ALSが難病でなくなる日のために 日本ALS協会近畿ブロック総会
講演「ALS患者の療養の変遷」
日本ALS協会近畿ブロック 副会
エンパワーケアプラン研究所 取締役
豊浦 保子 さん
18年前の1988年 近畿ブロックが誕生しました。当時、在宅で療養する患者さんの連携はなく、情報もありません。まして、人工呼吸器を装着した患者さんは、近畿圏では少数でした。
当時は、在宅で重度の障害者が生活するのは想像もしない時代、在宅福祉サービスも整わず、有料のヘルパーさんや家政婦さんに来てもらうしかなく、市の福祉課に相談すると「どうして入院させないの?」と不思議がられました。だけど、いまと同じ、安心して長期入院できる病院は少なかったのです。
第2回総会 1989年 患者さんの姿が少ない
n 患者さんと家族は、どこに同病者がいるのかわからず、誰にも頼れない、という気持ちを持っていました。孤島に島流し状態です。
n 原因不明の病気、健康な人が突然発症するのですから、近親者にも偏見を持つ人がいました。ですから、社会にも偏見がありました。患者と家族は、病気以外にも、社会の偏見と無理解、医療・福祉の不十分さに苦しみました。
支部の歴史より古い患者さん
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熊谷寿美さん、杉本孝子さんは、闘病歴30年になろうとしています。年齢不詳、いつまでもお若いのに、孫ができて、ばあちゃんと呼ばれます。
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在宅サービスのない時代からの闘病はどんなに過酷だったでしょうか。
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杉本さんは、一人でトイレから車椅子に移乗しようとして、お尻と便座の間に指をはさみ骨折。奈良市に「介護人派遣制度」の利用を訴えて、最初の利用者になりました。
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1992年の総会に初めて人工呼吸器使用者が参加。熊谷さん一家です。人工呼吸器使用者が外出する、いまでは当然のこと、当時は本当に驚いたものでした。
いまや全国にALS患者会がある
n 東京に日本ALS協会ができて今年は20年、
n 全国に34支部、北海道から鹿児島まで。
n 近畿ブロックは、本部設立の直後から準備会をスタートし、家族、遺族、医師、保健師らが相談して、翌年に「大阪のつどい」を持ち、 大阪だけでなく近畿2府5県の患者さんの「近畿ブロック」にしました。
会報は現在52号になりました。
患者さんの要望のもとに
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200万円の人工呼吸器を購入して、ほとんど指導や訓練も受けないまま在宅療養に移った患者さん(1990年)もいました。現在とは違います。
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安価な(100万円以下)日本製の在宅用人工呼吸器が発売されました。
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困窮する患者さんの要請で、兵庫県の人工呼吸器貸出制度、大阪府の高度医療機器整備事業(94年)ができて、人工呼吸器普及の先駆けになりました。
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1996年、呼吸器レンタルの診療報酬がアップし、診療報酬による呼吸器レンタルが実現。現在、機器本体の患者負担はありません。人工呼吸器装着者が徐々に増えました。(現在ALS患者の約3割といわれます)
呼吸器と経管栄養 増加
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患者会発足時には、ALS患者に人工呼吸器は普及しておらず、経管栄養もせず、医学書にあるとおり、命が短い時代でした。
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しかし、栄養補給の方法に経管栄養が取り入れられるようになり、また呼吸器レンタルにより、人工呼吸器を使うかどうか選択できる時代になりました。(選択しなければならない時代ともなりました)
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装着者が増えると、療養は長期化します。介護問題やレスパイト(休養)入院が問題になってきました。
告知について
n どんな告知も患者には衝撃となります。
n 本人への告知がない場合もある。
・家族だけの告知の場合、家族で話し合えないまま、症状が進行。
・知らされない苦痛、あせり、医療者や家族に対する不信感がつのる。
・過度な運動を自らに課して過疲労をまねく。
橋本みさおさんの告知の考察
