最初に、このレポートでのナショナリズムの定義をしたい。ここでは吉野耕作の「ナショナリズムとは、「我々」は他者とは異なる独自な歴史的、文化的特徴を持つ独自の共同体であるという集合的な信仰、さらにはそうした独自感と信仰を自治的な国家の枠組みの中で実現、推進する意志、感情、活動の総称」(吉野耕作, 1997, 『文化ナショナリズムの社会学』, 名古屋大学出版会, 10-11)との定義に沿って現代日本のナショナリズムの表出形態を挙げていく。
その項目は、第一に「日の丸・君が代の支持」、第二に「竹島、北方領土等、領土権の主張」、第三に「靖国神社参拝への非難への反発」、第四に「スポーツにおける日本代表」、第五に「部活動の全国大会とその予選」、第六に「修学旅行」、第七に「昭和への憧憬」である。第一から第三までは「~問題」と一般に称されるように、他国に対する独自性をつねに意識し、一般に賛否両論がありつつも一定以上の支持を集めているもの、第四から第七は、明らかにナショナリズム的な特徴を示しつつも、そのような批判は受け付けさせない、することが難しいものといえよう。以下、それぞれについて論じていきたい。
1. 日の丸・君が代の広がり
政府としては、小・中学校の場合、1989年の学習指導要領の改訂において、「入学式や卒業式などにおいては、その意義をふまえ、国旗を掲揚するとともに国歌を斉唱するように指導するものとする」とし、1999年の広島の県立高校校長が文部省の通達と反対する教職員の狭間に立たされ自殺したことをきっかけに議論が加速し、この年の8月には日の丸を国旗、君が代を国歌と定める、国旗及び国家に関する法律が成立(自民、自由、公明三党に民主党の一部などを加えた賛成百六十六票、反対は七十一票)、施行された。その一方で、日の丸・君が代は戦後、第二次世界大戦中の軍国主義日本のシンボルとしてアジア各国や日本のリベラル層から敬遠されてきた。しかし、2002年10月に実施、読売新聞の世論調査によれば、「『日の丸』『君が代』ともに愛着を感じる」という人は53%と半数強を占め、これに「『日の丸』には感じるが、『君が代』には感じない」(12%)を合わせると、日の丸に愛着を感じる人は65%に上り、また、君が代に愛着を感じるという人も、「ともに感じる」と「『君が代』には感じる」の合計で55%を占めている。この結果を半分の人は支持していると理解するのか、半分の人は支持していないと理解するのか見方は分かれるが、一定程度以上の支持があることは確かである。また、後に論じるが、スポーツの舞台でも日の丸・君が代は日本人としての一体感の創出に大きく関わっている。数年前には、サッカー日本代表の中心選手が君が代を歌っていないことが一部で問題視され、騒動に発展したことも記憶に新しい。
2. 竹島、北方領土等、領土権の主張
現状として、北方領土はロシアによって統治されているわけだが、本来日本の領土であるのだから、 2001年10月実施、2001年10月31日掲載の読売新聞の世論調査によれば、 返還されるのが当然との見方がとられている。そのとき、返還されることでのメリットが語られることはあまりない。メリットとしては漁業権の拡大などが挙げられるのだろうが、それよりも、単純にロシアに対する共同体としての日本のナショナリズムのシンボルとして機能している面が強い。
同様の見方は竹島についても当てはまる。竹島の場合、韓国が独島=竹島の日本の領土への編入は韓国併合への第一歩であり、歴史的にも韓国固有の領土だとの主張のもとで実効支配しているが、日本も歴史的に日本固有の領土であると主張し、対立している。竹島の面積は約0.23km2で、東京の日比谷公園と同程度しかなく、北方領土以上にその島自体の獲得にはメリットはなく、漁業においても相手国の排他的経済水域内での漁獲が制限付きで認められており、海底資源等も発見されていない。しかしながら、竹島の領有権をめぐる問題は関心を集めつづけ、2005年は日本が竹島を編入して100周年を記念して「竹島の日」の制定に関する条例が島根県議会で3月16日に可決、制定された。
それを受けて2005年5月に読売新聞・韓国日報の共同でなされ、2005年6月10日に読売新聞に掲載された世論調査の結果によれば、「日本の立場をもっと明確に打ち出すべきだ」に注目すると、過半数がはいと答えている。ここでも、韓国に対する日本という共同体を主張する日本のナショナリズムのシンボルとして機能している様子がうかがえる。
