家族が笑顔でいられるために
宮本雅代(患者家族)
神戸市・三宮コンベンションセンターで 2017 年 7 月 23 日に開かれた「神戸フォーラム 2017」(主催・日本ホスピス在宅ケア研究会)の分科会で話した内容の一部を紹介します。分科会では、患者の意志決
定や尊厳などをテーマに活発に意見が交わされました。講師は宮本雅代 の他に細井 順さん(ホスピス医)、西村 隆(ALS 患者)の3人です。
60 名ほどの参加者が各自の体験を重ねながら、素晴らしい時間を共有で きました。
I?ALSの T シャツを着て
初めまして、西村隆のパートナーの宮本雅代です。仕事は公務員です。真面目を絵に描いたような人間……とは誰も思っていませんが、35 年間も公務員をしていると、やはり今マスコミをにぎわせている官僚の発言のように肝心なことをぼかしたり、のらりくらりと話したり………横道にもそれず、かといって直球でもなく、面白い話をする自信がありません。
今日、隆、雅代、三男の止揚はおそろいのシャツを着ていて、まるで、キャンディーズ、いえ、これは古すぎ、まるで、パフュームみたいです。
このシャツは ALS の患者会のレジェンド、橋本みさおさんが制作しました。大きな文字で「I?ALS」と書かれています。一般的にはハートの後には「ニューヨーク」とか「タイガーズ」などの愛されるものが続きます。
でも、みさおさんはあえて、人生を根本から変えた病気、ALS を愛すべきものとしました。みさおさんは 31 歳で発病、まだほとんどの患者が病院での生活を余儀なくされていた時代の中を支援者と共に、在宅でも人工呼吸器をつけて生活できる世界でも珍しい環境を整えた立役者です。まさに「闘う患者」です。
このシャツの背中には、みさおさんの愛犬ポンちゃんがプリントされています。
私が5月の患者会でこのシャツに一目ぼれ。橋本さんへの敬意を込めて着てきまし
た。
病と共に生きている不思議なご縁
きょう、お集まりの皆さんとは、お互い、さまざまな経験を経て、大なり小なり死と向き合う病と共に生きていることに不思議なご縁を感じます。その死と向き合う病、というのが、がんであり、ALS です。ALS については、先ほど聞いていただいたので、概要はお分かりいただけたと思います。
病気の容態は違いますが、本人とそして家族を含む多くの周囲の方の心の持ち方が、生きるうえで重要な要素になります。そんなテーマを家族の立場でお話しできたらと思います。
私たちのルール 夫婦別姓/名前で呼び合う
初めに、我が家のルールといいますか、パートナーと私の暗黙の了解事をお話ししましょう。皆さんのご家庭にも、何かルールはありますか? 食事中はテレビを見ないとか、旦那さんは給料を全部家に入れてお小遣いしかもらえないとか、それぞれの家族に何かしらのルールがあるように、我が家にも結婚当時から変わらぬルールがあります。細かいことを挙げるときりがないので大きなところを…
…。
まず、夫婦別姓で生活していること。私の本名は−−というと芸能人みたいですが、西村雅代です。でも普段 1 日の大半は宮本で過ごしています。これは私が独身時代から仕事を続けており、私の旧姓の宮本が一定根付いていたためです。そのおかげで昔からの友人も職場の皆も、そして今日も宮本さんで通じます。西村さんの奥さん、西村君のお母さん……という肩書はかなり限られた範囲での使われ方です。こうして 25 年以上が経過したので別姓使用は、私が私であり続ける大きな柱となりました。ひとことで言うと、我が強いってことですかね。
また、お互いを名前で呼び合っていること、これもお互いが個々で確立して生きていく上で大きな柱となりました。お父さんでもなく、あなたでもなく、主人と嫁でもなく、私たちは西村隆と宮本雅代です。残念なことに今は隆が私の名前を声を出していうことはなくなりましたが、目で呼んでくれています。
家族が一緒に病に飲み込まれないように
なぜこんなことを話すのか……というと、がんや難病のような死と向き合う病や不治の病になった場合、家族が本人と一緒に病に飲み込まれてしまったり、心身の不調から家族自身も病に陥ることがあるからです。家族が一心同体といえば美しく聞
こえますが、同一化してしまうと共依存のような関係になり、本人のしんどさを(あ〜かわいそうに)と一緒に抱え込んだり、罪責感を感じてしまったり……反対に(介護する私はこんなにしんどいのよ)と自身の身を主張する余り、本人の本当の辛さに目を向けることが出来なくなったりします。
これは家族という病です。
例えば、病気の告知のときはどうでしたか? 共に病名を正しく知り、その病気に冷静に向き合えましたか?