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「あなたがもしも患者だったとしたらどうでしょう。1年で歩行不能、2年で全介助、日々衰えていく自分に疑心暗鬼の時が過ぎていくのです。ショックをはね返すパワーのあるうちに、正確で親切な告知をお願いしたいのです。
多くの告知されない患者は、ひと月ほどで家庭に戻され、主に家庭医、訪問看護師さんに日常がゆだねられますが、告知を受けていない患者のケアは容易ではありません。」
(ケアは自分で伝えるものとみさおさんは考える)
西村隆さん 障害受容の最初
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「私の場合は、日常的にハンディを持った人と接していたので、歩けなくなることへの恐怖もあまり大きくなかったし、福祉の専門家としてのプライドがあって、「ふん、ALSでも何でも来い。おれは負けないぞ」ってね。ほとんど泣かなかったし、周りの人も、「さすがは西村、あんたは偉い」って評判でした。でも今思うと、ちゃんと正面から、現実と、自分の気持ちを受け止めていなかったと思います。
ところが家族でハワイ旅行に行った時です。あの気候、あの開放感、加えて知人友人たちが温かく迎えてくれて、プライドでがんじがらめしていた気持ちがドッと解放されて、まあよく人前で号泣しました。子供、パートナーもびっくりするくらいに。
弱い自分と向き合うことで病気と正面から向き合えることが出来ました。このことはメチャクチャ大切です。これが障害受容の最初です。 (会報33号)
インフォームドチョイス(説明と選択)に悩む時代
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告知だけで頭がこんがらがっている最中に、「人工呼吸器を装着するか、しないか、決めなさい」と医師から言われ、混乱する患者・家族が増えました。
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18年前は、病院を転々とし、十数か所目の病院で確定診断ということもめずらしくありませんでした。いまは違います。確定診断技術が進歩しました。近医、神経内科医の2か所で確定診断を受け、告知もあるという時代です。次は、告知の中身、患者さんひとり1人に合った説明が求められています。
呼吸器を選ばず付いた人−家族にだけ告知をした事例−
家族は、本人には知らせたくないと医師を止めた。本人に病気を隠していた。本人は、症状の理解、把握ができなかった。
◎突然、意識不明で、救急搬送(気づかずに *CO2ナルコーシスを起こしていた)
医師「どうしますか」 家族「何とかしてください」
本人も(無意識下で)うなづいたので、人工呼吸器装着。
蘇生したあと、気管切開、または口に挿管されて声が出ない、本人が怒る。
*CO2ナルコーシスとは、呼吸が浅いために二酸化炭素が十分に吐き出せず、麻酔がかかったような状態になること。
ALSは四肢から順番に来る ?
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必ずしも四肢の障害からではなく、飲み込みやおしゃべり、呼吸の「球麻痺」先行のタイプが半数以上ある。
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歩けることが多い。むせる、眠れない、息苦しいと本人が言っても、外見から理解されない。
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庭で草むしり中、眠っているところを発見され、緊急入院、人工呼吸器装着。
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トイレに入ったまま寝込んで、死亡。
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上記の2例は、喚気不全により炭酸ガスがたまる「CO2ナルコーシス」を起こした例。体がだるい、生あくびが増える、昼夜を問わず眠くなる、朝方頭痛がある等が特徴。
球麻痺タイプは一見進行が遅い 呼吸器を選ばなかった人
n 会社でも家庭でも町内会でも、格好いい自分でいられたと思う。このままで終わりたい。ただ、身体の痛みだけはとってほしい。(40歳2児の父親)
n 本人の価値観。「よだれが落ちて、みっともない。誰にも会いたくない」
(校長先生、一歩も外へ出ず、早く亡くなった)
n 経済的理由、介護環境が整わず。(Kさん)
n 闘病の長期化。家族の高齢化。(Sさん)
Kさん 女性50歳
最初は「呼吸器をつけることが当たり前」と考えた。家族とは別居、経済援助有り。一人暮らし。経済援助が長く続く見込みなく、人工呼吸器は装着しないと決めた。苦しい状態に、1日でも長く生きる意志があった。「楽になりたい」といいながら、病院から処方された酸素の量を絞り、早く死なないように工夫した。支援費開始の前年で、介護時間が不足した。
