、隣近所の手をかりることもしばしばあった。そうして少しだがその生活にかかわっていたのが、スイッチ研を立ち上げた堀田義太郎さんだった。 Kさんのコミュニケーションを支援していたのは、日本ALS協会近畿ブロックの久住純司さんだった。Kさんはパソコンを使って日記や絵を描いていた。テレビを見るのも音楽を聴くのもパソコンだった。彼の生活においてパソコンの操作を可能にするスイッチは必需品だったのだ。久住さんは、そのスイッチを作り、大阪から京都まで通って支援していた。それはプラスチックの大きな入れ物にボタンスイッチが付け加えられたもので、素人でもどのように作られたのかが見てわかるものだった。 ただ、そのスイッチの調子が悪くなったときは、久住さんが京都まですぐにかけつけて対応することはできない。また、その原因によっては久住さんが直接に対応するまでもないこともある。そのため、スイッチのトラブルが生じたときは、近所に住む堀田さんが久住さんに教えられて対応したこともしばしばあった。私はKさんの支援に少しかかわっていたこともあって、そうしたコミュニケーション支援の話を聞いていた。だからこそか、堀田さんともう一人の院生とで久住さんの話を聞きに行ったときには、その活動に魅せられて、そこでスイッチ研がスタートしたのだ。 そうして三人で立ち上げたスイッチ研も、現在では、私と立命館大学の院生の二人が中心となって活動している。東京で活動しているICT救助隊や京都府難病相談・支援センター、専門知識を持った人たちに協力してもらいながら、細々とではあるが継続している。活動費は交通費と実費(提供したスイッチの製作にかかった金額)だけである。このことは、スイッチ研が発足してからの現実的な問題として立ちはだかっているのだが、素人が作るスイッチであり製品としての保証がないことや、確実な安定性を断言できないという思いから逃れられない。そして、不具合を前提としていなくても、私(たち)の行為がその意に反して、その人に不利益を与えかねない危険性を孕んでいることも自覚しているから、ということもある。 ◇コミュニケーションの可能性を閉ざさないために 最初に述べたように、私は、ALSのような自ら意志を伝えることが困難な人たちのコミュニケーションは、読み取る側が読み取ることを諦めたときに、その可能性が絶たれてしまうのだと考えている。以前に参加した講習会で、コミュニケーションがとれなくて困っている人と出会った。その人はALSの妻を介護している男性だった。その人の言葉が、今でも私に強い印象を残す。彼は、「身体も動かず言葉も発せない妻が何を考えているのか、言いたいのか、それが知りたい」とぽつりと言った。 話を聞けば、彼の妻はALSを発症してから間もなく動けなくなり、それからはベッドの上で人工呼吸器につながれて寝かされているという。彼は、そうして彼女が言葉を発せなくなってからコミュニケーションが途絶えたと訴えたのだった。どのように彼女とコミュニケーションをとればいいのかわからないまま、彼は介護を続けてきたのだ。彼はその状況を、「せめて暑いか寒いかだけでもわかれば布団をかけたりしてやることができるのに」と、嘆くようにつぶやいた。彼女の眼球は動くようなのだが、その表情がよみとれないために、それさえも確認できないという。彼は、意思伝達装置が何かも、透明文字盤や口文字といった方法があることも知らなかったのだ。自分の意思を伝えることができずにベッドの上に寝かされたままの彼女は、毎日何を思っているのだろう。 こういう状況にある人たちは少なくない。そしてこうした中で、ケアをする人もケアをされる本人も追い詰められ、生きていくことすら危うい状態に晒されてしまうのだ。たとえ、意思伝達装置を知らなくても――公的な介入がなされなくても――、透明文字盤や少しでも動く部分を知っていれば、コミュニケーションの可能性は開かれている。しかし実際には、多くの人たちがそのことに気付けないまま、知らず知らずのうちにコミュニケーションの可能性が絶たれてしまっている。私も、彼に出会っていなければ、おそらくこのことに気付かなかっただろうと思う。スイッチ研の活動を保証するものは何もない。それでもこの活動に意味があると思えるのは、彼のように、追い詰められながらも相手の意思を汲み取ろうとその方法を模索し続けている人たちがいるから。 ◇スイッチ研の活動内容――素人から作り出されるスイッチ そこでは主に、ALSなどの重度の身体障害を伴う病気や障害を持つ人たちが家族や介助者など周囲の人たちに自分の意思を伝える手段として使用しているパソコンの入力装置――スイッチを工作して提供している。ALSの多くの人たちは、その症状によって話したり書いたりすることが難しくなって周囲の人たちとのコミュニケーションが円滑に図れなくなると、意思伝達装置――オペレートナビや伝の心など――を申請し使用することになる。しかし、その意思伝達装置を使用するための入力装置(以下、スイッチ)は種類が少なく、その本人の状態に適合する/しているとは言えない。ALSのような進行性難病の場合には、症状の進行やその程度に個人差があるために、既存のスイッチをそのまま活用すること自体が難しいのだ。
