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ふるさとでごあいさつ    (大川 達)
大勢の人に支えられてがんばってきました

 皆さん、こんにちは。私は大川と申します。
 私は尾鷲と熊野のちょうど中間点にあたる古江で生まれ育ちました。28歳のときに和歌山市に住み着いて30年になります。

 この病に冒されて12年目に入りました。今日は、故郷・三重県の同病患者にがんばってもらうために、和歌山市から200km余りをかけて来たのですから、この惨めな私の姿を見て、がっかりしないで下さい。これでも私には、大勢の人に支えられてがんばってきたいまは、たくさんの喜びと笑いがあります。
 私は最初から笑いがあったわけではなく、皆さんと同じように初期のころは、不安と恐怖に脅えました。12年前の私は、機能が失われていく、この病への対応を求めて、13か所の病院巡りをし、筋生検や筋電図など、痛いばかりの検査はするが、告知どころか、何一つの指導をしてくれる医者は一人もなく、何度怒りを抱いたことか知れません。

負けてはならぬ お互いに情報交換

 しかし、いま思えば、当時は、医者さえ正確な情報に乏しく、患者に対しても十分な指導ができなかったことは確かなようです。その証拠に、ALSに対して、4、5年の命とか、瞬きだけは最後まで残されるなど、医学書には数々の嘘が記されております。その医学書を信じていた医者の態度に落ち込んでしまい、立ち上がるだけの灯さえ見つけることができず、闘志を失い、この世を去った患者も多く見てきました。
 その点、いまは食べられなくなれば、手術も簡単にできる胃ろうがあり、呼吸できなくなれば、経済的な負担も軽く借りられる在宅でも使用可能な呼吸器があります。それに話もできなくなれば、政府に認定された意思伝達装置を始め、さまざまな意思を伝える方法があるなど、明確な対応策がたくさんあり、後はがんばる患者さんの気持ちだけです。
 それにも増して、ALS協会があるおかげで、大勢の患者さんが公の場に出ることも多くなり、お互いの情報交換をするようになれば、誰だって、「負けてはならぬ」と闘志も湧いてくるはずです。

まだまだ余裕があるじゃないか

 私の病もかなり進行して、後は死ぬだけと思いませんか! なかなかそうはいかなく、私の顔には完全な表情はでなくても、笑いと瞬きが残されていますが、近畿ブロックには、瞬きも失いながら、交流会に参加してがんばっている患者さんもいるのです。交流会に参加するたびに、「お前にはまだ余裕があるじゃないか」と、その患者さんの心の叫びが聞こえ、笑顔が見える思いがして、励まされてきました。
 失われた機能を数えるようなことになりますと、よけいに落ち込み、永久に自分の病から気分的に脱出できません。前向きに闘うよりほかにありませんから、決して恐れないで、なるべく気持ちを外に向けてください。

寝たきりになって初めて見えることもある

 私は不安と恐怖に脅えたころが、一番早い病の進行を感じました。寝たきりになっても、その立場からしか見えないものがあり、その立場からしか表現できないこともあるのです。
 私はその立場から見たもの、感じたことを表現して、これまでたくさんの気晴らしをしてきました。同病患者に自分の体験を話すのも一つの大きな気晴らしになり、その患者さんも大きな励みになることは間違いありません。
  偉そうにこれまでの話をしますと、まるで私一人でがんばってきたように聞こえますが、決してそうではなく、私ばかりががんばっても、厄介な病だけに支えていただける大勢の助けがなければ、ここまで生きることもできませんでした。
  私は近畿ブロックのお仲間に入れてもらい、在宅療養5年目に入ったいま、何とか満足な看護体制ができたと喜んでおります。3人の息子が独立した後は、妻一人の介護になりましたが、毎日の来訪者に助けられて、気晴らしになっているようです。
  私がこれまで常に気をつけてきたのは、なるべく妻の介護負担を軽くすることでした。これからもなるべく負担をかけない模範患者を目指しながら、三重県の同病患者をライバルとしてがんばりますので、みなさんもがんばって下さい。

*ホテル借りきり? 居酒屋へ     (杉本孝子)
*はるばるありがとう  (三重県熊野保健所職員一同)
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