「恋」の君臣関係 恋に焦がれる現代日本
 「政治は愛と信じています、民主党の鳩山由紀夫でございます」、平成16年5月の本会議でなされた、民主党鳩山由紀夫の小泉内閣総理大臣の北朝鮮訪問に関する質疑の冒頭である。政治とは愛、彼が好んで使うこの表現を、講義を受けて思い出した。その意味するところは人々に愛のある政治をといったところなのだろうが、マニフェスト選挙など具体的な政策の提示が叫ばれ、抽象的な表現が嫌われる今日にあっては、この主張はかなり異様なものである。
 講義では、人と人が「二人」に結びつけられる原動力として、どうしようもないものとしての愛が描かれた。戦闘者としての「武」と共同体の「文」を抱え込む存在であった武士は戦場という現場に自らの原型を見て、戦いを共にする「情的」・「情誼的」一体感を説明する恋をもって、君臣関係を説明した。愛のうちでも、どうしようもない、わりなきもの、つまり、意志や知では制御できないものが恋である。例えば、『葉隠』では「奉公人は一向に主人を大切に歎く迄也」、「何の御用にも不立、無調法千万の者も、涔に奉歎志さへあれば、御頼切の御被官也。智恵・芸能ばかりを以御用立は下段なり」とされており、忠義の不要と君臣関係の恋の必要が説かれている。また、このときの君主関係は義を仲立ちとした中国のような、「君君たり。臣臣たり。」・「君君たらざれば、即ち臣臣たらず。」というものではなく、「君君たらずと雖も、臣以て臣たらざるべからず。」、いわば、「だめでも主君」というものになる。
 これをもって今日の状況を考えると、興味深い。講義の中でも明治以降への断絶と連続性が取り上げられていたが、この恋を中心とする君臣関係のモデルはいわゆる日本的経営等や人間関係を論じた日本人論とも共鳴する部分があろう。上智大学吉野耕作教授によれば、日本人論の命題は集団主義、非言語的・非論理的、単一民族、日本人のことは日本人にしかわからない、の四つに大別でき、この日本人論は知識人・文化エリートの間では1970年代にピークを迎え、1980年代初頭から批判が展開されるようになり、否定的にとらえられるようになったものの、一般レベルではむしろ今日に至るまで再生産され、その影響は拡大してきているという。このうち非言語的・非論理的という命題は恋とも関連するだろう。日本人論のテーゼが日本人に対して普遍的なものであることは否定される必要はある。ただ、規範的なレベルでは、恋という概念が様々に変形・加工されて引き継がれてきていることも事実だろう。このとき、政治家の「政治とは愛」との主張はさして異様なものではなく、むしろ日本の政治を端的に示した適切な表現かもしれない。
 恋による人間関係が、今日恋い焦がれられているようにも思える。それに対応する形で「忠義の物語」がまさに、「恋愛の物語」へと読み替えられてきているのではないか。例えば、従来は浅野内匠頭への忠義を尽くして、吉良上野介を討ち取った姿を中心に描かれてきた、究極的な忠義の物語であるいわゆる「忠臣蔵」も、平成11年に放送されたNHK大河ドラマ「元禄繚乱」では「仇討ち以外、何もなかったワケじゃない」がキャッチコピーとされている。このドラマでは、石坂浩二が演じる常識人である吉良上野介が、東山紀之が演じる若い浅野内匠頭に対して、従来からいわれている賄賂の少なさに所以する嫌がらせをちょっとしたセクハラ程度(新婚だから、夜の営みが—というように)に繰り返し、それが積み重なった結果、松之大廊下の刃傷に至った様子が描かれる。そのため、視聴者には浅野内匠頭に非があるようにみえ、彼はその行為がどんな結果を生むかを顧みない愚かな主君に映る。しかしながら、中村勘九郎が演じる軽妙で“大人な”大石内蔵助が同志を募り、様々な女性関係が描かれながら、討ち入りへと至るわけで、その動機がよくわからない。ここで考えられる動機が、この人への思い、主君への恋である。このドラマでは浅野内匠頭の純粋さがクローズアップされ、それが彼の魅力となり、家臣への求心力となっている。
 同様に、「この人への思い」の物語といえば、平成16年に放送されたNHK大河ドラマ「新選組!」はその姿が強烈に描かれた作品だった。局中法度で組織を支えた新選組というよりも、このドラマでは香取慎吾が演じる近藤勇のキャラクターが隊士を引きつけ、それが新選組を支えている姿が描かれ、その近藤勇自体も筒井道隆が演じる、頼りなさそうな容貌の松平容保この人に京都の治安を頼まれ、その思いに答えたいと奮闘することになる。このドラマでは近藤勇は武士以上に武士らしくなるということが一つのテーマだったことを考えると、恋する武士がその描きたかった武士像ということになろう。
 この人を思う、恋によって成立する君臣関係がいかなるものなのかを見ることは、今日の恋による人間関係を考える一助ともなる。冬学期は近代日本の「国民道徳」とのことなので、このような武士の「恋」がどのように引き継がれていったかをより詳しく理解できるかと思う。期待したい。
 
参考文献
吉野耕作, 1997, 『文化ナショナリズムの社会学』, 名古屋大学出版会