講演
  「私の在宅療養生活」
            一般社団法人日本 ALS 協会会長 岡部宏生
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岡部さん。
原稿の代読をするヘルパーの柏原絵美さん、看護学生の佐 藤葉月さん。ヘルパーの永山 弥生さん(右端)も一緒に
 
岡部宏生(おかべひろき)と申します。東京の江東区で独居で暮らしています。 今日はこのような機会をいただきありがとうございます。ずっと近畿ブロックの総会に来たかったので、念願かなってよかったです。
 
略歴
1958 年 東京都に生まれる
1980 年 中央大学を卒業 (馬術部に所属)
同年  建設会社に就職 (営業、人事、秘書、企画部門などに所属)
2001 年 建築不動産事業コンサルタント会社を設立
年 ALS を発症
年 在宅療養を開始
年 日本 ALS 協会東京都支部運営委員
同年  胃ろう造設(2月)気管切開・人工呼吸器装着(9月)
年 訪問介護事業所 AL サポート生成設立
年 日本 ALS 協会理事・副会長
2016 年 日本 ALS 協会会長に就任  現在に至る
私は告知を受けていません 極端な医療者不信に
私たちは、発病当時から検査で病気が確定するまで、そして療養生活の間ずっと医療職の方にお世話になっています。
今日は医療職の方もいらしてくださっているので、医療職の方に私たち患者が望むことや期待することについて、お伝えしたいと思います。
今ではそんなことはなくなったと思いますが、私は告知を受けていません。
 
2006 年に身体のあちこちに異常が見られるようになって、まずは自宅近くの整形外科のクリニックに通院を始めました。そこで、検査と加療をひと月続けた後に、総合病院や大学病院で検査をしたのですが、診断がつかずに、ふた月が過ぎていきました。
肩の激痛を緩和するために、通院することになったペインクリニックの先生から、もう 1 回検査をしたほうが良いと言われて、別の大学病院の検査を 3 週間入院して受けたところ、モーターニューロンの病気の疑いがあるので、半年経過を見ますと言われました。
そのときに、入院保険の請求をするために診断書をもらったのですが、封緘されていなかったので、中を見たところ、probably ALS と記載されていました。それでネットで ALS を調べて愕然としました。それ以降もドクターからは、どんな病気なのかも、これから先の生活について全く説明を受けていません。そういうことで、私は極端な医療者不信に陥りました。
 
ネットから得られる情報も知らずに、私と話すドクターばかりでした。
ALS は有名な病気ですが、希少疾病なので、詳しく知らないことが、当たり前なのだとわかったのは、ずいぶん後のことです。
現在の私の主治医の先生を、患者の仲間(ブログで繋がってるだけでしたが)から、紹介を受けてお会いしたときに、やっと病気に詳しい先生に会えたと安堵
したものです(現在ではたくさんの信頼、尊敬できる医療職の方に出会いました)。
 
 告知について望むこと
ALS だと告知されたときの衝撃は、たくさんの患者仲間から聞いています。
そのときの経験から次のようなことを望みます。
病態の詳しい説明と進行について(個別性が強いことも)
今後どんな医療体制と介護体制が必要になるかについて
今後の生活についてどんな可能性があるかについて(これは制度から始まって、コミュニケーションのことや社会参加のことも含めて)
AとBについては、必要な多職種の専門職に協力を仰いでほしいことは、言うまでもありません。
患者や家族が孤立しないように、他の患者などと繋がれるようなことも配慮してほしいと思います(ぜひ、ALS 協会、近畿ブロックのことをご紹介してください)
胃瘻の造設や呼吸器の選択について(@からCまでを示してから説明してほ
しいのですが、そうできない場合も決して選択を迫らないでいただきたいです)
 
