日本文化論を読む 1990年代以降の「日本文化」と〈昭和〉へのまなざし
はじめに
 昨年は「日本」と「世界」、その関係が非常に注目された一年だった。もちろんこれは、冷戦構造の崩壊以降、進展し続けるグローバリゼーションの中での事象ともいえるが、日本にとっては日韓共催のワールドカップ、日朝首脳会談、その後の拉致・核問題という特別な出来事に彩られていたことを忘れてはならない。
 私は、この「日本」と「世界」にまつわる様々な出来事を通して、「日本人」、その定義にも循環論的に用いられる「日本文化」とはそもそも何か、という疑問を持った。ワールドカップ時には、日本代表の応援に夢中になりつつも、ベッカム人気からイングランド、愛嬌たっぷりのカメルーンなど各国代表チームにも多くの声援が送られた。特に、隣国でありながらも過去の歴史から互いに何か違和感を持ってきたともいえる韓国の代表チームにも、日本人サポーターはまさに国境を越えて、韓国人サポーターとともに声援を送ったのは印象深い。この姿勢は、各国マスコミから「優等生」として評価され、私自身も、「国際化・地球化」の時代に対応した、これが新世紀の「日本人」の姿なのだ、と考えていた。しかし、九月に状況は一変する。日朝首脳会談で、北朝鮮が拉致を認め、拉致被害者の内、八人が死亡という劇的な発表がなされた。ここからは、「日本人」は熱烈に北朝鮮を批判していき、朝鮮学校に通う女子生徒のチマ・チョゴリを傷つけるなどの嫌がらせや、人道上のコメ支援までもが打ち切られるという事態へと至った。もちろん、拉致という行為は許されるはずのない、「酷い」行為ではある。ただ、大きな歴史の文脈を考えたとき、日本も背負うものはあろうし、人道支援までもが強い批判のもとで打ち切られるという事態は異常といわざるを得ない。ここから読み取れるのは国際的な新世紀の「日本人」どころか、まさしくナショナリズムに支えられた、近代国民国家の枠にぴったりと収まる「日本人」である。この一連の経過の不思議な展開がレポート作成の原動力となっている。
 このレポートは以下の二部からなる。
  1 戦後の日本文化論 −自信と特殊性への態度−
  2 1990年代以降の日本文化論
 1では時代ごとの日本文化論の特色を「『日本文化論』の変容」に基づいて追いたい。本来は、その日本文化論を自分で一つ一つ読み込む必要があろうが、時間の都合上、個々の内容は「『日本文化論』の変容」、「日本文化論の系譜」による。
 2では冒頭で一般的に見られる日本文化論の特徴をまとめ、さらに「『日本文化論』の変容」後の日本文化を追いたい。ここでは、特定の本によらず、「今」の日本文化を考えていく。
 
 
1 戦後の日本文化論 −自信と特殊性への態度−
 日本文化論を追ってゆくと、そこには日本の状態、日本人のプライドとの呼応性が見られる。時期ごとに「『日本文化論』の変容」に従ってその変遷を見たい。また、9ページの図表に主要な事件と日本文化論との対応を示した。
 
1. 「菊と刀」の性格
 「日本文化論」は、そのインパクトを考えると1946年に原著、1948年に邦訳が出版されたアメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトの「菊と刀」の考察抜きには考えられない。確かに、太平洋戦争中にアメリカ戦時情報局から敵国日本を研究するために依頼され、日本を一度も訪れずになされたという文化人類学の研究としてはきわめて異例なものではある。しかしこれは、文化相対主義的な立場から、アメリカ(あるいは一般にいう欧米)対日本という意識的な枠組みを持ち、「日本人とは何か」、「日本文化とは何か」ということを、生活様式から価値観までを含む全体像として日本人におそらく初めて「外部」から提示した画期的なものであった。
 ホーリスティックなその把握には多少、難点があるにもかかわらず、「日本人は」「日本社会は」「日本文化は」といった記述の方法で全体を示すことで、「日本文化論」というジャンルをそのまま形作ることとなった。ベネディクトはこの本の位置づけとして、「本書は生活の営み方に関する日本人の仮定を検討するものである」と述べ、「日本をして日本人の国たらしめているところのものを取り扱った書物である」としている。「仮定」とは、日本人が日本人であることの根拠とするもの、アイデンティティーの拠り所と言い換えられよう。この「仮定」は、日本のような発展途上にある後発の「先進国」には痛切な欲求として、また抗し難い誘惑として存在するのである。戦後の日本文化論はまさにその欲求、誘惑に対応する形で、現れてきたのではないか。
 戦後の日本文化論に与えた影響をまとめると、以下の二点となる。まず、先に示したように、日本文化・日本人の全体像を示そうとする試みを促したことがある。加えて、生活の営み方に関する日本人の仮定=日本文化の特殊性として、日本人の社会組織の原理としての「集団主義」と日本人の精神態度としての「恥の文化」を、欧米の「個人主義」・「罪の文化」と対比して指摘したことである。
 
