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私の歩んできた道(7)  大川 達さん
右目のその後と新たな挑戦(会報40号 2002年6月1日発行)
*すばらしき方々に恵まれて 

 私は小さいときから「両目は奥でつながっているため、一つの目に何かあると、片方の目にも移りやすい」と聞かされて育ちましたから、昨年の4月末に左目の異状が起きたときは余計に心配しました。

 そして、その1か月余り後の6月初め、左目の治療のため、C病院に入院したとき、B眼科医から上記と同じことをいわれましたから、私の左眼球摘出の決断は早かったのですが、これも私があまりにもすばらしき大勢のひとたちに恵まれているからと思えてしかたがありません。

 その証拠に、私と妻が左義眼について多くの不安を抱えて退院すると、これまでお世話になっている訪問看護の看護師さんの中にお一人、眼科医に勤めていた人がいました。その関係で、他の看護師さんも実習を受けて、いまでは毎週、月水金の来訪時には、義眼の洗浄をしてもらったり、義眼についてのご指導を受けたりと、妻の負担もだいぶ軽くなったため、すべての不安を吹き飛ばしてくれました。

 それに退院時から、毎週1回の往診を受けているA眼科医も、退院後は深刻な顔が続いたため、私はまた、一つしか残されていない右目にも何かがあるのではないかと心配しました。しかし、それはA眼科医も言葉にこそ出しませんでしたが、私に対する詫びの態度であることが見えるようになってから、私の気持ちにも余裕ができ、A眼科医も本格的な笑顔になりました。

*新たな挑戦欲――ワープロからパソコンへ 

 このA眼科医の笑顔こそが、いまの私の、右目の正常さを物語る証しであるため、私と妻はますます安心した日々を過ごせるようになり、退院から5か月目になりますと、これまで12年間も使い慣れたワープロ(MSX)は、最高に使いやすいのですが、インターネットができないから、世間が狭くなってきました。

 それで新たな挑戦欲の思いから、近畿ブロックや同病患者のご指導を受けて、昨年の12月初めにパソコン(伝の心)を据え付けました。ワープロとパソコンでは画面の動きが微妙に違うため、あごでそのタイミングを合わすのは難しく、それだけで2か月余りもかかりました。それに、このパソコンはすべてが細かく区分されているため、私のように馬鹿なヤツには特に難しく、1行の文章を作成するのに、いまのところ、ワープロの5倍もかかりますが、それがかえって新たな挑戦欲をかきたててくれる思いにもなります。

 慣れたワープロを使っても、ときどき右目が充血をしていましたが、パソコンを使うとまた、そのタイミングを逃がさまいと、よけいに瞬きが少なくなり、すぐ充血するため、いまだに一人ではメールを開くところまではいきません。

 ところが、ここにも主治医の畑先生、ご住職の山本さん、それに保健所看護師さん、訪問看護師さんと、パソコンの大先生にも恵まれているため、私が生かされているかぎり、この先生方に関しては何一つの不安もありませんから、あまり無理をしないで、年数をかけてでもマスターするつもりでおります。

*どの画面にも呼び出しブザーを 

 といいますのも、パソコンは私に限りない大きな楽しい夢を与えてくれますが、一つ気になるのは、このパソコンは呼び出しブザーが一つの画面にしかないから、私のような声も出せないALS患者が、緊急時に介護者を呼ぶのにかなりの時間がかかり、不安なため、今度のバージョンアップ時には、どの画面にも呼び出しブザーの区分を設けて、速やかに介護者を呼べるようにお願いをしております。

 この楽しみを残していながら、3月10日には、強い吐き気に襲われて気分が悪くなり、尿まで出なくなったため、これは大変と思い、翌日の11日に入院をしましたが、軽い腸閉塞でしたから、すぐに快方へ向かい、1週間で退院でき、助かりました。

 このALSも、私ほど進行していますと、いつ、急に、どのようなトラブルに巻き込まれるかわからないため、早くこのパソコンを完全にマスターしたいのですが、何しろ一つしか残されていない右目ですから、いつまでも大切に、そしていつまでも挑戦欲を忘れずにがんばりたいと思います。

 最後になりましたが、私の目については、皆様方にも大変なご心配をしていただきまして、ありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。
                          (2002年5月5日)

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