療養体制の構築 どうしても自分の事業所をつくらないと 私は 2010 年に法人を設立して介護事業所を設立しました。
それは、
・自分の介護体制を構築することと、
・少しでも他の患者さんにも介護者を提供すること を目的にしてのことでした。
私は、介護体制が整う前に気管切開をして人工呼吸器をつけました。
2 か月の入院後に在宅に戻ったのですが、毎日 24 時間の介護のシフトを埋めるために、ヘルパーと訪問看護師とボランティアの組み合わせに日々を追われていました。
 
それは生きるために介護を受けているのではなくて、介護を受けるために生きているようでした。
そんな生活から抜けるためにもどうしても自分の事業所をつくらないと、と思いました。
そこで最も信頼できるヘルパーさんが事業所を移るというので、事業所を設立することを一緒にやってくれないかと打診して、了解してもらったことをきっかけにして設立することが出来たのです。
現在、職員は 9 名、利用者さんは 6 名(呼吸器装着者が 5 名)です。
現在の私の生活  500600 `の移動 日帰りは当たり前私の生活は毎日仕事に追われる日々です。
毎月 20 日前後が外出していて、在宅しているときは、来客とパソコンや介護者に口文字や文字盤で仕事の指示や原稿などを作成しています。
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飛行機や新幹線に乗って全国を駆け回っています。500600 キロの移動、日帰りは当たり前で仕事に出かけます。ときには、飛行機を利用して 1000 キロくらいはなれた場所に日帰りもします。
 
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シンポジウム参加のため札幌に日帰り 飛行機の中で
自らヘルパーを探して育成・雇用 いまの生活が可能に
発病したころは、もう 2 度と病院に行く以外は、外出をしないと本気で思っていました。たくさんの服や靴を捨ててしまいました。
私の生活を可能にしているのは医療と福祉の制度利用です。とりわけ介護体制の構築が重要なポイントです。
ALS の介護は一般的な介護に比べて格段に難しいと言われています。それは、全介助の身体介護に加えて、医療的ケア(痰の吸引や経管栄養の注入や呼吸器の管理など)と特殊なコミュニケーション手段の習得が必要だからです。このようなスキルを持った介護者(ヘルパー)は滅多にいません。
そこで、自分自身で育成する必要があります。
このことを一言で表すと、患者(あるいは家族)が自ら介護者(ヘルパー)を探して育成し、雇用をするというものです。これを実現することによって、私のような生活が可能になります
 
ALS は治っていませんが 一番やりたいことをしているもう一つ皆様にお話ししたいことは、学生の活用です。
介護者不足は地域によって差はあるものの、日本全国の課題でもあります。そこで、学生の活用によって介護力を確保している患者もいるのです。
ここに来ている同行者の一人も看護学生です。
 
私は ALS に罹患したときに良く質問をされました。
ALS が治ったら何を 1 番したいですか、と。
私は仕事がしたいと言うことが常でした。
現在の生活は、ALS は治っていませんが、自分の一番やりたいことをしているわけです。
 
体制を構築できれば 多様な生き方もある
皆様にお伝えしたいのは、体制が構築できれば、患者の生活はさまざまな可能性があり、それは健常者のように多面性を持って、多様な生き方もあるというこ
とです。決して、活動的な患者や生活が良いと言っているわけではありません。
それは、患者の生活のスタイルの一つに過ぎません。
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2016年12月
 
アイルランド・ダブリンの
 
アライアンスに参加
 
 
会議風景
20か国以上が参加
 
重点的に取り組んでいる活動について
3 年前(2014 年)、ALS を題材にした「僕のいた時間」というドラマが放映されていましたが、ご覧になったでしょうか?
この病気(ALS)の過酷なところは病状だけではなく、気管切開をして、人工呼吸器をつけて全身不随となって生きるか、それとも着けずに死んでいくか。生死を自分で選ばなければならないことです。
 