3. 靖国神社参拝への非難への反発
靖国神社自体がもちろんナショナリズムを見事に表象するものであるわけだが、その一方でロバート・ボコックの指摘のようにそれは同時に反ナショナリズムのシンボルとしても機能してきた。しかし、その構図が変わりつつあるのではないか。
2005年5月に実施された読売新聞と朝日新聞による世論調査を参考にする。まず、小泉首相の靖国参拝に関してみると、両者の調査で、その賛成(読売:47.7, 朝日:39)と反対(読売:44.5, 朝日:49)が食い違っているが、いずれにしても賛否は真っ二つにわれていることがわかり、この点では、ナショナリズム・反ナショナリズムのシンボルとしての靖国神社が見て取れる。しかし、朝日新聞の「中国側の靖国参拝問題視を理解できるか否か」に関しての結果を見ると、「理解できない」が「理解できる」を上回っている。つまり、小泉首相が靖国神社に参拝することは必ずしも支持できないけれども、他国に非難される筋合いはない、いわゆる靖国参拝についての非難は内政干渉である、との見方が広がっていることがわかる。ここにこそ、ナショナリスティックな反応がある。
また、靖国神社自体には賛否があるものの、国家追悼施設になると、その抵抗感は薄らぐのかもしれない。読売新聞が2001年10月に実施した、国が戦没者を慰霊する場所としては、靖国神社が良いか慰霊のための新しい施設を作るのがよいと思うかとの問いに対して、前者が48.2、後者が42.1となっている。
この質問自体が、国が戦没者を慰霊する場所として、「靖国神社」か「慰霊のための新しい施設」かの二者択一であるため、国が慰霊することの是非が問われていないわけだが、それは問う必要さえない前提とされているからだろう。靖国神社とは何かや国が慰霊することの意味を解説した、高橋哲哉『靖国問題』(筑摩書房)は2005年4月の初版以来20万部を突破したという。読売新聞のサイトにある「本よみうり堂」での記者のコラムで以下のように書く。
「靖国」とは「国(クニ)を安(ヤス)んずる」ことだという。ところが、小泉首相の靖国参拝を巡って国論は二分、安んずるどころではない騒ぎになっている。
問題は何か。発売2か月で20万部を超えた本書で、哲学者は、様々な感情の対立を整理し、問題の深層に迫る。靖国肯定派は、戦死者を英霊として追悼したい遺族の感情を重視する。一方で、靖国を拒む遺族もいる。日本統治下の韓国、台湾では、多くの人が戦争に動員され、靖国に合祀(ごうし)された戦死者も少なくない。遺族の中には〈侵略した国の「護国の英霊」として親族が祀(まつ)られている現状は耐えがたい屈辱〉という感情がある。
この割り切れない問題を解決するために、著者は靖国神社を、そこに祀られたいと遺族が望む戦死者だけを祀る施設にするよう主張する。同時に、憲法の「不戦の誓い」を現実化すべきという。しかし、軍事力廃棄を巡っては、靖国問題以上の対立がある。読み終わり、頭の中は整理されたが、割り切れない感情が残った。そこに靖国問題の難しさがある。
記者のいう、割り切れない感情、それがナショナリズムなのだろう。この20万部を越えるヒット作は今後の問題の往く末に影響を与えるのだろうか。読み通したにしてもその割り切れない感情が、逆効果をもたらすような気もする。
4. スポーツにおける日本代表
「日本代表」といわれた時に思い浮かぶものは何かと尋ねるならば、おそらく多くの人たちは、サッカーや野球、バレーボールなどスポーツの日本代表チームだと答えるだろう。しかも、これは上記の歴史教科書などとは異なり、否定的に捉えられることはマスメディアなどではまずないし、そのような発言は許されない状況が一般にも多く広がっている。しかし、何よりも、皆が日の丸という日本のシンボルを振り、「ニッポン!ニッポン!」と連呼するあの一体感の創出を考えれば、これはナショナリズムの表出形態の一つだと考えられる。具体的にその様子をサッカーとバレーボールの日本代表戦に見る。
まず、2003年3月28日に国立競技場で行われた日本対ウルグアイ戦に行った際の様子を述べたい。試合前から、何時間も競技場に並び、既にその時点から日本代表を応援する一体感は生まれていた。彼らは青いユニフォームのレプリカを着て、時には見知らぬ人と日本代表のサッカーについての議論を始めた。試合開始前には、ゴール裏には巨大な日の丸が掲げられ、試合中は、プレーの善し悪しを語るなどということはなく、ただひたすら日本の応援をすることが求められた。この応援には自分の意志などというものは存在しない。応援を指示する人の号令のもとで、その通りの応援をせざるを得ない強力な、強制的な一体感がスタジアムを覆っていた。この日本代表戦から生じた一体感はスタジアムだけではなく、テレビやラジオ、新聞など、マスメディアを通じて、日本国民中に広がる。この話題は普段は中立性をうたうNHKなどのメディアも明らかに日本代表に肩入れし、視聴者の側も日本代表の試合結果に一喜一憂する。
