| 忘れな草をあなたに(10) 大 勢の看護スタッフに囲まれて 在宅療養 加藤豊子(遺族) |
2008 年 8 月 胃瘻の造設のための入院のあと、2010 年 2 月にレスパイト入院をするまで在宅療養を続けていました。その間少しずつ症状が進み、介護スタッ フの事情もあり、それに合わせて介護状況も変わっていきました。 専門職 主治医も加わって担当者会議 ケアマネジャーさんの提案により、家で担当者会議が開かれました。訪問看護師さんひとり、以前から関わっていた介護事業者からヘルパーさんひとり、新たに契約した介護保険と障害者福祉の事業所からふたり、リハビリの理学療法士さん、保健師さん、介護用品レンタル業者の担当者、それに訪問診療の主治医の先生も加わって、呼吸補助についての説明などを受けました。実際に先生の指導でヘルパーさんたちが呼吸補助の練習をし、理学療法士さんの前で私が夫をベッド から車椅子へ、その逆へと移乗させるところを見てもらったりしました。 おなじみになれた方々とのお別れ 2009 年 3 月末で保健所の担当保健師さんが退職されました。最初に ALS と診断された 2006 年から 1 年ほどお世話になった初代の保健師さんに続いて、 2007 年 4 月から 2 年間お世話になりました。訪問診療のクリニックを紹介されたり、保健所内でおこなわれる家族会にも呼んでいただいて、患者家族のかたと知り合うこともできました。 ほとんど同じ時期に訪問看護師さんがひとり、病院勤務をするため退職されました。この方は会報 69 号で紹介しましたように、家で何度か音楽会を開いて下さったのでこのあとも交流は続くのですが、おなじみになれた方々とお別れするのは寂しいことでした。 娘夫婦が来ると張り切ってテーブルに 咀嚼、嚥下についてはほとんど問題なく、食べたいものが食べられました。ただ、車椅子にすわってテーブルについて食べる方が身体はらくでいいのですが、そのときの気分によってすわっているのがしんどくなり、ベッドをおこしたままで食べることがだんだん増えてきました。 それでも娘夫婦が来たときなど特にはりきって、4人でテーブルを囲み、よく食べ、食べられるから長生きができるのだと自分でも言っていました。 食器を持ったり、お箸やスプーンを使うことは難しくなっていました。 胃ろう いっぺん見せてほしい 口から食べられるあいだは胃瘻は使わずにいましたが、週1回は看護師さんがバルーン(風船)をふくらませる水の入れ替えをし、数週間ごとに訪問医の先生が胃瘻の本体を取り替えられます。胃瘻のまわりに肉芽ができたり、抜いたあと少し出血したりして、ティッシュをこより状にして巻いたりという手当が必要になります。 あるとき、先生がいつものように抜いた胃瘻をゴミ入れにポイと捨てたのですが、帰られたあと「胃瘻ってどんなもんか、いっぺん見せてくれ」、夫にそう言われてはじめて自分のおなかにどんなものが入っているのか、見たこともなかったのだと気がつきました。 ゴミ入れから捨てられていたのを拾いあげ、水で洗って、夫の目の前で、「この部分がおなかの外に出ているところ、ここは中にはいっている、このバルーンをふくらませる水を入れる口はここ」と、説明しながら小さい注射器で空気を入れたり出したり、バルーンをふくらませたりへこませたりして見せました。 「このバルーンをふくらませて、抜けないようにしてるの」 「へぇぇ…ふうーん…」。感心しながら見ている夫に、自分自身のことなのに何も知らされていなかったのだと愕然とし、もっと早く見せてあげるべきだったと後悔しました。 足の踏ん張る力がないので ポータブルトイレの使用時、お尻がちょうど良い位置にすわらせてもらえればいいのですが、少し前になると、そのままずるずると滑っていき、自分で位置を直そうと少し前かがみになると、足の踏んばる力がないので前のめりに倒れてしまいます。背後から引き上げようとしてもなかなかそううまくはいきません。 排便時、ヘルパーさんは部屋を出て行かれるのですが、呼んだとき聞こえるように戸を閉めないでとお願いしました。 尿器はベッドの下にタンクを置き、受け口がホースでつながっているタイプを使っていました。商品名「スカットクリーン」という電気で吸い込むタイプも購入しましたが、受け口を持つ手の力が落ちてきてこぼす失敗も増えてきました。 介助が必要になり、そのうちおむつになるのだろうと落ち込んでいました。 そのときの気分で BiPAP 自分でマスクの着けはずし、スイッチの ON OFF ができ、そのときの気分で BiPAP をつけて寝たいと思うときに自由に使っていました。それもだんだん指先の力がなくなって困難になってきました。スイッチの上にそれより少し大きめのプラスチックの板を張り付けるなどして対処してきましたが、それも難しくなってきて、はずしたあと着けられなくなってしまった、ということが起きました。 最初から 1 年ほどお世話になった初代のケアマネジャーさんは結婚を理由に退職。2 代目のかたには、症状の進行に伴ってケアプランの作成、要介護認定の区分変更の申請等大変お世話になりました。また胃瘻の造設手術のときには転院、入院、退院のたびごとに介護タクシーの手配をしていただき、担当者会議等も開いて下さいました。 新しいケアマネジャー 新しい訪問看護ステーション 2 年ほどお世話になったこのケアマネジャーさんも健康上の理由で退職されることになり、後任のかたの選定について相談を受けました。 後任は看護師さんやヘルパーさんに来てもらっている事業所に所属するかたがいい、そのほうが連携等何かと好都合、とのお考えで、おまかせすることにしました。 それまで来てもらっていた訪問看護ステーションと同一系列の、別の事業所のケアマネジャーさんに決まり、それに伴って訪問看護ステーションも変わりました。新しい訪問看護ステーションはそれまでの所よりもずっと規模が大きく、看護師さんの数も倍以上、多くのかたが順々に来られ、最初のうちは戸惑うことも ありましたが、皆さんそれぞれ、ていねいに接して下さいました。 いい歯がそろっていると、訪問歯科医 あるとき、歯が痛むと言い出し、訪問診療の先生が来られたときに相談しました。その場で先生はクリニックに電話をかけ、訪問歯科医の先生に連絡を依頼されました。偶然その歯科医の先生が我が家の近くに訪問に来られていて、診察していただきました。 良い歯がそろっている、1 本だけ欠損、ブリッジ、歯茎も腫れていない、膿がたまっていることもない、かみ合わせが当たっているのか、少し削ってようすを見ると言われました。その後、月に 1、2 回定期的に訪問していただくことにしました。 ますます大勢の看護スタッフの皆さんに囲まれて、在宅療養が進んで行きました。 |
| ページトップ |