患者の約7割が呼吸器を着けずに死んでいきます。 ALS は過酷な病状以外にも、24 時間の介護を要するため、家族の介護負担や経済的負担を考えて、生きることを諦める患者も多いのです。われわれ患者はこれを「自死」と呼びます。
私も選ばなければならない時期を超えても悩んだまま過ごしてきましたが、いくつかの理由により「生きる」を選ぶことにしました。
そして生きる以上は活動をしたいと思い、たくさんの方の支援のおかげで、かなり活発な生活をしています。
 
1. コミュニケーション支援活動    もし一つだけ機能を戻せるなら しゃべることを選びます
ある作家が言っていたのですが、人間にとって最も大事なことは、コミュニケーションだそうです。
私のように特殊な方法でしか意思疎通が出来なくなると、それはまさしく実感です。どんなにわずかでも、自分の意思を伝えたいものなのです。
そこで、二つのことをお伝えしたいと思います。
一つは、全くしゃべれない患者とも、少しの知識や道具と経験があれば、練習は必要ですがコミュニケーションを取れるということ。もう一つは、多くの患者は、コミュニケーションを切望しているということです。
 
歩けない、立てない、手も使えない、食べられない、しゃべれない、自分で息さえも出来ない等と、健康だった頃には想像も出来ない状態です。
もしも一つだけ機能を戻せるなら、迷うことなくしゃべれることを選びます。
それほど、コミュニケーションは大事なものだと痛感しています。
私は全く声が出ません。意思疎通は発信者と受信者がいて成立するものですが、私はすでに、特殊なパソコンの設定か、口文字という特殊な方法ができる人としか直接のコミュニケーションは不可能です。それでもこの特殊な方法が出来る人とは相当な意思疎通が可能であり、それは私が生きる上で最も大事なことのひとつなのです。
 
今日の体験が仕事をする何かの機会に、人は非常に強くコミュニケーションを求めていること、そういう人が皆さんの仕事に繋がっていることを思い出して下さるきっかけになってくれれば、こんなにうれしいことはありません。
 
また、これは先輩患者に教えてもらったのですが、「達人ナース」の定義をしたパトリシア・ベナーによると、看護師の「経験」は単なる時間の長さではなく、看護の実践の中で遭遇した出来事に対して考えたり感じたりしながら、その出来事の意味について知覚していくことである、とされているそうです。
今日、皆さんとご一緒することが、実践に繋がるほんのわずかなきっかけにしていただければ、と願っています。
 
コミュニケーション支援のためのいろいろな道具は、あくまでも手段です。その手段を使って、発信者である患者は何を伝えたいのか? 何をしたいのか?
受信者である皆様は、患者とコミュニケーションを取りたいという気持ちが、すべてのスタートであることも忘れずに支援していただければと思います。
コミュニケーションは広い意味では言語によるものだけでなくて、人と人との関わりの全てを指すものだと思います。どうぞ、皆様私たちと関わって下さい。
 
2.患者としてのピアサポート   心の中ではいつも生きて欲しいと祈るような気持ちです
私は、患者当事者さんやそのご家族さんからとてもたくさん療養生活について相談されます。このことには少しでも役に立ちたいと願って対応しています。仲良くなった患者さんが、たくさん亡くなっていきます。呼吸器の選択についての相談も多いのですが、呼吸器を着けずに亡くなる患者さんも当然います。
私は本人の意思を尊重するべきだというスタンスですが、心の中ではいつも生きて欲しいと祈るような気持ちです。
3.社会に ALS を通して難病や重度の障害者について考えてもらうきっかけをつくること
私は、あまり発信力はありませんが、新聞や雑誌などにときどき取り上げられたり寄稿をしています。また、大学の講義の参加は現在 9 校です。
以下に最近の『ノーマライゼーション』という雑誌に寄稿した文章を紹介させていただきます。
 