2. 否定的特殊性の認識 (1945 - 54)
 ポツダム宣言の受諾には、単なる軍国主義政府や軍隊の解体だけでなく、新しく「民主主義国家」を作り上げることが国の課題として含まれている。「日本文化論」はこの事態に対して、改めて日本人としての仮定を作り出してゆく形になる。つまり、ポツダム宣言のいう「民主主義国家」への再生の政治的なプロセスと対応して、日本社会の基本的枠組みを批判的にとらえる見方が優勢になったのだ。ベネディクトの提示した日本文化の特殊性は、さながら近代化の失敗の原因ととらえられ、否定的に論じられた。敗戦は日本国民にとって未曾有の出来事であり、強烈な屈辱感を与えたが、戦前のシステムを前近代的・封建的な遺制ととらえ、民主主義に基づく体制へと転換して敗戦のインパクトが肯定的にとらえられるようになった。ここで、重要な役割を果たしたのが日本文化論といえよう。
 例えば、坂口安吾は「堕落論」で、日本システム、道徳規範は為政者の統治の都合によるものであって、それが崩壊し、人間性が解放されて地が現れたのだ、とした。
 しかし、この「否定的特殊性」を主張するにも「マルキシズム」論的な立場と「近代化論」的な立場があった。もちろんこの二つは基本的レベルでは対立的であるが、この時期には近代化−民主化を共通の旗印として、日本社会の後進性を批判していたことは興味深い。
 このように、この時代の日本文化論は「近代化・民主化」のモデルとしての欧米社会追従、日本文化の「否定・劣勢」の認識に特徴づけられる。
 
3. 歴史的特殊性の認識 (1955 - 63)
 サンフランシスコ平和条約への調印で日本は主権を回復した後、米英を遙かに凌ぐ経済成長率を誇っていることも相まって「もはや戦後ではない」と経済白書が宣言する1955年あたりから、日本文化への否定的なまなざしが見直されるようになる。しかも海外渡航が重い制限付きながらも認められるようになって、ほとんど最初に日本を飛び出した人々による比較文化・文明的体験を基盤とする日本文化論が登場する。
 例えば、加藤周一が主張した「日本文化の雑種性」もその一つである。この日本文化論も西欧対日本という比較軸のもとで展開される。加藤は、西洋(特に英仏)のような純粋な文化と対比したとき、日本文化は伝統的なものと西欧化したものが深いところで絡んでおり、どちらも抜き難い雑種文化であるとし、純粋な文化に対して劣等感をいだくことなく雑種性の積極的な意味を見いだすことを肯定した。これは日本人とその社会・文化の可能性を保証するものを望む心理に応えるものとして、一般には受け止められた。
 また、梅棹忠夫の「生態史観」もこの時代の特徴を帯びている。この論の主眼点は、従来の世界史のとらえ方、例えば東洋と西洋という分け方、西洋近代を頂点とする前提のもとに組み立てられた社会進化的な考え方などに対して、旧世界を日本・西欧が属する第一地域と中国・インド・ソビエトなどが属する第二地域の二つに分類し、とらえなおす点にある。ここでは、高度な近代文明の日本における達成は単なる「西欧モデル」の模倣ではなく、西欧と日本との歴史における「平行進化」と考えた。
 この二つの論はともに、近代西欧との相対的な比較の視点を提示し、「西欧モデル」の模倣や追従を斥け、日本の可能性に肯定的な評価を与えた。「外部」の目も日本を同じようにとらえ、肯定的な評価と受け取れるものが増えてくるのもこの時期である。日本人の「自己確認」の追求にとっては、敗戦後の屈辱と劣等意識、封建遺風と前近代性といった否定的見方から脱却し、日本の「独自性」の主張、それも先進欧米諸国との類似性を強調することによるその認識は「自信回復」に大きく役立った。
 
4. 肯定的相対性の認識(前期1964 - 76、後期1977 - 83)
 この時期、左翼論壇の退潮の後にできた空白を埋めるかのように、「日本文化論」は盛況を見せる。東京オリンピックの開催や、GNPでは驚異的な伸びを見せ、西ドイツを抜いて世界二位となり、経済大国への歩を進めたたことが象徴する、経済的に成長した「豊かな社会」の到来と政治的安定は日本人の間に改めて「文化とアイデンティティー」への強い要求を生み出してくる。比較文明論的な世界における日本の位置を肯定的に確認し、次に必要となるのは「日本システム」の優秀さの確認である。世界の先進諸国と並ぶ産業化に成功した日本人の可能性は、その社会と文化のシステムのすばらしさを支えとして、ますます期待されずにはいられないのである。
 例えば、土井健郎は「『甘え』の構造」で以下のように述べる。日本人の「心性」と「人間関係」の基本に「甘え」があり、それは「受身的愛情希求」であり、「依存症」であるが、その「甘えの心性」は幼児的なものが全的に拡大されたものである。しかし、それゆえに「甘え」は本来普遍的な心性であり、西欧の独立自由の信念に絶対性を認めることはできず、むしろ他人との相互的依存関係のほうが現実的であり得る。
 後期には、日本の「独自性」を一層追求し、表面上は「西欧=近代」モデル批判へのためらいが見られなくなり、これまでの日本文化論の総括的な議論が出現する。
 例えば、村上泰介・公文俊平・佐藤誠三郎の共同研究「文明としてのイエ社会」はこれにあたる。近代日本建設は、西欧化−近代化の達成ではなく、「集団−間柄主義」下においての、数々の留保をつけながらも日本に「特有化」した「イエ型組織原理」とそれに従属してきた「ムラ型」社会関係のよる達成であるとした。ここにおいて日本社会の家族的構成が示した反民主的・反近代的な日本社会の位置づけは、過去のとらえ方とは逆転して、今後の社会発展のためのより大きい可能性を持つ社会原理としてとらえられるに至った。この種の肯定は海外からもなされた。エズラ・ヴォーゲルの「ジャパン・アズ・ナンバーワン」がそうである。「ナンバーワンとしての日本」の優れた面を挙げ、アメリカにとっての鏡としようと試みたが、そこで日本論を展開する基本となるのは、ほとんどがこれまでの日本文化論で肯定的に評価されてきた事柄であった。
 このように、この時期の日本文化論では前期・後期いずれとも、日本の特殊性が強く肯定されている。日本文化論は肯定的特殊性を謳歌する黄金時代を迎えたのだった。
 
