そばのペ−ジへようこそ
蕎麦食いは当然もり(セイロ)を食べました 無難に美味しい蕎麦屋が多いようです

《麺》について残念なのは、そばの産地の信州や山形、岩手で食べたときと比べて 香りが少ない店が多かったことです 江戸の蕎麦はそば粉8割が基本だそうです
茹で方
こし温度喉越しはさすがに立派でした 感動したのは角萬の極太田舎蕎麦が浅草で食べられることです
《つゆ》については、並木薮蕎麦に感じるものがありました ものすごくこくがあって濃いんです 江戸の蕎麦通が少しだけ先をつけて 食す意味が理解できました 蕎麦湯を入れてこくと味とに感動しました

蕎麦上人 場所は駒形どぜうの前より見えるかも知れません

そばの産地で食べる味に浅草では一番近かったような気がします
太麺の田舎蕎麦等あります
難を言えば、もりで1、000円はきつい
翁そば 場所は浅草演芸場近く

値段は もりが400円
浅草で今まで食べた店では一番安かった

麺に関しては太い平麺 量も多い
ゆで具合 冷水での締め具合もGood
〔つゆ〕はかなりの濃い目

久々に良い店をみつけました

             2008.11.22 撮影  
       
角満 角満です

場所は樋口一葉記念館入口を探してください

言問い橋を向島に降りて交番近くにDPあり

並木藪 藪蕎麦3兄弟のひとつ並木藪です

場所は雷門を背にすぐ右手に見えます

  2011.11.20撮影
大黒屋 場所は千束通り裏

値段は もりが1、100円 大もりが1、600円(税別)で
浅草で今まで食べた店では一番高かった?

麺に関しては普通(良くできているが特徴なし)
〔つゆ〕が最高でした(甘くなく自然な感じの適度な濃さ) 薬味等も丁寧な仕事がしてあり満足

             2005.04.02 撮影
       
やかた 場所は尾張屋支店の正面から見えるかもしれませ

《蕎上人》を見つけるまでは
 一番かなと思いました が...

  店の改装後 食感が変わり感動が減りました
元の味にして欲しいネ
             2005.03.29
尾張屋支店 場所は神谷バ−の隣です 支店です

本店ではありません
いつも行くならこんな店
ここの《天せいろ》950円は庶民にはうれしい
大きな海老天が一匹

私の体調が原因か
そばの香りを感じる日とそうでない日がある店です

 神田の〔尾張屋〕はおばあちゃんが親戚で 昔浅草に修行に来てその後開店したそうです 冬の〔蛎蕎麦〕が旨いよ
長寿庵 TV放映で浅草で《長寿庵》の季節限定の桜の切込蕎麦を探していて見つけました

値段は安いし 味も無難で美味しいほうだと思います 自家製手打蕎麦がうれしい

場所は的場商店の並びです

季節限定の桜の蕎麦は未だ発見できておりません
やぶ茂 最近茹でた後の冷水でのシメ方がよくなりました(場所は西浅草3丁目裏通り)

 
手打麺の端のはねっかえり部分が口の中をくすぐるなんともいえない感じが出ております(やかたも改装前はこの感じがあったのですが残念)

 つゆはやぶ系とは違うみたいです

                       2004.03.17
 十和田  理由があって載せていませんでした
夜遅くなって どこも開いていないときは利用してます
 (利用しているのは すし屋横丁店(本店))
理由とは 蕎麦打ちの台横に切が機械なこと
 (見えないところで機械で切ればいいのにね)
味は確かに旨い(香りは感じられない)
 現在浅草女将さん会会長(今半の後)の店です
呉服屋だったのを廃業して女将さんの判断で
蕎麦屋を始めたそうです(旦那への相談?)
 メ-ルにて 私のHPで蕎麦は旨いが天麩羅はひどいとの連絡があるもので
 ここの天麩羅(蕎麦と一緒なら)と思い載せました
天麩羅蕎麦ならいけるかもネ
                       2005.07.17

蕎麦のうんちく
江戸時代、そばが16文、夜鷹の花代が24文、一番安い夜鷹は10文だったそうです 今に換算するとそばが600円、夜鷹の花代が900円、380円となるのでしょうかね 昔の男はよかったね(今の吉原はオ−ル込で3万円、3万円...の呼込み!!)

蕎麦の江戸での発祥は、蕎麦屋はが多いのは
江戸時代初期、現在の《砂場》が発祥のようです(大阪砂場の流れ)  浅草では、享保(1716〜36)現在の西浅草3丁目に浄土宗一心山極楽寺称往院の支院の道光庵  庵主が信州生まれで藩主が打った真っ白な御前そばが大変な評判になり、あやかろうと《庵》が流行  魚を使用しない精進汁に辛味大根の絞り汁を添えていた 寺なのかそば屋なのかわからなくなり、 天明6年(1786)親寺により蕎麦禁断の石碑が門前に建つ
《蕎麦》は正確には何と読むか
《ソバムギ》、《ソバ》と略して呼ばれるようになった 《蕎》一字でいいわけですね
もりの容器はなぜ上げ底か もりそばをなぜ、せいろというか
天保年間(1830〜44)、蕎麦屋が団結して値上げを願い出たが、昔から16文なのでと却下  その代わり蒸籠(せいろうと読むが起源)の上げ底を認めた
江戸の蕎麦はなぜ二八そばと呼ばれたか
そば粉8割つなぎに小麦粉2割の説と、16文(2×8)の説がある  つなぎは色と風味をかねて、よもぎ、山芋、山ごぼうの葉、海草のフノリ、そばもやしを使用することもある
水ごねと湯ごねと変わりそば
つなぎに小麦粉を使用した場合は小麦粉が固まってしまうのでお湯で打てない  水で打つしかない。江戸の二八そばは水で打つ水ごねだそうです  逆にそば粉だけで打つときには、なかなか粘らないのでお湯でこねると早くまとまる  更科や切込(ごまや唐辛子を麺に打ちこむ時)は湯ごねが主だそうです  手打ちの実演をしている蕎麦屋で、湯ごねか水ごねか確認すると面白いのでは! 昔、長野県小諸に滞在の時に、南信と北信でどちらかが水ごね、他方が湯ごねと聞きました  ヘギ蕎麦では  つなぎは海草のフノリ使用の水ごねのようです
なぜ、おかめそばというか
幕末の頃、下谷七軒(現在の町名台東区根岸)にあった太田庵が発明 名前の由来は具の並べ方がおかめの面を連想させるもので、粋を愛する江戸っ子好みだった 島田湯葉(髪の毛、目)を上方に、松茸の薄切(鼻)、かまぼこを下に開くように(両頬)配置し 松茸の採れる時期限定=酉の市の時期限定であり、さらに おかめはお多福とも呼ばれるように 浅草の酉の市に係わりの深い種ものだった
REF. 《そば.うどん 百味百題》 柴田書店刊


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