我が家の場合、医者は初めに私に ALS の病名を告げました。そして医者は「ご主人に告知しましょうか?」と尋ねました。「本人のお気持ちを考え、告知しないでおくこともできますよ」という計らいです。今から 20 年前のことですが、今でも ALS の場合、治療方法も確立していないので告知をしないこともあるという状況は変わっていません。
がん告知をしなかった父への辛い体験
そしてもう一つの体験ですが、そのときよりさらに前、今から 25 年以上前、私の父は肺がんで亡くなったのですが、そのとき、医者は、「お父さんに病名は告知しません」と決めておられ、亡くなるまでの約 1 年間、私は父にウソをつき通して看病に当たりました。
本人は医者から言われた病名を信じ、医者の言うように養生しているつもりでも、一向に良くならないので「何でだろう、何でだろう」と私に疑問を投げかけるのですが、私は曖昧に答えて逃げることしかできませんでした。そして、父は私が医者から説明を受けた通り、やせ細り、食べられなくなり、意識が薄くなっていったのです。
あくまでも患者が主体です
今はインフォームドコンセントが一般化していますし、2 人に 1 人ががんになる時代になって、がんは治せる病気になりつつありますので、隠し通すことはなくなってきているでしょうが、病気が分かったとしても、家族が病気の中心になってはいけません。例えば「医者がこういわれているからこう処置しましょう」と家族が勝手に決めたり、「この病気にはこんな民間療法が効くんと違うかな」と患者に良かれと思って家族が決断をしたり、「私がするからあんたはじっとしとき」と言って患者の行動を止めたりとか……ALS の家族でもありがちです。でも、
病気との付き合い方はあくまでも患者が主体です。患者がどうしたいかを聞くことが必要です。
決して突き放すわけではありませんが、結婚以来ずっと持ち続けていた「私は私……」「隆は隆……」の態度でALSに臨みま
した。隆の決断を最大限尊重し、決断に従ってきました。結果、隆の在宅での介護に対し社会資源をフルに活用しました。体裁も見栄もありません。実際活用しないと生活が成り立たなかったのですね。
介護離職 社会で働き方改革を進めなければ
今、介護離職……親や配偶者の介護のために仕事を辞める方が少なからずおられます。でも介護は介護のプロがいます。もちろん、絶対数は不足しているし、家に他人の目や手が入ることに抵抗を感じる人もいます。仮に介護の費用がかかっても、働き手は仕事を続けながら、家族と対応する方が長い目で見るとお互いのためにも正解だと思います。
それは今、福祉の仕事をしているので、より強く感じます。窓口で市民からのご相談を聞く機会があるのですが、実際家族の介護のため仕事を辞めた方、年齢は私よりも若い方もたくさんおられます。その方たちは、親や配偶者の亡き後、心身喪失状態で社会への復帰が困難になった場合もあります。お話を聞く中で、どれだけ深く愛し、愛されていたか、を話されます。でも「死」を受け入れられずに苦しんでいます。
これは日本の社会の損失です。私自身は仕事を辞めなくても続けられる環境があったというのは幸運でしたが、これから社会の働き手が少なくなることが考えられるのですから、社会で働き方改革を進めていかなければなりませんね。
隆は自分の生活をプロに委ねました
さて、我が家に戻りますと、隆は病のため仕事を辞め、在宅で療養生活を始めましたが、私が生活スタイルを変えなかったので、隆は自分の生活をプロに委ね始めました。といっても、病気の進行につれ、少し体のバランスが崩れるだけでも、車いすの角度の微妙な調節が必要になります。一時期、隆も介助者もどうすれば昼間 1 人でも安心して過ごすことが出来るか困惑してしまいました。