5. 特殊から普遍へ (1984 - )
 80年代に入ると、貿易摩擦を背景にした外国からの日本叩きだけでなく、国内でも社会の歪みが顕在化してきたことで、日本の特殊性は再び批判的に見られ、反省がなされるようになった。また、国際化の進展により、世界の「普遍性」に対応する形で、日本文化論は日本文化の連続性を強調し、外国人・文化の受け入れを疑問視する「鎖国論」と、その反対にある「開国論」という対立する立場を生み出している。ここで「『日本文化論』の変容」の筆者である青木保は、この大きなうねりに関連して「日本文化論」の根拠が実用性に求められてきたことを指摘し、平成元年の時点で、「日本文化論」の西洋、日本いずれへの純粋化も否定し、慰めの「日本文化論」からの脱却を訴えている。
 
 
2 1990年代以降の日本文化論
 青木保の「『日本文化論』の変容」が出版されたのは1989年である。それ以後、日本・世界の状況には多くの変化があった。日本を見れば90年に始まるバブル崩壊、平成大不況、世界を見れば89年米ソ両首脳のマルタ会談での冷戦終結宣言・91年のソ連消滅以降の経済的相互依存の深化をはじめ、多分野にわたるグローバリゼーションの進展、NGOが多数参加して行われた92年の地球サミット・2000年の米同時多発テロ、対テロ戦争、ブッシュ・ドクトリンに象徴される、国家主権体制の揺らぎ…この時代の波の中で、日本文化論もその性質を大きく変化させてきた。ここではまず日本文化論の特徴を考え、その特徴をふまえて90年代以降の日本文化論の特徴とその背景に焦点を絞って考えたい。
 
1. 日本文化論の特徴
 日本文化論はいつも何らかの評価を持って現れ、偏向が存在していることが第一の特徴として挙げられる。Ⅰで見たようにその評価・偏向は一定ではない。「日本文化」は時代傾向・背景によって次々に変化するものであり、固定した概念ではなく、日本文化・日本人像はあるともないともいえる。「はじめに」では「『日本人』・『日本文化』とは何か」と問いかけたが、ここでいえるのは、疑問の原因となった「日本人」・「日本文化」の不確かさ自体が答えでもあったということだ。つまり、決定的な意味での「日本人」・「日本文化」は存在しない。しかし、一つ一つの時代には何かしらのイメージがあり、一定のレベルでは、時代に共有された「日本人」・「日本文化」が成立しうる。ただし、このイメージもいつも他方向へのゆらぎを伴う。「日本人」・「日本文化」をつかむには、何らかの比較の構造が必要となる。ここでの比較の対象あるいは抽出する要素の選択によって、自分の意図する方向に「日本人」を描くことも可能となるのだ。構造的には客観性を持つように見えるが、背景の精神には、かなりの主観的な偏りがあることは「日本文化論」のまた一つの大きな特徴だろう。
 そしてまた、「日本人論」には大きく分けて二つの結論が導き出されていることも興味深い。一つは、日本は優れているという礼賛的・国粋主義的な考えに結びついていくもので、もう一つは他より日本は劣っているというものである。しかし、他より劣っているという認識は消極的になされているのではなく、うまくその欠点を克服し、いわば「国際社会で名誉ある地位を占める」には、という積極的な意味を持つのだ。「日本人論」自体は純粋化を主張しなくとも、日本を純粋化=排他的傾向に至らせる「きっかけ」にはいつでもなりうるということだ。私はそれを「確信犯」的に行うのが「慰めの」日本文化論ではないかと考える。程度の差こそあれ、そもそも「日本」文化論である以上は、国民主義的性格を帯び、「西洋」などに対するところの「日本」に固執せざるをえないのか、とも思える。
 
