2003年総会講演
       
〜ALSとともに〜
17年間の在宅人工呼吸療法の経験からわかったこと
  公立八鹿(ようか)病院神経内科部長 近藤清彦先生


私は神経内科医をもう二十六、七年やっています。ALSの研究
から始まって、この20 年間はALS患者の療養サポート、ケアに
関してのことを一生懸命考えてやってきました。17 年前から在宅
人工呼吸療法を手がけてきて、大勢の患者さんと接してきた中で、
今までやってきたこと、考えてきたこと、わかったことがたくさん
ありました。ですから今日は、皆さんがALSの説明の本を読んで
もあまり書かれないようなこともお話ししたいと思います。

ふるさとの八鹿
いきなり田舎の写真をお見せしますが、四方を山で囲まれた八鹿町というところが私の病院
のある所です。私の生まれも、ここから20km入った山の中です。
在宅人工呼吸療養はいまではめずらしくないのですが、日本では1990 年に医療保険の制度が
できてから、普及し始めました。
私はかつて信州の佐久総合病院に10 年近くおりましたが、後半の四、五年の間に、ALSの
患者さん7 人が在宅療養を行いました。1990 年から現在の八鹿病院に帰りまして、今まで
26名の方が呼吸器を持って在宅療養をされています。
この方は1986 年に一番最初に在宅で呼吸器を使って療養を始められた方ですが、その当時は
150 万円の人工呼吸器を自己負担で買ってもらわないといけないとか、訪問看護は月に1 回
だけとか、喉のカニューレ交換や、鼻の栄養管は家族の方が交換するとか、ほとんど家族の
方の努力によって行われる、そういう時代でした。

   

呼吸管理の相談を始める時期
それでは実際に人工呼吸器の装着についていつごろから相談を始めるかということですが、
実ははっきりした基準が決まっていなくて、今年神経学会が作りましたガイドラインも、
ちょっと歯がゆいぐらいのことしか書いてないのです。
だから神経学会の基準というよりは、私が考えている、八鹿病院で行っている呼吸管理の
基準についてお話します。
・肺活量が80%を切ると呼吸筋麻痺が起こってくるので、人工呼吸器装着について
  将来どうするかという相談を始めます。
・60%を切ると自覚的に呼吸困難感が出てきます。その時点で非侵襲的陽圧呼吸
 (NIPPV=気管切開しない人工呼吸、バイパップ等)という方法を、間欠的に、
  昼間少しとか、夜間だけに導入します。
  同時に、人工呼吸器装着の是非についての意思を固めていただきます。
・肺活量が60〜40%の段階で意思確認を行います。
・肺活量が40%を切りますと、呼吸困難感というより、全身のだるさとか、手足の重だるさ
とか、食欲の低下であるとか、そういったことが出てきます。
・40%以下になったら、無理をしないで気管切開をした方が良い時期と考えています。
軽い風邪を引いただけでも、1日で呼吸不全が進行して、夜中に救急車で運ばれたりする、
そういうことが起こるのは肺活量が40%を切った段階です。あとで患者さんからお話を聞く
と、40%以下になってから処置をするまでの間は非常に体がだるくて辛かったとよく言われ
ますので、この時点が気管切開の大体の目安かと思います。

気管切開の判断の目安
気管切開の時期の判断ですが、肺活量が目安になるだけではなくて、次のような症状も参考
にします。
・痰や唾液の喀出が十分にできなくなります。
・頭痛、不眠、四肢が鉛のように重いという自覚症状があります。
・客観的な数値では呼吸数が増えます。
 1回の呼吸が浅くなりますから回数で補うわけですね。
・頻脈になります。
・一番の特徴は苦悶様顔貌といいまして、表情に苦しみが出てきます。
・血液ガス分析。動脈血の炭酸ガス濃度(PCO2)が増えます。

急性とゆっくりの二通りの呼吸不全のタイプがある
ここで注意が必要なのは、炭酸ガス濃度に頼り過ぎると、診断をあやまることがあります。
呼吸不全が1 か月〜2か月の間に急性に進行している場合には、検査血では炭酸ガス濃度は
上がってきません。検査値の炭酸ガス濃度が正常だとしても安心はできないのです。急性に
進行している場合は、呼吸困難感とか、苦悶様の表情とか、肩で呼吸をしているとか、そう
いった臨床的な状態の観察が重要になります。
逆に肺活量は50%から40%ぐらいに低下しているのに、1年ぐらいかかってゆっくりゆっく
り進行している方の場合は、呼吸不全が起こっていても自覚症状は現れません。呼吸困難感
がないのですね。だから気がつかないうちに、夜寝ている時などに、呼吸が止まってしまう
ということが起こり得ます。そういう場合は、逆に動脈血のガス分析の炭酸ガス濃度が目安
になります。こういうニ通りの呼吸不全のタイプがあります。