ところで、私は最近流行りの「リケジョ」(=理系女子)ではなく、いわゆる「文系女子」である。科学や工学にはもっぱら弱く、文字通りの「ド素人」である。そんなド素人がスイッチを作れるのか、という反論があるかもしれない。確かにその反論は半分あたっていて、アイディアが浮かんでもそれをすぐに形にすることが難しいことがある。さらに、そうして試行錯誤を重ねて作ったスイッチは、不具合を前提としていなくても、動作の安定性や製品に対する保障はない。 一方で、技術専門職ではない素人が工夫して製作するスイッチは、簡単な仕組みで作られている。そのため、家族や介助者でも容易に理解ができて、その場で改良が可能な構造になっている。ALSのような進行性難病の場合は、変化する身体の状態や環境に合わせて、その都度スイッチも取り替えていく必要がある。そうした身体の状態に合わせて、あるいは不具合が生じたとしても、周囲の人たちで一時的にそれを解消し間に合わせることができるのである。たとえ不安定であっても、そこでトラブルが生じたとしても、その経験によって必要な知識や知恵、技量が獲得されていき、より重要なことだが個別性が高いスイッチもそうした蓄積のもとで製作が可能になる可能性があるのだ。 ◇不自由さの解消に向けて 日本では重度の障害を持つ人たちに対する有効な意思疎通の方法――HALスイッチなどの開発は進められてはいるものの――や支援制度は整備されているとは言い難い。コミュニケーション支援は各地域によって取り組みが異なり、病院や施設の理学療法士や作業療法士、患者会やNPO団体の自主的な取り組みによるところが大きい。こうしたボランタリーな取り組みに委ねるだけでは、地域格差の解消はもちろんのこと、必要とする人が必要なときに適切な支援を受けられる環境はいつまでたっても実現されない。 しかし、そうしたボランタリーな支援も受けられない場合は、多くの人が家族や周囲の人たちの工夫に頼るしかない。先に述べたように、専門的な知識を持つ支援者や公的な支援――意思伝達装置の給付――を利用したとしても、それが必ずしも適切に機能するとは限らない。製品化された意思伝達装置やスイッチは、その動作の安定性と安全性、品質の保証は兼ね備えてはいるものの、高価であり経済的な負担が伴う。また、その供給体制を整備したとしても、個別性が高い装置を標準化することは難しいということがある。いずれにしても、その人たちのコミュニケーションの可能性は他者へと委ねざるを得ない状況に置かれていることに変わりはない。スイッチ研には、さまざまな立場の人たちが、病気や障害があることで生じるコミュニケーションの不便さの解消の手立てを求めてやってくる。 コミュニケーションの不便さが生活のあらゆる場面で「不自由さ」を生じさせることはいうまでもない。とくに、ALSの人たちのコミュニケーションの不自由さは、身体がままならなくなっていく過程で立ち現れ、症状の進行と同時にその度合いが増していく。ALSは身体を動かす自由だけでなく、コミュニケーションの自由をも奪っていってしまう。そのことで、人工呼吸器の装着をためらう人もいる。ALSの場合、身体が動かなくなればなるほど、他人に委ねる範囲が増えていく。だからALSの人たちにとって、ケアの方法や身体のニーズなど自分の意思を伝えることは、私たちのそれよりもはるかに重要な意味を持つことになる。 先にも述べたように、コミュニケーション支援――コミュニケーションの不便さの解消――は、自主的な取り組みに任され、とりわけ家族や周囲の人たちが手探りで対応しているのが現状である。このことは、ままならない身体を抱えるALSの人たちのケアそのものが委ねられているといってもいいだろう。日本においては、その制度体系からも家族がケアすることが当然視され、過酷な家族介護を問題視しつつも、根強い「家族介護」規範が存在している。だから家族が熱心に介護にかかわる姿はごく当たり前のこととして捉えられている。こうした規範も人工呼吸器の装着を躊躇させる大きな理由となる。