2. 90年代以降の日本と日本文化論
 先に述べたように、90年代は日本にとってもまさに激動の時代となった。しかもその激動は単なる政治的な問題ではなく、バブル崩壊に端を発する平成大不況、グローバル化の中で構造改革を要求する外圧の高まり、といった経済問題を中心に現れた。これにあわせるように、一般に興味を持たれる日本文化論も経済分野に軸足をおいたものであるのが90年代以降の一つの特徴といえよう。
 具体的にその日本文化論が主張するのは、終身雇用制・年功序列型賃金に代表される集団主義的な日本的雇用形態から、リストラや早期勧奨退職をも含む活発な転職、能力主義・年俸制に象徴されるようないわゆる個人主義的な「欧米」的雇用形態への転換である。(もちろん欧米諸国の中にも、ワークシェアリングを積極的に進めるオランダのような国も存在するので、正確にはアングロ・サクソン型というべきだろう。)これは大きな日本文化論の流れを表す言葉を用いれば、肯定的特殊性の反省を通り越して、日本の特殊性を否定して、欧米−アングロ・サクソン型社会への転換をはかろうとしているといえる。
 この「否定的」特殊性の「終着点」ともいえるのが2001年の小泉純一郎内閣の成立である。小泉首相は初閣議にて、「私は、政治に対する国民の信頼を回復するため、政治構造の改革を進める一方、『構造改革なくして景気回復なし』との認識の下、この内閣を、各種社会経済構造の改革に果敢に取り組む『改革断行内閣』とする決意である/『構造改革を通じた景気回復』には、痛みも伴う」との方針を示した。まさにこの内閣の登場は90年代以降の日本文化論を体現したものといえよう。
 
3. 否定的特殊性と「否定的」特殊性の共通点と相違点
 昭和20年代の否定的特殊性と1990年代以降の「否定的」特殊性には共通点と同時に相違点も存在するように思う。もちろん共通点は、集団主義という日本の特殊性を否定し、「欧米」の個人主義を積極的に肯定する点にある。しかし、特殊性の否定に関しては、かなり性格が違うのではないか。
 昭和20年代の否定的特殊性は日中戦争・太平洋戦争での敗北、さらにはGHQによる統治という純粋にマイナスのインパクトをプラスの価値観に転換する際に成立した。それに対して、90年代の「否定的」特殊性は順調な経済状況の後、貿易摩擦による日本バッシング、バブル景気、その崩壊を経て成立した。ここでは、否定されるべき特殊性・過去は「美しさ」を帯びている。これは90年代の日本文化論の多くが経済分野に軸足をおいたものであることとも関係するだろう。つまり、特殊性の根本、イデオロギー的には否定はされない、あるいは全的な否定ではないということである。今年9月の自由民主党総裁選に小泉純一郎の対立候補として、立候補した亀井静香は7月31日(当時は出馬宣言はなされていなかった)のテレビ東京「ワールドビジネスサテライト」出演時に、小谷真生子キャスターにこのまま改革が先送りされていくことへの危機感を問いかけられると、「改革って何ですか。何で、20年前にヒーヒーいってたアメリカ経済を見習わなきゃならんのですか」と切り返した。この「反小泉」の政治家のコメントに「否定的」特殊性のある種の脆弱性が集約されていると私は考える。
 
