NHK「プロジェクトX~挑戦者たち~」は、「熱い情熱を抱き、使命感に燃えて、戦後の画期的な事業を実現させてきた『無名の日本人』を主人公とする『組織と群像の知られざる物語』」*を描く、主として中高年からの支持を集め、2000年3月の開始から150回近く続く人気番組である。また、6月に日本PTA全国協議会が発表したアンケート結果*によると、調査対象の小5、中2の保護者が選んだ「子どもに見せたい番組」の第1位に選ばれている。なぜ、この番組がここまで人を引きつける力を持つのかを記号の利用の分析を通して考えたい。このレポートでは2004年6月22日放送の「男たちの復活戦 デジタルカメラに賭ける」を例として扱う。
そのオープニングは以下のようなものである。真っ白な画面に「エックス」というささやきとともに「X」のロゴが現れ、次に夕刻の東京の上空からの映像をバックに、「技術立国日本、16年前そこに危機が迫っていた」というナレーションが付き、スタートする。続いて、ディスコの映像に「合い言葉は濡れ手で粟」、札束を数える映像に「多くのメーカーが株や土地投機に熱中した」とのナレーションが付く。そして「その時、ひたむきに電気回路に向き合う男たちがいた・・・」とのナレーションが続き、それを指示する記号として、電気回路に向き合う一人の男などの写真や映像が引かれていく。ここで札束などの映像はナレーションのいうバブル期の現象を、技術者や電子回路の写真と映像は、デジカメの開発を指示する記号として引かれている一方で、視聴者の側から見れば、ナレーションにかかわらず、札束やディスコなどの映像はステレオタイプ的なバブル期を象徴する記号となっており、バブルに関する栄光と挫折の記憶を想起させる。そして、主題歌「地上の星」が流れ、バブルとデジカメ開発の苦労を表す映像と、それを端的に表す歯切れの良いキーワードが画面に現れては消えていく。このキーワードは、例えば「その時ひたむきに電気回路に向き合う男たちがいた。メーカー25社の技術者たち、ものづくりが何より好きだった。」のように「~た」を短い文で繰り返す、ヤコブソンの六機能図式の考え方によれば詩的機能にあたる、独特の言い回しの活用とともに、視聴者を「プロジェクトX」の世界に引き入れようとする。この番組の導入部分によって視聴者は、今回のテーマであるデジカメ開発の「サクセス・ストーリー」を単なる事実としてだけでなく、自らの物語としても引きつけることになる。
しかし、この手法はオープニングだけではなく、その後番組を構成していくVTRにもあてはまることである。ナレーションで当事者間のやりとりが視聴者に伝えられる際には、例えば、営業担当者が開発者に電子カメラの販売不振を訴えるシーンで「ボーナス商戦でも、クリスマス商戦でも、全く売れない。どうしてくれるんだ。」とナレーションが入るように、直接話法が用いられる。これは独特の言い回しとともに詩的機能にあたるといえ、視聴者にそのリズムが心地よく働きかける。ここで用いられる「映像」は大きく分けると、時代を象徴するのみで、デジカメ開発には直接関わりのない映像、開発とは関係のない、過去あるいは現在撮られた当事者の映像や写真、開発の実際の映像あるいは写真、開発の再現VTRの6種類になる。その中でも、例外はあるものの、開発の際のエピソードを紹介するときに、顔が慎重に隠された再現VTRが用いられること、過去に撮られた映像や写真が、再現VTRのかわりに用いられることがしばしばあることに注目したい。これらからは、相対的な意味で、テレビが持つ〈いま・ここ〉の指標性を遠ざけ、象徴性や映画的な図像性を獲得することで、安定性・重厚さを得ようとしていることが読み取れる。
一方で、スタジオなどで展開される、国井雅比古、膳場貴子キャスターによる掛け合いは、テレビが持つ〈いま・ここ〉の指標性を活かし、マッサージ的なコンタクトによって視聴者を引きつけるものとなっている。例えば、デジカメの前身である電子カメラの失敗を伝える際には国井キャスターが70%引きを示す広告を手にもち、指し示して紹介し、膳場キャスターが「切ないですねえ、投げ売り」などとくだけた表現を使い、ざっくばらんに反応する。また、スタジオに登場する開発者が果たす役割も大きい。自らの口から、その苦労を語るだけでなく、デジカメの開発の成功、そしてヒットを伝えるVTRを見て感涙にむせぶ姿は視聴者に大きなインパクトを与える。