次に、6月から開催中の女子バレーボールワールドグランプリ2005の様子を、7月13日フジテレビ放送の「女子バレーボール2005ワールドグランプリ「日本×イタリア」」の模様からみる。この番組はディレイ放送であり、日本を重視する方向に加工が施されているのだが、放送は19時に始まるものの、試合開始は18時であるため、そのタイムラグやその加工が露呈しにくい点に注目したい。国際大会であるため一方のチームにあったことは、もう一方のチームにも本来はあったはずなのだが、例えば、日本選手は光り輝く日の丸を背にコートへと入場するシーンが印象的に挿入されているのに対し、イタリアの選手に関しては入場のシーンは一切ない。スティックでリズムをとっての「ニッポン!ニッポン!」コールや、日の丸を使っての一体感の創出に加えて、この点で、一連のバレーボールの中継は、通常の日本代表戦よりも、さらに濃密に「日本らしさ」を視聴者に感じさせる。
もう一つ指摘しておきたいのは、この中継におけるスペシャルサポーターNEWSの存在である。彼らは試合前には日の丸をイメージしたとも取れる白地に赤色をさした衣装をまとい、コートでイメージソング「TEPPEN」を照明などの演出のもと歌い、試合中も、アナウンサーと試合の経過を振り返えったり、応援歌「Stand Up」とともに、会場の音頭をとって応援を行ったりしている。NEWSのファンが多く駆けつけるためだと思われるが、会場には若い女性の姿が多い。
明らかにナショナリスティックなシンボリズムの使用はしばしば逆効果であるとのロバート・ボコックの指摘をここで思い出したい。試合の進行にはまったく無関係であるにもかかわらず、日の丸を背景にしての入場や試合前に斉唱される君が代はまったくカットされていない、「日本らしさ」が濃厚なこの番組にもある種の近づきがたさや反発が存在するはずである。その近づきがたさや反発を軽減する役割、シンボルの逆効果を低減する役割をアイドルグループNEWSが担っているといえないだろうか。彼らはこれまでも、アテネ五輪バレーボール世界最終予選や女子バレーボールワールドグランプリ2004にもスペシャルサポーターとして参加している。これらの大会の模様を放映した番組はいずれも高視聴率をおさめているという。このNEWSと同じような働きをしたものとして、アテネ五輪女子サッカー日本代表「なでしこジャパン」とモーニング娘。、2006 FIFAワールドカップアジア地区最終予選の「応援団長」としてのSMAPの香取慎吾が挙げられる。また、女子バレーボール日本代表自体のアイドル化もその方向性があるものだといえるだろう。各選手にはそれぞれキャッチコピーとニックネームがつけられており、アテネ五輪最終予選からアテネ五輪にかけては「パワフル・カナ」こと大山加奈や「プリンセス・メグ」こと栗原恵が、開催中の女子バレーボールワールドグランプリ2005でも「攻守に輝く「カオル姫」」こと菅山かおるが脚光をあびている。商業的な成功をめざした結果、ナショナリスティックな番組になっているのか、あるいはそもそもナショナリスティックな番組作りがあって、それが商業的にも成功しているのかはわからないが、現実として、近づきやすいナショナリスティックな番組になっていることは間違いない。
また、NEWSの歌うイメージソングも興味深い。アテネ五輪バレーボール世界最終予選イメージソング「希望~Yell~」、女子バレーボールワールドグランプリ2005イメージソング「TEPPEN」はともに、夢、目標、TEPPEN=頂点をめざして頑張ろう、という単純な曲だが、女子バレーボールワールドグランプリ2004イメージソング「紅く燃ゆる太陽」はその解釈次第ではナショナリスティックな歌詞にも取れる。
紅く燃ゆる太陽は何を指すのだろうか。これを、彩色地を白色、日章を紅色とする日の丸の日本だとするならば、この歌の歌詞は熱烈な日本に対する恋心を歌っていることになる。そこまで想定しての歌詞ではないだろうが、これがナショナルな感覚を持った場で歌われる時、太陽と日本を重ねることはそう遠くないようにも理解できる。