個人差が大変大きい
八鹿病院では40 名近い方が気管切開をされて人工呼吸器を装着しています。発病してから気
管切開をするまでの期間ですが、3か月以内、6か月弱、1年、2年、3年以内、4年
以内、10年以内、1人の方は13年でした。大体1年から5年の方が多くて、中にはもっ
と早い方もありますし、平均するとやはり3年弱ぐらいにはなるわけです。従来の3年で呼
吸不全といわれているのは間違ってはいないのですが、個人差が大変大きいことを知ってお
いていただいた方がいいと思います。
私は肺活量を定期的に測るということが大変大事だと思っているのですけれども、肺活量は
グラフでいうと、発病してしばらくは落ちませんが、落ち始めるとそこからは線を引いたよ
うに落ちていきますので、80%を切り始めたら1 か月に1 回ずつ肺活量を測っていただくと
非常に大事な目安になります。

声の回復
気管切開をする場合、声を失うから気管切開をためらうと、近畿ブロック会報に以前投稿さ
れていたことがありました。私の考えでは、気管切開だけでは声を失わないとほぼ言えると
思います。ただカニューレの種類によって発声の難易度が変わることがあります。カニュー
レを使用しながら発声する方法では、カフのエアを減らして、漏れる空気を利用するだけで
話せる方がかなりおられます。それから、スピーキングバルブを使って、呼気を口の方に流
すという方法。それからカニューレのサイドチューブに、水槽に空気を送るポンプを使って
空気を流して発声する方法もあります。
ただ喉の筋もいずれは麻痺してきますので、そうなった段階では発声は無理になります。喉
の麻痺から発症した場合は声は出にくいのですが、気管切開する直前まで声が出ていた方で
は、声が出せる可能性は非常に高いと思います。

カニューレの種類
カニューレの種類ですが、ポーテックス、マリンクロット、アーガイル(シャーウッド)と
か、その他にも幾つか種類があります(写真)。ポーテックスのタイプはカフが非常にがっ
ちりしていますので、分泌物が下に落ちないというメリットはありますが、発声という面で
は一番出にくい。カニューレ交換する時に摩擦で痛みがあって入れにくいこともあります。
アーガイルはカニューレ交換はしやすいのですが、残念ながらカフエアが自動的に少しずつ
漏れるように作っていますので、カフエアーを夜間に追加する必要がある。
中間的なのが、マリンクロットです。ソフトカフで、24 時間空気はほとんど漏れませんし、
しゃべりたい時にカフの空気を減らすと声は出やすい。カニューレ交換も普通です。こうい
ったカニューレの工夫をすることで声が出やすくなります。
もう一つの目安は、食事ができる人(嚥下可能)であれば、喉の筋肉はかなり保たれていま
すので、発声できる可能性はあると思います。

  

人工呼吸器装着後の経過
気管切開をして人工呼吸器をつけてから病気がどのようになるかということはあまり書いて
ないと思うのです。3 年で呼吸不全になると書いてあっても、それからあとはどうなるか書
いていないし、すべての機能がいきなり低下するように今まで思われていたと思うのです。
それで、1 人の患者さんにご協力いただいて、気管切開前後でどれだけ表情が変わるかとい
うことを初めて記録させていただきました。気管切開前後でかなり変わります。なかなか申
し訳なくて写真などの記録をしてこなかったのですが。
昨年、気管切開された方ですが、気管切開3 ヵ月前から少し呼吸困難感が出てきて、この時
点では気管切開を決定していましたが、ギリギリまで頑張りたいということで経過をみてい
ました。
(濱さん「気管切開や胃ろうをつくる前には不安や心配があったが、やってみたら楽になった。
そのことを知ってもらえたら」と写真提供を快諾されました)
2 週間前にはかなり苦しい苦悶様の顔貌です。眉間の縦じわが出てきて、かなり本人は努力
呼吸をしている状態と思います。この時点で血液ガス分析をしても、正常値の範囲です。実
際はかなり苦しくて、ほとんど1 日中深呼吸をしている状態ですから、夜間もぐっすり眠れ
ない。その疲労でさらに呼吸が弱くなって、もっと苦しくなるという悪循環に陥ります。
ギリギリまで待って、入院していただいた当日の午後、気管切開をしました。呼吸器をつけ
て4 週後になるとこういう表情になって、元の顔なんです。この違いは歴然としています。
酸素が足りないということだけでいかに体が弱ってくるかということの証明になると思いま
す。呼吸を助ければ、こんなにしゃきっとした顔になります。
2週間前には食事もほとんど食べられなくなっていたのに、呼吸器をつけたら、ミキサー食
を10 分でペロッと食べてしまうというぐらいにまでになりました。
よく嚥下障害と呼吸障害は同時に進行するように言われるのですが、私の考えでは呼吸が苦
しくなったら飲み込む余裕はなくなる。物を飲み込む時には息を止めなければなりませんか
ら、呼吸に一生懸命になると飲み込みが悪くなる。そういう場合には呼吸を助ければ嚥下が
良くなるということがあります。