【障害者の生きる意味】
冒頭から 2 つのお詫びを申し上げます。
まず、私は障害者を代表できるものではありません。ALS は(病状が進行すると)制度的にも一般的にも、身体的に最重度の障害者と言われています。ですが、敬愛する障害者の福田暁子さんによれば、ALS はときどき、うらやましがられる程度の障害者でもあります。
もう一つは、生きる意味と言うタイトルですが、私は生きる「意味」などたいしてないと思っています。それは、障害者も健常者もです。
では、なぜこんなタイトルをつけるかと言うと、昨年の相模原、やまゆり園の
悲しい事件が起こって、どうしても書きたいことがあるからです。
 
ALS を発病する前から思っていたことなのですが、発病してからさらに強く明確に思うようになったことがあります。それは生きる意味とか意義とか生きる価値とかは、人の解釈の問題でしかないということです。そこに存在すると言う事実の前には、そんなことは小さなことだと思うのです。
 
ALS を表現する言葉に「NO Cause NO Cure NO Hope(原因不明、治療なし、希望なし)」というものがあります。私は、発病した頃には、悔しいけど、うまいこと言うなぁと思っていました。
ですが、しばらくたつと原因不明と治療なしは事実であるが、希望なしは解釈の問題であって、ALS でも希望を持って暮らしている患者も、決して少なくないことに気がついたのです。
まさに人の解釈で社会は動いていると言える側面もありますが、それと事実の違いについて、もう少し考える必要があるのではないでしょうか?
事実は一つ 解釈は無限
ALS の例だけでなくて、ことわざや、名言と言われているものの中にも、たくさん事実と解釈が混じっています。
例えば、自分に起こることや世の中に起こることには、必ず意味があるというPicture 6237_6237ことをよく耳にしますが、では災害やテロにあった人はどんな意味があるのでしょうか? それをきっかけにして、今後に生かすということは意味があることですが、そのことに遭遇して亡くなった人にとっては、意味などと言っていることはできま
せん。やまゆり園の事件  「宇宙兄弟」に登場した橋本操さんと私を起こした容疑者も、そ
の人なりの解釈で障害者を捉えていることにもっとも恐ろしさを感じます。
 
作家・開高健が言っています。
「事実は一つ、解釈は無限」と。
こんな当たり前のことを忘れて、生きる意味とか、生きる価値とかばかり言ったり考えたりすることによって、あたかも自分の考えが正しいものなのだ、と思わないようにしたいと願っています。
私の考え、それは無限の中の一つに過ぎません。
 
障害をめぐる内なる矛盾   障害を持つということはどういうことなのか?
 
私はある日、国立病院機構の中の1つの病院に行った。
そこにはたくさんの神経難病の患者が入院していて、私は同病の ALS の患者に会った後に、小児病棟を訪ねた。たくさんの子どもたちが私と同じような呼吸器を着けて、ベッドの上でその人生を送っていた。私は何人かの子どもと話してその病棟を出た。
「子どもの呼吸器を着けた姿を見るのは、つらいな」とつぶやいたときに、同行していたヘルパーさんから「そんなことはありません。あの子たちはそれぞれに輝いています。障害を持っているかは全く問題ではないのです」と言われた瞬間、私は自分の感性を恥じると同時に、何か違和感も感じた。その違和感が何であるのか少し考えて気がついた。
このヘルパーさんは介護のために生きているような人なので、その言葉にはとても説得力があるのだが、その人だって自分の子が生まれてくるときは五体満足で健康な我が子を祈るのである。
 
私たちの心の中は 実に多面性をもっているでは先程の言葉は偽りなのだろうか?
そんなことは決してない。普通の人なら、至極自然な思いである。つまり障害を受け入れることと、障害でないことを願う気持ちの両方を持っていることが自然ということなのだと私は思う。そのようなことを考えれば枚挙に暇がない。
私たちの心の中は、実に多様性にあふれ、実に多面性を有している。
Picture 6910_6910私は大学の講義に参加させてもらう機会がしばしばあるので、ときどき学生に課題として自分が知りたいことを質問する。
例えば、あるときの質問である。
「あなたやあなたの家族が全身不随になり、介護され
たりすることになったらど
うしますか?」   地下鉄から地上へ
その答えの多くは、自分が全身不随となってでも生きるのは無理だが、家族には生きてほしい。介護されるのは嫌だが、介護するのはよいという答えが大体8割を超えるのである。
そこに潜んでいる感情に優越感はないだろうか これはどういうことであろうか?
先程の話と共通するものがあると思うのであるが、やはり人の自然な感情というか本能といえるのではなかろうか? 介護するのは良いが、されるのは嫌だと
いうことはずっと昔から人の矛盾として言われているそうである。
 
