ロシアへの最初の日本人漂流民・ 伝兵衛

   足跡を一緒に探しませんか?

                  

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  文献に残っている、ロシアへの最初の日本人漂流民・伝兵衛は、当会の事務所から至近距離

  のところ(上の地図の新谷町第1 ビル、または、新空堀ビルのあたり)で質屋を営んでいたよう

  です。今から、約320年前(江戸時代の元禄期)、赤穂浪士の討ち入りがあり、近松門左衛門

  や井原西鶴が活躍していた頃にあたります。伝兵衛が乗り込んだ船は漂流の末、カムチャツカ

  半島に漂着、その後、ユーラシア大陸を西進してロシア帝国の首都であったペテルブルグへ。

  ロシア当局の指示のもと、ガガーリン提督の館に寄宿し、日本語を教えたようですが、日本へ

  の帰国は果たせず、その地で没したと伝えられています。従って、帰国ができた大黒屋光太

  夫などとは違い、その出自、生業、ロシアでの足跡などの詳細は、不明のままです。

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       左の筆跡は、モスクワの中央古文書館に残る伝兵衛の自署で、

   「万九ひち屋たにまちとおり立半にすむ  伝兵衛」 と読めます。

   「立半」は、明治初期まであった町名で、現在の大阪市中央区

   谷町6丁目あたりにあたります。 奇しくも、当会の事務所から

                  僅か1〜2分のところです(上記の地図をご参照ください)。 

                  なお、この自署は、1970年の大阪万国博のソ連館でも公開さ

                  れました。

   また、日本での伝兵衛についての研究では、彼の生年、没年について触れたものはこれ

   まで見当たりませんでしたが、最近、ロシアの文献によって、生年が1670年、没年が

   1714年(亨年44歳)であったらしいということが分かりました。

   興味のある方はぜひ、私たちにご連絡ください。 お待ちしています!  

               

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