5. 部活動の全国大会とその予選
今年も、日本各地で全国高校野球選手権大会、いわゆる「夏の甲子園」の地方大会が6月から開催されている。ここで勝ち抜いた高校が全国大会への出場を果たすわけだが、この種の大会は何も硬式野球に限ったことではなく、軟式野球やサッカー、バスケットボールなどのいわゆる運動部だけではなく、文化部の部活動である吹奏楽等にもある。
例えば、東京都にある中学校の吹奏楽部の場合であれば、東京都中学校吹奏楽コンクールでA組の金賞受賞校の中から上位6校が、東京都吹奏楽コンクールに出場し、そこでの金賞受賞校が全日本吹奏楽コンクールに出場するという仕組みになっていて、たとえどんなに下手な学校であっても、先生は建前で、生徒は実際に真剣に全国大会をめざす。
このような大会で、戦う相手は、いつもは顔の見えない知らない誰かであり、その相手を特徴づけるのは自分と同年代であることと、相手が日本国民であることである。(もちろん、外国人選手がいる場合もあるが、箱根駅伝などでは外国人の出場選手数が制限されている点も興味深い。)また、この仕組みでは、途中で敗れることが大半であるにしても、全国大会、そして日本一へと通じている。たどり着けるのは日本の頂点であって、決してアジアの頂点でもなく、世界の頂点でもない。日本一という同じ目標に向かって突き進むことによって、その成員たちは、ベネディクト・アンダーソンのいう「想像上の絆」を結び、自分が日本という「想像上の共同体」に属することを実感していく。
日本人のかなりの割合がこの経験を共有しているだろう。中学校に入学すると、たいていはどこかの部活に入部することが要求される。それまでの身近な知り合いの間で体育の授業や休み時間の単なる遊びから、大会で勝とうとすることを通じて全国の人たちと結びついていく。私自身は中学校時代に吹奏楽部員として、そのような経験をした。大学入学後は、様々な地域から集まって来る人たちと話をする機会を持つわけだが、吹奏楽の経験がある人と、例えば、「中学1年の時のコンクールの課題曲の「はるか、大地へ」のDのソロが…」というような話をしたことがある。非常にばかばかしいように思えるが、同じ楽譜を、同じ目標の下で演奏していたという連帯意識は確かにあるのだと感じさせられた。
6. 修学旅行
戦後育ちのほとんどすべての日本人が体験している旅が、修学旅行である。戦前から修学旅行は存在していたが、義務教育が拡大された戦後になって、ほぼすべての日本人が経験するものとなった。修学旅行がいかなるものかは三島由紀夫『潮騒』、「新治の弟の宏が修学旅行に出発する日が来た。京阪地方を五泊六日で周遊するのである。そのときまで島を出たことのない少年たちは、一挙にひろい外の世界を目で見て学んだ。」との一節に端的に表れている。
上記の「部活動の全国大会とその予選」が「想像上の絆」を結ばせていたように、修学旅行も自分が日本国民であるとの意識の形成に大きく関わっている。中学校学習指導要領には修学旅行(旅行・集団宿泊的行事)は、「平素と異なる生活環境にあって,見聞を広め,自然や文化などに親しむとともに,集団生活の在り方や公衆道徳などについての望ましい体験を積むことができるような活動を行うこと」と書かれているのみだが、修学旅行参加者109名が犠牲になった昭和30年の紫雲丸の沈没などを受けて、修学旅行の是非ついての議論が交わされた文部省修学旅行協議会では以下のような協議結果がまとめられている。
A 修学旅行の教育的意義をどう考えたらよいか。
(1) 最近、紫雲丸事件をはじめとして各種の事件が相ついで起こったため一部には修学旅行に対し危ぐの念をいだき、また否定的な気分をもつものがある。しかしながら、修学旅行は、用意周到に行われるときは、その教育的意義はきわめて大きいものであるから、いたずらにい縮することなく、安全のための万全の策を講じ、教育効果を高めるように実施すべきである。
(2) 修学旅行の教育的意義については、
(イ) 国民教育的見地から国の文化中心地または重要地を見聞する経験をもたせること。
(ロ) 教科学習を直接経験によって拡充すること。
(ハ) 旅行を通じて保健衛生、集団行動、安全教育などの心身の訓練を行うこと。
(ニ) 学校生活の印象を豊かにすること。
等が考えられる。
さらに常識的にいうと、学友師弟がいっしょに寝泊まりすることによって、学校生活の思い出を豊かにすることにもなる。
(3) 以下略