7時から23時まで、トイレ介助を中心にケア計画を立てた。亡くなる1か月前まで、離床してトイレへ行くことを希望し、頭や肩を壁で打ったり、ヘルパーと一緒に床に倒れたりした。穏やかに泣いたり笑ったり。決して介助者に怒りをぶつけなかった。亡くなる1週間前に、感謝を身近に伝えた。
Sさん、最期の様子
n
Sさん、闘病28年。女性。70代のお母さんと二人暮らし。死の1か月前、訪問員に文字盤で、「私が死んだら、本当に死んだかどうか確認して。寝てるだけかもしれない。焼かれたら大変」と笑う。母親が、写真の準備や着衣を本人と相談する。医師が確認を約束。
「死んだ時きれいでいたい」と強い希望で決死のシャワー浴。
楽になるために酸素の実施を本人は了解したが、本人の指示で小刻みに調整したので、効果がなく、鎮静剤を併用。1週間後、死去。その間、目ざめると「まだ生きてる」と文字盤でいい母親の姿を目で探した。母親は「かわいそう、まだこの子、死なれへん」と泣いた。母親は疲労から足がけいれん、はって移動した日もある。
川口武久さんの遺書 故郷の三重を離れ、入院先を求め愛媛に一人入院していた
(亡くなる5日前に病院に渡した)
・意志の疎通は難しくとも言葉をかけてください
・呼吸器は装着しません 苦痛を訴えれば和らげてください
・単身で生きるのに限界。発病から21年、疲れました。
・むしろ末期になればなるほど、命の重さ、生への執着は強くなっていくのもいなめません。
人工呼吸器を選択した人
n 人工呼吸器をつけて生き直すエネルギーが残っている、人生の晩成型。
n まだ死ぬには早い、人生執着型。
n 死ぬのはこわい。苦痛回避型。→ 次々と選択して、人工呼吸器に到達。
大川 達さん(和歌山市) 呼吸器までの心の葛藤
「気管切開しても、あと、しれてるからやめた。苦しいのは2分や。仕方ない。先生らに大変お世話になりありがたい。おれの命だから、おまえらがあまり命乞いするなよ。胸押すようになってから、1か月の命や、がんばってくれ。」
「のど切ってがんばるか ! なるべく自宅介護お願いします。」
「家族が不自由な私の存在をまだまだ必要とし、少しでも生きてほしいと励む姿、‥もう少し苦痛に耐えてがんばろう。」
呼吸症状
・布団の中の温かい空気を吸うと、喉が渇き、くっついて呼吸が困難になるから、布団を少し下げて欲しい。
・寝ている時は顔を一杯横に向け、顎を突き出すのが一番呼吸しやすいが、首の角度が悪いと首が痛くなる。
・呼吸困難感、真冬でも「窓を開けて」と言う
・首の角度と頭の位置、枕との組み合わせが悪い時や暑さを感じる時は、呼吸しにくくなるから、部屋を涼しくしてくれ。胸を押している時、眠ったり、呼吸が止まったらそのまま起こすな。
麻痺進行時のケア
「ALSによって運動神経が侵され、それが進行すると、自分で体位を変えることもできません。」
「この病は身体全体の力が抜けて、すごく下に押しつけられて、地球の引力を感じ、だるくなったり痛くなったりして、体位を変えて欲しくなる」
「力はグラム単位、動きはミリメートル単位、移動は秒単位で扱っていただきたい。つまり力をキログラムにすれば衝撃的で苦痛が多い。動きはセンチメートルにすれば幅が大きくなり、悪い姿勢を直すのに、よい体勢まで崩れやすい。たとえば少し動かせばよくなる右手を、大きく動かしたため、よい状態の左手や首が動いて悪くなる。移動は早いと荒っぽく見えるが、何しろは肺活量がないゆえ呼吸しやすい状態が限られる。静かに速やかに望みたい。」
(91年6/22)
「痛み、かゆみの感触が健康時の2倍から3倍に思う。痛みは面と線が多く、その周りを処置されても満足できるが、かゆみだけは点のため、1センチずれても満足できず困っている。一生懸命意思表示しても、なかなか点に近づくのは困難だから、看護人も見てくれて、聞いてくれて、ご協力願えるのはありがたい。」 (91年6/23)
「飲食の時、飲み込む物が鼻に入るので、食事中頭の向きを変えてほしい。頭を上がるときは呼吸に気をつけて、鼻に入った物を飲む込む少しの間、上げてほしい。
口を開けると顎を引くような状態になり、呼吸が全くできない。どうしても長く口を開けなければならないときは、頭をいっぱい後ろにそらしたまま口を開ければよい。」
呼吸器をつける前の介護 妻・大川悦子さんの手紙
「夫は自分の不安のため、私に常にそばにいて、合図したら的確に行動することを望んでいます。首の角度、1センチを頭を右、枕を高くしたり低くしたり、身体を右横向きから左横向きに、上体だけ上向に、頭は左、そして右向きに。今度は左右の手の位置、指、胸をもっと前に。肩が入っていない、入り過ぎ。耳が痛い、膝、足。ふとんに横になり、やれやれと思ったら…コール。右鼻がかゆい、鼻の穴の中も、ひたいも。三度、四度と、これの繰り返しの後、やっと休める…。またコール。」
夜間に家族が眠る、患者はこわがる
夜間は呼吸機能が低下して身体機能はおやすみモードに入る。
患者は安眠したいが、唾液の落ち込みなどから窒息感や、四肢の痛みを強く感じて、不安も増幅する。家族は熟睡して、呼んでも起きない。
家族が朝、起床すると、患者はやっと眠る。
n
患者は夜間寝ずに、家族が起きたら気持ちよく寝るのはわがまま、と家族は感じる
在宅療養は 家族頼み ?