4.「否定的」特殊性の脆弱性と2000年代の状況 (23ページに資料あり)
 2で見たように、現在の否定される特殊性には「美しさ」の余韻があり、それは「否定的」特殊性のある種の脆弱性を生み出している。私は、2000年代に入っても一向に出口の見えない閉塞感が、まさにこの脆弱性をつく形で新しい傾向を現れさせてきていると思う。
 まず、戦後の潮流であった日本文化論の傾向≒日本人の傾向という枠組みのほころびが拡大してきていることがある。これまでの日本文化論と日本人の傾向の対応関係によれば、今もなお景気は停滞しているのであるから、日本の特殊性を否定的にとらえ、欧米−アングロ・サクソン型を積極的に評価するのが当然であろう。確かにその流れに位置づけられるのが、高い支持率を保つ小泉純一郎内閣の成立・支持であり、「痛み」に耐える国民の姿である。ただ、小泉内閣の成立当初には80%近くを誇り、今なお高い支持率は、「痛み」を欲しているからなどではなく、何とか不況から脱出し、「否定的」特殊性の時代の終焉となることを望んでのものである。しかし、現実として、未だなおこの閉塞感の出口は見えてこない。ここで、小泉内閣支持に現れる「否定的」特殊性の傾向と平行的に新たなトレンドとして出てくるのが、矛盾しているようにも見えるものの、「否定的」特殊性自体からの逃避である。頭では特殊性を否定しつつも、それはあまりにも長い「自民族」のプライドの否定であり、身体がその否定の「痛み」について行けず、逃避する―という状況である。具体的には、その逃避は日本の特殊システムがうまく機能していた昭和30年代、高度経済成長期を中心とした〈昭和〉へのまなざしとして現れている。
 〈昭和〉へのまなざしはどのように現れているか、を見たい。
 まず、2000年放送開始のNHK「プロジェクトX 挑戦者たち」、その主題歌、中島みゆき「地上の星」の大ヒットがある。最近では題材が尽き気味ということからか例外も多いが、このドキュメンタリーには一つの型が存在する。主人公は昭和の勢いづく日本にありながらも、日の当たらない部署・会社の面々で、解散の危機が迫る。しかし、何らかの信念を持って、紆余曲折を経ながらも、それぞれが集団主義的に「ものづくり」に励む。そこでできあがる「もの」は画期的な製品であり、市場という広い「世界」へと飛び出し、高い評価を受ける―。この番組構成も興味深い。オープニングは、軍歌調ともいわれる「地上の星」をBGMとして「劇的な」キーワードが画面に登場する。そして本編では、感情を抑え、独特の間・言い回しをもった田口トモロヲによる低音のナレーションが、普通に聞かされては何でもないフレーズを用いて感動を呼び起こす。さらにスタジオではその主人公が涙を流し、感動の余韻に浸りながら、主人公のその後を追うVTRが「ヘッドライト・テールライト」をBGMにして流されるエンディングへと向かう。この番組は、個々の人々の動きを追って教訓としたり、真実を後世に伝えるためのドキュメンタリーとは決定的に違う。実際、映画化されるに至った2000年4月4日放送の第2回「窓際族が世界規格を作った」や2001年7月10日放送の第60回「白神山地 マタギの森の総力戦」などでは事実と異なるという批判がなされたにもかかわらず、今なお番組が存続していることを考えてみても、番組に求められているのは普通のドキュメンタリーとは異なることがわかる。「地上の星」に表現を借りれば、「地上の星」が誰で、どういった活動をしたのかではなく、「今何処にあるの」かが問題なのだ。この番組の主眼は何に置かれているのか。それは、感動を与えることであろう。その感動は「昭和システム」に基づくものであり、その感動の享受は「否定的」特殊性からの逃避と見ることができる。
 番組開始は1990年と「平成」ながらも、一連のTBS「渡る世間は鬼ばかり」シリーズの人気も〈昭和〉へのまなざしの一つといえよう。「渡る世間は鬼ばかり」はパート6が去年4月から今年3月に放送され、平均視聴率23.5%を記録した。これは2003年1月−3月期ドラマ平均視聴率1位の木村拓哉、堤真一出演のTBS「GOOD LUCK!!」の30.6%、2位の松嶋菜々子、福山雅治出演のフジテレビ「美女か野獣」の18.5%と比較してもかなり高いことがわかる。「渡る世間は鬼ばかり」は主に小島五月(泉ピン子)の実家である「お食事処おかくら」と嫁ぎ先の「中華幸楽」で展開されるドラマで、五月の姉妹、夫の姉妹など多くの家族の物語がそこには含まれる、正真正銘の正統派ホームドラマである。子供の問題、嫁姑の問題などが「リアルな」形で現れ、登場人物と同時に、視聴者をも悩ませる。ただ、その「リアルさ」は、現代の家庭にあるリアルな問題とは全く異なる。例えば、五月の息子である小島眞(えなりかずき)をはじめとして登場する子供たちの多くは、渋谷の109で買い物するお金欲しさから援助交際をするとか、もっと些細な事柄、例えばカラオケに行くとか、ライブに行くとかでさえ、しそうもない。その「リアルさ」は家の手伝いと受験勉強や就職活動との両立の困難さなど、今日のリアルさではなく、〈昭和〉のリアルさに支えられているのだ。昨シリーズには、今、脚光を浴びている若手人気女優の一人である上戸彩が五月の姪として登場した。このときの違和感は上戸彩に対して持っている平成の「今」のイメージと「〈昭和〉」のドラマの空間との間に生じたものだったと私は思う。
 テレビに現れる〈昭和〉へのまなざしはほかにも数多くあるが、最後に根強い人気を誇るTBS「3年B組金八先生」シリーズを挙げたい。これは1979年に始まったシリーズで、クラスに起こる数々の問題を3年B組の担任である坂本金八先生が生徒に寄り添って解決してゆく。このクラスには中学生の母であるとか、校内への警察の突入、保健室登校、近年でいえば性同一性障害などセンセーショナルな問題が時代を先取りする形で現れ出てくる。つまり、その点では「今」「未来」といった要素を帯びている。しかし、金八先生は今から見ての「過去」=〈昭和〉的である。彼は集団主義的な人物で、クラスを一つの共同体ととらえ、生徒たち一人一人に情を持って指導する。そして最後にはクラスは「一つ」になって卒業してゆく。前回のシリーズでは金八先生が教鞭を執る桜中学校に新しい校長先生が赴任してきた。彼は行事やセクシャルマイノリティーの特別授業など「学習」の妨げになるものはいらないと考え、成績を上げることを第一とする能力主義的な方針を持っており、金八先生などのレギュラー教師陣と対立を深める。最後には金八先生が校長先生に対して、「あなたは通信簿の5を作ってください。私は学校と人間を作ります」と投げかけ、「現場」から離れて教育委員会へと入ることになった。このシリーズでは金八先生=善、校長先生=悪という対立が一貫して描かれ、中学校でも金八先生のような先生がいたら、といわれたという。現在の「3年B組金八先生」の人気は、人情深い金八先生の人気に支えられている。
 より直接には、近年〈昭和〉ブームが起きている。例えば、デックス東京ビーチには昭和30年代の町並みを再現した台場一丁目商店がつくられ、若いカップルからお年寄りまで多くの人でにぎわっている。また、大分県豊後高田市では、時代から取り残されたいわゆる鄙びた田舎町が「昭和の町」として注目され、観光バスが押し寄せている。お菓子のおまけに昭和時代のポストなどのグッズが多く現れているのもこのブームの一つである。
 