写真省略

呼吸器装着して歩行できる患者さん
この方は喉の麻痺から始まった方です。喉の麻痺から始まった方は声が出にくいわけですが、
逆に手の力とか足の力は保たれています。気管切開をしても、人工呼吸器を夜間だけ装着し
て、昼間は外して廊下を歩く練習ができます。
人工呼吸器をつけると重症だと思いすぎて、離床させてはいけない、歩かせてはいけないと
いう思いこみが病院側にもありますが、早期に立位訓練をすれば、むしろ酸素が十分に夜間
に取り込めて、昼間は力が出せるということにもなるわけです。

   

かなりの期間歩けました
実際にどのくらいの期間歩けたかを、八鹿病院で人工呼吸器を装着した34 人について調べま
した。足の麻痺から始まった方は歩けないのですが、手の麻痺から始まった方や、喉とか呼
吸筋の麻痺で始まった方では、かなりの期間歩ける人がいました。5か月、10 か月、15 か
月ですね。この歩行というのは、介助でトイレまで歩行できるというレベルを示しています。
こういったことはこれまであまりわかってなかったのですね。

気管切開後の意思疎通
気管切開後に、いろいろ工夫しておしゃべりができた期間です。喉の麻痺から始まった方は
しゃべれないのですが、手の麻痺、足の麻痺、呼吸筋の麻痺から始まった方は10 か月、
20 か月と、意志疎通ができる会話が可能でした。食事の嚥下(飲み込み)に関しても、
カニューレが入っていても嚥下できる方は結構います。経管栄養はせず、経口摂取を保てた
期間ですが、1 年くらい食べられる方もありますし、数か月間は多少飲めました。その後も
おやつを味わう程度ならもう少し可能な期間があります。

70 代以上のALS 患者さんに多いタイプ
看護師さんとか先生にも知ってもらいたいと思っていますが、呼吸から麻痺が起こってくる
ALSというタイプは最近多くなっているように思います。呼吸は肋間筋と横隔膜とが作用
しているのですけども、肋間筋の萎縮と並行して、背骨の横の傍脊柱筋という筋肉も萎縮し
ています。結局、胸髄の同じ神経支配のところが早く弱るということで、呼吸筋麻痺がかな
り先行するということがどうもあるようです。
ここからは私の仮説ですが、70 歳以降で始まる方は、呼吸筋だけ早く弱くなる方が八鹿病院
でも昨年来3人ぐらい来られています。共通しているのは体重が1年間で8sやせたとか、
10 sやせたとか、体がだるくてしょうがないとかいうことです。
消化器内科ないし内科を受診されて、血液検査をしてもレントゲン検査をとっても異常がな
いということで、しばらくしてから神経内科に紹介されて来られています。
なかなか診断がつきにくいのです。
愛知医大の先生も高齢者の場合こういうタイプが多いのではないかと、今年の神経学会で報
告されていました。昔は、ALSは40 代、50 代が多いと言われたのですが、最近は60 代が
最も多くて、70 代もかなり多くなってきました。こういう呼吸筋麻痺で発症の人の場合、逆
に呼吸さえ補助すれば、手、足、喉の筋肉は比較的保たれる可能性があります。この時点で
診断がつかないと、夜寝ている間に亡くなられるということも起こり得るわけです。

弱くなる能力を見るだけでなく
30 数名のうち、気管切開をした時点で、歩けた人は65%、食事が飲み込めた人は約60%、会
話ができた人も55%、手が上がる、はしが持てる人50%ということです。
八鹿病院で気管切開をしたり、人工呼吸器をつけた時点で、大体こういう能力が五、六割は
残っておられるわけです。その能力がどうなるかを見ると、6か月、1年、2年、3年と、
だんだんと出来る率は減っていきます。これをみると呼吸器装着後も症状は進むと言えるわ
けですが、その弱くなる面だけを見るのではなく、呼吸器を装着してからも、たとえば歩行
は、6か月間に30%の人は歩けたとか、1年たっても2割の人が歩けたとか、そういう一面
も見ていくことが大切です。
どこから発症したかによりますが、歩けないけれどもしゃべれる人とか、しゃべれないけれ
ども歩ける人とか。どこかの能力が少なくとも1年から2年ぐらいは残っている。そういう
ことが大事なことかと思います。