人は人の役に立ちたいとか、社会のために役に立ちたいとかという気持ちもごく自然なものであろう。富と名誉は凡夫の何やらと言うが、凡夫だって人の役に立ちたいと願っているのである。
現に凡夫の私もそうである。
ただそこに潜んでいる感情の中に優越感がないだろうか?
 
私は優生思想という言葉がなくなって欲しいと思っているが、どうもそれは人の感情の中で自然なものの一つではないかと思うことがあって寂しくなる。
あるとき大学で社会学を教えている先生に、「人は誰でも多かれ少なかれ優生思想と似たような気持ちを有していませんか?」と尋ねたところ、「そうです、それを内なる優生思想といいます」と答えられて、合点がいったのである。
そういう気持ちが自分の中にあることについて、明確に意識を持つことと、持ってもらうことを発信していきたいと思う。
 
わが家の多職種連携について 専門職を横につなぐものはとても少ない
病院においては、各診療科、看護部門、リハビリテーションの部門、薬剤の部門、栄養部門、臨床工学の部門、各種の検査部門や事務部門などの連携によって患者に医療が提供され、体調管理をされています。
その連携は目的・目標が共有され、指示系統と役割が明確で、部門間の意見の調整をしながら、一つの目標に対してそれぞれの専門の職種としての役割を果たしているわけです。
一方で、在宅療養の場合は、どういうものかについて私を例にして見てみたいと思います。
私の療養生活には、常に 10 種類以上の専門職の人たちが 20 人以上関わってくれています(ヘルパー、訪問看護師、主治医、往診医、理学療法士、ケアマネ、保健師、行政の担当者、訪問歯科、訪問入浴、訪問理容、呼吸器業者、福祉用具業者、介護タクシー、訪問マッサージ、鍼灸師、コミュニケーション支援ボランティアなど)。
これらの人たちに、私の療養生活の長期短期の目標に沿ってそれぞれの役割を果たしてもらっています。
ですが、病院と違って、それぞれの職種の人は滅多に顔をあわせることはありません。数か月に1回開催されるカンファレンスにも、全員が揃うということはありません。そういう環境の中で連携をするということは、とても難しいことだと思います。
介護計画書や連絡ノートや医師の指示書などによって連携をするので、業種間の横をつなげるものはとても少ないわけです。
 
連携に必要なコーディネーター
そういった中で連携をするために重要な役割を担うのがコーディネーターです。家族の場合もあるし、看護師や、ケアマネや、保健師の場合もあります。そ
の役割ができる人なら誰でも良いのです。患者本人の場合もあります。
 
連携の失敗例
私の場合は、私自身がやっています。それは、まさに失敗例です。
発熱しても、胃瘻で熱いものを流してしまって胃を火傷しても、呼吸器の回路が破れていても、外出先で生命に関わるようなトラブルがあっても、その場にいた人しか知りません。かなり危険なことがあっても、です。
訪問看護師さんに、「岡部さんは呼吸器をつけてから熱を一度も出したことがないし、体調が本当に安定している」と言われたこともあります。それは呼吸器をつけてから5年目でした。その間には、何度も発熱していましたし、いろいろな体調の変化がありました。それなのに、全く知られてないのです。私が言わなければ、知られることはないのです。連絡ノートも機能していません。
ですが、私はご覧の通りコミュニケーションには大変な時間がかかります。いちいちそれを伝えるのは大変な労力です。ひとりひとりの専門の能力は極めて高い人たちに囲まれています。先ほどの訪問看護師さんは、他の患者さんのところでは、多職種間の指導的な役割をしている人です。私の場合は、全員が私とだけ繋がっていて、横の連携がないということになってしまいました。
 
