日本人はケータイ電話が好きだ。大の大人が最新型の携帯電話を飲み屋で見せびらかしていたのはもう一昔前の話。今は、高校生は持っていて当たり前、中学生も持っているこの方が多いくらい。小学生も持っている子がいる。でも、スマートフォンと言われてもピンと来ない人のほうが多いだろう。
 スマートフォンと携帯電話を格闘技に例えてみよう(かなり無理矢理だが)。携帯電話は空手家が総合格闘技に出場するために柔道やサンボを習得したようなもの、スマートフォンは最初から総合格闘技の練習をして育った格闘家、といったところ。別に戦うわけではないが、何となくイメージをつかんで頂けると嬉しい。
 少々スマートフォンを格好良く書き過ぎたようなので今度はけなしてみよう。要するにスマートフォンとは、日本では市場が育たなかったPDA(携帯情報端末)に通信機能を持たせたものだ。パソコンの低価格化と小型化が進んだのに比較して、PDAは高価な割に機能が制限されるという不利な状況に陥っていた。更に携帯電話の高機能化に伴い、各メーカーも生産から撤退する事態となったが、2005年12月、PHSキャリアのウィルコムより「W-ZERO3」が発売された。PDAと携帯電話(PHSではあるが)が融合した日本初のスマートフォンの誕生だった。

スマートフォンと携帯電話は何が違うか

 音楽を聴く、動画(テレビ)を見る、スケジュール管理をする、メールを送る、ネットを見る。
 これらは全てスマートフォンではない携帯電話でも利用できるサービスだ。ではなぜ、W-ZERO3の発売日には長蛇の列ができたのだろうか。確かに、市場が衰退してしまったPDAを愛する少数のマニアが集まったという要素は大きい。スマートフォンの市場をKDDIは「ニッチ産業」と呼んでいる。それにしても、同じような機能は携帯電話でも持っているのにこの熱狂振りは何だろう。
 この謎を解く鍵は「カスタマイズ」にある。携帯電話メーカーの用意した機能を利用していて、不満を持ったことは無いだろうか。例えば、自分が頻繁に使いたい機能に辿り着くまでに押すボタンの数にうんざりしたことは無いだろうか。私はある。スマートフォンなどと呼び名を変えるまでも無く、携帯電話の使い方は人それぞれだ。本来の電話としての機能よりもミュージックプレーヤーやウェブブラウザとして使う頻度が多い人もいる。しかし携帯電話のメニューの順番は変えられない〔多少キーを割り当てられるものもあるが)。しかしPDAは違う。ユーザーが自分の使いたいようにアプリケーションをインストールしたり、 ショートカットキーを割り当てたりして、「自分だけの端末」を作り出すことが出来たのだ。そんな自由度の高いPDAが、皮肉にも市場が衰退したことにより「通信機能」という最後の武器を取り込み、新たに生まれたのがスマートフォンだ。 

スマートフォンのジレンマ

 スマートフォンにはジレンマがある。
PDAの市場が衰退した一つの理由に、ディスプレイのサイズが挙げられる。パソコンの広いディスプレイになれた人たちには、小さな画面を覗き込むのには対応できなかった。これは最近の高機能な携帯電話にもいえることではあるが、なるばく多くの情報を映し出したいという要求と、軽量化を求める声は相容れないものだ。スマートフォンを選ぶ際も、自分のバッグやポケットのサイズと相談しなければならない。もちろんメーカーも工夫を凝らしている。折畳式、スライド式にすることでディスプレイとキーの面積を確保しようとする努力は涙ぐましいものがある。しかしそれでも、スマートフォンはブサイクなのだ。若者向けのデザインと音楽で攻勢を掛けたauのモデルと比較すると、何とも野暮ったい限りだ。店頭で見る限り、明らかにスマートフォンは「携帯電話として」は見栄えがしない。大きなお友達の高価なオモチャ、といったたたずまいだ。かろうじて妥協点を見出したように見えるのは、コレもウィルコムの「W-ZERO3[es]」だ。液晶サイズこそ3インチ以下であるが、スティックタイプと見せてスライド式のフルキーを搭載していて、スタイリッシュかつスマートフォンらしい端末となっている。これはある意味で「電話」スタイルのスマートフォンの理想形だろう。しかし、私としては「PDA」スタイルのスマートフォンの理想形が見たい。幻の名機「PSION(サイオン)」のようにコンパクトながらタッチタイプが可能なキーボードと大き目のディスプレイを持ち、通話はイヤホンタイプのモジュールで行なう。 auはこんなのつくってくれないだろうか。