教育勅語と「さわやか3組」 博愛という徳目をめぐって
 ここ数日、ライブドアが日本を、世界を騒がせている。市民の関心はライブドアに、というよりはその社長である「ホリエモン」こと、堀江貴文氏に向けられている。それは、ファイナンスの時代ならではの金融的手法を駆使するなどの専門的な面から、公式な場にもTシャツ・ジーンズ姿で現れ、「金さえあれば何でもできる」と豪語するといったある意味では浅はかなイメージまでが、彼が「古い社会」に対する挑戦者の象徴としてとらえられているからだろう。
 この証券取引法違反の事件以前から、挑戦者としての「ホリエモン」への眼差しには、若者を中心とした好意的なものだけではなく、怪しげな錬金術師というような批判的なものもあった。ここには、西村茂樹が明治期に「其利益を図る所は一身一家に止まり、其限界の及ぶ所広くして一府県に限り、狭くして一町一村の外に出でず」と歎いたものと共通の現状認識がある。その時代の意識の中でつくられた教育勅語では、孝や友、和、信といった徳目が掲げられたわけだが、果たして現代ではどのような「道徳」が教育されているのだろうか。このレポートでは、NHK教育テレビで放送中の小学校3・4年生向けの道徳番組である「さわやか3組」に注目する。
 「さわやか3組」は、番組ホームページ「先生方へ」によれば、以下のような番組である。
 
 平成17年度さわやか3組は「自分を生かす力」を培うことをねらいます。番組では、性格の異なる2人の男の子を軸に展開します。外向的で腕白な男の子・明の家に、おとなしい治が単身、居候としてやってきます。同じ部屋、同じクラス、いつもほぼ一緒…そんな2人が時に反発し合い、また助け合い、お互いの長所、短所を補いながら切磋琢磨する日々を一年間、描きます。なお、今年度の舞台は、千葉県銚子市です。
 
 また、各回の放送には「ねらい」があり、それに沿って物語が展開されている。ここでは教育勅語に挙げられた徳目と同様のものも見られる。
 例えば、その話のひとつである「ぼくのまち、みんなのまち」では、「ねらい」として「わが国の文化と伝統に親しみ、国を愛する心をもつとともに、外国の人びとや文化に関心をもつ」ことが掲げられている。このあらすじをより詳しく見る。
 冒頭で、父は主人公である息子の明とその妹が目玉焼きに醤油をかけずに、マヨネーズや醤油をかけることを歎く。そして、明の家に居候をしている、もう一人の主人公である治のもとに、海外にいる父から、外国で知り合った子供が醤油を気に入ったので、醤油づくりの写真を送ってほしいとの手紙が届く。醤油は日常食べていることに気づかないほど身近なものであることを父や祖母から聞いた明は、治やクラスメイトの道夫たちと醤油づくりをしている道夫の父の工場に取材に行く。そこで彼らは誇りを持って困難な醤油づくりに取り組む職人の姿にふれ、最初は父の仕事を古く、小さな会社で恥ずかしいものだと感じていた道夫も自信を持つ。この工場見学で、醤油の味を守ることの大変さや醤油の味のすばらしさを明と治は理解し、その様子を治は父へと手紙で伝える。
 この話は教育勅語でいう、「博愛」のゆがみと重なる部分が多いのではないだろうか。
 教育勅語では「博愛」とはいえ、それは無制限にすべてを愛するということは意味していなかった。前提として国の安危があるために、万国同愛では忠君愛国に反することから、井上哲次郎『教育勅語衍義』で「博愛の法、必ず順序なかるべからず」とされているように、無差別・平等が排除された範囲のある「博愛」だった。
 その観点から話を振り返ると、主人公が明と治という、「明治」コンビであることも興味深いが、日本の調味料である醤油を愛する父が外国由来の調味料をかける子供たちを歎くという、国の安危から物語は始まるといえよう。そして、外国からの求めによって醤油づくりの現場に接することで、最終的には醤油づくりを「かっこわるいもの」としてとらえている道夫とともに、明たちは醤油に、そして醤油を造る職人に、そして醤油を造る「ぼくのまち」に誇りを持つようになり、さらに治は外国へと日本の誇れる醤油づくりを手紙にしたためるわけだ。
 「ねらい」は国を愛し、外国に関心を持つこととされてはいるものの、結局外国に関心を持つということは物語の中では具体的に提示されない。この話の中では、外国は日本のすばらしさを認める役割を果たしているにすぎず、教育勅語の「博愛」と同様に日本は外国に勝っていることが容認されるようになっている。
 また、醤油づくりの職人も、他国への対抗の物語に取り込まれることで、結果として「愛国者の模範」であるかのように描かれていることにも注意したい。通常、醤油づくりの職人が愛国心を持って仕事に取り組んでいるとは考えられないが、海外の父と知り合いの子供にその様子を伝えることで、職人は教育勅語にいう「公益ヲ広メ世務ヲ開」く、日本の誇れる人物になっている。これによって、日常の仕事に誇りを持って、誠実に取り組むことは愛国であることが示唆されているのではないか。
 以上、教育勅語にそって、「さわやか3組」の話の一つ、「ぼくのまち、みんなのまち」を見てきたが、これは「海外に誇れることが誇らしい」というような外国を無意識のうちに上位においた物語として読むことも可能だろう。一方では日本に対する強い愛着を示し、一方では外国への強い憧憬を示しているこの姿は、ある意味では明治以降の日本に共通したものだといえないだろうか。
 
参考にしたホームページ
NHK「さわやか3組」 http://www.nhk.or.jp/3kumi/