トップ目次次のページへ久保フヂノ(くぼ・ふじの)さん
  ついに気管切開 人工呼吸に
・ついに気管切開 人工呼吸に

 1983年(昭和58年)8月に保健所の人が西淀病院を紹介してくださいました。あくる日から、西淀病院と関連のある近くの千北診療所の看護師さんが毎日のように検温に来てくださることになり、家族も安心して仕事ができるようになりました。

看護師さんに初めてしていただいたことは、便秘症で薬を使ってもなかなか出なくて、看護師さんが手に手袋をして便を取り出してくださいました。こんなことまでしてくださるのかと思ったときに、看護師さんの仕事がどんな仕事かを初めて知らされました。

 家族と看護師さんに見守られて、ちょうど3年半になった1985年(昭和60年)5月初めに体の調子を崩して、往診をしてくださる先生の指示で5月2日から酸素を使うようになり、13日には唇と爪が紫色に変わったために、診療所の看護師さんがあわてて、嫌がる私を救急車を呼んで、西淀病院に連れて行きました。

14日の午後に気管切開をして、人工呼吸器をつけましたが、機械と自分の呼吸が合わず、また熱がなかなか下がらなくて、高田先生と看護師さんが一苦労なさったと聞きました。

 1986年(昭和61年)6月から担当医が変わって、井上先生が私の担当になりましたが、ずいぶんご迷惑をかけ続けた私をあたたかく見守っていただいた井上先生も、院長先生になられるために、1991年5月いっぱいで離れていかれました。1991年6月から赤路先生が私の担当になり、先生の出番のときは、朝一番にのぞきに来てもらい、診察をしていただいています。私がここまでこられたのは、病院で働いている大勢の皆さまに支えていただいたおかげです。感謝を申し上げたい気持ちでいっぱいです。