そして、NHKの番組でありながら、メーカーや店名が隠されることなく、むしろ積極的に明らかにされていく点も〈いま・ここ〉の指標性を通して、視聴者にこの開発の物語を実感として受け入れやすいものとしている。例えば、今回のテーマであるデジカメの開発はカシオによるというだけではなく、ソニーの8mmビデオの登場で、カシオやミノルタ、キャノンといった8社による、デジカメ初期の電子カメラ市場は壊滅状態になったことや、デジカメ開発の有志連合のリーダー格に東芝の技術者が就いていたことなど、特に社名を明らかにしなくとも進行上問題はなさそうなものであっても、社名が明らかにされていく。
つまり、この番組はテレビ的な〈いま・ここ〉の指標性・マッサージ的なコンタクトと、象徴性や、「かつて」の痕跡からの、映画・写真的な図像性を巧みに組み合わせることで、「プロジェクトX」の世界を築き、成立しているのだと考えられる。これが、普通のドキュメンタリー番組とはレベルの違うヒットへと導いたのではないだろうか。ただ、これは単純にヒットというだけでは済まされない現象に私には思える。
通常、ドキュメンタリー番組では参照機能が支配的に働き、何らかの文脈が参照されることになるが、「プロジェクトX」でもそれは同様である。ただ参照される文脈に大きな特徴がある。この番組の特徴の一つに、「日本と世界」についての強いこだわりがある。例えば、オープニングに続いて、膳場キャスターがデジカメについての説明をする際には「去年一年間、日本のメーカーがつくったデジタルカメラはなんと4300万台です。そのうちの8割近く、3500万台が海外に輸出されているという日本生まれの大ヒット商品なんです。」と日本の優秀性が世界に認められている点が協調される。この番組はドキュメンタリーであり、ニュース番組のように事実に軸をおいた文脈を中心に参照し、そのような文脈を題材に与えていこうとするように上辺は見えるものの、その文脈は日本の偉大さを過剰に意識したものとなっているのだ。確かに、純粋な事実を論じることは不可能に近く、ニュース番組であっても何らかのイデオロギーを帯びてはいるが、例えばNHKスペシャルにみられるように、少なくともNHKではそのような「カラー」を薄めようと多元的な視点に立った報道を志している中で、これは例外的に「カラー」が突出して目立つということはいえよう。ここで、番組のコンセプトを見ると、この突出は意図的なものであることがわかる。というのは、冒頭に引用したように「無名の日本人」が主人公であり、その「画期的な事業」を評価するものとして世界が使われていると理解できるからだ。つまり、開発の物語を力強い日本の歴史に位置づけるという作業がここではなされている。
以上からいえることは、「プロジェクトX」は一般的には良質のドキュメンタリー番組として受け止められているが、むしろ性質としては巧みな方法で私たちを引き込む、プロパガンダ・ドラマに近いものだということである。このときには、ブッシュ米政権を痛烈に批判したマイケル・ムーア監督の「ドキュメンタリー」映画「華氏911」に対して、アメリカでは賛否が大きく分かれ、議論を呼んでいるように、視聴者から番組の是非を問う、何らかの批判的なリアクションが起きるほうが自然なのではないか。実際に、映画化されるに至った*2000年4月4日放送の第2回「窓際族が世界規格を作った」や2001年7月10日放送の第60回「白神山地 マタギの森の総力戦」などでは、ドキュメンタリーとしては致命傷となる、事実と異なる、あるいは事実を歪曲したものだとの批判が関係者から出されたことはこれを如実に示しているように思う。現時点では、テレビとの一方通行のコミュニケーションの中、この番組の視聴者は知らず知らずのうちに(意図的に好んでの人たちもいるだろうが)、事実とされる偏った文脈への参照を求められ、自らもその文脈の生成に積極的に関わることになる。ただ、これは「プロジェクトX」だけの問題とは言えないだろう。視聴者としての私たちはその現実を理解し、テレビを「利用」しなくてはならない。
注1 「プロジェクトX~挑戦者たち~」のホームページ
注2 毎日新聞2004年6月17日朝刊より
参考文献 石田英敬「記号の知/メディアの知 日常生活批判のためのレッスン」