5.〈昭和〉ブームの実際 ―〈昭和〉への郷愁と憧憬
 私は今年の8月7日、小田急百貨店新宿店で行われていた「近くて懐かしい昭和展」に足を運んだ。その内容をまず、まとめる。
 まず、会場の構成を見たい。チケットを買って、中にはいると昭和30年代の町並みが再現されており、大衆食堂やタバコ屋、駄菓子屋、銭湯などが並び、自転車やポスト、アサヒビールなどといった看板が自然にディスプレイされている。その町並みの終わりに、民家の居間が再現されており、ここが一つのメインとなっている。四つ足のテレビ、ちゃぶ台、鏡台、タンスなどの家具類に加えて、火鉢やおひつといった小物類も〈昭和〉らしさを放っていた。そのゾーンを抜けると「あの人気者たち」と題された一角にはいる。ここでは、例えば美空ひばり、力道山、長嶋茂雄といった〈昭和〉のスター・人気者の足跡の展示とともに、その人気の熱狂ぶりを扱ったVTRが流されるなどしていた。次に現れるのが「東京・消えた街角」という写真ギャラリーである。靖国通りや銀座四丁目といった東京の中心部から、荒川区東日暮里などその周辺部まで幅広い地域の写真が飾られており、建物や路面電車、未舗装の道路から〈昭和〉がうかがえる。最後の「昭和30年代あの頃の私」というコーナーではVANなどのファッションや音楽等、当時の若者文化やそれを彩ったジュークボックスなどが展示されており、そこを抜けると、この種の展覧会につきもののおみやげコーナーになっている。 この展覧会で興味深かったのは、客層の意外さである。「昭和30年代あの頃の私」というコーナーから見て、この企画のターゲットは50代から60代にかけてであるのだろう。確かに一番目に付いたのは60代以上の夫婦や50代の女性(この日は平日だったので、男性は非常に少なかった)で、三分の二ぐらいを占めていた。ただ残りの三分の一に注目すれば、多くが子どもを連れた30代から40代の女性である。デパートの催事ということを考えると、入場料大人600円は私の感覚からすれば決して安くない。彼女たちは昭和育ちであることは間違いないわけだが、この企画のいういわゆる〈昭和〉は子ども時代にぎりぎり体験したかどうかだろう。彼女たちは〈昭和〉が懐かしいのだろうか。
 私は近年の〈昭和〉ブームや集団主義的傾向への回帰を〈昭和〉へのまなざしと総括的に呼んできた。これを当初は〈昭和〉へのノスタルジーとして考えていたが、完全にはふさわしいとはいえず、この表現とした。今、より抽象的な「まなざし」と、より具体的な「ノスタルジー」との差異は過熱する〈昭和〉ブーム、さらには現在の日本文化論を読み解くにあたって、意識すべき重要な事項になっていると考えている。
 〈昭和〉はそれ自体が漠然としたイメージであり、確固たる定義は作れない。ただ、共通しているのは、抽象的には古き良き時代としてのイメージであること、その土台には家族が皆が寄り添って茶の間に集まって白黒テレビを夢中になって見ている、あるいは外に目を向ければオート三輪の走る未舗装の道には丸いポストが立っていて、近所の子どもたちが集まってベーゴマだとかメンコだとかに夢中になっている―といった風景があることだろう。もちろん、このイメージ通りの〈昭和〉を実際に生き抜いてきた人が〈昭和〉を懐かしむことは郷愁の情によるものといえるが、(社会で)生きていない人たちも〈昭和〉を懐かしんでいる雰囲気がある。人情味あふれる金八先生が醸し出す良さもこのイメージと共通しているわけだが、それを支持する中学生は、もはや平成生まれが大半である。そこでは彼らがいだいている思いは“〈昭和〉への郷愁”ではなく、〈昭和〉を新しい価値としてとらえた上での“〈昭和〉への憧憬”となる。これは平成生まれの中学生だけでなく、この昭和展を訪れている30代の女性にも一部はあてはまものだろう。近年の〈昭和〉に対する思いは、上辺では画一的な現象=〈昭和〉へのノスタルジーと見える。しかし、その思いは人によって、郷愁と憧憬が非常に様々な度合いで複雑に絡み合って成立しているものであり、一つにそのベクトルをそろえることはできない。この〈昭和〉へのまなざしの多様性を無視する形で一現象としてとらえることは不適当である。
 昭和について考えを進めてゆくと、有事関連法案が参議院で可決された際に、社会民主党の土井たか子党首が「新しい戦前が始まった」と会見でコメントしたのが思い起こされる。昭和はただの古き良き時代などではなく、戦争という大きな負の遺産も抱えている。憧れの対象が戦後の〈昭和〉からより深くさかのぼった昭和になるとき、あるいは意図的に〈昭和〉と軍国主義国家としての日本が存在し、力を持っていた昭和が混同されるとき、その政治家のコメントは現実味を帯びた意味深いものとなる。
 
