私の歩んできた道(8)  大川 達さん
この病で私の一番苦痛な時期 (会報41号 2002年10月25日発行)
*呼吸のしやすい体勢を探しても 
 私は同病患者さんやそのご家族、それに看護師さんから、「私にとってこの病の1番苦痛な時期」をよく聞かれます。今の私が常に笑顔を忘れずに来訪者を迎えているため、苦痛なんて全くないように思うのでしょうか。

 それで私は、病の進行段階に応じて大変な苦痛に悩まされてきましたが、特に「気管切開時期と呼吸器の装着時期前後」と伝えてきました。

 と言いますのは、私がこの病に冒されてから約5年半で、普通に寝ている状態では苦しくなってきたため、まずは呼吸のしやすい体勢を探した結果、身体を左右の真横にするのが1番楽になりました。けれども、私のように痩せこけて骨と皮の状態では、下側になる部分がすぐに痛くなるから、これでは妻に余計な負担を掛け過ぎると思いまして、次の楽な体勢を探しました。

 それが、身体は真上向きに寝ていても、顔を思い切り真横に向けたうえに、さらに、あごを真横に突き出す(ちょうど喉元を捻る格好)体勢になると、私の場合は呼吸もしやすくなり、これなら妻にも余計な負担を掛けなくなりました。これを気道確保と言うそうです。

 しかし、この体勢は、病の進行で20日も続かないうちに、今度はどのような体勢になっても呼吸は少しも楽にならないため、すぐに胸郭圧迫人工呼吸(胸を押す)を始めると、2分もしないうちに楽になりますが、ある程度の時間(約10時間前後)をおいてから、またも呼吸困難になるため、油断もできなくなりました。

 以上のように、私のALSは、1回目の呼吸困難は、気道を閉ざされるための苦しさで気管切開時期でもあり、2回目の呼吸困難は、肺の運動機能の衰え(または止まる)だから、これが呼吸器装着時期であったのではないかと、後になって知らされました。

 この人工呼吸を始めてからは確か3日もしないうちに、その呼吸困難になる間隔(約20分前後)が狭くなってきたため、生きて頑張る決心をし、入院して気管切開をしましたが、このときはすでに遅くなり過ぎたらしく、意識不明になっていたからすぐに呼吸器装着となりました。

*苦痛に耐えられたのはワープロで意思表示できたから 

 私がここまで二つの苦痛に耐えてきたのは、死を覚悟していたことと、遅くてもワープロではっきりと意思表示ができたことですが、私のような例は1番危険なため、生きて頑張られる意欲に溢れた同病患者さんは、普通に寝ている状態で少しでも苦しくなれば、すぐに食事が口から食べられる人は鼻マスク式陽圧人工呼吸か、口から食べられない人は気管切開か呼吸器装着のどちらかを決めた方が良いように思いました。

 また、この時期が患者さんの意思表示も困難になり、苦しさの程度がわからなくなるため、ご家族の皆さんも特に目を離せません。

 今の呼吸器は、自発呼吸が出たときに換気量を自動的に制御できる装置が付いているものもあるらしいですが、私が気管切開と同時に呼吸器装着をした約11年前は、そのように賛沢な装置もなく、自発呼吸が出たときに、呼吸器の呼吸と相殺をして大変な苦痛に泣かされました。

 こればかりではなく、食後に胃が膨らんだときやガスや便が溜り過ぎて腹が膨らんだときも、肺を圧迫して、当時の呼吸器(一定圧)に大きな影響を及ぼし、換気量を下げていたため、大変な苦痛に泣かされました。

 以上のように呼吸器装着をしてもすぐに楽になるわけではなく、その呼吸器に慣れるまでは多くの大変な苦痛に悩まされますが、呼吸器装着の同病患者の皆さんは、この大変な苦痛を幾つも乗り越えてきたのですから、誰だって頑張れないはずもありません。

*共に苦しみ、痛みを分かち合ってくれた主治医 

 主治医の畑先生と私は約11年前が初対面でしたが、それにもかかわらず私がワープロで打つ質問に対しては、根気よく聞き入れて、納得のできる応えを出してくれたばかりではなく、共に苦しみ、共に痛みを分かち合ってくれたため、その1年後から、換気量の勝手な調整(上げ下げ)も、「健康な人間でも常に深呼吸をしたくなるから、換気量の一定よりは肺の運動にもなる」と了解を得ているようなものになりました。

 また、これが私の大きな苦痛を取り除く結果になり、新たな闘う意欲を沸き立ててくれる結果にもなりましたから、私はこの主治医との出合いがなければ、ここまで頑張れたかを考えると、感謝の絶え間がない思いが込み上げてきます。

 私も最初は、「これ以上は楽にならないだろう」の考えから何度も死を覚悟していましたが、今では身動き1つできなくても慣れてしまい、何1つの苦痛もなく、たくさんの楽しみや喜びに囲まれているため、何故あのときに「死を覚悟したのだろう」と、過去最大の後悔を常に笑っております。
(H14/9/30)

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