普段の生活圏を列車や船などで離れ、「国の文化中心地または重要地を見聞する経験」をもつことは日本人としての意識を醸成することになるだろう。修学旅行先への移動について考えると、昭和34年には修学旅行専用列車が、同時期に専用船が就航し、昭和46年からは新幹線による移動が一般化している。この中でも、スピードやダイヤの正確さにおいて日本の技術の高さを証明するとされる新幹線に乗って修学旅行に行くことは、大きな役割を果たしたといえよう。その連続して切り取られていく車窓に広がる、田畑、都会、あるいは日本のシンボルとしての富士山など、その目にするものは、私と私の住む所とつながったひとつの日本であると、具体的な姿をもって生徒に示していく。さらに、その目的地で、それはまさに「国の文化中心地または重要地」である奈良・京都や東京であることが多いわけだが(義務教育の中学校の旅行先として両者が選ばれることが多いのも、国民教育の観点からなのだろう)、東京では国会議事堂や最高裁判所といった政治的な日本を、奈良・京都では、法隆寺や清水寺といった文化的な日本を体験していくことになる。
7. 昭和への憧憬
ここ数年、昭和ブームがつづいている。例えば、2002年10月には、東京都港区のデックス東京ビーチに昭和30年代の町並みを再現した「台場一丁目商店街」がオープンし、若いカップルからお年寄りまで多くの人でにぎわっている。また、大分県豊後高田市では、時代から取り残されたいわゆる鄙びた田舎町が「昭和の町」として注目され、そこには観光バスが押し寄せている。お菓子のおまけに昭和時代のポストなどのグッズが多く現れているのもこのブームの一つである。この昭和ブームはグローバリゼーションが進展し、独自性を失ったとされる現代日本からの、本来あるはずの独自性への渇望という点でナショナリズムの表出ということができよう。(別紙4も参照)
2003年8月に小田急百貨店新宿店で行われていた「近くて懐かしい昭和展」を手がかりに、その昭和ブームの実際をみたい。
まず、会場の構成を見る。チケットを買って、中にはいると昭和30年代の町並みが再現されており、大衆食堂やタバコ屋、駄菓子屋、銭湯などが並び、自転車やポスト、アサヒビールなどといった看板が自然にディスプレイされている。その町並みの終わりに、民家の居間が再現されており、ここが一つのメインとなっている。四つ足のテレビ、ちゃぶ台、鏡台、タンスなどの家具類に加えて、火鉢やおひつといった小物類が展示されている。そのゾーンを抜けると「あの人気者たち」と題された一角に入る。ここでは、例えば美空ひばり、力道山、長嶋茂雄といった昭和のスター・人気者の足跡の展示とともに、その人気の熱狂ぶりを扱ったVTRが流される。次に現れるのが「東京・消えた街角」という写真ギャラリーである。靖国通りや銀座四丁目といった東京の中心部から、荒川区東日暮里などその周辺部まで幅広い地域の写真が飾られており、建物や路面電車、未舗装の道路から「昭和」がうかがえる。最後の「昭和30年代あの頃の私」というコーナーではVANなどのファッションや音楽等、当時の若者文化やそれを彩ったジュークボックスなどが展示されており、そこを抜けると、この種の展覧会につきもののおみやげコーナーになっている。
これらの街並みや家具類は日本的といえるものであろうし、テレビという適度な距離を保たせ続ける媒体を通じて、美空ひばりや長嶋茂雄らは日本国民の統合のシンボルとして、ある意味では天皇以上に視聴者に「私たちは日本人だ」との意識を持たせてきたものである以上、独自の共同体であるという集合的な信仰に関わっており、その意味でこれはナショナリズムの表出である。
ただ、この見方は表層的なものに過ぎない。この昭和ブームでは同時に精神的な面が強調されることが多い。例えば、「台場一丁目商店街」のキャッチコピーは「日本中が元気だった昭和三十年代でお買い物!!」、「台場一丁目商店街青年団長」藤田康弘は「情けは人のためならず。人のために善い行いをすれば、必ず自分のためにもなる。先の見えない世の中だけど、何か人のためになることをしよう。幸いこの商店街には夢と元気と人情がある。活気のあった30年代を忘れないでね。」と述べている。また、豊後高田市「昭和の町」は、そのホームページで以下のように「昭和の町」を紹介している。
豊後高田市の中心商店街は、江戸時代から明治、大正、昭和30年代にかけて、国東半島一の賑やかな町として栄えていました。
