「本日は晴天なり」。朝も早よから遠足に出掛ける事にした。本日は「闇の日本史流」の夏を涼しく快適に過ごせるお話しを書いてみようと思う。
 ただ真夜中に呼んでいる「あなた」!
 急に後ろは振り返らないでください。「後ろに誰かが」!

これからお聞かせするお話しは全て真実である。
本日は朝7時出発、快晴、今日は高速を通らず一般道で行ける場所だ。ドライブには持ってこいという天気。「宇多田ヒカル」でも聞いていこうか?
2時間で現着の予定であるが、かなりすいている為早くに着きそうだ。ただ場所がはっきりしないので、現地で聞いてまわるしかない。

現着!ここは滋賀県彦根市である。
たぶん彦根の人も知らないと思うが、探しているのは「長久寺」というところである。彦根城周辺を聞いてまわったがNG!後は彦根駅だ!
あんなに晴れていた空は次第に雲行きがおかしくなって来た。
彦根駅の案内版で確認!

その時であった「ガツ・・・・ン」
「痛ッテー」

左目の下を看板で強打。「痛ッテー」


これは祟りか深入りは禁物なのか?しかし近くまで一応行ってみる事にした。しかし、近くの人も知る人はいない。マークUがよっと通れる細い路を入って行くと、突き当たり「それは」あった。人が知らない割にはお墓が多く住職もいるお寺であった。烏が鳴き、雲行きもおかしくなって来た。

ここにいったいなにがあると思いか?
「1枚、2枚、3枚・・・・・・・・・・・・」
こんな怪談一度は聞いた事あるだろう「番町皿屋敷」そうだ。番町皿屋敷の「お菊」がここに眠っている。



これが長久寺と「お菊」の墓だ。HP初公開!


それどころではない。本当は違うものをお見せしたかった。番町皿屋敷で「お菊」が割った皿が残っているのだ。しかし大切に保管されている為予約が必要ということで写真には撮れなかった。いつもなら半ば強引に遠くから来たからといって見せてもらうのだが、前述の事件で強引さを欠いてしまっていた。おかしいではないかと思った方は「怪談の通」だ。お話しの舞台は江戸麹町や播州皿屋敷だったはずだ。どうしてここにあるのか?
皆さんが知っているお話しは「戯曲」で作り話しなのだ。真実は違っている。
真実はこうだ。
寛文4年(1664)年西馬場町に住んでいた彦根藩家臣だった政之進(まさのしん)は、芹橋14丁目に住んでいた足軽の娘・菊に恋をしてた。お菊は政之進の本心を確かめようと家宝であった皿か、自分かの選択を政之進に迫る為、その一枚を割ってしまう。政之進はお菊に「なぜ割ったか」を問い詰め、真実を知った。政之進は皿の全てを割り(9枚)、その場でお菊を刀で切ってしまったのだ。これを劇作家がイロをつけるために地名を変更した、これが現在の番町皿屋敷になっている。

さてその皿であるが、これが凄い品物である。家康が当時の彦根城城主(初代)井伊直政の戦功を称え送った南蛮渡来の白磁浜紋様の皿であった。藩主は足軽大将を勤めていた石備前に家宝として与えたものであった。大変なお宝であったのだ。(お菊さんは目効きじゃなかったんだな)

このお話しには後日談があって、実際には幽霊に出たのではなく、手打ちにされた「お菊」の遺体とともに割れたお皿は実家に渡されたのだ。お皿は継ぎ合わされて、橋向町の養春院で供養されたが、廃寺になったため、長久寺に移された。当初9枚あったお皿は、大正展示の際に3枚が紛失、現在6枚となっている。(ここに出できた地名は実在の物)

「らせん」の貞子の呪いより信憑性のある「血塗られた怨念の皿」勇気がある読者は行ってみてみよう。今回筆者は見る事は出来なかったが、これは現物を見る事はできなかったといっているだけで、一度TVで観た事がある。本当に「南蛮渡来の白磁浜紋様の皿」であった。しかし、これ以上の深入りは避けようと思っている。


勇気がある方は、報告を「闇の日本史」掲示板でお待ちしている。






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