海軍美幌航空基地 |
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| (上) 海軍第二美幌航空基地の有蓋掩体の内部 |
「掩体」とは、軍用機を空襲から守るためのもので、上の写真のようにコンクリートの屋根で守られたものが有蓋掩体といい、簡易的にコの字形の土塁だけ築かれ真上は暴露したままのものを無蓋掩体という。
第一基地・第二基地・第三基地とも数多くの掩体が築かれたが、現存するものはわずかである。 |
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1943(昭和18)年の末に編成された第31警備隊〔網走〕が警備の重点としたのが、海軍第一美幌航空基地〔美幌〕と、第二基地〔女満別〕である。
網走海岸の防御陣地は、アリューシャン方面より侵攻してくるであろう米軍から、これらの基地を守ることを目的の一つに築かれた訳で、さらに女満別骨幹陣地の築城のため、女満別住吉、〃巴沢、〃朝日、〃開陽等の地区に陸軍の部隊が駐屯した。また、各基地の周囲には海軍によって高角砲(高射砲)の陣地(砲台)が築かれた。
1945(昭和20)年7月15日に米空母の艦載機が、第一基地と第二基地を攻撃しようと迫ったが、厚い雲に阻まれて目標変更となり、網走空襲となった。 |
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| (上) 海軍第一美幌航空基地跡 |
出典:米軍撮影の空中写真(昭和22年撮影) |
| 第一基地は1940(昭和15)年に完成。第一基地の近くには、報徳砲台や美幌砲台(農業高校の北側)等、高角砲(高射砲)陣地が築かれた。終戦時、進駐軍により滑走路等を破壊され使用不能となった。1950(昭和25)年には国立療養所となり、陸上自衛隊美幌駐屯地となった現在も滑走路跡が残されている。 |
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| (上) 海軍第二美幌航空基地跡 |
出典:米軍撮影の空中写真(昭和23年撮影) |
| 第二基地は、競馬場跡地に、1935(昭和10)年に中央気象台(現:気象庁)が気象観測用の飛行場として設置。その後、女満別村が航空隊基地の誘致をはたらきかけ、1942(昭和17)年に海軍が基地として整備を開始。タコ部屋労働者と強制連行されてきた朝鮮人、網走刑務所の囚人らを酷使して建設された。終戦時、進駐軍により第一基地同様に滑走路等を破壊されたが、1952(昭和27)年に米軍の不時着場として主滑走路が修理され、その後、(旧)女満別空港となった。1985(昭和60)年に(新)女満別空港の供用開始により空港としては廃止され、現在はボッシュ社の自動車ブレーキ実験コースとして活用されている。 |
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| (上) 第二基地の見取図 |
出典:女満別町史編纂委員会『女満別小史』(1992)217頁 |
| 滑走路の南側には、高角砲(高射砲)の陣地(砲台)が築かれていた。 |
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| (上) 昭和52年度撮影の第二基地跡 |
国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省 |
| 赤丸が有蓋掩体。(右側の2箇所が現存) 青丸はその他の施設跡。 |
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| (上) 第二基地の有蓋掩体 |
この掩体は道路から見るので、広く存在が知られている。この掩体の右奥にもう一つの掩体が現存している。
この有蓋掩体の所在地(Google マップ) |
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| (上) 有蓋掩体の正面に書かれた広告 |
| 「網走湖 LOG-HOUSE 夕陽の家」と書かれている。広告主のログハウス夕陽の家は、この掩体から北北東に約7.5kmの網走湖畔(網走市呼人)にあり、現在「オホーツクシマリス公園」として人気の観光スポットとなっている。 |
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| (上) 有蓋掩体の正面に確認できる鉄筋 |
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| (上) 有蓋掩体の内部 |
| 奥に開口部があるが土砂で塞がれている。 |
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| (上) 海軍第三美幌航空基地跡 |
出典:米軍撮影の空中写真(昭和22年撮影) |
| 第三基地は、戦争末期に第一基地・第二基地から東に約25km離れた小清水町美和に造られた。(史料・資料に乏しく詳細は不明) 現在は畑地となり、ほとんど痕跡をとどめない。(Google マップの空中写真を参照) |
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