| 1982年(昭和57年)6月ごろに、保健所の人が訪ねてきて、久保さんを担当することになりましたので、何でも手伝いますので言いつけてくださいと言っていただきました。人さまに迷惑をかけるわけにいかないと思い、お断りしましたが、毎月2回ずつ回ってきてくださるようになりました。
トイレに行くにも、障子に背中をこすりつけて横に歩いて行くようになりました。用をすまして立ち上がるのに一苦労するようになってきました。同じころ、手に力が入らなくなって、おはしを口まで運ぶのができなくなり、食台に口を近づけて食べるようになりました。自分の体が動かないことに腹立たしく思うように気持ちも変わってきました。
1982年(昭和57年)9月ごろには、普通のごはんが喉を通らなくなり、娘がつくってくれたお粥の上に胡麻塩を振りかけて、味噌汁にはとろろ昆布を入れて、毎日考えて、いろんなものに挑戦しながら食べていましたが、それも半年くらいで喉を通らなくなりました。
1983年(昭和58年)5月ころには、病院から流動食の粉を出してもらい、それを白湯で溶かして、ストローで吸っていましたが、半年もたたにうちに自分で吸い上げる力がなくなって、飲み込む力もだんだんなくなってきました。
その年の8月に、田舎の母に電話をかけたら、母が「何を話しているのかわからない」と言うので、ものすごく情けなかったことはいまだに忘れることができません。言葉がはっきり話せなくて、人に会うのが嫌になってきました。さらに松葉杖も使えなくなり、昼間は車椅子に座ったままで、テレビの前に一日中、座るようになりました。
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