そのとき、隆が「やっぱり患者のことは家族でないと分からない」とか、「他人にお世話になるより、家族にずっとそばにいてほしい」といった気持ちになったらどうでしょう? 家族といえども、微妙な介護の方法に悩みますし、気持ちの上で患者との距離が出てくるかもしれません。それ以上に他者が入らなくなれば、病気や障がいのある人をヘルプする介護の担い手は育たなくなります。隆は忍耐強く介護を受け、介護者を育ててきました。介護の実習生の方もたくさん来ていただいています。
コミュニケーションが取りにくく、ミリ単位の介護が要求される ALS の介護が出来るようになれば、一人前の介護者になれるでしょう。そして、患者、家族の立場でいえば、少しでも多くの方に病気のことを正しく知っていただくことが、介護の社会化の実現に役立つのです。
この生活のやり方が私たち家族のルール
私は……というと、プロの方からコツを教えていただき、家族のプライベートな時間に少しですが、活かしています。ベッドの移乗の仕方や、車いすの介助など−−−−できることは積極的にしています。この生活のやり方が私たち家族のルールになっています。
プロの目が入ること、家族が病を抱え込まないこと―−−そのおかげか、隆は発病時、余命 5 年と言われながらもう 20 年たちましたが、長期の入院もせず、在宅で過ごせています。隆は会う人会う人に「元気そうねえ」とお褒めの言葉をいただきます。私も白髪としわは増えつつありますが、快食、快眠、快便で過ごしています。核家族が当たり前になり、単身の方も珍しくないこの時代、同居している家族でも、別居している家族でも、家族自身が元気でいなければ患者にはマイナスです。
今日介護をされている家族の方がおられたら、思いっきり自分の生活を楽しみましょう。笑って泣いて心を潤しましょう。患者さんは家族が笑っている姿に元気づけられるはずです。
まあ、子育ては大変ですね
次に子どもとの体験をお話しします。
子どもは4人いるのですが、まあ、子育ては大変ですね。子育てについて話し出せばきりがありませんが、4 人のうち 3 番目の子どもは、もう 20 歳になっているのですが、9 歳のときに小児がんになりました。もう 11 年前ですね。小児がんと言えば白血病が有名です。私どもの息子も白血病だったのですが、大人のがんと同じように、治療法が進歩してきているので寛解になる可能性は高い一方、やはりどうしても直らない方、再発する方もおられます。皆様も白血病に対しての知識はお持ちだと思います。
一般的に子どもはリンパ性が多いのですが、うちの子は骨髄性でした。今は治療法の進歩で変わってきているかもしれませんが、基本的には大人の癌治療と同じで抗がん剤を用いた化学療法で悪い細胞を殺していきます。それを何回か繰り返し、悪い細胞が出なくなったら寛解といって治癒したものとして扱います。
しかし、検査の結果でわかったのですが、子どもの場合は、骨髄の細胞そのものが遺伝子の段階で変異してしまい、正常な血液が造れなくなる骨髄異型性症候群というタイプだったので、悪い細胞を殺してもいたちごっこの
ようにまた悪い細胞が出てきます。
歳の子が自分の病気を受け止めて理解しました
結局、化学治療は有効でなく、骨髄移植しか抜本的な治療法はないということが分かりました。治療の過程をお話しするのは今日の本題とは違うので、飛ばしますが、このときに驚いたのは、病気について医者からしっかりした説明があり、それに対して、子どもは9歳でまだまだ小さくて、難しいことは分からないだろうと思っていましたが、自分の病気をきっちり受け止めて理解したことでした。インフォームドコンセントが確立していることに感心しました。
