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1970年台、翌年の1971年天地真理デビューから1979年松田聖子のデビューまで約10年間、近代アイドル時代と呼べると思う。非常に濃い10年間である。もっと間隔が空いていたような印象であったが・・・。
真理ちゃんを語るとき、私は松田聖子の存在を忘れるわけにはいかない。1970年台ギリギリ松田聖子のデビューがあった。松田聖子こそ真のアイドルではないだろうか・・・。


世の中は山口百恵の引退により真のアイドルを待望していた。(私的には山口百恵をアイドルと呼ぶのに抵抗があるが・・・。機会があれば山口百恵の話もしたいが・・・。)1971年70年代の始まりに天地真理がデビューし、その間にもさまざまなアイドルがいた。しかしそれはピンクレディーの国民的人気もあったが真のアイドルは真理ちゃん以降1人も現れなかった。しかし1979年のNTVドラマ「おだいじに」の松田聖子(役者として)デビューは翌年の歌手デビューによりやっとなされた。世の中が待っていた真アイドルの誕生である。

 真理ちゃんが新造アイドルなら、松田聖子は計算しつくされた完璧なアイドルである。もっと言えば真理ちゃんは不器用な人間的アイドル。松田聖子は器用な機械アイドルとでも言おうか・・・。あまりにも人間的な真理ちゃんは人気の中ではとても輝けた。しかし一旦気まぐれな庶民が飽きた時に光り続けられる「開き直り」「割切り」が出来なかったし強さがなかった。しかし器用な松田聖子は自分を商品と割切り「完全なアイドル」を完遂しつづけられる芯の強さがまったく違っていた。
 言葉は悪いが、真理ちゃんはずうずうしくなかった。松田聖子はずうずうしかったのだ。この芸能界、ずうずうしくなければ長い間トップで活躍しては行けないのだ。その意味では真理ちゃんは芸能界向きではなかったのかも知れない・・・。
 松田聖子のすごさ それは「徹底的に!」ではないだろうか。それは中途半端がない。アイドルとは何かを徹底的にやりきっている。それが「ぶりっこ」と呼ばれる原因か?松田聖子は徹底的デビュー当時からこれ以上ない可愛い衣装。遠慮なくとにかく可愛くしまくる。そこには一切「つっぱり路線」は存在しない。正統派アイドルである。それ以前のアイドルは必ず大人へと無理な脱皮の時代があったが松田聖子には大きな大人への脱皮を行わないなど新しい試みがあった。それはファンの喜びであり脱皮はファン離れを招くしファン層の入れ替えをもたらすなど本人にはいい事がない場合が多い。それをあえてやらず永遠のアイドルと言う仕事を貫くプロ魂がそこにある。ものすごいし商人である。そのプロのアイドルの王道 松田聖子。強い松田聖子がそこにはあるのだ。

<ふたりの名前>
 芸能界をビックビジネスと見据え家族ぐるみで松田聖子をバックアップしていく点、真理ちゃんにはまねできないどん欲さが松田聖子にはあった。「天地真理 てんちしんり=日本国内」「松田聖子 MATUDA&SEIKO=全世界」名前が天地真理もてんちしんり 大きい名前である。しかし外人は意味が?である。松田聖子は日本が誇る世界企業MATUDA&SEIKOで非常にわかりやすい。どちらも「すごい名前」インパクトがあるし大きい名前である。
(2003.5.21)