昭和30年代以前に建てられた古い建物が7割も現存することから「昭和」にスポットをあて、懐かしく、いとおしい昭和の街並みを再現し、まちおこしに取り組んでいます。
ところで、昭和30年代というのはどんな時代だったのでしょうか。
経済的には貧しかったけれど、どこか賑やかで、 隣近所が肩を寄せ合いながら、助け合いながら生きていました。
そこそこ幸福で、心に余裕がありました。
「昭和の町」は、商人の心にも、建物の景観にも、その当時のままを持ち合わせています。
時は人や物を変えていきましたが、変わらなくてよかったものがそのまま残されています。
懐かしさにしてしまったものが、ここにはまだ大切に残っているのです。
ここに共通した強調される精神的な側面は、本来日本が持っていた価値観としての人情であり、昭和ブームを精神的なレベルで支えているのは、グローバリゼーションの中で個人主義的に変化してしまった日本人の本来あるべき集団主義的な姿である。
1970年代から1980年代初頭にかけて最盛期を迎えた知識人・文化エリートによる日本人論が1990年代以降、ビジネスのマニュアル本や予備校のテキストによって大衆化が進んだとの吉野耕作の指摘をここであわせて考えると、もはや集団主義が日本人の特徴であるとの見方は当然視され、日本的なものの前提とされているといえよう。集団主義的な日本を描くことは、そのときにはそのまま独自の共同体であるはずの日本を強化していくことになる。
例えば、2000年放送開始のNHK「プロジェクトX 挑戦者たち」、その主題歌、中島みゆき「地上の星」の大ヒットがこれにあてはまる。最近では題材が尽き気味ということからか例外も多いが、このドキュメンタリーには一つの型が存在する。主人公は昭和の勢いづく日本にありながらも、日の当たらない部署・会社の面々で、解散の危機が迫る。しかし、何らかの信念を持って、紆余曲折を経ながらも、それぞれが集団主義的に「ものづくり」に励む。そこでできあがる「もの」は画期的な製品であり、市場という広い「世界」へと飛び出し、高い評価を受ける―。この番組構成も興味深い。オープニングは「地上の星」をBGMとして「劇的な」キーワードが画面に登場する。そして本編では、感情を抑え、独特の間・言い回しをもった田口トモロヲによる低音のナレーションが、飾り気のないフレーズを用いて感動を呼び起こす。さらにスタジオではその主人公が涙を流し、感動の余韻に浸りながら、主人公のその後を追うVTRが「ヘッドライト・テールライト」をBGMにして流されるエンディングへと向かう。この番組は、個々の人々の動きを追って教訓とするものや、真実を後世に伝えるためのドキュメンタリーとは決定的に違う。実際、映画化されるに至った2000年4月4日放送の第2回「窓際族が世界規格を作った」や2001年7月10日放送の第60回「白神山地 マタギの森の総力戦」などでは事実と異なるという批判がなされたにもかかわらず、今なお番組が存続していることを考えてみても、番組に求められているのは普通のドキュメンタリーとは異なることがわかる。「地上の星」に表現を借りれば、「地上の星」が誰で、どういった活動をしたのかではなく、「今何処にあるの」かが問題なのだ。この番組の主眼は、集団主義としての日本が世界の中で抜きんでた「力」を持っていることの確認に置かれている。
以上7つ、現代日本のナショナリズムの表出形態を挙げてきた。先生がおっしゃっていたように、数百円の日の丸と個人の自由とどちらが大切かという問いの答えが明らかに前者のほうへと傾きつつあることがわかる。しかも、その姿は明らかなものだけではない。何らかの装いをもったものが多い。何が大切かは個人によるものだろうが、その意図を明らかにしていくことは学問の担う重要な役割だろうし、市民の側としても注目していくべき事柄である。マスコミに就職したいと考えている(いた?)私としては、改めてその安易な動き(意図的な動きである場合も多いのだろうが)を、考えさせられてしまった。
参考文献
吉野耕作, 1997, 『文化ナショナリズムの社会学』, 名古屋大学出版会
Benedict Anderson, 1991, Imagined Communities Reflections on the Origin and Spread of Nationalism Revised edition, Verso = 1997, 白石さや・白石隆訳『増補 想像の共同体 ナショナリズムの起源と流行』, NTT出版
高橋哲哉, 2005, 『靖国問題』, 筑摩書房
参考にしたウェブサイト