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 これは鼻マスクを装着したところで、足元にフットペダルを置き、これで環境制御装置を操作してテレビのチャンネルを変えたり、パソコンでメールを打ったりされていました。状態が悪化してからは鼻マスクは却ってしんどくなり、酸素を経鼻で使用していました。
 Sさんは「奇跡の人」と呼ばれていまして、これまで何度ももうダメと医師から宣告されながら復活してきた人でした。今回は4月下旬に肺炎を起こし、しばらく点滴を行ったのが過剰負荷になったのか、肺炎が治った後も状態は改善しませんでした。
そんな中、5月初旬にストレスからか緑内障を起こし、点眼で失明は免れたものの、縮瞳させるために視野が非常に暗くなり「夕方に電気をつけずにいるみたいでうつになる」と何度も訴えられていました。Sさんは知識欲が旺盛で文字盤でいろいろとお話しすることが好きでしたし、健康食品にもこだわっていろいろと取り入れられていました。正に目と歯が命の人だったのですが、どちらも思うようにならなくなったことで気力が萎えていったのかもしれません。これまで何度も死を覚悟してきたSさんは落ち着いて、時には冗談も交えながら「楽に死ねたらいい、眠るように死にたい」と酸素を上げることや鎮静剤の使用を希望されましたが、往診のDr.はなかなかそれに応じようとしませんでした。最後まで奇跡を信じていたのはDr.だったのかもしれません。 
お母さんや私たちの介護負担を思いやってDr.やNs.がボランティアで泊まりこんでくれましたが、文字盤が読めませんし、普段ケアをしていないので何かあっても対応できず結局お母さんを起こす状態で、正直なところ実質的な助けにはなっていませんでした。静脈確保が出来ず、皮下に点滴をするような状況で鎮静剤の効果も怪しく、また徐々にしか酸素を上げなかったために、逆転どころかCO2 が100を超えるまでになっても文字盤を使っていたSさんでしたが、7月1日最後は穏やかな表情で逝去されました。
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