6. 〈昭和〉へのまなざしと日本文化論の展望
 現在の「否定的」特殊性からの逃避としての〈昭和〉へのまなざしは、もちろん現実に立ち向かわず、停滞が続くことになっては困るが、苦しい現在と比べて輝かしく見える過去にただ「癒し」を求めるためだけならば、それほど大きな問題ではないと思う。しかし、この雰囲気につけ込んで、政治的意図の実現を狙った「慰め」の日本文化論が逆に国民の心理にあわせる、利用するように台頭してくる恐れがある。おそらく、その意図とは〈昭和〉的な日本の復活よりも、保守的政治家のいうところの「普通」の国家への脱皮、アジア諸国がいうところの軍事大国日本の復活にあろう。本来ならば〈昭和〉に心ひかれる人たちは様々なレベルで、郷愁・憧憬の入り組んだ複雑な感情をいだいており、一括りに扱うことはできないはずである。しかし、内実を無視して、皆〈昭和〉を良しとする共通の方向を向いているのだという最大公約数的な世論形成がある種強制的に行われ、〈昭和〉を媒介とした「慰め」の日本文化論の支持者とされるのではないだろうか。その世論形成は、具体的には先に見たように画一化された〈昭和〉への支持と軍国主義国家としての日本が存在し、力を持っていた昭和への支持を意図的に混同・融合することで、「普通」の日本を魅力あるものとして見せつけるなどの形で行われると考えられる。通常であれば、長年改憲がタブー視されてきたようにこの種の「改革」は大きな抵抗を受け、簡単には実現し得ない。しかし、グローバリゼーションが進展する一方で、国民の側はその国際的な枠組みに自分の「居場所」を実感しづらく、逆説的に「日本」が高い価値を持ち得ることから、意外にもその意図に無防備に取り込まれやすいのではないか。
 現実に、「慰め」の日本文化論が力を持ちつつあると私は考えている。登場しつつあるというのは正確ではない。なぜならば、いつの時代にもそのような意図を持った人たちの活動はあるわけであり、力を持ち始めているというほうが適切だろう。例えば、3で取り上げた亀井静香の発言もその一つではないか。確かに、今なお経済学者にもそう主張する人たちがいるように、不況時に政府は積極的に財政出動をはかるべきという日頃からの主張をふまえれば、古典的な「大きな政府」対「小さな政府」という構図で語るべき事柄であり、彼の発言は「民族」主義的な観点からなされたのではないともいえる。ただ今年九月の自由民主党総裁選での公約にある“「美しく力強い日本」の創造”、問題点として掲げられた“戦後の占領政策により日本人の自国の歴史に対しての誇りと自信を失った結果、精神的荒廃が進み先人の知恵によって築き上げた繁栄を受け継ぐことが出来なくなってしまった”、その具体的政策としての“日本人が本来備えていた誇りや魂を蘇らせる人間教育に重点を置く”や“国を守るという意識や体制を確立する”との文言などからは「弱体化」した日本を「勇ましい」国家に回帰させるという「慰め」の日本文化論の傾向が読み取れる。
 さらには、検討は不十分ながらも、自民党総裁選では亀井静香の応援弁士として、外務省田中審議官宅の不審物事件では「爆弾を仕掛けられて、当ったり前の話だ」との「勇ましい」発言をし、以前から「三国人」などと差別的な発言を繰り返す石原慎太郎の「日本よ」や太平洋戦争・日中戦争を自衛戦争と正当化する小林よしのりの「戦争論」「わしズム」の人気、「新しい歴史教科書」の登場が、「慰め」の日本文化論の台頭の一事例ではないかと考えている。特に教科書は中学生の価値観を決定していくにあたって、非常に大きな役割を持ち、その意味では、最も重い「日本文化論」であろう。ここで、その是非を判断することはできないが、事実として今までの「無味乾燥」とした教科書とは違い、特定の思想のスパイスが効いているためか、読み物として成立するほど起伏に富んでいて、単純にいえばおもしろい。ある意味で純粋で、免疫のない中学生がこれをもとに学習を進めていけば、その思想の影響を大きく受けることは間違いない。
 さらにその範囲を広げてみてみると、人気アイドルSMAPの最新アルバム「MIJ」(Made In Japanの頭文字を取ったもの)のPR番組として今年6月16日に放送された日本テレビ「スーパーテレビ 情報最前線」の「SMAP×JAPAN」が興味深い。これは日本に嫌気がさしたSMAPのメンバー5人が日本からの亡命をはかるが緑色の制服を着た武装警察官に取り押さえられて失敗し、日本のすばらしさを知るための「更正」プログラムとして、各地の「がんばってる人」のもとへと送られるというもので、最後にこの「ニュース」を伝える露木茂キャスターが「SMAPのメンバーは日本最高!と連呼していました」と伝えてこの番組は終わった。この「亡命」は中国・瀋陽の日本総領事館に駆け込んだ北朝鮮のキム・グワンチョルさん一家のパロディであり、不謹慎であるとの批判がなされたことは当然のこととして、私は別の観点から、ある種の違和感を感じざるを得ない。SMAPの歌う、3月発売の「世界に一つだけの花」はイラク戦争と絡んで各世代から「反戦歌」としても支持され、今年の夏には200万枚を突破した。「亡命」には、この楽曲とのギャップを非常に強く感じる。それが違和感のゆえんである。その他のテレビ局も、「MIJ」のPRのためにSMAPをゲストに招いては日本を賛美させ、何事もなかったようにそのコーナーを締めくくる。確かに彼らが民族主義的な立場に立っているとは誰も思わないし、これは一アーティスト(もちろんジャニーズ事務所の大きな力が影にはあるわけだが)の販売戦略であろう。しかし、ヒトラーのように、煽動的で本当の民族主義者が現れたときには何らかの歯止めがきくのだろうか。現在の心理状態の無防備さを改めて見つめ直し、慰めの日本文化論とそれに伴う発言・行動に対しては、主観や感情を冷静に見据えた対応が不可欠であろう。
 
