| 喜びに包まれて生かされております
皆さん、こんにちは。私は和歌山市から参加をさせていただきました大川と申します。2か月前から、但馬で交流会があると聞き、どうしても参加をしたい思いで、気合を入れて待ちこがれましたから、いま、この場にいることが大変うれしいです。
この楽しみをいただきましたからには、手ぶらで帰れないと思い、「私の歩んだ道」を、少し話をさせてもらいます。
私は発病して3年余りで寝たきりになり、4年目で完全に言葉を失い、5年目で気管切開と同時に呼吸器を装着しましたから、ここまでは病の進行も比較的早いほうでした。しかし、在宅療養を始めた6年目から、たいした進行を感じることもなく、今年で12年目に入りましたが、いまではこのようにたくさんの楽しみや喜びに囲まれて、生かされております。
私はいま、「生かされている」と申しましたが、皆さま方もご存じのように、この残酷な病は皆さま方のご協力を受けなければ生きることはできませんし、もちろん私も生きる意欲にあふれないと、ここまでがんばれなかったことは確かです。
12年前、何も情報がなかった
いまの近畿ブロックにはたくさんの情報があるため、患者さんも心強く、闘いやすくなりましたが、私がおかされた12年前は、何一つの情報もなく、真っ暗闇の闘いでした。情報欲しさに、まずは同病者探しで必死になりましたが、見つからず、大変な苦痛でした。
それからまもなく、近畿ブロックの発足を知り、飛びつきましたが、当時の近畿ブロックは発足をしたばかりで情報も少なかったため、患者ばかりでなく、役員も大変な闘いだったと思います。それでも役員からいただいた情報や大きな励ましがありがたく、私は生きる意欲を強くしたといっても、決して過言ではありません。
このことが、人さまへのめぐりあいを良くしてくれたようで、ワープロで打つ私の要望を根気よく聞き入れて、納得のできる答えを出してくれる主治医に恵まれました。その主治医のおかげで、大勢の医療関係者に出会えた安心感と、ちょうどこの時期に前後して家族もよく外へ連れ出してくれたため、世の中の格別な美しさや喜びを感じるようになり、地獄の苦痛から脱出することができました。
しかし、この病が解明され、薬も開発されて、完治される時期が来ないかぎり、私は克服したとは思いたくありません。
不自由なこの現実を認めることから始めた
私は12年の間に、さまざまな闘う方法を試してきましたが、この病は特に感情に弱く、涙があふれるため、落ち込みやすくなりますから、自分を殻に閉じ込めてしまうと、生きる意欲を失い、ただ「死にたい」ということしか考えないため、その恐怖と不安は大きなストレスとなり、病の進行を早めました。
それで私は、不自由なこの現実を認めることから始めて、発病まもない同病者に体験を記したり、情報交換をしたりして、お互いの励みとしてきました。また、積極的に外に出たことは目的を持つ機会につながり、それらの目的を実行に移すこともできました。
それで案外、周りの人にも関心を持っていただけて、ご尽力を願い、その一つひとつが実現されるたびに、満足感にあふれて、病の苦痛も和らぎました。患者の皆さんも、それらに気を向けて、実行に移してみませんか。
私はこのように、一つでも多くの目的を持つことによって、自分を殻に閉じ込めることもなく過ごせた一人で、開放的な同病患者の皆さんは明るさと笑顔が身についています。
美人と男前しかかからない病です
患者さんやご家族の皆さん、これだけは大きな声で話せないため、ここだけの話ですが、この病は美人と男前、それに真面目な好人物だけがおかされると聞いていますから、せめてこの会期中だけでも満足感にあふれようじゃありませんか。
私もこの病におかされてから、男前になったと言われますが、自分では鏡も持てないため、それを確認できないのは残念です。しかし同じ和歌山市内に住む患者さんの美人の奥さんは、ALSでも笑顔と艶よく美しさが保てるならと、生きてがんばる意欲を抱いてくれました。それで私は鏡でも見た思いで、よけいに笑顔の必要性を感じております。
いまの私には、同病患者さんが納得できる十分な説明もできませんが、偉そうに今後とも見ていただく教科書としてがんばりたい考えですから、患者さんやご家族の皆さんもがんばってください。
最後になりましたが、先生方はじめ、関係者の皆さま方に限りないご尽力をお願いして、私のメッセージを終わらせていただきます。ありがとうございました。 |