合併症 / 無気肺について
次に合併症ですが、肺炎や無気肺があります。無気肺というのは肺が狭くなってくるわけで
す。無気肺の予防には、呼吸器の1 回の換気量を1.5 倍ぐらいにするのがいいのではないか
というのが、大分協和病院呼吸器内科の山本真先生の提案です。(会報37 号掲載)
皆さんの人工呼吸器はどうでしょうか。従来の呼吸器は「深呼吸」の装置が付いていないの
がほとんどです。最近のものは、「深呼吸モード」が付いているものもあって、100 回に1 回
は、2 倍の換気量が入って、肺の奥まで広げる作用があります。それがない場合は換気量を
少し多めにしておくほうが、無気肺を予防できるのではないかと思われています。

カフマシンを使って肺炎の予防
カフマシン、別名カフアシストという機器があります。アメリカから入ってきました。日本
では1995 年に医療機器として認可を受けたばかりです。1998 年に福岡県の浅木病院の三好
正堂先生が近畿ブロック総会で講演された(会報29 号掲載)、そのときにも紹介されました。
三好先生の言われることだから間違いないと思って、病院で1 台買ってもらって使い始めて
みました。80 万円程度から上等なものは定価120 万円です。手動式だと50〜60 万円です。
気管切開していない方はマスクで合わせます。バイパップとよく似ています。マスク式の人
工呼吸器で、空気がぐっーと入ってきますが、2 秒すると今度は逆に陰圧になります。バキ
ュームになるのですね。陽圧にしていきなり陰圧にすることで、肺の奥の方の痰が口元まで
出てきます。吸引が要らないぐらいです。ティッシュで拭けばいいぐらい出てくるのには感
激します。
このカフマシンを上手に使うことが、無気肺とか肺炎を予防、治療していくうえで必須にな
ると思います。この機器は病棟に1 台は要ると思います。在宅療養では1 人に1 台必要と私
は思うわけですけども、いまレンタルすると月3 万円以上ですし、保険適応になっていませ
ん。患者会でアピールしていただいて、医療保険の対象に入れていただきたいですね。病院
でこれを使っても、保険点数にはならないので、まだまだ普及していません。一度使ってみ
てうまくいかないのでやめたという医療機関も多いのですが、上手に使うととても重宝しま
す。私はあちことでお勧めしています。

  

合併症 / 呑気症について
そして、ALS独特のものとして胃に空気を飲み込んでしまう「呑気症」があります。胃袋
に空気が入ると骨盤の中まで胃が拡張します。食事が飲み込めない状態になっても、なぜか
カラ嚥下のような状態か、食道が勝手に動くのか、空気が胃に入って、胃がパンパンに張っ
て苦しくなる。その影響で腸管麻痺とか、麻痺性イレウスになって、致命傷になる方もあち
こちでおられると聞いています。もう少し研究しないといけないのです。
胃ろうを造設している方は一番やりやすい。直前に空気を抜くことを繰り返すだけでこれは
防げます。鼻から胃に入れた経鼻管では空気がなかなか抜けないので、いまその辺は検討課
題です。

合併症 / 浸出性中耳炎、褥瘡について
耳に水が貯まって聞こえなくなることがあります。浸出性中耳炎です。経過が長いとまず必
発と思ったほうがいいでしょう。嚥下動作ができなくなった頃に起こりやすくなります。嚥
下動作の時に、耳と喉を結んでいる耳管で気圧の調整ができなくなることが関係しているの
だろうと思います。耳が聞こえているかどうかは、常に注意してあげてください。耳鼻科の
先生に水を抜いてもらえばすぐに聞こえるようになります。
皮膚がかゆくなるということもあります。ALSでも褥創(ジョクソウ=床ずれ)は起き得
ます。

ALSケアのノウハウを蓄積して広める
八鹿病院のケア体制を今日は十分お話しする時間がありませんが、一つ言えることは多くの
職種の協力が必要だということです。院内のチームも必要ですし、院外の体制も必要です。
先ほどからお話してきたような独特のノウハウも必要ですから、その蓄積をしていって、そ
れを広めていくというのが私たちの今の役割です。
八鹿病院ではALSの最初の患者さんをサポートするためにチームが必要だということで平
成2 年にチームができました。できたというより、必要な人たちが集まったら、だんだんメ
ンバーが膨らんでいって、医師や看護師、リハビリスタッフに加えて、薬剤師、栄養士、歯
科衛生士、ソーシャルワーカー、訪問看護師、臨床工学技士、音楽療法士まで加わりました。
臨床心理士がいないので募集をしているのですが、どなたか希望の人がおられたら就職をお
願いします。(笑)

専門職の役割
たとえば栄養士さんの役割として、経管栄養の患者さんにも、人工栄養剤だけでなくて、一
つには自然のものも注入したいですし、自然のものをミキサー食にするのだったら、もとの
形を患者さんに見ていただいてから注入したい。食べる楽しみを保ちたいので、入院中の患
者さんには昼ご飯だけは配膳のお盆を見ていただいてから、注入しています。これは栄養士
さんの努力でずっと続いています。
臨床工学技士という方がおられます。検査技師からこういう資格を取られて、人工呼吸器の
説明とか管理、時には自宅まで行っていただいたりしています。