いずれにしても、京都府・市内ともに、その多くは家族が日常的にケアを引き受けていることにあまり違いはない。一方で、たとえ重度訪問介護を利用しようとしても、家族がいるというだけで必要な介護時間が支給されず、結局はその負担を家族が引き受けざるを得ない状態もある。さらにその負担を軽減するためには、他人介護の時間を交渉して勝ち取らなければならない。しかし、私がかかわる人たちの中でALS協会や患者会などに所属している人は少なく、そうした情報やノウハウを獲得すること自体が難しい。だから、そうした相談を受け、情報やノウハウを伝えることもスイッチ研の重要な役割の一つである。 スイッチ研への依頼は、本人や家族から直接連絡を受ける他に、京都府難病相談・支援センターや地域の保健所を通じて受けることが多い。そうして依頼を受けて訪問し、実際の生活環境やその人の身体の状態を確かめて、本人の要望のもとに適合したスイッチを製作していく。それにしても、家族や周囲の人たちのコミュニケーション方法やスイッチの工夫やそのこまやかさに、私はいつも驚いてしまう。私が試行錯誤して作ったそれよりも、はるかにそこにいる人たちの方が精度の高いスイッチや環境を用意しているのである。この事実は、ケア関係が長期間にわたって保ち続けられてきた関係性として捉えることができるだろう。つまり、それは日々のケアの積み重ねから創出された方法や工夫なのだ。一体、私に何ができるのだろう。 ◇その声に耳をかたむけて ここでAさんのことを考えてみる。Aさんは、家族(妻)と暮らすALSの男性だ。家族は仕事をしていて、Aさんはその昼間の時間帯を一人で過ごすことになる。Aさんは話すことができるが、自力ではほとんど身体を動かすことができない。そんな彼の要望は、ベッドのリモコンを自分で操作できるようにしてほしいということだった。話を聞けば、今の彼の現実的な悩みは、昼間一人の時間に寝返りをうてずに身体が痛むことであるという。これまでは、かろうじて動かせる左手指のところにベッドのリモコンを置いて操作し、寝返りの代わりにベッドの上げ下げを利用して過ごしていた。しかし、左手指が動かしにくくなりその操作自体が難しくなったとのことだった。そこでスイッチ研が呼ばれたのだった。 先に言っておく。私(たち)は、パソコンを操作するためのスイッチの提供はできても、ベッドのリモコンを自由に操作するための改造や装置の提供をすることはできない。そもそもベッドのリモコンを改造できるだけの技術を持ち合わせていないこともあるが、たとえそれが可能であったとしても、誤操作・誤作動による危険性が高いために請け負えないのだ。もちろん、このことはベッドのリモコンに限ったことではない。ただ、ベッドのリモコンに関してはそれ自体だけで――何も手を加えていない状態でも――その誤操作によって挟まれるなどの事故が報告されていることから、さらに危険性を高めるようなことはできない。 私は話を聞きながら――その要望に応えられないことにいたたまれなさを感じながら――それがたとえ自分でしたいという欲求があったとしても、他人の手で安全になされるのなら、その行為を他者に「代わりに」させることの可能性を思っていた。だが、そのことを口にすることは躊躇われた。それは、徐々に動かなくなる身体とどのようにつきあっていくか、という不安や悩みが「これから動かなくなるんや」「今はこうして話せるけど時間の問題」「僕には時間がない」という言葉とともに、度々語られたから。このことはケアを受けることに対する悲嘆のようにも聞こえた。 話を聞いていく中で、日中の訪問介護が2、3時間しか入っていないことに気づいた。その合間に訪問リハビリなどが入っているものの、そばに誰かがいて介護をしてもらえる時間はたったの2、3時間しかない。それ以外の時間はベッドの上で一人きりで寝かされている。そこにいたケアマネジャーの説明では、長時間の介護を可能にする重度訪問介護は、介護保険が優先されるから申請自体していないという。さらには、家族がいるから申請してもあまり時間数は期待できないという。そしてAさんからは、家族やヘルパーがいるときはベッドの操作を代わりにしてもらっていることが話された。とくに家族は、夜間に寝返りができないAさんの体位変換もしているとのことだった。そうしたケアを代替する者が日中は不在だから、最初から他者に「代わりに」させることの可能性が選択肢としてなかったのだ。 家族に負担が集中する、あるいは介護者がそばに常駐していない介護体制では、Aさんのように――たとえその行為を他者に代わりに委ねることができるとしても――自分自身でその環境を整えることを可能にするような装置を求められることが多い。この背景には、本人にも専門職にも十分な情報が行き届いていないことがある。しかしそれ以上にその基底には、「家族が介護を担わなければならない」という考えがあるのではないか、と思う。このことは、一方で家族の支援を得られない人たちの地域生活の可能性を断ち切ることへとつながっていく。そうして、家族あるいは「家族代わり」となる特定の誰かにケアが委ねられ、そこでの切り離せない関係が閉鎖的な空間を創出していき、摩擦を生じさせてしまうのではないだろうか。 ◇誰にとってのコミュニケーション支援なのか 結局、コミュニケーション支援とは一体何なのだろうか。コミュニケーションという行為自体が生活のあらゆる場面でかかわるために、それはいろんな形に姿を変えながら問題を投げかけてくる。最後にこのことに向き合い、スイッチ研の活動に思いをめぐらせてみようと思う。Bさんのことから考えてみる。私がBさんと知り合ったときには、Bさんはすでにその生活すべてに介助を要する状態で人工呼吸器を装着していた。
