墨書文字





 師走しかもミレニアムを控えた1999年12月1日、全国の歴史ファンに衝撃が走った。TV・ラジオ・新聞トップニュースである歴史的大発見を伝えた。地元中日新聞は第一面にデカデカとこう伝えた。

「日本最古の墨書文字発見」(「田」2世紀末の土器に筆記)


発見されたのは三重県一志嬉野町の貝蔵(かいぞう)遺跡である。これまで最古の墨書文字は同町片部遺跡の土器と熊本県玉名市・柳町遺跡の木片であった。
では、その片部遺跡の土器を見てみよう。
なお以降の写真は嬉野町ふるさと会館・嬉野町資料館殿の撮影許可および闇の日本史への掲載許可受理により成立するものである。無断転写等は一切御断りする。また書籍への提供協力およびマスコミ各社に対する資料提供も合わせて御断りする。
同時に快く受託していただいた嬉野町資料館殿に改めて感謝申し上げたい。



 歴史に興味の無い方には御分かりいただけないかもしれないので、文字の歴史を探ってみたい。

<弥生時代>
 14年 「貨泉(かせん)」と書かれた貨幣
 57年 「漢委奴國王」の金印(福岡)
184年 東大寺山古墳(奈良)の「中平・・・」と刻まれた鉄剣
239年 銅鏡に書かれた文字「景初三年」

<古墳時代>
4世紀前半 片部遺跡
369年 石上神宮(奈良)の七支刀銘

今まで4世紀を「謎の時代」と称し文献が少なく良く分からない時代であったのだ。それが嬉野町の片部遺跡に発見でより明確な時代を作ったのである。この発見は平成8年1月のことであった。

嬉野資料館は地方の小資料館としては展示物の質に圧倒される。



ご覧のものは嬉野町大字島田で出土された馬具である。

さてこれを一度はご覧になった事はあるだろう。(どこで?)奈良の大仏さんで有名な東大寺の屋根の上両端にあるものだ。正式な名前を「鴟尾(しび)」という。嬉野町釜生田地区で辻垣内窯跡群から出土された物。白凰時代のもので日本最大級とされている。


では、今世紀最後にして世紀の大発見・貝蔵遺跡の「田」が描かれた土器をご覧頂こう。



「ありゃ! どこに書いてまんねん?」
「中央ですよ! ほら! ぼっと字が!」
「見えやしない」

「闇の日本史」スペシャルエージェント三重支部の加藤さんも四日市博物館で片部遺跡の「田」の字をご覧になって同じ事を掲示板で、書いていらした。見た本人も何とか見られるなっている程度。さらに安物のデジカメではこんなものさ。
今までの「闇の日本史」では「こんまものさ」でおわったであろう。(?)
「闇の日本史愛読者に損はさせません」
闇の日本史のハイテクを駆使して、その全貌を実写でご覧頂ける事になった。
ではポンコツPCwindows3.1の威力をご覧頂こう。ほら「田」でしょ。




貝蔵遺跡3次A・B地区で発見された「田」の字は前述の歴史を塗り変え二世紀末。邪馬台国の卑弥呼が君臣していた時期である。「狗奴國(くなこく)の聖地」であったという新説も飛び出した。
しかし、なぜ「田」ばかりなんだろう。
中日新聞12月1日付けは、橿原考古学研究所・寺沢薫しのコメントとして、中国・殷代(紀元前16〜11世紀)の甲骨文字の中にある巫女を意味し、祭祀などに関する記号ではないかとしている。同紙は愛知県丹羽郡大口町・余野遺跡にはその痕跡があるとしている。

何れ似せよ今世紀最後の歴史的大発見を直に見る事が出来、筆者はこの上の無い感激に浸っている次第である。






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