n
ALSは他の病気と比べて介護量が圧倒的に多い
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在宅療養は家族の希望中心のケアプランになる。
・時間数が少ない ・家屋の構造
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コミュニケーション障害が深刻で、家族を頼りにせざるをえない患者さんも多い
n
家族を犠牲にしたくなくても、給付されるサービス量が足りない。
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地域にサービス事業者も少ない。特に吸引や経管栄養、夜間ケアができるケアの担い手が足りない。
医学書の記述
Aさん(女性患者)
「お父さん(夫)は私の症状を軽くみてる」
「お父さんは何もしてくれない」
夫 「大げさに言ってる」
(1年余りで亡くなったあと)
「医学書に3−5年と書いてある。先はまだ長い。体力を温存しておかないと、と思った」
初めての患者さんからメール
@ ALSを発症して6年、寝たきり状態。介護は妻がしていますが、ヘルパーなど他人が家に入るのが嫌といい、何のサービスも受けられません。トイレはおむつで1日1回の交換、食事は夕食のみです。いまでは家事、介護放棄状態(中略)‥‥離婚するか家を出ていくといい(中略)‥私の両親も姉も在宅介護を嫌っているので、入院できる施設を探しています。
A 私は声も出ないし、口の動きも悪く会話もできません。四肢麻痺に嚥下障害もありますが、装置は何もつけていないし、希望もしていません。一度○○病院で診察をしてもらってから実家に帰りたいのですが。
B そちらでは、私の希望するようなケアプランを立てたり、手続きの代行などをしてくれるのでしょうか。その場合のお金はどうなるのでしょうか。
n
訪問を申し入れ住所・名前を聞く。両親が息子を訪ねてきた時に面会した。(妻は外出)
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母親に息子の性格を聞く 「おとなしく我慢強い」
n
息子は両親の実家に帰る、一旦公立病院に入院を申し込んで、検査を受けることを提案。しかし父親は、病気の息子を離婚することは法律的に認められないと弁護士が言ったという話をする。両親と息子の間で意見をまとめていただくようにお願いして帰る。その翌々日、息子が亡くなったことを母親が伝えてきた。
ALSケアは個別性が大きい 〜オーダーメイド〜
n
同じALS患者であっても、呼吸器装着者と非装着者とでは、ケアが全く違う。
n
その上に、個別の違いがある。
在宅での入浴
日中は車椅子を使用の患者さんの入浴
●シャワー浴 シャワー椅子に移乗 (訪問看護+ヘルパー) 2人介助のことが多い
●浴槽につかる リフト使用 本人の希望が強い場合。サービス提供側は 人手が必要、危険と、拒否的。
寝たきりの患者さんの入浴(体重が重い、移動すると苦痛がある、体調が悪い)
●入浴サービス利用
●清 拭 2人必要 (訪問看護+家族)または(訪問看護+ヘルパー)
@大川達さん 息子さんの介助で一緒に浴槽に入る(写真)
A人工呼吸使用者の入浴は一般的には入浴サービスを利用します
小坂勝宥さん・大阪市(写真)
長生きの秘訣
n 保清(特に口腔・鼻腔ケア) 肺炎予防
n 可能な限り座る 尖足予防、くつをはける状態を確保
n 愛情(患者さんの役割の継続)
n 呼吸を妨げない程度の食事量、
ガスをためないケア
(排泄のコントロール、胃ろうからのガス抜き)
良いヘルパーの条件
n
文字盤などコミュニケーションがとれて、信頼関係を築ける
n
病気を理解しようと心がける(わがまま病で片付けない)
n
感覚障害がなく、筋肉がそぎ落ち神経がむき出しになった身体は、常に全身の細かい微調整を求める。コミュニケーション障害がある中で、一つ一つ本人に確認しながら体位の微調整ができる (それが必要だと理解できる)
n
訪問回数が多いほど、患者にとって良いヘルパーとなる。
コミュニケーション 目を見て
n 「あの人は私の顔を見なかった」 (女性患者さん、ヘルパーを断ったとき)