「反戦歌」としての「世界に一つだけの花」
 「NO.1にならなくてもいい/もともと特別なOnly one」で始まるこの歌は一般に「反戦歌」ととらえられ、普段のSMAPのファン層とは異なる世代からの支持もあり、その売上枚数は200万枚を突破した。ただ、その歌詞は戦争は多くの人の命を奪う悲劇的なものでありすべきではないといった、"Love & Peace"的なものでないのは興味深い。例えば「そうさ僕らは/世界に一つだけの花/一人一人違う種を持つ/その花を咲かせることだけに/一生懸命になればいい」(傍点は私による)というように、この歌による「反戦」は相互不干渉の概念に基づく主権国家体制的なものである。(もちろん、「ポストモダン的」な多文化主義によるともいえるのかもしれないが、他文化との「共存」を主張する点では共通項があろう。)この「近代的」な「反戦」を考慮すると、「SMAP×JAPAN」との連続性は何ら不思議なものではないのかもしれない。
 
 
おわりに
 日本文化論の変遷、特徴を追ってきたわけだが、そこで見えてきたのは日本文化論の究極的な不可能性であった。固定的な「日本文化」は存在しないという意味での日本文化論の不可能性ではなく、2の冒頭で言及した「日本」という国民主義的な枠組みによる不可能性を考え、日本文化論の有効性を考えることで、この考察を終えたいと思う。
 今日では、経済、環境、犯罪などあらゆる分野でグローバル化が進んでいる。ここにおいては当然「日本」という枠組みからは漏れ落ちる多くの文化的な事象がある。例えば、日本人も積極的に参加・活動を始めたNGOに関していえば、それは国境に活動先、メンバーの出生地とも縛られてはおらず、特定の「~文化論」という文脈では分析はできない。例えば、拉致被害者の子どもたちからの手紙と写真を持ち帰ったことで話題となった「レインボーブリッヂ」はこれにあたる。この団体の活動目的は、「人道支援を行うことによってお互いに信頼関係を築きあげ、民衆レベルでの友好を深めると共に、国家間に立ちはだかる諸問題の解決へと導き、アジア諸国の友好関係、及び平和の樹立に貢献すること」であるという。NGOのように明白に国民国家の枠からあふれ出るものでなくとも、多国間あるいは全世界にわたって考えられるべき事柄は存在する。Ⅲで〈昭和〉へのまなざしの例として挙げた「プロジェクトX」もこれに当てはめても考えられる。アメリカの9.11での過剰な消防士崇拝、ラムズフェルド国防長官の「アメリカ人が日常の業務をすることは、テロとの崇高な戦いとなっている」との趣旨の寄稿をしていることを顧みると、「プロジェクトX」は同じ根を持つ「英雄の創造の物語」とも考えられないだろうか。「ヘッドライト・テールライト」にいう「語り継ぐ人もなく」「称える歌は英雄のために過ぎても」の意識である。それは、大澤真幸の言葉を借りれば、「第三者の審級」の減退ということになろう。
 純粋な意味で、日本文化論を成立させるには、欧米、イスラム圏、中国などすべての文化を見通し、完璧な普遍性を持つ「世界文化論」との比較が必要となろう。しかし、それはそもそも不可能であろうし、意味も薄い。日本文化論は、固定的な「日本文化」は存在しないことに加えて、「日本」という国民主義的な枠組みに由来する究極的な不可能性を帯びている。だからといって、少なくとも現時点においては、日本文化論を放棄することは現実的ではない。国民国家的な考え方は我々の奥深くまで浸透しており、「外国」に触れた際のカルチャーショックは偽りなどではない。そのとき、自分のあるべき姿、あるはずの姿を求めて、日本文化論という鏡を覗き込むことは必要であろう。ここで重要であるのは、日本文化論には常にある種のバイアスがかかっていることを念頭に置き、冷静に見極めること、さらには他の特殊な文化との接続的な視点に立って、より大きな文脈での意味にも関心を持つことである。
 
 
参考文献
青木保『「日本文化論」の変容 戦後日本の文化とアイデンティティー』中央公論新社
大久保喬樹『日本文化論の系譜 『武士道』から『「甘え」の構造』まで』中央公論新社
大澤真幸『文明の内なる衝突 テロ後の世界を考える』日本放送出版協会
酒井直樹『死産される日本語・日本人 「日本」の歴史-地政的位置』新曜社
中山元 編訳『発言 米同時多発テロと23人の思想家たち』朝日出版社
『ニューステージ世界史詳覧』浜島書店
『資料 政・経 2001』東京学習出版社
 
参考としたwebサイト
自由民主党 http://www.jimin.jp/
社会民主党 http://www5.sdp.or.jp/
豊後高田市 http://bungotakada.com/
朝日新聞 http://www.asahi.com/
日本テレビ http://www.ntv.co.jp/
テレビ東京 http://www.tv-tokyo.co.jp/
デックス東京ビーチ http://www.odaiba-decks.com/
NGOレインボーブリッヂ http://www.ngo-rb.org/