地域にネットワークを
院内のチームに加え、院外では、保健所を中心にして、主治医の先生とか、救急隊、消防署
まで含めたネット―ワークが必要です。この二つのシステムは、兵庫県の但馬地方ではわり
と早期に確立したと言われます。院内では、毎月第一金曜日の夕方5 時半から、関係のスタ
ッフが集まって、ALSの患者さんについての情報交換をしています。今日現在、25 名のA
LSの患者さんと、通院や入院、在宅療養中と、何らかの形で関りがあります。その一人ひ
とりについて病棟側と訪問看護師の情報交換をすることで、入退院がスムーズにいくとか、
家族の休養目的のレスパイト入院がスムーズにいくと思います。
退院前の保健所を中心にしたカンファレンスでは、保健所とか市町村の保健師さん、ヘルパ
ーさんに加えて、救急救命士の方、それから身体障害者療護施設の方が集まられます。時に
は人工呼吸器のALS患者さん自身も、出席して挨拶をされたりすることがあります。
91 年からは、ディサービスセンターにお願いして、呼吸器をつけた人の入浴を初めてやって
いただきました。

ヘルパーさんが吸引
最初はヘルパーさんは、ベッドの2m以内には怖くて近寄ってくれませんでした。
「奥さんが介護しやすいように私は家事をします」ということからスタートしたのですが、
訪問看護師と同行訪問して一緒に清拭をやりまして、途中からはヘルパー2 名で清拭をして
いただくようになったのが94 年でした。こういうことからヘルパーさんが吸引してくれるよ
うに、だんだんなってきたのじゃないかと思います。

意思伝達装置を使いこなす
70 代の人工呼吸器の方ですが、八鹿病院では2 番目、平成3 年に在宅療養に移られた方です。
昔のパソパルPCという意思伝達装置を使って、奥さんが準備されて、本人がまばたきをし
ながら、文字を打つのですけれども、一見すると寝たきりの高齢者に見えるような方ですが、
「今月は一番上の孫には小遣いを3000円やれ」(笑)とか、そういったことをすべて指示さ
れる。そういうことからみると、この家の中で何かをする時には必ずこの人の許可が要るの
だろうということがわかるわけで、意思伝達装置を使いこなすことでこの人が家の中の主と
いうか家長を保てるということを示しています。

一時入院できる病院があればサポート可能
八鹿病院では去年までで40 名の方が呼吸不全になられましたが、気管切開して人工呼吸器装
着(TIPPV)をされた方は36 人、90%です。呼吸器は要らないと言われたのは、ゆっくり進
行した1 人の方だけですから、40 人中39 人は人工呼吸器装着を希望されていました。
ただその時の条件として、呼吸器を装着した後、在宅療養もサポートしますし、もしそれが
無理な場合は長期入院も可能ですということを、八鹿病院としてお話しした上で選んでいた
だいている状況があります。但馬の中でならそのくらいのベッドはあるだろうと思っていま
す。ただ、神戸の方から転院された方が次々と出始めまして、兵庫県全域から来られると入
院はなかなか難しくなりますから、それが今の課題です。
36 人が気管切開をして人工呼吸器を装着、そのうち26 人の方は在宅での療養を長短ありま
すが経験されています。どうしても家庭的な事情で在宅療養が無理な方も4分の1 ぐらいは出
てきます。将来は長期入院が必要になると思いますが、在宅療養を支えるために一時入院で
きる病院があれば、4 分の3 の方はサポートできるのではないかと思っています。

庭医にカニューレ交換をお願いします
退院後は、診療所の先生や、開業医の先生に、カニューレ交換をお願いしています。
最近は、40 代、50 代のバリバリの開業医の先生が、養父郡のほうでも随分増えてきまして、
カニューレ交換はほとんどお願いしています。月に1 回、私が訪問診察をしまして、入院の
時期とか、レスパイト入院はいつかとか、そういった相談をしています。私はどちらかとい
うと「励まし訪問」みたいなことで、実務は診療所の先生にやっていただいています。診療
所の先生が、この肺炎は在宅では無理だと診断されたら、病院側が入院のベッドを用意しま
すと、そういう約束のもとに在宅療養を続けていただきます。
呼吸器をつけて療養された方もほとんどが間歇的な入院を繰り返しながら療養されています。
入院となった理由は肺炎とか胆嚢炎などの合併症が起こった、経口摂取ができていた方が胃
ろうを作るために入院をされた、などの医療処置の時、家族の都合、たとえば嫁いだ娘がお
産で帰ってきたとか、一番大きいのは介護者の疲労のためのレスパイト入院ですね。いま八
鹿病院では8 人が在宅療養をされていますので、融通をつけながら交替で入院していただく
ようにしています。