n 「顔はこっちを向いていても、目を見てない」(男性患者さん、ヘルパーに)
ヘルパーの誤解
●家族と良い関係が結べれば、OKと思ってしまう
和中勝三さん 和歌山県の看護協会で講演、携帯用会話装置を使用して
「バイタルをとるより、コミュニケーションをとるほうが本当のケアになります」
文字盤について
n 患者 最後の一文字で意味が変わる。早とちりするな
n 介護者 最後まで言わなくても、わかった時点で次に移ってくれたらいいのに
n 若い人ほど、文字盤をとるのがうまい
n イライラしやすい家族は、文字盤がとれない
n 短時間のケアで終わる看護師も文字盤はとれないことが多い
写真・透明文字盤 目と目で おしゃべり
写真・メガネ枠に光センサーつけてパソコン操作
大川悦子さん(家族介護者)パソコンのスイッチのセット
n ワープロやブザーのスイッチは、夫の指の位置のセットに慣れるまでとても時間がかかりイライラもしました。こういうものでさえ一つの闘いでした。(家族)
1、それぞれの生き様
高田俊昭さん 初めてパソコンを使って
「何もできなくなると何かがしたくなり、何かができると満足感や充実感といったごほうびが与えられるようプログラムされている。人間というのは本当にうまくできているなあと妙なところで感心しています。
元気な時には当たり前で気づくことのなかった人間という生命体の素晴らしさが、各種の機能が喪失していく過程で実感されるこの頃です。
人間の素晴らしさをありがとうございました。」
2、それぞれの生き様 中林 基(おさむ)さん
患者みずから、公益信託「いのちのいろALS研究基金」を設立
「命に対する価値観を変えておかないと、私たちの闘いは終わらない。僕は、今の世の中すべてお金になってしまっていると思う。お金で買える幸せや喜びは、限界があるように思う。お金では買えない自分だけの喜びを見つければ、その喜びは限りなく広がっていくように思う。」
『大風呂敷 広げて1億包むなり』
3、それぞれの生き方 川口武久さん(初代ALS協会会長)
言葉は生き抜く力、表現は命の源
「私たちの病気は全身の運動神経が麻痺し、それに伴って筋肉が萎縮していくものですから、次々と機能を失っていく。どの機能を失っても辛いものである。中でも言葉を奪われるのは、想像以上のものがある。それも道理、人と人の間に生きるのが人間ならば、その人間を支えるものは姿や形でもなく、また筋力、価値観でもなく、言葉という表現方法が共同生活の根源をなしているからだ。言葉は生き抜く力である。『表現することは命の源だ』と言っても過言ではない。」
4、それぞれの生き方 奈良市 杉本孝子さん闘病29年
奈良市介護保険と支援費を組み合わせて、昼間12時間の介護体制を組む。四肢麻痺タイプ、進行は止められないが、常にエンパワメントの発揮でがんばる。
「現在の療養環境を整えるのにどれほどの歳月を要し、市への『助けてコール』を幾たびしたか。必要な時間は向こうからやって来るわけではない。私などこれだけしかないと嘆いてもいられない。……状況に応じ、自分はこれだけ必要なのだと地域の担当者に訴えるべきだと私は思っている。(近畿ブロック会報50号)
「人さまに迷惑をかけても、そんなにしてまでも生きたいのか」と言われるが、人が自分の健康を失った時、初めて健康のありがたさがわかるように、手足の自由を奪われた時、初めて自由に動く手足の大切さを知るように、自分の中に限りある命を意識し始めた時、人は生きている命の持つすばらしさを知るのです。」
5、それぞれの生き方 和歌山市 和中勝三さん
「介護保険制度が実施されるようになり、吸引してくれるホームヘルパーがいれば介護保険を使い、私は在宅で生き延びられると思い、訪問介護事業所に吸引をしてくれる人を数人紹介してくださいと、無理にお願いしました。吸引行為は法的に認められないことは知っていましたが、たとえ法律違反してでも命にかえられません。私の家庭が崩壊してしまいます。」(03年会報44号) *現在は違反ではありません
橋本 操さん
患者みずから、在宅介護支援さくら会を立ち上げて、同病者の支援を行う。
「未来は私達の手中にある。他力本願の明日は要らない。」
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