| 九州 宮崎へ里帰り (1999年12月15日未明から21日までの旅)
私たちは、息子が仕事から夜の10時40分に帰ってきて、食事を終えていろいろと用意をすませ、夜中の1時に家を出て、高速を休憩しながら鹿児島に向かいました。
私が宮崎生まれながら、桜島に行ったことがないと言ったために、息子が連れて行くといって、車の中で泊まり、12月16日に桜島を周りました。
12月とは思えないほどの陽気ですごく暑かったです。もう一日、鹿児島で泊まるつもりが、呼吸器のバッテリーが朝まで持ちそうでないので、本家に泊まることに決めて、行ったら、仏壇の前に寝かされました。田舎の家は縁側の外側がガラス窓で、内側が障子で、天井が高く、畳の冷え込みで、一晩中寒くて、寝つかれませんでした。
あくる日は宮崎に行き、予定していたところが階段で、車椅子では上がることができなくて、1か所だけ降りて、写真を写しました。そのまま宮崎の商店街に出て、運転しながら補給するバッテリーを買い求めました。
今度はえびのに上がり、車で泊まりました。
雪の舞う 父親の13回忌
あくる日は、霧島に上がり、車から降りるのはやめると息子に言ったけれど、せっかく来たのに値打ちがないと言われて降りたものの、体の芯まで凍えてしまいました。風が針で刺すように冷たくて、資料館を見てから、写真を2枚写して、車に帰り、ヒーターをつけるけど、体中が凍りついて、あたたまるまで30分くらいかかりました。いろいろな体験を宮崎でし、難病人とは思えないほど、いろんなことを学びました。
霧島から実家に着いたときは、18日の夜8時になっていて、伊丹からお姉さんも来て、私の家族と姉と、実家で皆で夜中まで話が弾みました。19日は、父の13回忌で、お客さんを迎えるために、皆で忙しく動き回るのに、何も手伝うことのできない自分に腹が立ちました。こんな私を兄弟は涙を流して喜んでくれます。兄弟に申し訳ないと感謝の気持ちを述べたいです。
12時にお坊さんが来て、40分くらいお経をあげてから、父の13回忌のために、皆でそろい、「これからも元気でいるようにがんばりましょう」と、記念に皆で写真を写し合いました。あくる日は私が帰ることになっていたために、あくる日も私を見送りにわざわざ来て、兄弟皆で力を合わせて車に乗せてくれて、別れを告げました。
帰りは実家を1時半に出て、お墓に立ち寄り、雪が舞っていたので、親子だけは降りて、私は車の中からお参りをしました。帰りは息子ががんばって運転をしたために、13時間半で家に着きましたが、団地なもので、朝早くからうるさくできなくて、6時まで車の中で寝ていたのです。
12月15日夜中の1時から、帰り着いた21日朝3時までを書きましたので、読んでください。
〜〜ルート〜〜
* 12/15 大阪市の自宅00:50出発→道の駅「喜入」(鹿児島県指宿郡)21:45着(車中泊)
* 12/16 鹿児島港より桜島港まで往復フェリー乗船 湯之平展望所で車椅子に
* 12/16 小林市の親戚宅に宿泊
* 12/17 宮崎ICより国道220号線を堀切峠→サボテン公園・鵜戸神宮まで足を伸ばすが、階段ばかりで、車椅子を降ろせないので、宮崎市内へ引き返し、霧島へ。道の駅「霧島」18:18着(車中泊)
* 12/18 車椅子で高千穂河原散策→えびの高原へ。小林市の親戚宅に宿泊
* 12/19 父親の13回忌法要。小林市の親戚宅に宿泊
* 12/20 高速道路が雪のため、午前中通行止め。13:30 宮崎県小林市出発
* 12/21 3:00 大阪市内の自宅に到着
全走行距離 2,221.3km
全総合計費用 84,368円(高速料金代20,080円 軽油代22,598円 他8,070円)
おみやげ代33620円
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