その結果、Bさんの介護に慣れている介護者に負担が集中してしまうようになっていった。そこで、ケアマネジャーや訪問看護師、ヘルパーらは、こうした状況はBさんにとっても負担であり、Bさんのニーズに迅速に応えられる環境を整備するためにも改善が必要だと判断して、スイッチ研に相談してきたのだった。ケアを行う側である介護者たちの悩みは、透明文字盤を読み取ることとスイッチの位置調整に時間がかかることに加えて、それを遂行できる者が限られてしまっていることだった。そのためスイッチ研には、誰でも簡単に位置調整ができる、本人も押しやすいスイッチを作り、意思伝達装置も操作できるように環境を整えることが求められた。 Bさんにとっても今よりも押しやすいスイッチの製作は強い望みであったのだが、実際にスイッチを製作するにあたっては、彼女と周囲とではその要望にズレが生じた。これまで通り左手の人差し指を使ってスイッチを押したいと要望するBさんに対して、周囲は確実に動かすことができる首や顔を使って押すことが出来るスイッチを考えて欲しいと主張した。それは、Bさんの左手の人差し指がまだ押せているという感覚と、日常的な介護場面から押せていないと判断する周囲との、身体状態についての認識のズレでもあった。 最終的には、作業療法士によってBさんの左手人差し指の機能が判断され、確実に動かせる部位を使用したスイッチを検討することになった。Bさんにはこれ以上周囲に負担をかけたくないという気持ちがあったのではないか、とも思う。もちろん、Aさんのときと同様に動かなくなっていく身体とどうつきあっていくかという不安や悩みはあり、さらにBさん自身も日常的に変化する身体の状態を把握することが難しいということがある。結局は周囲の意見や判断を受け入れざるを得なかった。そこには、今まで押せていたスイッチが「押しにくくなった」というままならなくなっていく身体に自覚的でありながら、なお「まだ押せる/押したい」というジレンマがあり、その葛藤は取り残されたままになる。 誰にとってのコミュニケーション支援なのだろうか。少なくともここでは、Bさんとのコミュニケーションが円滑に図れないことで生じる不便さは、Bさんの視点ではなく、周囲が感じる不便さが課題として提示された。本来のコミュニケーション支援は、本人の要望のもとに身体状態と日常生活上の動作や環境に適合したスイッチの製作と提供がなされるのではないか。しかし、結局のところ本人の要望や主張、身体の状態は、その介護者や作業療法士によって判断される。そして周囲が感じる不便さの改良がいつの間にか「本人」にとってもよいことになってしまい、本人のジレンマが解消されることはない。Bさんが望むケアが、たとえ家族と特定の存在によってのみ担われることで可能となったとしても、周囲の「本人のニーズに迅速に応えるために」という主張は、介護する側の不便さの解消を要求しているにすぎない。 「コミュニケーション」という行為そのものが持つ重みを、誰よりも敏感に意識し感じ取っているのは、まぎれもなくその本人である。ままならなくなっていく身体に自覚的でありながらも、なおもそこに希望を見出そうとする感情を前に立ちすくんでしまうのも、その本人だろうと思う。介護者や支援者としてその本人の生活に濃厚なかかわりを持ってしまうからこそ、介護する側の不便さと本人が抱える問題とが介護者の目線によって語られてしまうことで片づけられてしまうことがある。 しかし、そうして取り残されてしまう本人のジレンマに対して、肯定的に――ままならない身体に変化していくことを引き止めるかのように――語りかけられるのも、何の利害関係ももたない存在であるスイッチ研だからこそできるのかもしれない、とも思う。何かの立場を持たなければその生活に義務を負わなければかかわれない、そのこと自体が閉鎖空間へと近づけ追いやっていくようなそんな気さえしてくるのだ。だからこそ、外側からその生活の一部分に触れることがそうした閉鎖的な空間や関係性を解きほぐすための糸口になるのではないかと信じて、私は活動を続けている。
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