在宅ケアに必要なもの
ALS患者が在宅ケアを行う場合に必要なものですが、一つには医療機関、病院ですね。特
に入院機能を持つ病院側の努力が必要です。退院指導もできたほうがいいですね。レスパイ
ト入院できる病院も必要です。長期入院もできるほうがいい。往診できる開業医の先生がお
られて、カニューレ交換をしてもらえると大変ありがたい。こういう先生はいま増えていま
す。訪問看護ステーションもどんどん力をつけてきています。ディサービスセンターは、呼
吸器をつけた方の入浴もしてもらえるようになっていますし、移動入浴サービスもできるよ
うになっています。ヘルパーさんも研修で吸引できる技術を持たれると思います。保健所も
兵庫県はとても頑張ってくれて連携の要となりつつあります。スイッチがうまく使えなくな
ったり、食事をどうしようとか、そういうことを相談できる公的なところがなかなかなくて、
むしろ近畿ブロックに頼っている状況もあります。

     

呼吸管理、栄養管理、コミュニケーション
ALSの患者さんが大勢入院している病院はありませんから、病院もその都度いろいろ迷う
ことがあるわけです。そういう医療機関からの相談も受けなくてはいけない。
そしてレスパイト入院できる病院を増やすことが何より必要で、必ずしも神経内科でなくて
もいいと私は思います。
ALSのケアは、呼吸管理と栄養管理とコミュニケーションと、その3 つに尽きますから、
熱心な先生がおられれば内科でも外科でもできます。兵庫県では県立病院になかなか入院さ
せてもらえないことが多くて、県立病院の関係の方がおられたら申し訳ありませんが、県立
病院は高度医療を目的とすると言われるのですが、県立病院こそ、こういう慢性の病気の方
も受け入れるベッドを作るべきだといま盛んに言っているところです。
ただ医療機関に受け入れてもらいやすくするためには、ALSケアのノウハウをある程度伝
達して、サポートしないと、いきなり引き受けてもらっても、入院した患者さんがかわいそ
うです。そうならないように、技術的なことや、ALS独特のノウハウを伝える研修会を開
こう、医療関係者、福祉関係者も含めた情報交換をインターネットで行えるようなメーリン
グリストを作ろうということで、いま動き出しています。

夜勤の看護師の人数分しかみられない
これは行政にもお願いしているのですが、ALS患者の受け入れには、人工呼吸器や、意思
伝達装置の給付が早期に受けられるとか、リフトも必要ですし、先ほど言ったカフマシンな
ども道具として準備できないと、病院としては難しい。そして一番問題なのは、ALSの患
者さんが呼吸器をつけて入院できるのは、夜勤の看護師の人数ぐらいが妥当だろうと、よく
言われるのです。2 人夜勤だったら、2 人しか看られないのではないか。八鹿病院はいま準
夜と深夜は4 人ずつになりましたけれども、いま8 人とか10 人の呼吸器の方が入院されて、
大きなリスクを負いながら続けています。
いま医療機関は大変です。普通に管理できて当たり前、もしトラブルがあったら新聞やマス
コミに徹底的に叩かれるわけですから、そういうことを考えたら、入院してもらわないほう
が安全だということにすぐなってしまう。だからそのあたりの安全性を高めていくこともも
ちろん必要なわけです。

神経難病医療ネットワークを実のあるものに
「重症難病患者入院施設確保事業」という国の事業ですが、兵庫県では「神経難病医療ネッ
トワーク支援協議会」を去年から始めました。拠点病院として県立尼崎病院、国立療養所兵
庫中央病院、私の勤務する公立八鹿病院と、その3か所が決まりました。
今年は協力病院を指定するというところまで来て、なかなか前進しないのですが、そこでは
先ほど言った相談業務、入院施設紹介、受け入れてもらうための研修会を開催する等の事業
があります。この事業の一つとして、情報交換の場を作って、私の知っているノウハウを全
部そこに提供したいと思っています。
兵庫県の方もおられますが、ゆっくりですが着実に前進しています。先日、兵庫県下の県民
局と保健所、いまは健康福祉事務所といいます、それから政令市の保健所の課長さんクラス
がみんな集まり、県から事業の趣旨説明がありました。現場からも必要性を説くようにとい
うことで、私がお願いのお話をしてきたところです。
全国の半数以上の県で、この制度のネットワークの形はできているのですが、十分に機能し
ていない現状があります。兵庫県では実のあるシステムを作っていきたい、そのお手本を示
したいと思っています。

   