先ほど話したように、父のときに病名を隠し続けることは非常に辛いと実感していただけに、医療者と本人そして家族が共通した認識で病気に向かい合うことができるんだ……という安心感を感じた記憶があります。
そして、入院初日から多くのスタッフが関わってくれました。病院では、保育士さん、学生ボランティア、院内学級の先生が入れ替わり立ち代り子どもの相手になってくれました。
病棟の看護師長さんは、私があまりにもバタバタしているのを見かねたのか、
「仕事と家のこと頑張っているのね。仕事を辞めなくても良いからくれぐれも無理をしないでね」と応援してくれました。
皆さん安心してください 決して孤独ではありません
私の友人はゲリラ部隊のように我が家に来て食事を運んで、冷蔵庫を一杯にしてくれました。土日には、下の子を交代で見てくれました。実は下の子は下の子でダウン症というハンディがあり、これもまた手がかかったんですが、半年間このような日々を過ごして、子どもは姉から骨髄移植を受けて無事退院しました。
なぜこんな我が家の話をするかと言えば、今日お集まりの患者の方、あるいは家族の方に知っていただきたいからです。皆さん安心してください。病気を負った者も家族も決して孤独ではありません。
隆の病気のときも、子どもの病気のときも、初めは“なぜ自分だけが、なぜ自分の家族が……”と運命を嘆きました。これは当然かもしれません。周囲の方に何か慰めの言葉を言ってもらっても、嘆きの中ではむなしく響くだけです。でもここで心に壁を作ってしまっては前に進みません。
患者の家族のみなさん、しんどいとき、辛いときに上手に自分の辛い気持ちをさらけ出していますか? きっと誰かがその気持ちを受け止めてくれるはずです。
そして、道は必ず見えてきます。
必ず出口はあります
開かれた道にたどり着くためには暗ーい、長ーいトンネルを抜けていかないといけませんが、必ず出口はあります。それをフォローしてくれるのが周囲の方の見守りであり、声かけ−−−−応援のエールです。私は友人の助けを心から喜びました。
家族の方はぜひ、家族の会のような集まりに出かけ、悩みを共有したり、愚痴を聞
いてもらったりすればよいと思います。私も ALS の会や小児がんの子どもを守る会や、知的障がい児の家族の会に参加して、元気をもらっています。今日の進行役の宮本さんも、ガン患者会「ゆずりは」を主宰されていますが、隆は毎月「ゆずりは」の芦屋会場、あしゆ亭に参加させていただいています。
“私はおもしろいから生きています”
今まで話したように、隆も、子どもも、自分の病気を理解し、それにあらがうことなく今に至っています。生活介助が中心の隆の病気と、濃厚な入院治療中心の子どもの病気と……家族として取るスタイルはかなり違いました。でも、皆、自分に与えられた運命に溺れることなく、自分の持つタレント(能力=生きる力)を信じ、生きています。病気もその人の個性、生きざまです。私は家族として身近にいて、この病を受けたものの個性が普通に生活している者とは比較にならない豊かなものだと実感しています。
最後に私なりに生きていくことってどんなことなんだろうか……まとめてみたいと思います。
やはり人生はしんどいものなのかもしれません
でも、今から 70 年も前,羽仁もと子さんという『婦人之友』の創設者は,若者たちに“私はおもしろいから生きています”というメッセージを送っています。いくつになっても、どんな状況下であっても、私も人生をそう思えるようになりたいものです。
皆様がこれからも良き人生を歩まれることを祈念して、今日のつたない話を終わらせていただきます。
ご静聴ありがとうございました。
私と息子と隆 3人そろってキャンディーズ いえ、これは古すぎ……