 
   学生ヘルパーさんたちと
 
 
私はこの状態を揶揄して「最高の介護と最低の連携」といっています。全て自分の責任です。だんだんコミュニケーションが取りにくくなっていく中で、この状態をなんとかしなければと今、焦っているところです。最近は中心になっている介護者 3 人と学生の間で連携が見られるようになりつつあります。
患者にとっても、働く人にとっても
この個人的な話から、在宅における多職種連携の難しさとコーディネーターの重要性を想像してもらえると良いのですが、いかがでしょうか。
平成 24 4 月より、喀痰吸引や経管による栄養の注入などの医療的ケアを介護職もやれるように法制化されています。ますます医療と福祉の連携が必要なわけです。また社会の趨勢としても国の目指す方向は、病院から在宅に移行していくことだと思います。
いずれにしても、多職種連携が上手く機能して、それぞれの専門能力が相互に発揮されることは、まさに患者自身のためですし、働く人にとっても良い職場環境になるということなので、極めて重要な課題であることを覚えておいていただければと思います。
 
    結び 〜私からのメッセージ〜
 
私は日本で一番外出の多い患者    ですが、決して特別な患者ではありません
 
私は日本で一番外出の多い患者と紹介されることもあります。
そういう意味では特殊な患者です。
ですが、決して特別な患者ではないことをお伝えしたいと思います。
 
私は発病してから約3年半で呼吸器をつけました。
それはギリギリのタイミングでした。
発病してしばらくは呼吸器をつけるつもりはなく、2年を過ぎたころから迷うようになって、その後はずっと迷っていました。
そのために、呼吸器をつけて生きていく体制をつくることに着手が遅くなってしまい、危なく間に合わなくなりかけました。
そのほんの少しタイミングがずれたら皆様にお会いすることはありませんでした。まず、そういう意味で私は特別な患者ではありません。
Picture 10325_10325多くの患者と同じように呼吸器をつけることについて散々迷ったのです。
それが今では月に 20 日前後も外出です。
会いたい人ができて、
やりたいことができて、
  行きたいところができて、
幸運にも介護者や支援者に出会って、 相当な努力と、
  少しの危険を冒して、
  たくさんの慣れを繰り返すことによって、今の私の生活があります。
 
どうか支援者の皆様は私のような生活が特別だと思わずに、患者に手を差し伸べてください。そして、何よりもお願いしたいことは、それぞれの患者の暮らしがあることを受け容れてください。
活動的な生活は一つのスタイルに過ぎません。
どうか患者それぞれに、それぞれの支援をお願いいたします。
それが患者にとって最も必要な、寄り添うということだと思います。
 
境を越えたい 境を越えてほしい
境というものは隣のうちとの境もありますし、国境という大きな境もありますし、段差も私たちにとっては、ときに大きな境になります。人の心にも境があります。障害者と健常者にも境があります。
私は、そういう境を越えて、共に生きることや、共に在ることを社会に発信したいです。
境があることでモノの存在が成立していますし、私たちは皮膚という境で形成されています。心の境を越えることはアイデンティティの崩壊の恐れもあるし、国境を越えることは国の存立に関わります。
それほど境は重要なわけです。
難民が大量に押し寄せれば、その国の社会に大きな影響を与えます。
難病患者を包含できる社会の実現も困難を伴います。それでも境を越えないと、今の社会は進展しないのではないかと私は感じています。
境を越えたいと思いますし、境を越えて欲しいと願っています。
ご清聴ありがとうございました。
またお会いできる日を楽しみにしております。(拍手)