QOL を高める地域のパワー
精神的な支援と、音楽療養、QOLについてお話します。
今日も多数患者さんがお見えですが、外出するということはとても大事なことだと思います。
12 年前、初めて患者さんを遠足に行こうということで連れ出したのが平成3年4月の花見の
頃でした。ただ、医療機関からこうして外出するのは、仕事をさぼっているように思います
し(笑)、難しいのです。
この方は(写真上)5、6年前にこの総会に来られたことがある竹野町の方ですが、「パチ
ンコに行きたい」と希望されたら、竹野町社会福祉協議会の方がパチンコ店まで移送サービ
スをしてくれたのです。車椅子をパチンコ台につけて、ここだけしか動かないという右手を
動かして、足元に箱が3つぐらい積まれた(笑)そのホクホク顔を見ていただければわかり
ますね(笑)。
在宅療養の中での生活の質を高める工夫、楽しみを作る上で、こういう地域の人たちのパワ
ーはすごいと思います。今日来られた皆さんもそうですが。
3年半前、99 年に近畿ブロックの「但馬交流会」を八鹿病院内で開催しました。当時の熊谷
会長さんたちが八鹿に来られることを広報しますと、なんとALS患者さんが25 人も集まら
れて、そのうち15 人が人工呼吸器を装着しておられました。徳島から、和歌山から、奈良か
ら、大阪から、舞鶴から、八鹿の田舎まで大勢来て頂いて楽しい会になりました。
ALS患者さんは呼吸器をつけてもじっとしているだけでかわいそうとか、寝たきりで天井
を見ているだけだから呼吸器をつけるのはおかしいということを、ある大学の教授が言われ
てから、まだ10 年にもなりません。そういうことはない、呼吸器をつけても十分楽しみや生
きがいを見つけられるということを、皆さんが証明してくださっているのだと思います。

音楽療法、心のケア
『生き方上手』という本を書かれた聖路加病院の理事長であり名誉院長の日野原重明先生は、
数年前、「見直される音楽療養」という新聞記事で、音楽療法を医療に取り入れたい、音楽
療法士を国家資格にして、保険点数化したいと言われました。現在日本の音楽療法学会の会
長もされて、今年も3月に西宮で学会が行われました。日野原先生は今まで、医療には、科
学(サイエンス)的なアプローチの他に、アートとしてのアプローチが必要だ、患者さんへ
感性あるタッチ、豊かな心をもって接して癒しのケアを行う、生命の長さではなくて質を高
めていくことが必要だ、それには音楽も非常に役立つと提唱されているわけです。
平成2年に私は八鹿病院にまいりまして、一番最初にした仕事が合唱団を作ることだったの
です(笑)。好きだったものですから。入院生活に少しでも潤いがあれば、心のケア、癒し
になればということで、院内コンサートを平成2年の秋に初めて開きました。すぐNHKの
取材があって、平成3年5月にモーニングワイド近畿で3分間放送していただきました。そ
の当時は、病院の中で歌を歌うことはまだまだ違和感があったのですが、最近はだんだん受
け入れられてきました。
その時、スタインウエイという上等なピアノを購入してもらったものですから、生の演奏を
ぜひ聞いてもらいたいと思って、会議室でのコンサートを年2回行っています。それに加え
て音楽大学を卒業された方を音楽療法士として病院が採用してくれまして、病室での演奏と
か病棟での演奏もいま行っています。

診察が10分 歌が30 分
O さんは呼吸器をつけてからもしゃべったり、食べたり、呼吸器をつけても意思疎通は十分
できていましたが、2 年たちだんだんそれが不自由になってきました。やはりALSという
病気は喪失の連続なんですね。その時々に精神的にどうしても落ち込む時期があります。何
かできないかということで、音楽療法士と相談し、電子ピアノにキャスターをつけてベッド
サイドに持って行き、リクエスト曲を生演奏をしてもらいました。 この方は、『瀬戸の花嫁』
や『青葉城恋唄』をリクエストされました。ふだんは感情をおもてに出さない人ですが、ま
ばたきをし涙をこらえている様子がみられました。

    

私も歌が好きだったんです
松井さん(会報43 号に紹介)は、最近足が痛くなって、リハビリを一生懸命やっても、訪問
看護師さんやヘルパーさんがさすってもよくならないし、痛み止めの薬を使ってもなかなか
よくならなかったのです。私も月に1回訪問していますが、他に打つ手がないので、これは
もう私が歌をうたうしかない(笑)と、2 年前から歌を始めました。最初は私が1曲だけ歌
をうたって帰っていたのですが、途中から音楽療法士さんが伴奏してくれるようになって、
なぜかこの頃診察が10 分で歌が30 分になりました(笑)。(『花』の近藤先生の歌唱が流
れる)お粗末です。(拍手)。
こんな良い顔はずっと見たことなかったと奥様も言われました。また訪問看護師さんが、「歌
をうたった日は、痛みを忘れてよく眠れたそうですよ」と言ってくれるので、私もいい気に
なって続けてやっているうちに、奥様もキーボードの横に来て、「私も歌が好きだったんで
す」と一緒に歌われました。
ある時松井さんを訪問中に携帯電話が鳴って、私が別室で電話に出ている時、看護師さんが
記録しておいてくれたのですが、奥さんが歌をうたって聞かせてあげているのですね。なか
なかいい場面だと思いました。
介護者の方が歌をうたう、そういう心の余裕が持てないのですが、音楽に触れて、お家の人
から見ても患者さんに笑顔が見えたとか、感動して涙を流されたとか、そういうことがあり
ます。

