トップ目次総会・交流会
平成16年度近畿ブロック総会&交流会 詳細
2004年6月6日 午後1時から4時
    大阪市北区 グランキューブ大阪(大阪府立国際会議場)


1.総会
2.講演   「しなやかに したたかに」
        川口 有美子さん
3.交流会 
 
    
平成15年度近畿ブロック総会&交流会 詳細
2003年6月15日 午後1時から4時
    大阪市北区 グランキューブ大阪(大阪府立国際会議場)


1.総会
2.講演  
3.交流会
 
    
平成14年度近畿ブロック総会&交流会 詳細
2002年6月2日 午後1時から4時
    大阪市北区 グランキューブ大阪(大阪府立国際会議場)


1.総会
2.講演  「ALSにおける医療の役割」
        国立療養所刀根山病院副院長  神野 進さん
     
3.交流会
 
    全参加者220人。そのうち患者さんの参加者は26人。
    人工呼吸器装着者12人を含め車椅子使用者21人
    歩行して来られた患者さんは5人
 
* 神野先生と15年ぶりの再会  杉原充晃さん夫妻
 大阪府下で最初に在宅人工呼吸を行った杉原充晃さんと妻の美恵子さん(現在は奈良市に在住)は、神野先生に声をかけられてびっくり。先生の名前が変わっておられたので、気がつかなかったそうです。
15年ぶりの再会でした。帰りには隣のホテルのパーラーで一緒にお茶を飲み、ひとしきりおしゃべりを楽しまれました。
また、熊谷寿美さんのお孫さんの写真を見せてもらって、「希望がわいてきました」と恵美子さんは話しています。
*初参加の患者さん・小坂さんから、感想文が寄せられました
総会・交流会を我々車椅子であふれさせませんか
                  小坂勝宥さん(大阪市・患者)
いやあ全く楽しかった!

いやあ全く驚きました!と表現するより、楽しかった!!と述べるのが適切でしょう。本来「総会」という集いは、私の経験では重苦しくて、退屈なまま進行しますが、そういう感じがしないのです。愉快なのです。 実は、私はこの総会が年1回あるのは薄々承知していましたが、身体が長時間参加に耐えられるであろうかと不安が先走って、全然参加意欲はありませんでした。 ある日、日ごろお世話いただいて、100%信頼している川嶋ケアマネジャーから、それとなく総会に参加してみないかとお誘いいただきました。この方の強制的でない自然なお誘いに、まず参加してみようかなと気持が湧き、それを後押しする事柄がありました。
ミスタージャイアンツに会って少々自信がありましたが

それは、昨年8月28日に自宅の大阪市東住吉区から芦屋まで、現在、巨人の永久監督をしておられる長嶋氏にお会いした時に、ベッドから車椅子に移乗してから5時間後に無事ベッドに帰れたという身体に対する自信が少々ありましたので、6時間かかるであろう総会に挑戦してみたい気持になりました。そして妻やヘルパーさんのおかげで見事に、日ごろお世話になっているベット君に臥せました。またまた外出に自信がつきました。 当初、総会途中で、タンが絡んだらどうしょう? 大便が出たら困るなあなどと思っていたのですが、総会・交流会の内容がプロ顔負けの事務局長氏の絶妙な進行話術が本当に楽しくて、全く不安をけ飛ばしました。 でも、寂しい気がしました。だって車椅子の仲間が12人(御家族、御関係の方御苦労様でした)しかいないからです(中には参加する予定でしたが体調の関係で奥様が代わりに参加しておられ、感動しました)。
空は四角ではないことを思い出してください

  故・奥村敏さんのお言葉の一部ですが
「外出に躊躇されている方は、ぜひ少しだけ勇気を出してみてください。空は四角いものではないということを、思い出してください」 全く同感で、素晴らしいお言葉です。参加をためらっている方、いろいろ事情がおありでしょうが、頑張りましょう!
 総会を我々車椅子であふれさせませんか!?  もちろん大変です。私は総会に参加して、生ある限り何か協会のお役に立ちたい気持で一杯で、生きる喜びを感じている今日この頃です。何か私にお役に立てる課題を下さい。
 さて、話題を変えます。当日、神野先生が御講演の中で「もし、私がALSの患者になったら人工呼吸器を付けません。が、配偶者がなったら付けさせます」と話されました。あの日から数日経過しましたが、不可思議で真意がわかりません。一般の患者さんは現行法の吸引問題等で装着を余儀なくあきらめざるを得ないこともあるでしょうが、私たちを診て下さる70%(神経内科)の先生方が装着を希望されないことをお聞きして、ショックを受けました。青天の霹靂と申しましょうか!
娘の成長を見たくないのかともう一人の私がささやく

私は1999年6月、順天堂病院で、余命5年のALSと告知されました。この告知から10月まで人生最大の岐路に立ちました。 先生から「人工呼吸器を付けませんか?」と何度もアドバイスをいただいたのですが、その都度家族に迷惑をかけたくないとお断りしました。うまく言えませんが、内心、心の中でやけくその気持が高ぶっていました。 その時もう一人の私がささやきました。
 「エエかっこうするな! 4歳の娘の成長を見たくないのか!?」
 「イヤイヤ見たい!!」
  私はこのささやきで決心をしました。11月、のどの切開手術を受け人工呼吸器をつけました。それからは、しゃべられず、食べられず、飲めず、歩けず、手足は鋼鉄のように重く、しびれた身体になりました。体重も90キロから40キロになり面影はありません。
妻と娘と同じ屋根の下に暮らすこの幸せ

いま書いていますのは、少し動く瞼で意思伝達装置を使っています。でも、素晴らしいヘルパーさんに囲まれ、妻は優秀な婦長さんのごとく日々立ち振る舞い、いま、生あるのは妻がいてこそと心より本当に感謝です。 そして何といっても、7歳になった娘の香りがする同じ屋根の下で暮らせるこの幸せの機会を与えてくださった順天堂の先生、誠にありがとうございました。1日でも長く娘の横で生きるよう頑張ります。
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