喜ぶ顔を見たい
1か月に1回ですけれども、次の1か月先を楽しみに待っていただける。難病があったり癌
があったりしても、将来の日にちを楽しみにできるということ自体すばらしいことではない
かと思います。同行の看護師さんも、いつもの療養と違った雰囲気になるし、介護者の癒し
にもなると言っています。これを始めたら、保健所の保健師さんの訪問も増えたような気が
します。辛い顔を見るのは足が向きにくいですけれども、喜ばれる顔を見られると思うと、
行きやすくなりますね。また保健師さんの観察でも、「歌をうたった日は夫婦の間で昔話が
はずんでとっても良かった」ということも言ってくれます。連携が難しそうな場合でも、同
行していただいた診療所の先生が突然歌い始めたりして、いっぺんにチームの和ができたと
いうこともありました。『難病と在宅ケア』という雑誌の表紙に紹介されたこともあります。

  

生きてきてよかった
QOLは「生活の質」とか「人生の質」とかいいますが、身体的な領域では体に痛みがない
とか、体が動けるとか、体に苦しい部分がないということも大事ですし、自分が社会の中で
何かの形で役に立っているということも大事なことです。
最近スピリチュアルな領域といわれるものが強調されてきています。不安とかうつは、抗不
安薬、抗うつ薬がありますが、薬ではどうしようもない、もっと心の中の奥深いところ、人
間の根源にあるものとしてスピリチュアルという言葉が言われています。その人の存在して
いる意味というか、自分が生きている意味を感じられるということがこの分野だと言われて
います。
スピリチュアケアをどう実践するかという点について、かつて淀川キリスト教病院チャプレ
ンだった窪寺俊之先生は、「音楽を一緒に聴きながら感想を話し合うこと」も一つの方法と
言われています。
昔の歌は心のふるさと、心の支えになって、特に病んだ心、疲労した心には非常にしみこむ
わけですね。歌を聞いて、今までの自分の人生を振り返って、自分の人生を生きてきて良か
ったという肯定的な評価ができるということが大事なことなのではないか。そういう面で音
楽がスピリチュアルケアとして役に立つと言われています。
スピリチュアルと言うと非常に難しい言葉に聞こえますが、結局は自分が生きていて良かっ
た、いま生きていることがうれしいと思える気持ち、というふうに私は今の時点では解釈し
ています。これはまだまだ難しい分野です。

呼吸器をつければ生きられる
私が20 年前、長野の佐久総合病院に勤務していた時に、ALS患者の川合亮三さんという方
が入院されていました。1983 年、私はこの頃は、神経内科医として人工呼吸器をつけること
は間違ったことと教わって、そういう方針でやっていた時期なんです。
同じ頃に内科の先生が、呼吸が苦しいなら呼吸器をつけて生きられるのだからということで、
川合さんは呼吸器をつけられて、内科病棟に20 年入院されました。
私は隣りの病棟に時々様子をみに行きました。寝たきりで動けない状態で、人間は耐えられ
るのだろうかと思っていたのです。発病して十六、七年経った頃、奥さんが手記に「この長
い年月があって本当に良かった」と書かれました。中学生だった娘2人が成長して、大人に
なって結婚して孫もできて、父親、母親としての役目を果たしたという満足感もあったと思
います。一方子供さんの立場からは、学校の帰りにいろんな話を聞いてもらえる、父親とし
ての存在感があるわけですね。
QOLを考えると、いろんな身体的な問題、社会的な問題、精神的な問題がありますが、や
はり一番大事なことは自分が人生の中でこれまで生きてきて良かったと思えることと、いま
生きていることがいいことだと思えること、そういうことが最高のQOLではないかと、現
在では思っているところです。ご清聴ありがとうございました。
(会場からのリクエスト『あざみの歌』を参加者とともに合唱し、拍手のうちに終了しまし
た。)
総会には、奥様を亡くされたばかりの江崎幸雄さんと娘さんがお見えになりました。初めて江崎
さんと会ったのは、大阪府富田林保健所での患者家族を交えての交流会の席でした。江崎さんは、
奥様がどうしても人工呼吸器を選択しないと嘆いておられました。その後もお目にかかる機会が
あり、奥様の考えは変わらないと聞きました。総会に江崎さんは来られて、患者さんでにぎわう
輪の中で、悲しみに全身が揺れているように見えました。
同じ患者さんなのに長命と短命の分かれ道があって、年に1 回の総会のたびにその厳しさを思い
知ります。心から哀悼の念を捧げます。(事務局)


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